58.金じゃなくて別のもので払ってもらうって、こんなおっさん冒険者に向かっていったい何を要求するつもりなんですか。


 《箱舟アーク》への入り口は、登山道の入り口を思わせた。


 方形に開いた入り口は王都の城門を想起させるほどに大きく、広い。左右に弧を描いて広がる塔の円周に、そこだけ巨人の大口のように開いたその場所は、外の日差しが差し込まない分だけ薄暗く、その対比にシドは本能的な警戒を覚えてごくりと重たい唾を飲んだ。


 これよりそのうちへと乗り込み、塔の高みへ、頂へとのぼる――そのイメージが、登山道の入り口を思わせたのであろう。


 入り口前は柵で囲われた広場のようになっており、柵の外周に沿ってやはり露店が並んでいた。冒険者達はここで最後の支度を――たとえば、忘れ物や補充し損ねた品の補給を――済ませ、塔の探索へと臨むのだろう。

 そして、広場へ到着したシドが真っ先に向かったのは、そうした露店の中のひとつだった。


「待っ……シド、ちょっと……」


「フィオレはそこで休んでて! 俺一人で大丈夫だから」


 シドの速度に合わせたせいで――つまるところ、彼女にとっての全力疾走でここまでついてきたフィオレは、完全にばてていた。

 彼女に対しては大変申し訳なく思ってはいたが、しかし今は急がなければいけない。シドはたまたま客が捌けていた露店のひとつへ目ざとく駆け込むと、いくつかの保存食を手当たり次第に取って代金とまとめて店主の前にどんと置く。


「これをください。あと――ちょっと伺いたいことがあるんですけれど、いいですか」


「構わんけど、何だね」


 シドの勢いに若干気圧されながら――店主はつり銭を返しつつ、シドの話に耳を傾ける。

 釣り銭の返却は手振りで謝絶し、代わりにシドは続ける


「実は、ある冒険者パーティを探しているんです。特徴は――」


 《軌道猟兵団》の冒険者達――ジム・ドートレスらの外見の特徴を並べ立てる。

 店主は程なく、「ああ」と思い至ったようだった。


「あんたが探してるのって、もしかして《軌道猟兵団》かい? カルファディアから来た学者先生らのパーティ」


「ご存じなんですか!?」


「ご存じも何も有名なパーティだよ。もちろんこの街オルランドならもっと上の階位クラスもいないことはないが、なんたってパーティ全員が白金階位プラチナだからねぇ……あのひとらなら今朝に来たよ。ここんとこ見てなかったから、てっきり河岸を変えたもんだとばかり思ってたんだが」


「荷物は、彼らの荷物はどんな感じでしたか? 何日くらいの探索をしそうとか」


「そう言われても、はっきりとは言えんが」


 露店の店主は渋面で顎を撫でていたが、やがて確信を欠いた控えめな口ぶりで答えた。


「ただ……あんまり大荷物って感じじゃなかったねえ。あの人らいつもそんな感じだったから、だからといって今日特別にどうってこたないんだが」


「そうでしたか。ありがとうございます!」


 ――と。その場をせわしなく離れかけて。

 その寸前に思い至ったことがあり、シドは慌てて店主へと向き直った。


「あの! この辺で地図を扱ってるお店はありませんか? 《箱舟アーク》の地図……!」


「地図ぅ?」


 今度こそ。店主は怪訝に表情をゆがめた。


「地図ならあんた、冒険者宿で貸してもらえるやつがあるでしょ。そりゃあ地図を扱ってるとこもないこたないけど……あそこじゃ、塔でも浅いとこのやつしかないよ? 迷宮内の地図ってのは、冒険者の、冒険者宿の財産みたいなもんだからねぇ」


「それはもちろん、その通りなんですが……なんていうか、《軌道猟兵団》の方にお話ししなければいけないことがあるんです。それで追いかけて来たんですが、実は俺、まだ《箱舟アーク》に入ったことがなくて」


「浅いとこの地図でいいなら、あっちの方――路地の奥の方に地図売ってる店があるよ。一応は古書店ってことになってるんだがね、地図も扱ってる」


 ぼったくりだがね、と揶揄するように呟いて。男はシドが来た方角――オルランドの北壁の方を指さして示す。

 シドは嫌な予感がした。


「それは、もしかして……ご夫婦でやってるお店でしょうか」


 瓦礫と化した店の前で座り込んでいた店主夫妻の特徴を挙げると、屋台の店主は「おやおや」と目を丸くした。


「なんだい、あんたあの店のこと知ってたのかい。んじゃあ、店までの行き方は儂が教えんでも大丈夫だねぇ」


「……その店、夜のうちに襲われたみたいで。完全に倒壊してたんですよ。戦士団と冒険者が捜査に来てたんですが、地図はまだ瓦礫の中でしょうし」


「はー。それじゃ仕方ないねえ。他に地図を扱ってる店となると、儂も心当たりがないよ」


「そうでしたか……」


 まずい。まずい。《箱舟》の内部がどうなっているかなど今の時点では知る由もないが、だとしてもゼロからの探索ではいくらなんでも効率が悪すぎる。

 《軌道猟兵団》からも水竜人の戦士達からも大きく後れを取っている現状、ここでさらなる時間をかけてしまうのでは、シドが彼らを追うことそのものに意味がなくなりかねない。


「地図が要るのか?」


 ――その時。

 背中越しの声がかかった。露店の店主が顔を上げ――顔なじみ相手なのか、「おや」と声を明るくする。


 シドは弾かれたように後ろを振り返り、そして唖然と顎を落とした。


「レンタルでよければ、俺の手持ちを見せてやらないこともないぞ――ああ、金なら要らん。代わりに別のもので払ってもらうがな」


 シドが振り仰いだ、その先。


 そこにいたのは、黒衣の戦士だった。黒髪を長く伸ばし、外套マントを着こんだその下に、黒く塗って艶を落とした、革と鎖の防護具プロテクターを帯びている。


「よう、親父さん。繁盛してるかい」


「なんだい、《ヒョルの長靴》のユーグじゃないか。このひと、アンタの知り合いなの?」


「ああ。冒険者仲間ってやつだ――しかもこいつは、とびきりの腕っこきってやつさ」


 冗談めかすような明るい口調で言う男。

 露店の店主はうさんくさげに目を眇めながら、シドを見遣って「ふぅん」と唸るが、それきり興味をなくしたようだった。

 男はそんな素振りさえ面白がるようにくつくつと笑いながら。唖然と見上げるシドを、眦を細めて見下ろした。


「で――どうするね? シド・バレンス。あんたの欲しがってる《箱舟アーク》の地図とやら、こちらには提供できる用意があるが」


 ミッドレイで決闘に至った、黒衣の冒険者。

 自由商業都市メルビルにその名を馳せたという、《ヒョルの長靴》を率いるリーダー。


「いつか来るとは思っていたよ、あんたは。だが――思いのほか早かったな?」


 ――ユーグ・フェットとの。

 思いがけぬ形での、再会であった。


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