56.当座の問題が片方解決しました。交易商人の子の無事は確認できたので、あとは荒事を何とかするだけです
「――サティア!」
少女の名を呼ぶシドの声は、安堵で明るかった。
《ウォーターフォウル》号での船旅の最中で出会い、オルランドまでの道中を彼女の馬車で共にすることとなった、交易商人の少女――サティア・イゼットである。
「よかった、無事だったんだ!――けど、きみ、どうしてこんなところに」
「あたしはお仕事デス。おしごと。商談の帰り」
赤みがかった金髪を頭の右側で一本のしっぽに結わえた彼女は、一転してぱぁっと表情を明るくするシドの様子にむしろ引いたように、駆け寄って無事を喜ぶ彼から若干の距離を取りなおしていた。
「てか、おじさんこそ何してんの、こんなせまっ苦しいとこでさ。なーんか綺麗な女のひとと一緒だし? なにさ、もしかして、こんな時間から逢引?」
「ぁ、いっ……!?」
「いや、違うサティア! それは誤解だ!!」
真っ赤になって言葉を詰まらせるフィオレの、首を絞められた鶏のような呻きにかぶさる形で。
シドは力強く弁を振るい、激しくかぶりを振った。
「それはきみくらいの女の子からしたら、俺みたいな年の離れたおっさんは性欲モンスターか何かみたいに見えてるのかもしれないけれど!
でも、俺のことはともかく、フィオレ――あちらの彼女は俺とそういうアレではないし、本当にそういうのではまったくないから! 彼女は俺なんかとはまったくつり合わないくらいの素敵な女性だから、とにかく彼女の名誉のために、そういう嫌な感じの誤解はやめてくれ!!」
「あー……うん。はい」
たたみかける勢いの強さに、サティアは完全に引いていた。
さらに半歩分ほど身を引きながら、乾いた面持ちで呻く。
「うん……てか、いや、あたしだってそんなさ。今更おじさんのこと、そこまでひどい感じで見てないし。性欲モンスターとか思ってないよ? べつに」
「ほんとうかい? そっか……よかった。ありがとう……!」
「うん、うん。どういたしまして?」
シドは――ひとまず肯定の応答を得られたのにほっと胸を撫で下ろし、安堵を露わにフィオレへ振り返った。
「大丈夫だ、フィオレ。誤解は解けた――サティアは頭のいい女の子だから、きちんと話せばわかってくれると思っていたけれど」
「そうみたいね」
――と。
どういう訳か。
フィオレは完全に感情の抜け落ちた、すんと冷めた面持ちでシドを睨んでいた。
(…………あれっ?)
――意図するところは何ら分からなかったが。
ただ、ものすごく不機嫌なのだけは伝わってきた。
そうした機微に疎いシドでもわかってしまうくらいに。思わず後ずさりかけてしまうほどに。気分を害していた。何故か。
こんなフィオレを見たのは――彼女が自分用にこっそり買いためていたお菓子を、パーティの共用と勘違いしたアレンが勝手につまみ食いしまった時以来ではなかったろうか。あの時は自分事ですらなかったにもかかわらず、まったく生きた心地がしなかった。
「……てかさぁ、おじさん。あたし達つい昨日ぶりだってのに、いったいなんなの今日は。大げさすぎない? どしたの」
「あ、うん。そうだね。そうだ……」
サティアの問いかけではっと我に返り、シドはぺちぺちと頬を叩いて表情を引き締めなおした。ものすごく冷たいオーラを振りまくフィオレの方も無論気がかりだったが、ひとまず喫緊の問題としてサティアと向かい合う。
「……昨日の
「え?」
一連の事件を思い出してか、さすがに表情が強張るサティア。
シドはゆるゆるとかぶりを振り、安堵を見せるように微笑んだ。
「それで、もしかしたらきみの身にも何かあったんじゃないかと心配で……だから、無事でよかった。本当に」
「いや、それ……って、どういうこと?
「経緯は分からない。ただ、彼らは自分たちの手にある《箱》が偽物だと気づいたんだと思う。それで、本物の《箱》の奪還と――おそらくは報復のために、なりふり構わず《箱》の持ち主を追ってきた」
「昨日の、依頼主のひとたち……?」
呻くサティア。シドは頷く。
彼らの持っていた探索用の
「連中が追ってるのはあくまで《箱》だから、《箱》さえ奪還できればそれで満足するかもしれない。けれど、やっぱりそれだけじゃ気がおさまらなくて、自分達を『騙した』人間へ報復に来る可能性も否めない。
そうなったとき――直接相対したひとりであるきみが、八つ当たりの対象にされないという彼らの理性への確信を、少なくとも、俺は持つことができなかった」
リーダーらしきイクスリュードという水竜人は、あの時はまだ話のできる相手ではあったが。しかし、シドとサティアはあの場で一度、彼らを騙す片棒を担いでいる。
それはシド達にとっても、《
こんな物言いをすればサティアを不安にさせてしまうだろうことは、当然ながらシドも理解していたが。
敢えて厳しく突きつける形で、現状を説明する。
「俺は今から彼らを探し出して、なるべく穏当な形で事をおさめられないかやってみようと思う。だから、きみにはその間、オルランドの街中のどこか――なるべく人が多くて、安全なところにいてほしいんだ」
「それは、いいけど……」
「ごめん、サティア。きみにも仕事や、これからの予定だってあるだろうけれど」
「うん。まあ……それは、そうなんだけどさ」
曖昧に唸り、サティアはちいさく息をついた。
その面に――不意に、ひどくざらりととした陰りがよぎったように見えて。シドは怪訝に眉をひそめかけたが、
「――でも、さ。うん、これはしょうがないやつじゃん? おじさんには昨日、一度助けてもらってるし、そこはあたしも信用するよ」
「ありがとう。なるべく早いうちに何とかできるように、頑張ってみる――けど」
そこまで言ったところで、シドは彼女の連絡先も何も分からないのにあらためて思い至った。仮に事態が解決に向かったところで、それを報せる手段がないのでは如何ともしがたい。
サティアもシドの反応からそれを察してだろう。クスリとちいさく笑うと、ポケットから取り出した紙片に、さらさらとペンで文字を書き入れた。
「ここに出してくれたら、あたしのとこまで届くからさ。首尾よくいったら手紙で知らせて」
ずいと押し付けられた紙片を、戸惑い半分で受け取って。
シドは他にどうしようもなく、こくりとあやふやに頷いた。
「てか、あたしのことばっか気にしてっけどさ。おじさんこそ大丈夫なの? なんかさっきから、あいつら何とかできるのは大前提みたいな話し方してるけど……実はあいつら、そんなよわっちかったワケ?」
「え?」
思いがけないところを突かれ、シドは目を白黒させる。
「え……そうだった? そんなつもりはちっともなかったんだけど……ああ、でも、何とかはするよ。やってみる」
「はいはい、それならあたしもいい子で待ってっから。よろしくがんばってね、おじさん」
「ああ」
そう応じて請け負い、シドは踵を返した。
早足で元来た道を引き返すシドを、フィオレが慌てて追いかける。
「早く街に帰るんだよ! なるべく人の多い、安全なところにいるようにね!!」
「はーいはい、わかってますって! てか、それさっきも聞いたからー!」
ひらひらと手を振るサティアに、一度だけ大きく手を振り返して。
シドは猛然と、大通りまでの帰路を辿っていった。
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