38.むかし、ちょっとだけ面倒を見たことのある後輩が、再会した時にはすごい大物になっていた件
セルマが声の主を仰ぎ見る。
冒険者が、ぎこちなく声の主を伺う。
「サイラス様」
「ふ、副支部長……」
二人の動きにつられる形で、シドもそちらを仰ぎ見る。
年の頃は三十かその手前、といったところ。堀りが深く老成した顔立ちの割に目の輝きが若々しいので、あるいはもっと若い年頃なのかもしれなかったが。
金髪碧眼。ゆうに二メートルを超える長身。
整った顔立ちではあったが、それ以上に際立つのは、力強いもみあげと太い眉――彫りの深い目鼻立ちが際立つ、男らしい顔つき。
その体躯も、顔つきに相応しいがっしりした筋肉に
――《
そう呼んで恥じるところのない、男らしい男だった。
「セルマ、本日終業後の予定はどうなっているかな?」
「帰宅後、夕食の支度と食後の片付け、就寝前の入浴を予定しています」
「よろしい。私も今日は八時には仕事を上がれるから、可能であればその後に夕食を共にしよう」
「
楚々として応じるセルマ。男は――副支部長、或いはサイラスと呼ばれた彼は、セルマを誘っていた若い冒険者をにっこりと見下ろした。
「そういう訳だ。すまないが、今夜の誘いは諦めてくれたまえ」
「ぅ……うす……」
唇を尖らせて、卑屈にそれだけ唸り。冒険者は背中を丸めて、そそくさと逃げるように去っていった。
そのしょぼくれた背中に向かって、くすくすと笑いが上がる中――さすがに哀れを覚えて、シドは同情と共にその青年を見送ってしまう。
あるいは、こうでもしなければ向こうも食い下がるのをやめなかった、と言うことかもしれないが――いや、もしかしてこの男性は、セルマの恋人か何かなのだろうか。
確かに今の会話だけ聞いていると、そんな風情がないでもなかったが。
何となしに、探るような心地で二人を交互に見遣ってしまうシド。
そのシドへと振り返り、男はその男らしい相好を崩して微笑んだ。
「いや、申し訳ない。我がオルランド支部は冒険者の数が多く、ああした手合いも少なからず混じってしまうものでして」
「ああいえ、どうかお気になさらずに……あなたのせいではありませんし、そもそも、そこまで責任を負えるようなことではないでしょう」
加えて言うならば、《
ばつの悪い心地で言うシドに、副支部長の男はあらためて深々と頭を下げた。
「ご寛容に感謝を。支部を預る一人たる副支部長としては、汗顔の至りというところですが」
何も謝られるようなことでもあるまいに――と。青年の律義さには、むしろ内心で苦笑がこぼれてしまうシドだった。
そも、災難だったのは自分ではなくセルマの方だし──仮にその次がいるとしたら、このサイラスなる青年にこてんぱんにされた様を嗤われていた、あの若い冒険者の方であろう。
最前の一幕はいくら何でもセルマに対して強引が過ぎたし、彼女にとっては迷惑なものではあっただろうが――仮にあの彼から嘲笑われた分を差し引いたとしても、しょぼくれた様を嗤われながら去ってゆくしかできなかったあの背中には、やはり哀れを覚えずにいられなかった。
そも、一人の女性に対して熱心に訴えかけられるあの積極性は、自分のように枯れたおっさんなどには縁遠いもので――ある意味においては、羨ましささえ覚えてしまう情熱であった。願わくば、あとはその熱意と粘りを、より相応しい形で使いこなしていってもらえたら。
正味、シドが望むことがあるとすれば、「早いところ手続きを済ませてしまいたい」の一言に尽きた。何せそちらの手続きが終わらなければ、今晩眠る宿を探しはじめることもままならないのだ。
だが、どういう訳か――爽やかに詫びたばかりの副支部長は、じろじろとシドを見て、ためつすがめつしていた。
(……何だ?)
さすがに不可解なものを覚え、セルマを促してその場を離れようとした矢先、
「……もしかして、あなたはシドさん? シド・バレンスさんではありませんか!?」
「へ?」
きょとんと眼を
どうしてこの副支部長は自分のことを知っているのか、理由がさっぱり見当つかない。怖い。
「覚えていらっしゃいませんか、シドさん! 私です。サイラスですよ、サイラス・ユーデッケン! 十年前にウィンダールであなたのお世話になった、見習い冒険者のサイラス・ユーデッケンです!!」
「さい、らす? 十年?……え?」
真っ白に強張り、硬直した頭の中。
そこから懸命に記憶の棚をひっくり返して、思い当たる名を探す。
やがて、
「サイラス――って、え。え? サイラス? あの、確か、あの時はこれっくらいだった……ウィンダール支部の、あのサイラス!?」
「そうです! 十年前のウィンダールで、あなたと一緒に冒険した――お懐かしいです、シドさん。まさかこんな形で、またお会いできる日が来るだなんて!!」
男らしく堀りの深い目元を熱くして、サイラスは感涙にむせんでいた。
そうだ。確かにその名には覚えがあった。
――サイラス・ユーデッケン。クロンツァルトはウィンダールの連盟支部に、
シドにとっては冒険者の後輩にあたる――だが、自らの進むべき道を自ら見定め巣立っていった、未来ある若者。
言われてみれば目の前の青年には、確かにあのサイラスの面影がある。
――だが。
シドが知っているサイラスと言えば、十四歳の線の細い少年だった。
目鼻立ちの彫りの深さは昔からだったが、さりとてここまで男臭くはなく、また見上げるほどの巨漢でもなかったし、失礼を承知でさらに言えばここまで老け顔でもなかった。
もちろん、自分がおっさんになったせいでむかしより記憶力が落ちたというのはあるとしても、だとしても、こんなの気づける訳がない。
――十年の時は、少年をかくして逞しき大人へと変えるものなのであろうか。
シドは彼方を仰ぎ見る心地で、茫漠とそんな感慨に思いを馳せた。
「こんなにも喜ばしいことはありませんよ! シドさん、もうお昼は済ませてしまいましたか!? もしそうでないなら、これからご一緒にどうですか!!」
「え。でも……サイラス、副支部長って呼ばれてたよね? まだ仕事あるんじゃ」
「キャンセルです!」
「即答」
「当たり前じゃあありませんか! 午後の仕事はすべてキャンセル! 大恩あるあなたとの祝うべき再会と比べたら、仕事なんてものはカス!!」
「カス!?」
「もとい、些事! ええ、すべて些事ですとも!! シドさんの御用件もすべてこの私が責任を持ってお引き受けしますので、是非、旧交を温める一時を!」
「ええ……それ職権乱用っていうんじゃ……どのみち駄目なやつだと思うんだけど」
「セルマ! すまないが私の代わりに後を頼む。こちらのシドさんからの申請とそれに伴う諸々、代筆を任せた。あと私の午後の業務に関して、明日以降へのスケジュールの振り直しを頼む――今日明日は人と会う予定もないし、余裕がないという事はないはずだ!」
「うわぁ、完全に本気だよこの子は」
「
「えっ。いいの? セルマさんも、それほんとに大丈夫なやつ!?」
「すまない。あとは任せた! 私はシドさんと出かけてくるからな!!」
「サイラス、待っ――ちょっと待つんだ、サイラス、ってうわ力すごっ!!」
「いってらっしゃいませ、サイラス様」
「ありがとうセルマ! この恩は近いうちに、必ず返すからなー!!」
「さ、サイラス。ほんと、待って――俺、申請とか、あと今晩の宿も探さないと」
弱々しい抗弁は、どうやら高揚しきったサイラスの耳には届かなかったようで。
楚々として
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