二章 《遺跡都市》オルランドへーーおっさん冒険者は心機一転、セカンドライフを頑張りたい

18.遠方より友、来たる――が、当の本人はもうどっか行っちゃっているという間の悪い話


 フィオレ・セイフォングラムがその町を訪ったのは、彼女に課せられた使命が無事果たされて、一月ほどが過ぎたころのことだった。

 肩口で揃えた金糸のような髪と、エメラルドの瞳。透き通るように白い柔肌。短剣のようにすらりと長く伸びた耳は、彼女が森妖精エルフ種族であることをこの上なく周囲へ示していた。


 部族の折衝官たる叔父の随伴で森の外――人間達の世界をめぐる機会が多かったためか、もとより総じて華奢な森妖精エルフの平均よりも肉置ししおきがよく女性らしかった彼女だが。その肢体は、この一年ほどの旅の間にいっそう女性らしく育まれ、健やかながらも蠱惑的な、たおやかな線を描くようになっていた。


 《大陸》最大の森妖精エルフ部族、《真銀の森》部族長の子――四姉妹の次女である彼女が、自身の失態によって森の外へと持ち去られた部族の秘宝、《ティル・ナ・ノーグの杖》を無事故郷の森へと持ち帰ったのは、つい先ごろの事である。

 極秘裏に命ぜられた使命を果たして戻った娘をねぎらい、族長たる父が部族を挙げて開いた祝宴へ列席するのもそこそこに――彼女はいとまを願って森を飛び出し、再びの旅に出た。


 今度の旅は、使命のためではない。自分のための旅である。

 その彼女が真っ先に訪ったのが、《十字路の国》クロンツァルト王国西方の小男爵領――メンベンドール男爵領の領都、ミッドレイであった。


 旅の目的はただひとつ。

 部族の秘宝を奪還する旅に力を貸してくれた仲間、大恩あるその中のひとりを訪ねるためである。

 より厳密にいえば――大恩ある彼ら彼女らの中で、唯一どうにも心配というか、放っておくのが躊躇われる類の男の今が気にかかってならず、せめてその去就なり確かめねばという庇護欲とも義務感ともつかない衝動に突き動かされての来訪であった。


「《湖畔の止まり木》亭――名前は合ってる。ここで間違いないわよね」


 そして、現在。

 フィオレはひとつの宿の前に立ち、その屋号を掲げる看板を硬い面持ちで見上げていた。

 ただでさえ珍しい森妖精エルフ。それもすこぶるつきの美少女である。

 道行く男女は、そんな彼女に好奇の眼差しを向けていたが――中には、半ば以上見とれている者もいた――、当の彼女はそれに気づく様子もない。


「――って、何をひとりで緊張してるの私。こんなところでずっと突っ立ってたって、何がどうともならないでしょうに。もう」


 自分へ言い聞かせる形で吐き捨てるようにひとりごち、ふるふるとかぶりを振るフィオレ。

 父の随伴で公の場に出る機会が多かった経験のおかげで、基本的にはうまく隠せているが、本質的には人見知りで、初めて訪う場所や初対面の相手には緊張してしまいやすいのがフィオレという娘だった。


 いざ、と覚悟を決め、宿の扉に手をかける。


「いらっしゃいませー!」


 中に入るなり弾むような声でフィオレを迎えたのは、ウェイトレスと思しき若い娘だった。


 栗色の髪を三つ編みに編んだ――どこがどうという訳でもないはずなのだが、奇妙に印象の幼い娘だ。


 子供、という年頃ではない、ないと思う。

 たぶん、アレンやミリー――この二人も、フィオレの使命を果たす冒険に力を貸してくれた仲間だ――と同じくらいか、その少し上くらいではないかと思う。ただ、受ける印象がその二人より、ぐっと幼いというだけで。


「お泊りですか? お食事ですか? お泊りでしたら、あちらで宿帳へ記帳を」


「ああ、いえ……ごめんなさい。ちょっと待ってもらえるかしら」


「? お食事でしたか?」


「そうじゃなくて。……その、たぶん今日はこちらに泊まらせてもらうことになるとは思うけれど、その前に訊ねたいことがあって」


 ぐいぐい来る勢いに若干気圧され気味で、たどたどしく呻くフィオレ。少女はきょとんと首を傾げ、黒目の大きなどんぐりまなこをぱちくりさせる。


「ここに、シド・バレンスという冒険者はいるかしら……その、この宿が定宿だと聞いているのだけれど」


「シドさん? 森妖精エルフさん、シドさんのお客さんですか!?」


「客――ええと、そうね。そんなところかしら。彼には以前お世話になっていて」


「ええ――――――――っ!?」


 フィオレが言い終えるのを待たず、少女が素っ頓狂な声を上げた。


「うそうそ、おねえさんシドさんのお知り合いなんですか? こんな、とっても綺麗なエルフの方が? わたし、そんなお話ちっともしてもらったことなかったです!!」


「えっ? ああ、ありがとう?……で、いいのかしら?」


 目を輝かせて食いついてくる少女に、完全に気圧されているフィオレ。

 完全にたじたじで後ずさるばかりのフィオレに、しかし救いの手は訪れた。


「ターニャ、何をしているの? お客様が困っていらっしゃるじゃないの」


 ――こちらは、目の前の少女よりふたまわりほど年かさの女だった。

 おそらくは少女の母親なのだろう。しっとりと淑やかな彼女から受ける印象は、目の前の少女のそれとは完全に真逆だったが――しかし、鼻筋や口元のつくりには、どこか相似た気配が感じられた。


「あっ。おかーさん!」


 案の定。ターニャと呼ばれた少女が、ぱっと母親へ振り返る。


「おかーさん、こちらのお客様、シドさんのお客さん!」


「まあ……」


 形のいい眉を力なく垂らして、母親の方は困ったというように頬へ手を当てる。

 その表情で、フィオレはおおよその事情が察せられたように思った。


「彼は既に、新しい冒険へ出てしまっている、ということでしょうか。そういうことであれば、シドが戻るまでこちらで待たせていただくことは――」


「それは、お勧めできかねます。いえ、私達はもちろん歓迎いたしますけれど……」


 女は肩を落とし、詫びるようにちいさく面を伏せた。


「お察しの通り、シド・バレンスは五日ほど前に新しい冒険へ旅立っており、いつ戻るかも定かでありません。ここでお待ちいただくのは、お客様のご負担になるばかりかと……」


 ――間に合わなかったか。

 フィオレは落胆の溜息をつきかけたのを、寸前で堪えた。能うる限りの最速で引き返したとはいえ、既に王都で別れてから一ヶ月。人間種族の時間感覚では、かなりの期間になるはずだ。

 彼が拠点ホームでの休息を終えて新たに行動を起こしていたとしても、何らおかしなことはない。ない、のだろう――おそらくは、だが。


「では、彼の行き先を教えてもらうことはできますか? 私はつい先ごろまで彼とパーティを組んでいた冒険者で、その……何というか」


 何というか――何なのだろう?


 彼を一人で放っておくのが、まるで見捨てているように思えてならず、ついついここまで来てしまったが――いや、せっかくここまで来たのだから、ここは他ならぬ自分が再びパーティを組み、今度は自分が彼の力になるべきなのではないだろうか。


 ――そう、それだ。そういうことだ。


 それはフィオレの胸中でにわかに高まっていた衝動に、ひどくしっくりとくる発想だった。


「所用あって彼と離れていましたが、そちらも片がつき――また彼と冒険を共にしたく、こうして訪ねてまいりました。彼はどちらへ向かいましたか? もしかして、また王都ウェステルセンに?」


 それとも、その先――ミリーやアレンが国立アカデミーの留学使節団として向かうと言っていた、レングラント地方の東方諸国であろうか。以前、未だ行ったことのないそちらの方へも行ってみたいのだと、シドが言っていたのを思い出した。


 そうして、フィオレが頭の中でおよそのあたりをつけているうちに。

 女は答えた。


「オルランドです」


「…………おる?」


 知らない名前だった。

 フィオレの反応でおおよそを察してか、女は娘の方を見た。


「ターニャ。地図を持ってきてもらえる?」


「はーい」


 少女はぱたぱたと奥へ走ってゆき、程なくして、彼女の身の丈の半分はあるだろう大ぶりの巻物スクロールを抱えて戻ってきた。

 「ありがとう」と感謝を口にした女は、娘から受け取った巻物を手近なテーブルのひとつで開いた。


 ――《大陸》の地図だった。


 大陸全図。しかも五年前に更新されたばかりの最新版。冒険者宿とはいえ、最新の地図を備えているようなところは意外に少ないものなのだが。


「まず――ミッドレイがこのあたりで、こちらが王都ウェステルセン。この線で囲まれている一帯が、十字路の国クロンツァルトになります」


 女はひとつひとつ、指先で地図の上をなぞり、指し示してゆく。


「オルランドというのは――」


 そのほっそりした指先が、するすると――地図の上を南へ南へと滑っていく。我知らず口元が引き攣るのを、フィオレは自覚する。

 やがて、《地中海イナーシー》と大書きされた内海を囲む土地――その東方にあたる一点を示し、女は言った。


「――ここです。東地中海イナーシー諸州の東端、トラキア州。オルランドは当地では指折りの都市、そのひとつです」


 この町から王都ウェステルセンまでよりもはるかに――それどころか、王都ウェステルセンから故郷の森までよりも、遠いくらいのところだ。


(シド……)


 ――あなた、一体何だってそんなところに……。


 眩暈にも似た感覚に襲われて。

 フィオレは他にどうしようもなく、溜息とともに天を仰いだ。


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