16.これ以上は、たぶん未練になってしまうので。この素晴らしい祝祭の日、おっさん冒険者もセカンドライフへ旅立ちます【前編】


 ――半月後。よく晴れた暖かな日に。


 ミッドレイでいちばん大きな――といっても、都会のそれと比べればつくりの新しさと表裏の歴史の浅さ、あとは単純に大きさが足りないせいで、荘厳さにはいまいち欠けてしまう聖堂にて。

 ヨハン・ブリッグスとターニャ・シスカ。シドにとっては二人が幼い頃からよく知った、若者達の結婚式が執り行われた。


 天なる主神ライオスと、その妻にして地なる女神ウルリカの夫婦神を筆頭に据え、この世界と《大陸》を作り上げた十二柱の創世神を奉る、この国ではもっとも一般的な型式の聖堂だ。

 純白の、美しい花嫁衣装に身を包んだターニャと、やはり純白の礼装を一分の隙もなく身に着けたヨハン。

 二人は聖堂を預かる司祭の前に手を取り合って並び、婚姻を言祝ぐ祝福の祝詞を授かっていた。


「――これを以て、新しきふたりの婚姻は天と創造の主神ライオスの定めし法のもと、大地と夜明けの女神ウルリカの祝福が与えられるでしょう。

 汝、新しき妻ターニャ――今日これより妻として夫を支え、夫を慈しみ、やがてその眠りに安らかなるネフィリール死と安息の女神ヴェールが降るその日まで、終生これを愛することを誓いますか」


「誓います」


 ターニャが答えた。

 シドからでは彼女の後ろ姿しか見えないが、まだ幼げな風情を残したその顔は、きっと幸せにほころんでいるのだろう。


「よろしい。では汝、新しき夫ヨハン――今日これより夫として妻を護り、妻を慈しみ、やがてその眠りに安らかなるネフィリール死と安息の女神ヴェールが降るその日まで、終生これを愛することを誓いますか」


「誓います!」


 ヨハンの誓いは、緊張でいささか上ずったようだった。

 新郎の気負いを微笑ましく見守る空気が、さざ波のように聖堂の参列者たちに広がっていった。


「誓いの言葉は捧げられました。大いなる十二はしらの神々、そのいただきなるライオスとウルリカの夫婦神、この世のことわりと愛を司る二柱ふたりよどうかご照覧あれ。

 新しき夫ヨハン、新しき妻ターニャ――ふたりの婚姻に多くの幸いと加護を降らす、偉大なる神々へと示す愛の証として。新しき夫婦ふたりよ。いざや、その唇に口づけを」


 いつか、シドの記憶の中では小さな子供だったはずの二人が。互いに互いへ向かい合い、そして誓いの口づけを交わす。

 万雷の拍手が上がり、シドもまた目頭を熱くしながら、一心に両手を打ち合わせて拍手を贈った。


「証は此処に示されました。鳴り響く祝福は鐘のごとく。婚姻の祝詞は光輝の如く。大いなる神々の加護まもりは、これより二人が進む新たな道を照らしつづけることでしょう。

 天なるライオス、地なるウルリカ――願わくば、今日この日にあなたの祝福を以て結ばれる比翼の絆、連理の絆が、遥か時の果てまで此処なる手と手を結びつづけますように」


 そっと唇を離し、お互いを見つめてはにかむ二人の笑顔に。

 シドはとうとう感情をこらえきれなくなり、熱い涙を溢れさせたのだった。


 ――歳を取ると、涙もろくなってしまっていけない。


 ……………………。



「なんでそんな急に行っちゃうんですか――――っ!!!」


 遡って、二週間前。

 ドルセンやミレイナと語らった一夜を経て、シドが決意を固めた翌日のことである。


 朝食を済ませ、早々の出立――再びの旅立ちを告げたシドに、ターニャは不満と怒りで顔を真っ赤にしながら、子犬みたいにきゃんきゃんとかみついてきた。


「せっかくお部屋を毎日きれいにして! いつでもシドさんが帰ってきてもいいようにしてたのにっ! それがたった一日でいなくなっちゃうなんてひどくないですか!? ひどいひどいひどい!!」


「いやあの……そうはいうけどね? ターニャ。何て言うか、俺くらいの歳になると腰を上げるのが億劫おっくうになっちゃうというか、鉄は熱いうちに打てというか、決意が固いうちに旅立つのが冒険者というものであって」


「それに、わたしヨハにいと結婚するんですよ!? 冒険者さんだしほんとのとこ無理なんだろうなぁーって諦めかけてたのが、せっっっかくシドさんにも結婚式に来てもらえると思ってたのにーっ! それがやっぱりダメだなんて、そんなのあんまりじゃないですか!? あんまりですっ!!」


「あ、そうだね。結婚式……うん、そうだね。結婚式……ターニャの花嫁衣装はきれいだろうなあ」


「ですよね? ですよねー。シドさんも見たいですよね? わたしのきれいな花嫁衣裳!」


「うん、そうだねぇ。でも、ターニャの花嫁姿なら絶対に綺麗だろうって、見なくてもわかることだからね」


「しぃーどぉーさぁぁあ――――――――――ん!?」


「ひぇ」


 ターニャの勢いに肩を縮めて竦んでしまうシドの背中に、もそもそと朝食をとっているドルセン――つまりは、昨日帰りそびれた結果である――の剣呑な視線が刺さる。



 ――ちゃんとわかってんだよな? シド。



 もごもごと顎を動かして口の中の朝食を磨り潰しながら、弱腰のシドへ向かって空恐ろしいほどの圧をかけてくる。


「ひぃ」



 ――逃げ場がない。

 逃げ場がない!



 進んでも退いても、結局どっちかからめちゃくちゃ怒られて、後々まで延々と恨まれてしまうだろうこの流れ!!!


「いいんじゃありませんか? あと半月くらいならゆっくりしていても」


 助け舟を出してくれたのは、例によってミレイナだった。

 ドルセンが「む」と唸り、ターニャはどんぐりまなこをぱちくりさせる。


「ターニャ、あなた結婚式の日取りをシドさんにお話ししていないでしょう。シドさんにだってご予定や心積もりというものがあるんだから、そこはきちんとお伝えしないと」


「あ、そか……えっとね、わたしとヨハ兄の結婚式、来月のはじめなの! 最初の日よ!」


「……二週間かぁ」


 それくらいなら――旅支度とか、オルランドでの冒険に向けた情報収集とか、そんな感じの諸々で潰せるだろうか。

 そうした諸々は旅の途中でおいおいやってゆくつもりだったが、何もミッドレイでそれらをやってはいけないという道理もない。


「………………」


「おい、シド。何で俺を見てやがる」


「いや、なんとなく……」


 ドルセンは仏頂面だったが、「ふん」と鼻を鳴らしたきりそっぽを向くだけだった。


 それが彼なりの同意――ないし容認であるのを長い付き合いで知っているので、シドはようやく、ほっと胸を撫で下ろしたのだった。


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