第29話 エルムステルでの戦後処理 03
バートは執務室で政務を続けている。領主が逃げてその間政務が
部屋の扉がノックされる。ホリーが返事をして扉を開け、役人が入ってきてバートの前に立つ。
「バート様。提案がございます」
「なんだ?」
「バート様は街の城壁の建設を加速せよとご命令なさいました」
「ああ。緊急に必要になるかはわからないが、民心を安定させるためには城壁の建造を加速させる必要があると考える」
バートはエルムステルの街で建造中の城壁の建造を加速させるように指示していた。この街の城壁は半分も完成しておらず、残りの部分は人の背丈にも届かない頼りない堀とそこから出た土を盛り上げた低い
建設資金のあてもあった。領主がため込んでいた莫大な遺産である。いくらかは領主が逃げる際に持ち出され、またいくらかは暴徒共により略奪されたが、それでも相当な財産が残されていた。もちろん領主の遺産も有限だが、エルムステルの領地からの税収は多い。死んだ領主のように私腹を肥やすためにため込まなければ、街の財政には十分余裕がある。バートはそれを浪費する気も自分が着服する気もなく、街の運営に必要なことに投入するつもりだ。
「ですが、城壁の建設を加速させるにしても、
「ふむ。代案はあるか?」
「ございます」
役人の様子は自信満々だ。
「今街を囲っている堀と
「ふむ……」
バートは思案する様子を見せる。
それは足りない予算での城壁建造を押しつけられていたこの役人が、かねて考えていた案であった。だが中級役人の彼が領主に直接上申出来るわけもなく、直接の上司にも見栄えが悪いと却下されていたのであった。それをこの機会に実現しようと考えたのである。
彼にも自分の案を実現させたいという欲求はあるし、バートもそれを見抜いている。だが、これには彼自身の命を守るためという切実な事情もあった。彼も領主に見捨てられ、街で死の恐怖に
「そして戦死した騎士や兵士たちの遺族も、土運びなどの作業に当たれる者は日当を払って雇うのです。そうすれば彼らの生活支援にもなりましょう」
役人はバートが命じた騎士や兵士の遺族たちを支援する
役人たちの間でも、バートに新しい領主になってほしいという声も上がり始めていた。この街の役人たちもことさらに仕事熱心というわけではなかったが、これまで上層部にやる気がなさ過ぎて仕事が思うように進まなくて困っていた役人たちもいるのである。
「……良い案だと考える。検討に入って、可能な限り早く具体案をまとめて提案しろ。城壁建造のために集めた人足と資材をそちらに転用してもいい。明後日までに案がまとまらないならば、中間報告をしろ」
「はい!」
バートは役人の案に理があると考えた。役人は自分の案が理解を示されたことに喜びを隠そうともしていない。
バートは自分の考えに
バートからも注文を入れる。
「空堀を単に拡張するだけでは、底が平坦では敵が動き回って弓などを当てにくい。空堀の底を中央をくぼませた斜面にして、敵の行動を阻害出来るようにして攻撃を当てやすくするべきと考える。旧王国領東方地域でそのような堀を巡らした街を見たことがある。強力な魔族相手ではその程度ではそこまで効果的ではないだろうが、妖魔や普通の魔族相手ならば十分に効果を発揮するはずだ。無論空を飛ぶ魔族に対しては堀は意味がないが、空を飛べない魔族や妖魔共に対する備えも
「なるほど……さすが経験豊富な冒険者。戦いのことは私にはわかりませんでした」
バートは旧王国領各地を旅しており、様々な場所を見て来た。その中に、底をくぼませた形状にしてある空堀を周囲に巡らせた街もあった。彼はその形状をまずは不思議に思って考えた結果、それは堀に入り込んだ敵を効率的に殺す工夫と考えついて感心したのである。
「それから既に完成しております城壁についてですが……なにぶん十分な予算も与えられず、
「当面は改良した堀と
「あ……確かに……」
「あと、既存城壁の強化に取りかかる頃には私はこの街を離れているだろう。後任の者に引き継ぎはしておこう」
「は、はい! それでは至急検討に入ります! 明日には提案に参ります!」
そうして役人は勢い込んで退室する。彼は心残りに思っていたこともこの際に解決しておきたかったが、それは後の課題だというバートの言葉に納得した。その上でバートの期待に応える、もしくはそれを超える働きをしなければならないと張り切っていた。バートがこの街を離れると聞いて残念そうな様子も見せたが、バートはあくまで一時的な領主代理でしかないのである。
そうして執務をしているうちに、昼頃に部屋の扉がノックされた。ホリーが扉を開けると、そこには官庁勤めの使用人がいた。この使用人は元は官庁で政務を
「バート様。お食事の時間でございます。ヘクター様もいらしています。食堂までお越しください」
「わかった。お嬢さん、食事に行こう」
「はい」
ホリーはバートがこうした態度を取られるのはともかく、自分にまで取られるのは落ち着かない。宿では出される食事を食べてはいるが、村でも妖魔討伐行でも自分も料理をして家族や
そうしてホリーとバートは使用人に先導されて領主専用の食堂に
食堂ではヘクターが待っていた。
「おう。バートもお嬢さんもお疲れさん」
「ああ。お前もご苦労」
「はい。私はたいしたことは出来ませんけど……」
料理が並べられ、彼らは食事しながら会話をする。この時間も彼らにとっては重要な打ち合わせの時間でもあった。バートはヘクターに騎士団の再編と管理、そして冒険者たちの指揮を任せている。なお料理は豪華で大変に美味なのであろうが、ホリーは慣れない環境に緊張して味がよくわからなかった。
「騎士団の状況はどうだ?」
「神官たちが頑張ってくれて、負傷者たちも数日中には復帰出来そうだ。今動けるのは三百人ほどだけど、負傷者たちが復帰すれば五百人ほどになる。あと商人たちの隊商の護衛に出ている奴等もいるけど、そちらは問題はなさそうだ」
「あの……私も治癒に回りましょうか?」
「いや。お嬢さんは私の手伝いをしてほしい。お嬢さんは所詮雑用と思っているかもしれないが、お嬢さんがいるのといないのとでは執務の効率が変わってくる」
「ああ。お嬢さんはバートの手伝いをしてくれ」
「は、はい!」
ホリーは自分も神官なのだから負傷者たちの治癒に回るべきかとも考えていた。魔力が続く限り治癒魔法を使って、魔力がつきたらバートの所に行けばいいと。バートが言うように、まさに自分は雑用しかできないのだから。だがバートに自分が必要と言われてうれしかった。自分もこの人の役に立てているのだと。
バートにはホリーを手元に置いておきたいという思惑もあった。ホリーは聖女の可能性が高い。その彼女に何かがあってはならない。雑用など役人や使用人をその任に当ててもいいのだから、ホリーが執務室にいる必要は特にないのである。
「それに私はお嬢さんが心配だ。君は優しすぎて、悪意を持った者につけ込まれる恐れがある」
「それは俺も心配だなぁ」
「は、はい」
その上でバートは自分にホリーを近くに置きたいという思いもあることは認めざるを得なかった。この少女は人間でありながら、彼からすればまぶしいとも思う善の心を持つ
ヘクターはもっと単純に思っている。ホリーはいい子だから守ってやりたい。この子には幸せになってほしい。この子が聖女であってもそうではなくても。彼にとってはそんなものだ。
ホリーにとっては、彼らがそこまで自分を心配してくれていることがうれしいという感情もある。自分は大丈夫だと断言は出来ないのも本音であった。
「街の警備体制も再構築出来そうか?」
「ああ。指揮系統も再編していて、明日か明後日には冒険者たちから仕事を引き継げそうだ。冒険者たちも俺たちの頼みだからと引き受けてくれているけど、自分たちは領主の兵じゃないって意識があるしな。まだ不満と言うほどのものはなさそうだけど」
「わかった。冒険者たちは順次通常の仕事に戻れるように手配しろ」
「おう」
現在、エルムステルの街の警備体制は冒険者たちが主体になり、街の警備兵たちがその補佐をするという形になっていた。そのあたりの指揮系統も崩壊していたのである。だが冒険者たちは基本的に自由な気風を持つ者たちが多い。報酬は支払われているとはいえ、いつまでもそんな仕事をさせていれば、冒険者たちも不満を持つであろう。だからヘクターは街の警備体制を再編することを優先して作業していた。
「あと、この街の騎士団の練度は低い。妖魔に負けるほどじゃないけど、あれじゃゲオルクたちが率いていた魔族たちに蹴散らされたのも納得するしかないぜ。鍛え直していいか?」
「訓練をすることと、
「それもそうだな」
ヘクターからすれば、この街の騎士団の練度は呆れるほど低かった。領主が騎士団の予算も削って自分の私腹を肥やすことを優先していたから、訓練も
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