第28話 エルムステルでの戦後処理 02

 バートが執務をしていると、急に執務室の扉が開き、先程とは違う役人が入って来た。



「バート様! 領主様の館を襲撃した者共を不問にするとはどういうことですか!?」


「全ての者を不問にするとは言っていない。人を傷つけた者は法規に基づいて処罰しろ。財貨を奪った者は、それを申し出て返却するならば不問にしろ。そして自ら申し出ず財貨も返却しない者は法規に基づいて処罰しろ。書類にも書いてあるはずだ」


左様さようでございましたか……一文だけを見ておりました」



 役人たちはバートの呼び名に様を付けているが、最初の頃はそこに揶揄やゆする響きがあった。だが今では尊敬の念がもる者も多くなっている。

 この役人は官庁と騎士団の連絡役を務めている者だ。このバートの指示は役人たちと騎士団に対するものだったが、書類を読んで納得出来ずに駆け込んで来たのだろう。



「しかし、いくら奪ったものを返却しても罪人を処罰しないのはいかがかと……」


「極限の恐怖にさらされた人間は、時として普段では考えられない愚かなことをする。高貴な者であろうと下賤げせんな者であろうと。領主自身が民を守らずに逃亡したのだ。民がそれに怒りを覚えるのは当然だろう。自分が罪を犯したことに罪悪感を覚える者は、軽い罪ならば処罰する必要はない。君にも自分たちを見捨てた領主を許しがたいという感情はあるだろう?」


「……承知しました。ご温情、感服しました」


「話はこれだけなら仕事に戻れ。そして周囲の者たちと騎士団、兵にもこれを周知しろ。領主の館略奪を重点的に捜査する負荷をかけられるほど、今のエルムステルに余裕はない。まずは麻痺まひした統治機構を回復しなければならない」


「はい。かしこまりました」



 役人は納得して下がる。バートは自分の指示に疑問を持つ者にも頭ごなしに命令するのではなく、きちんと説明して納得させていた。納得させずに不満をいだかせたままにすれば、いつかそれが噴出することを彼は知っていた。無論彼の言葉に納得する者ばかりではないことも彼はわかっているが。


 魔族たちによる攻撃の恐怖にさらされていた街の住人たちは、必ずしも模範的な対応をする者ばかりではなかった。もちろん善なる神々の信徒としての道徳心を発揮し、助け合いの精神で行動した者も多かった。だがこの状況に自分の欲望と衝動を解放した者たちもいた。

 その一例が、主が逃亡した領主の館を略奪した者共もいたことだ。館には領主が持ち出せなかった財宝も大量に残されていた。わかりやすい財宝の多くは施錠された宝物庫に保管されていて略奪を免れたが、普通の部屋に置いてあって略奪されたものも大量にあった。飾ってあった芸術品や調度品を破壊衝動のおもむくまま破壊した者共もいた。館に残された使用人たちに暴力を働いた者共もいた。領主に無理矢理愛人にされて領主が逃げる際に置いて行かれた少女たちに乱暴を働いた者もいた。少女たちの肉体的な傷はホリーたちが治癒魔法で治したが、領主の愛人にされたことも含めて心にも傷を負っていたから、エルムステル神殿に預けられたのだが。

 商人たちの邸宅や倉庫に押し入ろうとした暴徒もいたようだが、それは警備の者たちに追い返された。警備を雇えない小規模な商人の店では略奪が行われた所もあったが。だが商人たちにはこの危機において街の人々や周囲の街や村に食料などの物資を利益度外視で供給していた者たちもおり、街の人々にもそれに恩義を感じて商人たちを守ろうと暴徒に立ち向かった者たちもいた。

 この危機に不当に値段をつり上げていた商人もおり、そのような者はより強い敵意を向けられた。もちろん物資の調達に不安がある状況で値段に転嫁せざるを得ない場合もあるのだが、この機会により多い利益を得ようとした不埒ふらちな者共もいたのである。そのような商人の店はかばう者もなく、警備の者がいてもその者たちも逃げだし、酷い破壊を受けた。かといって破壊行為や暴力行為を働いた者たちが正当化されるわけではないが。



「こんな時にも悪いことをする人たちはいるんですね……」


「人間などこんなものだ」


「……」



 ホリーはこんな事態の最中に悪事を働いた者共がいたことにショックを受けている。これが人間の醜さであり現実であると、彼女に教える効果はあったとバートは考えているが。バートからすれば加害者たちのみならず、被害者たちも本性は妖魔共と大差ないと見えているのである。

 バートは物質的な被害を出しただけの者は、名乗り出て略奪品も返却する者は不問にするように指示を出した。人を傷つけた者や放火までした者、罪を名乗り出ない者は処罰するようにとも指示したが。

 これはバートにとっては慈悲によるものではなく、治安を円滑に回復するための方策でしかない。処罰することにこだわれば、街の住民は犯罪者たちに同情心をいだき、バートたちに反感を持つ恐れがある。死んだ領主が上に立つ者として民を守る責任を果たそうとせず逃げたのは事実であり、それに民が怒りを覚えるのは当然である。だが名乗り出る者は許すならば、民は名乗り出ない者に同情することはないだろう。人を傷つけた者や少女たちに乱暴した者については許す理由はなく、法規に基づいて処罰しても同情する者などいまい。

 それに自ら名乗り出る者を許し、その者共が自発的に名乗り出て来るならば、罪人を捜査する手間は軽減される。今のエルムステルの統治機構は崩壊寸前なのだから、そんな無駄な負荷をかけている場合ではない。



「でも、書類もすごい量ですね」


「それだけ死んだ領主が政務をおろそかにしていたのだろう」



 ここまで説明しなくても役人は納得し、バートを人格的に優れた人物と思ったようだが、納得していなければバートはここまで説明していただろう。だがバートが押しつけられた仕事は大量にある。役人は既に納得したのに、ここまで説明している暇があるなら大量の書類を処理していかなければならない。書類に目を通して、是非を判断して、署名するか差し戻すかの判断をするだけでも彼には相当な負荷がかかっている。バートを所詮冒険者と見くびって、内容もろくに読まずに署名するだろうと、ろくでもない案を上げてくる者共もいるのである。



「お嬢さん。こちらの書類はそちらに置いて、そちらの書類をこちらに寄越よこしてほしい」


「はい」


「記入漏れがないかだけはチェックしてほしい」


「はい」



 ホリーはバートの側に控えて彼の手伝いをしている。手伝いといっても彼女は政治のことも政務のこともわからないから、するのは雑用だけだ。彼女もそれなりに余裕のある農民の出で、読み書きは出来るが、文書に書いてある内容はあまり理解出来ない。彼女に出来るのは、バートが署名をしているかそれとも差し戻してその理由を書いているか記入漏れがないか確認すること、そして指示された通りに書類を整理することくらいだ。彼女はなぜバートがこれほどに手際よく政務を処理出来るのかわからなかった。



「どうすれば、大勢の人たちに善なる行動をさせることが出来るのでしょうか……」


「普段からの善なる教えで、醜い本性と欲望を覆い隠す殻を厚くし、表出させることを防止出来るのかもしれない。だが危機にこそ醜い本性をあらわにする者たちもいる」



 彼女からすれば、この戦後処理において、人間の善なる面と悪なる面の両方を見せつけられた気分だ。彼女は人の本性は善だと信じている。だが悪心に飲まれ、悪なる行動を取ってしまう者も数多くいることは彼女も理解せざるを得なかった。その上で自分は善神ソル・ゼルムの信徒として、人々を善なる方向に導く手助けをしなければならないと決意していた。具体的にどうすればいいのかはまだ彼女にはわからないが。だがバートの姿を見て、その答えがここにあるような気がしていた。良い政治が成されれば、多くの人々は善なる行動を取るのではないかと。



「私は、バートさんのような人がいい政治をすれば、人々もいい行いをするのかなとも思うんですけど……」


「暮らしに不満がなければ、罪を犯す者は出にくいという面はあるのかもしれない。だが人間の欲望は果てがない。何をしようとも、悪なる本性をさらけ出す者たちはいるだろう」


「……」



 ホリーも、ヘクターがバートは人間不信も度が過ぎると嘆息する理由が理解出来たように思う。だがこの人はそれほどに人間に絶望しているのだろう。その絶望を溶かしてあげたいと思った。

 なおヘクターはこの場にはいない。バートは彼に生き残った騎士団の再編と管理、そして冒険者たちの指揮を任せた。ヘクターは執務室にもるよりそちらの方が向いているという判断である。冒険者たちにも、騎士団が壊滅したこの状況においては街の治安維持など色々としてもらいたいことがある。当然冒険者たちにも働きに応じた報酬が支払われる。


 執務室の扉がノックされる。ホリーが返事をして扉を開ける。さっきとはまた別の役人が入って来た。書類を手にした役人は机を前にしているバートの対面に立つ。



「バート様。ご指示にありますこちらの書類についてですが、騎士団の遺族たちの技能習得支援と働き口の斡旋あっせんをせよとは、どういうことでございましょう?」


「先の戦いにおいて、大勢の騎士や兵たちが死んだ。彼らの遺族も大勢いるだろうが、収入を失い困窮こんきゅうする者たちもいるだろう。そのような者たちが生活出来るように支援が必要と考える。商人のマルコム氏たちの協力もあおげ。マルコム氏に対する私からの書簡も書類と一緒にあるはずだ」


「は、はい。ですが昨日のご指示通り、一時金を支給する準備は始めておりますが」


「一時的なものだけでは遠からず困窮することになる。かといって恒久的に支援出来るわけでもないだろう。ならば遺族たちが自分で生活出来るように支援するべきだろう。孤児や老いて働けなくなった者に対する支援は別に必要だろうが」


「なるほど……」



 役人は納得する様子を見せる。実際、死んだ騎士や兵士たちの遺族に対する支援も必要だった。もし自分が死んだら残された家族が支援もされずに困窮するとなれば、遺族の心配はいらないというほど高給ではなく、危険度も高い騎士や兵士のなり手は激減するだろう。無理に徴兵ちょうへいしても、その士気には問題を抱えることになる。死亡者の遺族には一時金を支給する仕組みはあったが、バートはそれだけでは不十分と判断した。



「では、併記へいきされております孤児院の増設と役割拡張とは? 子供を一時的に預かるようにせよとのことですが」


「孤児もいるだろうから、その者たちは孤児院に入れろ。そして幼い子供を持つ未亡人もいるだろう。その者たちが働くとしても子供連れとはいかぬ場合もあるだろうし、預け先がない者もいるだろう。そのような者の子供たちを一時的に預かる場が必要と考える」


「なるほど。ではそのように手配を開始します」



 今回は大勢の騎士や兵士が死んだ。残された遺族たちも、子連れでも問題ない仕事にありつける者ばかりではないだろう。家族や近所の住人に子供を預かってもらえる者もいるだろうが、そうはいかない者たちもいるだろうし、そのような者に対する配慮も必要だろう。



「旧王国領東方地域の、フィリップ第二皇子殿下の統治が行き届いている地域では、このような施策しさくが成されている。これは帝国領ではかねてから行われていた施策のようだ。どのように実行するべきかわからないならば、東方地域に人を派遣し学ばせろ。だがその前にもわからないなりに方策を考えて実行しろ。すぐには効果は出ないだろうが、着手しないことには始まらない」


「そんな施策があったのですか……承知しました。取り計らいます」



 バートが指示した施策しさくは必ずしも独創的なものばかりではない。この施策も前例があるものだ。ヴィクトリアス帝国でも行われているし、もっと言えば旧チェスター王国でもはるか以前には行われていた。魔王軍との大規模な戦いがなくなっていた期間に、多数の犠牲者が短期間に出ることが少なくなると、旧チェスター王国では次第にそのような施策は行われなくなっていったのであるが。

 前例があると、役人たちも受け入れようという気になりやすい。全く新しいことをしようとすると、反発する者も出てくるものだ。だが帝国で行われているとなると、抵抗感は少ないだろう。



「順調に進めば騎士団の遺族たちのみならず、働き手を失った家庭に対して同様な施策を提供しろ。富める者は富める者なりの罪を犯すことがある。貧しい者は貧しい者なりの罪を犯すことがある。だが貧しい者を支援せずに放置すれば、犯罪に手を染め、治安を悪化させる恐れがある」


「なるほど……深い思慮しりょに敬服します」


「用件はそれだけなら仕事に戻れ」


「はい」



 バートは冒険者として活動するうちに多くのことを見聞きしていた。働き手を失った遺族が困窮こんきゅうしたあげく、犯罪に手を出した例も。ホリーを救った時にバートが殺した野盗たちも、生活するすべを失って悪の道に走ったという点では似たようなものだろう。

 バートにとっては、この施策しさくも慈悲によるものではない。あくまで義務感から、合理的な考えに基づく『良い政治』を実現するためのものでしかないのだ。

 そのバートの姿を見ているホリーは感嘆すると同時に、悲しかった。バートは人間の本性を悪と思っていて、ほとんどの人間が妖魔同然の醜悪な存在に見えていることが。彼女はバートの凍てついた心を救いたいと思っていたが、どうすればいいのかわからなかった。彼女に出来るのは、バートを一人にさせないことだけだった。バートは彼女のような善なる心を持つ人間は自分にとっての救いだと言っていた。ならば自分はバートから離れてはいけない。自分はこの人と一緒にいようと思った。

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