第18話 不穏な足音 01

 バートたち冒険者集団がエルムステルを進発して二十五日。彼らは破竹の勢いで妖魔たちを撃破し、もはや彼らの担当地域の妖魔共の掃討は終わっていると判断した。一日に三箇所の街や村を開放したことも一日や二日ではない。彼らが倒した妖魔共は正確には数えていないが、合計すれば万を優に超えているであろう。それはそれだけの妖魔共が退治されずに野放しになっていたことを示しているのであるが。彼らはエルムステルの領主が担当する地域の、実に五割近くをたった一つの集団で解放した。エルムステルから進発した六集団のうちの一つでしかなく、人数も少ない彼らが。たった百人程度の冒険者たちの働きとしては、異常なほどである。

 彼らは最後の討伐後、丸一日休憩する時間を取って、人も馬も休息させた所である。



「あたしたちはあれだけの数の妖魔共を退治出来ずに見逃してたんだねぇ……」


「そうね……」


「わしらの怠慢たいまんと言われても仕方ないのう……」


「そうだね……いくらなんでもあそこまでの数の妖魔がこの地域にいたとはね……」


「まああんたたちの責任じゃないさ。妖魔共を討伐するのは領主と騎士団の仕事なんだからさ」


「そうなんだけどねぇ……」



 リンジーたちこの地の冒険者たちは、自分たちはあれほどの数の妖魔共を見逃していたのかと悔やんでいるが、彼女らを責めるのも酷であろう。冒険者は基本的に依頼を受けて動くものであり、継続的に妖魔共を退治するのは領主と騎士団の仕事なのだから。



「まあでもお嬢さん。あの時はお嬢さんの家族に声をかけることは出来なかったし、よければ帰りに村に寄るけど、どうだい?」


「その程度ならそれほど時間を浪費せずに寄れるだろう」


「ありがとうございます。でも大丈夫です。私は家出同然に出てきたんですし……」


「そうか。気が変わったら言ってくれればいい」


「はい。ありがとうございます」



 ホリーの村には妖魔共は来ておらず、冒険者たちは素通りするだけだった。彼女は家族に会っていきたいとも思ったのだが、緊急を要する任務中だと自分を納得させた。応対した村人は勇ましい格好をしたホリーに驚いていたが。帰り道に村に寄ってもいいと言うヘクターとバートの気遣いはありがたいのだが、百人もの冒険者たちを自分のために寄り道させるわけにもいかないと諦めた。




 そしてエルムステルへの帰還途上の昼、ホリーたちはきれいな泉で水浴びをしている。普段は行水して布で体を拭くのがせいぜいだから、水浴びは冒険者たちにとって格好の娯楽になっていた。



「馬鹿な男共がのぞきに来てないだろうね?」


「大丈夫。いないわよ。見張りはしておくから、交代の時は声をかけてね」


「あいよ」



 今は女性陣の番だ。冒険者集団にはホリーを入れて女性は十八人いる。彼女らは水浴びをする時は男連中が覗きをしないように交代で見張りをする。冒険者たちには精神的にも健康な男が多いのだから、そういう欲求があるのも仕方が無いのだろう。



「まあでもホリーも本当にたいしたものだね。まだ大人になってないのに、あんたのおかげで命拾いした奴もいるんだし」


「そうよね。あなたの年でこれだけの神聖魔法が使える神官はそうはいないと思うわよ?」


「い、いえ。私はこれしか出来ませんから。皆さんに守ってもらっていますし……」


「あっはっは! それは役割分担って奴さ!」



 ホリーは最初の妖魔集団の討伐以来、冒険者たちから一目置かれていた。彼女の治癒魔法は普通の一人前の神官レベルだからそれなりなのだが、それが理由ではない。彼ら冒険者集団がここまで迅速な行動を出来たのは、彼女がいたからこそだったからである。彼女が大規模な浄化の炎で速やかに妖魔共の死体を焼却するからこそ、彼らはこれほどの強行軍が出来た。彼女がいなかったら死体の焼却にはもっと時間がかかり、せいぜい一日に二箇所が限界だっただろう。ホリーは今でも妖魔共を虐殺しなければならなかったことを悲しく思っているのではあるが。彼女は行軍と戦闘の合間に剣の訓練も続けているが、そちらは常識以上の上達は見せていない。



「ふふ。あなたはたいしたものよ。謙遜けんそんする必要なんかないわよ? あなたはたぶん聖女なのでしょうから」


「い、いえ……」



 そしてシャルリーヌたちは確信しつつあった。ホリーは聖女の可能性が高いと。ホリーが聖女ならば、冒険者集団が本来の実力以上の力を発揮出来ていることと、これだけの強行軍をしながら人も馬も奇妙に疲労が少ないことも説明出来ると。そして他の冒険者たちも戦ううちにそのような疑惑をいだいて噂していたため、バートたちは口止めをした。ホリーからすれば、バートやヘクターや冒険者たちの無事を善神ソル・ゼルムに祈っていただけなのであるが。

 体を水で流しているホリーにリンジーが話しかける。



「ところで、ヘクターには誰かいい人はいるのかい?」



 リンジーの体は戦士にもかかわらず傷跡もなくきれいなものだ。それは彼女がこれまで傷を負わなかったことを意味するわけではない。治癒魔法を使うと、傷跡も残さず治癒出来るのである。自然治癒に任せた場合は傷跡も残るが。

 周りの女冒険者たちもその言葉に耳をそばだてる。ヘクターは人格的に好ましく顔も精悍せいかんでしかも強いと、女性にもてない要素はない。一方バートは顔立ちは整っているものの、いつも無表情で性格もとっつきにくいから、女性にもあまり人気はない。

 これまでは気が張り詰めてこういった会話も気軽には出来なかったのだが、彼女らにも余裕が出来たのだろう。彼女らは次の日には自分や仲間が死んでいるかもしれない任務の最中だったのだから。幸いこの任務中、冒険者たちには犠牲者は出なかったのではあるが。たとえ相手が下等な妖魔共とはいえ、敵は常にこちらの倍以上はいるという状況で、それは奇跡とも言えることであった。負傷者こそいたが、彼らもホリーやニクラスたち治癒魔法の使い手によって傷跡もなく治っている。



「どうなんでしょう? 私もヘクターさんたちとは長い付き合いじゃなくて、皆さんとたいしてかわりませんから、わかりません」


「そうかい」



 ホリーとしてはそう答えるしかない。実際ホリーは知らないのだから。

 リンジーは落胆したような希望を持ったような複雑な様子だ。周りの女冒険者も二人ばかりがそんな様子だが。

 次はシャルリーヌがホリーに矛先を向ける。



「そういうあなたは、バートにかれているのかしら? いつも一緒にいるし」



 その言葉にリンジーたちも興味津々きょうみしんしんという様子になる。冒険者の彼女たちにとっても、他人の色恋沙汰は格好の娯楽ごらくだ。彼女たちは密かに賭けをしている。バートはホリーとシャルリーヌのどちらを選ぶのかという。賭けに勝っても少し豪華に買い食いが出来る程度のかわいらしい賭けではあるが。



「……わかりません。私がバートさんと一緒にいたいと思っているのは確かでしょうけど……」


「そう」



 ホリーは本当にわからなかった。自分がバートに恋をしているのか、そうではないのか。シャルリーヌはその彼女を優しく見つめ、それ以上の追求はしない。

 リンジーたちもこの話はここまでと、水浴びを再開する。彼女らも年若い少女のほのかな恋心らしきものをはやし立てるほど野暮やぼではなかった。






 一方その頃、バートとヘクターたちは水浴びの順番を待つために待機している。奇襲などを受けないように見張りも任命している。冒険者たちには討伐戦は終了したのだからここまで警戒しなくてもいいのではないかという空気も漂い始めているが、バートとヘクターはそれをいましめている。まだ自分たちが討伐していない妖魔共がいるかもしれないと。既に妖魔を討伐した村でも、どこからかまた別の妖魔集団が来ているかもしれないと。

 だがこの地域の、彼らが任務として行動する範囲の妖魔集団があらかた討伐されたことは事実なのだろう。彼ら冒険者集団の戦果は目をみはるばかりなのだし、領主の派遣した騎士団も動きは鈍いながら五集団もあって、そちらも犠牲を出しながらもそれなりの戦果を上げている。バートたちはマルコムから渡されたマジックアイテムで相互の情報を交換しており、騎士団の動きもマルコムの使用人から聞いていた。

 その時、小鳥の形をしたそのマジックアイテムが声を発した。マルコムとの取り決めでは、バートたちは戦闘中の可能性があるため、基本的にバートたちからしか連絡を入れないことになっている。



『バート君! 聞いているかい!?』


「聞いている。あなた自身から連絡してくるとは、何かあったのか? 現在は話をしても問題はない」



 その声はマルコムの使用人ではなく、マルコム自身のものだった。



『あ、ああ。エルムステルの近くに魔族の軍団が出現した! 領主様の騎士団は壊滅状態らしい! 助けてくれ!』


「……何? 我々がエルムステルに戻るにも、あと二日はかかるぞ」


「まさか……妖魔共はエルムステルから戦力を引き離すためのおとりだったってことか!?」


「バート殿が危惧しておったのはまことだったということか」


「そんなことがあるなんて……」



 マルコムの言葉に、バートたちの周囲にいる冒険者たちがざわめく。

 バートは危惧していた。妖魔共があまりにも手応えがなさ過ぎる。囮の可能性もあると。これまでの妖魔の大侵攻ではそのような事例はなかったようだとはいえ、今回もそうであるとは限らないと。それは領主と騎士団が考えることであって、雇われの身である冒険者たちが考えることではないのだが。

 彼らもそこまで心配しているわけではなかった。エルムステルからは騎士団の半数程度と冒険者集団が不在にしているとはいえ、街にはまだ騎士団の半数は残っているのだから。街には貧弱とはいえ堀と土塁どるいと柵もあり、多少大規模な妖魔集団が街を襲撃したとしても、十分に撃退できるはずだった。

 だが妖魔どころではない魔族の軍団が現れたとならば、話は別だ。彼らがエルムステルに戻ろうにも、二日はかかる。



「敵は妖魔ではなく、魔族なのか」


『そ、そうらしい。妖魔は一体もいなくて、全部魔族らしい』


「街は攻撃を受けているのか」


『い、いや。魔族の軍団は攻撃せずに留まっている。逃げようとする人たちは殺されているようだけど、街に引き返す人たちは見逃されているようだよ。領主様は生き残りの騎士団と一緒に逃げようとして、皆殺しにされちまったようだ』


「魔族の数は?」


『そ、それほど多くはないようだ。五百体くらいじゃないかと聞いている。それで魔族たちの将のゲオルクという奴がバート君とヘクター君との戦いを望んでいるって書いた紙が空から街にまかれたんだ! 君たちが来なければ街を攻撃するとも!』


「……」


『君たちが十日以内に来れば、街を攻撃しないとも書いてある! 頼む! 報酬ははずむから、助けてくれ!』


「承知した」



 バートにはそんな無謀なことをする筋合いはないはずだった。そんな所に行けば、命を落とすのは間違いないのだから。しかもバートは人間の大半は妖魔同然の存在だと思っているのだから。たとえ冒険者たちと一緒に街に戻っても、五百体とこちらの数の五倍もの魔族を相手に戦えば、いくらバートとヘクターが強くとも全滅は必至だ。エルムステルの騎士団を壊滅させたというのだから、その魔族集団の力は本物なのだろう。それなのにバートは迷いもしなかった。




 そして水浴びを終えた女性陣が合流する。彼女らは深刻な雰囲気の男性陣に不思議そうな顔をしている。

 バートが口を開く。



「エルムステルのマルコム氏から連絡があった。街に魔族の集団が接近し、騎士団は壊滅したようだ。逃げようとした領主も殺されたらしい」


「なんだって!? 助けに行かないと!」



 リンジーはまっすぐな性格だ。すぐに助けに行くべきと言う。だがバートの言葉には続きがある。



「敵の頭目は、私とヘクターとの戦いを望んでいるようだ。私たちが来れば、街は攻撃しないと」


「まあ俺とバートは逃げるわけにはいかねえよな」


「そんなの嘘に決まってるじゃない! あなたたちが行った所で!」


「君たちはこの場で解散して逃げろ。君たちが来ても死者が増えるだけだ」


「……!」


「あなたたち……死ぬ気?」


「そうなるだろうな」



 ホリーもシャルリーヌたちも絶句する。この男たちは死を覚悟して、本気で街を攻撃しないと言っているとは思えない敵集団が待っている所におもむこうとしているのだから。



「そしてシャルリーヌたちには私から依頼をする。報酬は払う。ホリーをフィリップ第二皇子殿下の元に送ってほしい」


「……」



 この男はシャルリーヌたち四人の冒険者たちを見込んでいるのだろう。ホリーを任せてもいいと考えるほどに。

 そしてこの男は本当に死を覚悟しているのだとシャルリーヌは悟った。それを止めようにも、彼女の口は動かない。感情的になるには彼女は聡明すぎた。彼女も理解は出来るのだ。ホリーは聖女であるかもしれないのだから死なせるわけにはいかず、フィリップ第二皇子の元まで送る必要がある。一方バートたちが挑戦から逃げれば、彼らの名声は地に落ちて誰も彼らを信用しなくなるだろう。彼らが行こうと行くまいと街が壊滅するのは確定しているだろうが、彼らはそうするしかないのだ。それはバートの考えを正確に見抜くものではなかったが。



「敵集団の指揮官は無駄な殺戮さつりくは好まない魔族の可能性が高い。私とヘクターがおもむけば、エルムステルの街への攻撃はしないかもしれない」


「……」



 バートには自分の死を無意味なものにはしない目算があった。無意味な殺戮を好まない魔族たちがいることは賢者たちには知られており、バートとシャルリーヌもそれを知っていた。

 だがここにはそれをくつがえす者がいた。



「嫌です! 私はバートさんたちを置いて逃げたくありません!」



 ホリーだ。彼女はこれまで遠慮がちに振る舞い、バートたちの言葉に異を唱えることはほとんどなかった。それなのに今回ばかりは強く主張した。



「お嬢さん。君は死なせるわけにはいかない。私は逃げるわけにはいかない。これ以外に方策はない」


「嫌です! 私もバートさんたちと一緒に行きます!」



 ホリーは強い意志を込めた視線で、バートの暗いものを感じさせる灰色の瞳を見つめる。

 しばし二人は無言のまま見つめ合う。

 そして視線を外したのはバートだった。

 ホリーの言葉はシャルリーヌの心も動かした。



「バート。ヘクター。あなたたちの負けよ。あと、私もエルムステルに行くから」


「まったく。あんたたちも馬鹿な男だね。あたしはそんな馬鹿も嫌いじゃないよ」


「うむうむ。男子たるもの、こうであらねばな」


「ま、なんとかなるさ」


「……」



 シャルリーヌたちもバートたちに同行すると申し出る。冒険者たちも次々と同道するという意思を口にする。彼らはもうバートたちを自分たちの仲間だと認めていた。もちろん彼らも人である以上は命は惜しいという感情はある。だが仲間と、そしてエルムステルの人々を見捨てることは出来なかった。

 ヘクターが嘆息する。



「はぁ……バート。諦めよう。お嬢さんもみんなも俺たちが逃げろと言っても聞いてくれそうにない」


「……わかった」



 ヘクターとバートも折れた。

 冒険者たちが勇壮なときの声を上げる。一人の脱落者もいなかった。

 ホリーがバートの手を取る。



「私はあなたと共に行きます」


「……わかった」



 手を取られバートはホリーの目を見るが、すぐにまぶしいものを見たかのように視線をらす。強い意志を込めたホリーの言葉に、バートは拒否することは出来なかった。

 ホリーにとってバートは不思議な人であったが、バートにとってもホリーは不思議な少女だった。この少女は少し前までただの村娘だったのに、何故これほどにまぶしいのか。こんな人間が存在するのか。

 バートはホリーを聖女かもしれないと思っているが、聖女という存在を盲信する気はなかった。彼はホリーという一人の少女に戸惑っていた。

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