第16話 妖魔討滅戦 06

 バートたち冒険者集団がエルムステルの街を進発して経過すること七日。彼らは一人の犠牲者も出すことなく、多数の街や村を解放してきた。この地域の全ての街や村が脅威にさらされていたわけではなく、素通りしてきた場所も数多くあったが。不可思議なことに、どこの妖魔共も街や村を攻撃せずに陣地を作って布陣しているだけだった。指揮官も最後まで戦おうとする者はおらず、決まって妖魔共を見捨てて逃げようとして、取り逃がすものもあった。

 解放した街や村には当面は大丈夫でも、妖魔共の略奪を受けて今後の物資に不安を抱える場所もあり、そちらにはマルコムにマジックアイテムで隊商の派遣を要請している。彼らはエルムステルの街に定期的に伝令も出しているが、それは三日に一回程度だ。非常時には待機している伝令役もエルムステルに向かい連絡に行くことになる。彼らの活躍はマルコムたち商人と冒険者の店の主人たちが街に噂として流しているようで、街で評判になっているとは、マジックアイテムの連絡先にいるマルコムの使用人の言葉である。



「ふう。さっぱりしたぜ。返り血を浴びたままじゃうんざりするからな」


「ああ。私は後衛から魔法を放つだけだが、お前は先頭で飛び出すからな」」



 冒険者たちも休息は必要である以上今日はこれ以上の進軍はせず、夕方に解放した村の人々が歓待してくれることになった。村の人々も恐怖から解放され、思う存分騒ぎたいという気分もあるのだ。冒険者たちも警戒を解いているわけではなく、周囲に見張りを任命して、その見張り役たちにも料理の差し入れがされる。この見張り役は交代制で、バートたちが見張り役をする時もある。

 その前に、彼らは村の家々を使わせてもらって行水するなどして体を清めた。不潔にしていると病にかかりやすいことは冒険者たちも知っている。特に返り血を含めて血は洗い流さないとならない。本当は屋内で睡眠する方が良いのだが、こんな大きな街道沿いでもない普通の村に百人規模の冒険者たちが泊まる宿はないから、彼らは村の広場で野営することになる。


 そして夜になって、宴が始まっている。



「バートさん。お料理をもらってきましょうか?」


「いや。これで十分だ。君も私といてもつまらないだろう。ヘクターたちの所に行くといい」


「私もあまり騒がしいのは苦手で……」



 ホリーは宴の輪からはずれているバートと共にいた。ヘクターはリンジーたちと酒盛りをしている。ヘクターには人間的に魅力があり、自然と人が集まってきた。一方バートは気難しい男と思われて、あまり人は寄ってこなかった。冒険者たちもバートのことも認めているのではあるが。

 そこにシャルリーヌが近寄ってきた。彼女は折に触れてバートに声をかけていた。



「あなたもたまにはみんなと一緒に楽しんだら?」


「酒は思考と動きを鈍らせる。私は飲まない」


「ふふ。あなたは頑固ね。ホリーもいつもバートと一緒にいるけど、にぎやかな所に行かなくていいの?」


「私はあまり賑やかな所はちょっと苦手で……」


「その気持ちは私もわかるけどね。ニクラスたちはがさつに大騒ぎしているし。もう少し上品に出来ないのかしら」



 ニクラスはドワーフの一般例に漏れず大酒飲みで、今はヘクターと飲み比べをしている。冒険者たちはその様子を歓声を上げて眺めている。

 エルフとドワーフは仲が悪いとは良く言われることだ。だがそれは俗説ぞくせつであり、個人個人により仲の善し悪しは変わる。エルフたちとドワーフたちは基本的な生活環境が異なり、お互いに相手側が好む環境を居心地が良くないと思う者が多いことからそういう俗説が広がったのかもしれない。シャルリーヌの言葉にも悪意はなく、呆れているだけのようだった。



「ところであなたたちに聞かせてもらいたいことがあるのだけど、いいかしら?」


「私に答えられることならば」



 微笑みを浮かべていたシャルリーヌの表情がにわかに真剣になった。



「妖魔たちの行動が明らかにおかしいわ。これまで解放した場所では、どこの妖魔たちも街や村を壊滅させられる戦力があったのに、それをせずに陣地にもっているだけだったわ。あなたはどう思う?」


「私はこれは『妖魔の間引まびき』という現象ではないかと思う」


「やっぱりあなたもそう思う? 妖魔の大侵攻の時、半分くらいの地域で確認されるっていう」


「ああ」



 『妖魔の間引まびき』

 それは旧王国時代から確認されている現象だった。旧王国では数年から十数年に一回ほどの割合で、妖魔の大侵攻があった。その際におおよそ半分の地域では結構な被害が出るのに対し、残りの地域では妖魔共は集団を作って陣地に待機するだけで、積極的な攻撃行動には出ないという現象だ。もちろんそれを攻撃した軍勢は抵抗を受け、損害も出すのだが。そのまるで妖魔共が殲滅せんめつされることを望んでいるかのような不可解な行動は、賢者たちからは『妖魔の間引き』と呼称されている。バートとシャルリーヌはその現象を知識として知っていた。



「となると、この地域ではあまり焦って妖魔たちを撃破する必要はないのかしら?」


「いや。妖魔共は基本的に忍耐力に欠ける。いずれ暴発して攻撃行動に出るかもしれない。我々が妖魔共に攻撃を仕掛ける際にも警戒が必要だ。妖魔共も抵抗するし、過去の現象で危険度が低かったからといって、今回もそうであるとは限らない。それにこれが『妖魔の間引き』ならば、妖魔共が街や村々に攻撃を仕掛けている場所もあるはずだ」


「それもそうね」



 ホリーは理解している。バートが人々の被害を少なくしようとしているのは、この人にとっては善意によるものではない。この人は義務感だけで善なる行動を取っている。この人には恐怖におびえる人々も妖魔同然の存在に見えている。それが悲しかった。



「あともう一つ。ホリーはもしかして聖女なんじゃないかしら?」


「……」


「聖女がいる軍勢は圧倒的な強さを発揮するとされているわ。あれだけの規模の浄化の炎を使えるのはまだしも、私も魔法を使う時威力が妙に強かったし、消耗する魔力も少なかったわ。リンジーたちも普段より動きが鋭かった。他の冒険者たちもたとえ相手が妖魔たちとはいえ、あそこまでの動きは出来なかったはずよ。これまで一人の犠牲者も出なかったのも異常よ。実力不足の人たちもいるのだから」


「……」


「そしてあなたとヘクターは二人組の冒険者として有名なのに、今のあなたたちはホリーを連れている」



 ホリーは面食らった。まさかシャルリーヌにもそう言われるとは思っていなかった。だがシャルリーヌの様子は半ば確信しているのだろうと思えた。



「このお嬢さんは聖女なのかもしれない。違うかもしれない。私とヘクターはそれを見極めようとしている」



 バートは言い逃れをしようともせず、あっさりと自分の考えを言う。だがそれでは終わらない。



「君がこのお嬢さんを聖女かもしれないと思っていることは、君の心のみか、せいぜい君の仲間たちの間にとどめておいてほしい。他にもその疑問を抱く者たちもいるかもしれないが、その者たちにも口止めを頼みたい。このお嬢さんが聖女かもしれないと知られたら、貴族たちがいらぬ野望をいだくかもしれない。もっと愚かな行動を取る者が出てくる恐れもある」


「わかったわ。秘密にしておく。私のお婆さまも人間が嫌いなんだけど、その原因は百五十年前の大戦で、もう滅びた人間の国で聖女が政争に巻き込まれて、その国の王が自分の権威を守るために聖女を処刑したからって言ってたのよ。お婆さまはその聖女を直接知っていたみたいで……あなたが心配しているのも、そういうことでしょう?」


「そうだ。私はこのお嬢さんをフィリップ第二皇子殿下の元に連れて行こうと思っている。このお嬢さんが本当に聖女ならば、帝都に送られるだろう。だがこのお嬢さんが聖女ではない可能性もある。その場合もお嬢さんがいらぬ厄介ごとに巻き込まれないように、聖女であるかもしれないということは広めないでほしい」


「わかったわ」



 エルフは長命だ。かつての大戦の頃を直接知っている者も大勢健在だ。シャルリーヌはそこまでの歳ではないようだが。


 魔王軍の大侵攻があっても聖女が出現しなかった事例は、記録が残っているものだけでも幾度もある。その場合、人類側の国々は壊滅的な打撃を受けるのが通例だ。人間の国のみならず、エルフやドワーフの国々も甚大な被害を受ける。聖女無しに魔王軍の大侵攻を阻止した事例は、記録に残っている限りでは百五十年前の大戦において、ヴィクトリアス帝国の前身となった王国が中心となって抗ったことのみだ。他にもそのような事例はあるのかもしれないが、少なくとも大陸のこの地域においては知られていない。人類側が決定的な敗北をすると、魔王軍で大規模な内紛が始まって魔王軍が撤退するのも通例ではあるのだが。



「バート。あなたはホリーとヘクターのことは信じているの?」



 そのシャルリーヌの言葉は、ホリーも知りたいことだった。彼女は無意識にバートの上衣のすそを握る。



「……このお嬢さんやヘクターのような善の心を持つ人間は、私にとっては救いだ。人間にもこのような者たちがいるのだから。私からすればまぶしいと思う者が人間にもいるのだから」


「……そう」



 そのバートの言葉には、この男には珍しく感情がこもっていた。

 ホリーは思い出す。夢の中で善神ソル・ゼルムは言っていた。バートは人間に絶望している。だが本当は人間を信じたいのだろうと。

 改めて思う。この人を一人にさせてはならない。自分がこの人にとっての救いになるならば、この人と共にいたい。

 シャルリーヌが不意にバートに微笑みかける。



「バート。あなたはいい男ね。れちゃいそうよ」


「私のような性格の悪いろくでなしに惚れるのはやめる方がいい。君が不幸になるだけだ」


「ふふ。あなたのそういう所が気に入ってるのよ」



 そう言ってシャルリーヌはこの場を後にする。ホリーには彼女がどこまで本気なのかわからなかった。バートの方は本気で言っているのだろうが。だが、彼女にはこの男に言いたいことがあった。



「バートさん」


「む?」


「私、バートさんと一緒にいたいです。バートさんたちと共に旅をしたいです」


「私たちは君をフィリップ殿下の元に送り届けるために共に旅をすることになる。君が本当に聖女ならば、そこで別れることになる。君が聖女ではないならば、君が安全に過ごせる所に連れて行って別れることになる」


「私が聖女であろうとなかろうと、バートさんと一緒にいたいです。駄目ですか……?」


「……考えておこう」



 ホリーは自分の感情がよくわからなかった。もしかしてこれが恋なのかもしれないとも思ったが、よくわからない。ただ一つ確実なことは、自分はこの人と共にいたいと思ったことだった。バートは表情を変えていないが、彼女の言葉を無碍むげに断りはしなかった。彼女はそれがうれしかった。

 ふと気づいたようにバートが言葉を発する。



「お嬢さん。君は何故、妖魔共の死を本気で悲しめる?」


「え?」


「私もヘクターも妖魔共をとむらいはする。だがそれは妖魔共の死を悲しんでいるわけではない。何故君は妖魔共の死にさえ、本気で悲しめる?」



 バートにとって、ホリーは不思議な少女だった。この少女は彼の理解の範疇はんちゅうを超えていた。



「……わかりません。それでも、死は悲しいです」


「……」



 ホリー自身も、それはわからなかった。彼女は村にいた時から、村の自警団が焼却するために妖魔の死体を持ち帰った時も、その死体をとむらっていた。村の人々はそれはおかしいと言っていた。彼女の母親ただ一人が、その優しさを大切にしなさいと言ってくれた。

 バートは伏し目がちに答える彼女を、まぶしいものを見るかのように視線をらした。

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