第9話 エルムステルの街にて 02

 ホリーたち三人はエルムステルの街の商人マルコムの邸宅に来ている。立派な調度品が並ぶ豪華な部屋だが、華美というほどではない。それでも村娘のホリーにとっては気詰まりするような空間で、出されたお茶にも手を付けることが出来ない。

 しばし待って、部屋の扉が開いた。上質な服を身にまとった恰幅かっぷくのいい男が入ってくる。その男に続いて、重そうな袋を持ったニックも入ってくる。この恰幅のいい男がバートたちの依頼主なのだろう。



「やあやあバート君にヘクター君。賊の討伐と荷物の奪還、ご苦労だったね」


「残念ながらあなたの使用人たちはとむらうことしかできなかった」


「仕方ないとは言いたくはないんだけど、それは君たちの責任じゃないよ。彼らが無事だったらもっと良かったんだけどねぇ……」



 男は荷物の奪還に安心したのか、バートたちに機嫌良く話しかけた。それでも悪い人間ではないのだろう。バートの言葉に表情を曇らせたのは、演技ではなさそうだ。

 ホリーは自分は部外者だとはわかっていても聞かずにはいられないことがあった。



「あの……亡くなった人たちの遺族はどうなるんでしょう……生活も大変になるでしょうし……」


「ああ、君のこともニックたちから聞いているよ。私は商人のマルコム。君がポールたちを浄化の炎でとむらってくれたそうだね?」


「は、はい。私はホリー・クリスタルです」


「ポールたちを弔ってくれたお礼の寄進きしんは用意しているよ。これは私からの感謝の気持ちだから、受け取ってもらいたいね」


「は、はい」


「あと、ポールたちの遺族には私から生活の援助をする。子供たちも成長したら私が雇う。これでお嬢さんも安心出来たかな?」


「はい!」



 マルコムは商人としては俗物ぞくぶつだった。必要とあれば役人に賄賂わいろを渡すことにも後ろめたさを感じない。人々のために商売をしているなどと言う気は初めからない。だが個人としては善良と言ってもいい男だった。使用人とその家族たちには責任を持ち、儲けの一部は神殿や孤児院、施療院せりょういんにも寄付していた。彼は善なる神々の素朴な信者でもあって、善行を積めば自分も死後冥界に行っても不幸にならずに済むと信じていた。

 ホリーも犠牲者の遺族たちがなんとかなりそうということには安心した。マルコムの使用人たち以外の身元もわからない人々については対処のしようがないことは彼女にも理解は出来た。

 ニックがバートとホリーにそれぞれ袋を渡す。ホリーに渡されたものはそこまで大きくはないが、彼女はこんな大金を持つのは初めてで、どうすればいいのかわからない。



「それからこれは返却しよう」


「ああ。確かに受け取ったよ」



 バートがマルコムに渡したのは、小鳥の形をしたマジックアイテムだ。二個一対になっており、起動して片方に話しかけるともう片方から声が発せられるというものだ。同種のアイテムは作成者の趣味や発注者の注文で形状は変わる。マルコムは貴重品を運ぶ使用人にこれを持たせて連絡出来るようにしているのだが、バートにも渡していたのである。マルコムの邸宅では専任の使用人がこのアイテムの片割れを管理している。

 ニックが部屋を退室したのを確認し、マルコムが真剣な表情をしてバートを見た。



「大事な話があるから、そちらのお嬢さんには別室に行ってもらっていいかい?」


「このお嬢さんは当面私たちに同行する予定だ。仕事の依頼ならば、このお嬢さんも同行することになる。このお嬢さんがそれなり以上に神聖魔法を使えることは保証する」


「あの……私は席を外しましょうか?」



 マルコムは考える様子を見せる。



「お嬢さんは君たちの仲間扱いになると考えていいのかい?」


「そう思ってくれて構わない」


「わかった。ならお嬢さんもここにいてもらっても構わない。バート君。君は帝国公認冒険者だそうだね?」


「そうだ。ヘクターも同様だ。お嬢さんは違うが」


「君たちが帝国公認冒険者で、その君たちと縁が出来たのは、私にとってもうれしい誤算だったよ」



 門前でのことは、ニックたちも見ていた。彼らがマルコムに報告したのだろう。



「私が君たちに依頼した時、君たちが帝国公認冒険者と教えてくれなかったのかは何故か、聞かせてもらっていいかい?」


「我々が帝国公認冒険者と知られれば、いらぬ注目を招く。トラブルを未然に防ぐためにはそれを示すことも必要なのだが」


「なるほど」



 マルコムがバートたちに依頼した時、バートたちは旧王国領東部にある街の領主が発行したエンブレムを見せていた。もちろん彼もそれだけでバートたちを信頼したわけではない。バートもヘクターも異名持ちの高名な冒険者であり、しかもマルコムの使用人であるニックがこことは遠い地に商売に行った際にバートたちに命を助けられ、そのニックが推薦したこともあり、マルコムは彼らになら依頼して良いと考えた。そしてバートとヘクターは彼の期待に応え、貴重な荷物を無事に取り返してくれた。



「君たちが本物の帝国公認冒険者という証を見せてもらっていいかな?」


「ああ」



 バートとヘクターがそれぞれエンブレムを取り出し、合い言葉を唱えるとエンブレムの上にその表面に描かれている文様と同じものが空中に投影される。帝国公認冒険者のエンブレムには他にも証明用の魔法が仕込まれているが、これが比較的広く知られていてわかりやすい証明法だった。

 マルコムはうなずく。彼も無条件で人を信頼するお人好しではない。



「君たちが帝国公認冒険者と見込んで、お願いがあるんだ」


「それは何か?」


「この街の領主様のここしばらくの行状は目に余る。それで私と仲間の商人たちが連名で、第二皇子殿下に領主様のことを告発しようとしていたんだよ」



 帝国公認冒険者には、冒険者として以外にも一つの権限を与えられている。それは各地の領主たちが不正を行っていれば、それを告発する権限。彼らは帝国所属の巡察使じゅんさつしとも言うべき役割を与えられていた。もちろんそれ以外にも領主たちの不正を見張る仕組みはあり、マルコムたちはそちらの方策も探っていた所、縁が出来たバートたちが実は帝国公認冒険者という幸運が舞い込んできた。



「領主の目に余る行状とは?」


「君たちも目にしたそうだね。そのお嬢さんが巻き込まれそうになったと。領主様は年若い美しい少女たちを権力をかさに無理矢理召し抱えているんだ。領主様の奥方様が亡くなってからそうなってしまってねぇ……」


「……」


「最近は街の中でそうすると民衆から反発されるからか、街の外から来る子を狙っているようだね。さすがに冒険者の子は領主様が危害を加えられるかもしれないからか狙われないようだが。ニックたちはまさか冒険者である君たちに連れられている、しかもまだ大人になってなさそうなお嬢さんまで狙われるとは予想していなかったようだけどね」


「……」



 ホリーはショックを受ける。大きな街を治める領主がそんなことをしているのかと。自分もバートとヘクターにかばってもらわなかったらそうなっていたかもしれないと思うと怖かった。そして旅程で通過してきた村や街、それら以外の土地に住む子たちまで毒牙にかかるかもしれないと怖かった。



「先日には、領主様の館から墓地に運ばれた遺体からゴーストが発生したという騒ぎもあったよ。ゴーストによれば、領主様に手込めにされて自ら命を絶ったとか……神官様がはらったそうだけど、いくらなんでも不憫ふびんだし、私の幼い孫娘も将来そんなことになるかもしれないと思うとねぇ……あと、その神官様も私たちと一緒に領主様を告発しようとしているんだ」



 マルコムも義憤だけで動こうとしているわけではない。何よりも自分の身内がそんなことになってほしくなかった。そうであってもそれが他の人々のためにもなるのならば、それは善行と言って良いのだろう。



「それだけでは領主を罪に問うのは根拠が弱いかもしれない。他にも領主の罪を問えそうなことはあるだろうか?」



 バートが無感情に言う。地位の高い者と地位の低い者の命は同等ではない。それは悲しい現実であった。

 それにくだんの少女がゴーストになった原因が領主にあったとしても、その少女は自ら命を絶ったとのことであり、領主が直接手を下したわけでもないことも、領主の責任を追及することを難しくするかもしれない。貴族が美しい異性、場合によっては同性を愛人にすることは珍しくない。この街の領主のそれは度を超しているようだが。



「君たちもこの街を囲んでいる貧弱な堀と土塁どるいは見ただろう?」


「ああ」


「妖魔の襲撃くらいなら防げそうだけど、本格的な攻撃を受けたらひとたまりもないだろうな。せめてあの倍くらいの規模があれば結構な効果があるんだろうけど。城壁も建造中のようだけど、完成している部分もいまいち頼りない」


「そうだね。一応何年も前から城壁を作っててそのための資金源として増税もしているんだけど、遅々として進まない。魔王軍との前線に近い旧王国領東部の街ではとっくに立派な城壁ができているそうなのにね」


「領主の怠慢たいまんだと?」


「ああ。領主様は他にも色々必要なことがあるから資金不足だと言っているけどね。でも領主様の館に行くたびに増えている高価な美術品と調度品を見るに、到底信じられないね」



 このエルムステルの街にも百五十年前の大戦時やその前に作られた旧王国時代の城壁もある。しかしそれは街の中にあり、街全体を守ることは出来ない。城壁建造当初は街はその中に収まっていたのだが、その後街が拡大したためだ。その街の中の城壁も邪魔だといたる所で撤去されている。

 旧王国領にはこのような防備の薄い大きな街がいくつもある。それに対し、旧王国を併呑へいどんした帝国はそれらの街に魔族の大侵攻に備えて城壁を築くことを命令した。非常時には周囲の小規模な街や村々の避難民も受け入れ、籠城ろうじょう用に物資も備蓄せよと。もちろん帝国もそれには莫大な資金が必要なことは理解している。だから最初は空堀と土塁程度で良いから最低限の防備を用意し、順次本格的な城壁を建造せよと命令している。城壁があっても空を飛べる魔族に対してはほとんど意味はないが、だからといって空を飛べない魔族たちや妖魔共に対する備えをしなくていいというわけではない。



「それにエルムステルの領主様の治める土地に限らないんだけど、この地方全般の治安が悪化しているんだ。妖魔たちの数が増えているようで、村が壊滅させられたという話もいくつも聞いているよ。そこまではいかなくても、村が妖魔に襲撃されて被害が出ることが増えているようなんだ。そして壊滅した村の生き残りが野盗に落ちぶれることもある。今回の賊もそういった連中だったそうだね」


「この地方全般の領主たちが妖魔の討伐をおこたっていると?」


「私にはそうとしか思えないね。領主様直属の騎士と兵士たちも練度が低下しているようだ。兵を雇うための金も削って、領主様が自分の贅沢のために金を使っていると私は考えているよ。上が帝国になってからしばらくは領主様も真面目にやってたんだけど、また緩んできたようでねぇ……もちろん今も領主様は型どおりの妖魔討伐はしているんだけど、不十分としか思えないね」



 人類側の国々にとって、魔王軍が放った妖魔共は頭が痛い問題だ。妖魔は繁殖力が強く、いつの間にか大集団になりかねないのだから。特にこの地方では旧王国の滅亡する数十年ほど前の時期から妖魔の増加が問題になっていた。



「あと、最近領主様から要求される賄賂わいろの額がさらに増えているんだ。このままもっと増えたら商売にも差し障りかねない」


「あなたたちが領主に賄賂を渡しているのならば、あなたたちも罰金程度の罰はあるかもしれない。それはわかっているだろうか?」


「わかっているよ。たぶん隠してもばれるだろうから、隠さずにこちらから言う方が私たちの身のためだと思うよ」


「わかっているならいい」



 マルコムは俗物ぞくぶつだ。賄賂も商売を円滑に進めるためには必要と割り切っていた。それでも最近領主から要求される賄賂は度が過ぎると思っていた。

 領主をそのように増長させたのはマルコムたち自身も原因の一つではあるのだろうとバートは思っていたが、それは口には出さなかった。



「そういったわけで、私たちは領主様を告発しようとしているんだ。協力してくれるかい?」


「俺たちが書き添えることが出来るのは俺たちがわかる範囲のことだけでしかないけど、それでもいいなら協力するよ」


「あなたがどこまで真実を言っているのか、私には判断できない。こちらのお嬢さんが領主の館に連れ込まれそうになったことから、あなたの話は信憑性しんぴょうせいが高いとは思う。街の城壁についても問題がありそうだ。治安も低下しつつあるのかもしれない。だがそれらが本当に事実かどうかは帝国の調査官に対しあなたたちから話してもらい、信じてもらう必要がある。彼らも証拠を探し、領主が不正と非道を働いているならば、領主は罰せられるだろう」


「それはそうだね。確かに。でもお嬢さんの件は君たちも実際に体験したことだ。君たちがこの街で見て来たこともね」


「ああ」



 帝国公認冒険者に巡察使じゅんさつしとしての権限があるとしても、それは絶対のものではない。正しい報告をすることが求められていた。そしてバートとヘクターがこの街に滞在していたのはほんの短期間でしかなく、マルコムの言っていることがどこまで正しいのか、彼らとしても軽率に判断するわけにはいかない。



「ところで……最近旧王国領西部のいくつかの街で、領主様が処罰されて帝国から新しい領主様が派遣されて来ているという話を聞くんだけど、もしかして君たちも関わっているのかい?」


「関わっていることもあるが、ほんの一部でしかない。帝国も決して不正や非道を手をこまねいて見ているわけではない」


「なるほど。旧王国領は帝国に併呑へいどんされて良かったんだろうねぇ……旧王国の末期は酷かったからねぇ……私たちはただ黙って耐えしのぐしかなかった……おっと。私がこんなことを言ってたなんて、街の人たちには言わないでくれよ? あと、私たちが領主様を告発しようとしていることもくれぐれも内密に頼むよ」


「わかっている」



 旧王国末期の状況が酷かったというのは事実だ。建国当初の理想は忘れ去られ、王や貴族たちの横暴に対し、民衆は声を上げることすら許されず耐え忍んでいた。帝国も完璧に理想的な国ではないが、少なくとも民衆が声を上げてそれを上に届ける仕組みはある。帝国公認冒険者に巡察使じゅんさつしとしての役割も与えられているのも、市井しせいで活動する冒険者ならば民衆の不満を敏感に察知できるだろうという配慮であった。それを理解せず、旧王国に郷愁きょうしゅうを感じる民も珍しくないのだが。

 ホリーは話に混ざることも出来ず、黙って聞いていた。彼女の村の人々にも、旧王国時代は良かったという人が多かった。しかし本当にそうだったのか、彼女も疑問に思ってきた。バートが帝国に割合好意的で旧王国に対しては侮蔑ぶべつしている様子なのは、こういった事例を多数見て来たからかもしれない。

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