第10話 エルムステルの街にて 03
その日の夜、ホリーたちは冒険者の宿に泊まっている。ここでも彼女はバートとヘクターと同室だ。食事も終え、体も清め、部屋にいる。
「あの、今日はありがとうございます。領主様から守ってくれて……」
「礼には及ばない。君は聖女かもしれない人間だ。その君に何かあってはならない」
「それに俺もお嬢さんに不幸になってほしくないからな。バートもこんなことを言ってるけど、お嬢さんのことはそれなりに見込んでいると思うよ」
バートは義務感から自分を守ってくれたのかもしれないとホリーは悲しく思い、ヘクターの純粋な善意はうれしく思った。バートが自分を見込んでくれているかもしれないことにも喜びを感じた。
「あの……バートさんとヘクターさんは、悪いことをしている領主様たちを
これはホリーが昼から気になっていることだった。ヘクターはともかく、バートは率先してそういうことをする人には思えなかった。
「民衆が反抗することも考えられずに耐えるだけならば、それは家畜と同じだ。私がどうこうする
「はぁ……お嬢さん。この人は
「は、はい」
バートは言っていた。大半の人間の性根は妖魔と大差ないと。この人には虐げられている側の人々も悪に見えているのだと思うと、ホリーは悲しかった。
「俺としては悪い奴等はとっちめてやりたいんだけど、俺たちは一箇所に留まるのはせいぜい数日ということが多いんだ。その程度の期間じゃ、現地の協力者でもいない限り本当にそこで悪事が行われているか確認することは出来ないんだよ」
「そういうことなんですか」
ヘクターの言葉はバートをフォローするものでもあったのだろう。その言葉にホリーも納得する。
「あと、明日はお嬢さんの防具と冒険道具を買いに行こうか」
「そうだな」
「え? 私に防具ですか?」
ホリーは村娘だ。自分が防具を
「俺たちもお嬢さんを完璧に守れるとは限らないからな」
「君が傷つく事態になる恐れもある。君の生存確率を少しでも高めておきたい」
「は、はい」
「旧王国領では冒険者の地位は高くはなく、君にも不愉快な思いをさせてしまうかもしれない。だがその村娘そのものの格好では、それ以前に
「はい」
そのヘクターとバートの言葉にホリーも納得する。彼女は自分が聖女かもしれないとは信じていなかったが、ヘクターたちの善意はうれしいと思った。もちろん自分が傷つくのは怖いという感情もある。それでもこの二人と共に旅を出来るということに喜びも感じていた。彼女もこの二人なら信じられると思っていた。
そして彼女にはしたいことがあった。不信に捕らわれた、それでも本当は人間を信じたいと思っているというバートの心を救いたいと。それは善神の
「話は変わるが、お嬢さんをフィリップ殿下の元に送る道中、ある程度は依頼を受けたりするべきと思う」
「可能な限り速く向かうべきじゃないか? 依頼を受けなくても金は十分にあるんだし」
「あの……いいですか?」
「なんだい?」
「困っている人たちがいるなら、助けてあげてもらえるとうれしいです……私に出来ることはあんまりないのに、こんなことを頼むのも心苦しいですけど……」
「あー……優しいお嬢さんだなぁ」
バートの言葉に、ホリーは純粋にそう思った。バートとヘクターは人々の不幸を取り除くことが出来る人たちだ。その彼らに自分を理由として困っている人々を見捨てさせたくはなかった。それに彼女自身も神官として出来ることもあるのではないかとも思った。
彼女は気づいていなかった。バートにとって、これはホリーが本当に聖女なのかそうでないかの判断をする基準の一つだということに。軽々と
そしてバートにはもう一つの思惑があった。
「ヘクター。これはお嬢さんに場数を踏ませるためでもある」
「というと?」
「お嬢さんが本当に聖女ならば、戦場に出ることになるだろう。戦場では戦いを、多くの死を目にすることになる。今のお嬢さんがそれに耐えられるとは思えない。妖魔の掃討などの仕事も受けておくべきと思う。そのほかの仕事も、お嬢さんが人として一人前になる助けとなるだろう」
「なるほど。確かに」
「……」
バートの言葉にヘクターも納得する。
ホリーも自分が戦場の空気に耐えられるとは思えないということには同意する。そんなものに慣れたくはないと思うけれど、自分が聖女ではないという証拠もなく、バートにも彼なりの善意もあるのだろうと思うと反論は出来なかった。
「それからお嬢さんが聖女ではなかった場合、君はこの街の神殿に送り届ける予定だったが、この事態となると少なくとも領主が替わるまでは君をこの街に残していくわけにもいかない」
「ああ。あの役人共も逆恨みしてるかもしれないからな」
「はい……」
その彼らの言葉は彼女にもわかる。世の中は決していい人ばかりではないことは彼女も理解した。
そして彼女が偶然巡り会ったバートたちも自分のことを心配してくれているとわかって、うれしいという気持ちもあった。彼女は善神ソル・ゼルムにこの人たちと巡り会えたことに感謝の祈りを
翌日、ホリーたちは街の防具屋に来ている。
ホリーの今の格好は、真新しい厚手の布の服の上に硬質な皮の鎧を着た駆け出し軽戦士のような姿だった。村娘として農作業にも慣れている彼女は、この程度の重量の鎧なら
「あの……おかしくありませんか?」
「はっはっは! お嬢さん、似合うじゃないか!」
「サイズが少し大きめのようだが、それは調整できる範囲だと思う」
「さすがに嬢ちゃんにぴったり合うやつなんて置いてねえぜ。調整には五日は待ってくれ」
「お、お願いします」
「出来るまで我々はこの街に滞在する」
大人とされる十五歳には達していなくとも
服も鎧も出来合いのものだが、さすがに彼女にぴったり合うものなど店には置いていない。それでも小柄な女性向けのものが大体サイズが
「あとこの盾ならばお嬢さんでも使えると思う。持ってみろ」
「はい……ちょっと重いですけど、なんとか持てそうです」
「ふむ。重いか。ならばこちらはどうだろう?」
「はい……さっきより持ちやすそうです」
「ならばこれを買っていこう」
「まいどあり」
バートが最初渡した盾は、ホリーには少し重いようだ。次に渡した盾は丁度良さそうで、彼女も問題なさそうに持っている。
「でももっと防御力の高いきちんとした鎧を特注するべきじゃないか?」
「お嬢さんは体もまだ成長するだろう。お前もそれで失敗したことがあっただろう?」
「う……」
「ヘクターさんが失敗ですか?」
「あー……俺も十代の頃にいい鎧を俺専用に特注したことがあるんだけど、体の成長が終わってなかったもんだから、完成した時にはサイズが合わなくなってたんだよ……結局その鎧は使えずじまいで処分するしかなかったんだ……」
「私の忠告を聞かなかったお前が悪い」
「まあ嬢ちゃんもこれからもっと女らしいスタイルになるだろうしな。多少の調整ならよその街の防具屋でもやってもらえるだろうけど、完全にサイズが合わなくなったら買い換えてくれ」
「はい」
ホリーはそのバートの言葉には珍しくからかうような響きがあるように思い、喜び勇んで鎧を特注しようとするヘクターと無表情に忠告するバートの姿が見えたような気がした。
この二人は固い信頼関係で結ばれているのだろう。そして自分もこの人たちにとって信頼できる人になりたいとも思った。
「でも、この格好は神官らしくないと思うんですけど……」
「戦いでは回復魔法の使い手は真っ先に攻撃目標になる。身を守る手段があるならそれでもなんとかなるのだが、今の君には無理だ」
「お嬢さんが神官らしい格好をするのはリスクがあるんだ。俺たちでも確実に守りきることが出来るとは言えない。だからお嬢さんには出来るだけ敵の攻撃目標にならないようにしてほしいんだ」
「なるほど……」
ホリーも二人の言葉に納得する。確かに自分が攻撃されたら大丈夫とは思えない。彼女は戦いのことなどわからなかったが、回復魔法の使い手が攻撃目標になりやすいのも事実だ。敵を傷つけても、すぐに回復されかねないのだから。
神聖魔法を使うためには特別な物品は必要なく、装備の制限もないから、冒険者として活動する神官の格好も様々だ。戦士としての技量を持つ神官戦士も珍しくはない。もちろん神官らしい格好をする者もいる。バートたちの配慮はいささか過保護なのかもしれないが、彼らは過信と油断はしない主義だった。
「あとはお嬢さんの冒険道具と武器だな」
「武器は小剣と短剣でいいだろう」
「あの……私は武器なんて使えませんけど……」
「戦士の格好をしている者が武器も持たないのは不自然だと思われる。短剣は作業用だ」
「は、はい」
ホリーは自分が武器を振るう姿など想像できなかった。飾りだと言われて納得したが。
冒険者であるバートたちに同行するなら、細々とした冒険道具も必要になる。野営するための装備や着替えなども必要だ。
そうして一通りの準備が終わり、バートたちは宿に戻っている。彼らはホリーの服と鎧の調整が終わるまでこの街に留まる予定だ。
「君には予定外のことをさせてしまうことになった。すまない」
「い、いえ。バートさんもヘクターさんも私のことを心配してくれているのはうれしいです」
「すまない」
「すまねえ」
淡々としながらも少し申し訳なさそうな様子を見せるバートに、この人もヘクターも自分を心配してくれているのだと思い、ホリーはうれしくなった。やはり世界にはいい人も大勢いるのだ。人の本性は善だという善神ソル・ゼルムの教えは間違っていないのだと確信できた。
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