十一.ウサギの献身

 ベル先生との遠話を終えて家に帰った後、俺は早速、依頼人の母親に連絡した。あの回り灯籠の作者が存命かつ、偶然とは言えこれ程早く見つかったこと、おかげで回り灯籠を修復する目途が立ったこと、そして今でも回り灯籠を大事にしてもらってるのを喜んでたこと。

 光画板タブレットの向こうから、ありがとうございますありがとうございます、と何度も繰り返された。母親にとっても思い出の詰まった品だからだろう、頭を下げる様子が目に見えるようだ。

 と言っても術式陣モジュールを修復するのはこれからだから、お礼を言われるのはまだ早い気もするけど。


「そうそう、それと作者の方から、あの回り灯籠についてちょっとした秘密を教えてもらえたんで、修復が終わったらお見せしますね。楽しみにしててください」


 俺もどんな仕掛けなのか分からんけど、持ち主にゃ当然、知る権利があるだろ。ベル先生もそのつもりで俺に教えたんだろうし。これがもし、単に術式陣モジュールを解析しただけの第三者だったら、その仕掛けにゃ気付かんかったかも知れん。そう言う意味じゃ、作者ご本人が見つかって、本当に幸運だったと思う。



 それともうひとつ。ダグ小父さんにゃ、回り灯籠の土台の新しい部品と一緒に、御伽噺の円盤になるべく近い材料を用意してもらうことにした。そう、何処かで失くなっちまった十二枚目の御伽噺の術式陣モジュールを刻む用の。

 これで後は、ベル先生から資料が届くのを待つだけだ。


 勿論もちろん、届くのをただボーっと待ってるだけじゃねえ。その間に、術式陣モジュールを刻む練習をやっとくことにした。紙に書くだけならともかく、それを木の板に刻むとか、学生時代に実習でやって以来かな。ぶっつけ本番で失敗したら怖いんで、練習して感覚を取り戻さんと。

 と言っても、やることは簡単。薄い紙に術式陣モジュールを下描きし、それを土台の板に張り付けて焼き印の術式プログラムで焼き付けるだけだ。

 ただ、経年劣化を考えると、板の表面に線を焼き付けるだけじゃちょっと足りんかな。触ってるだけでも手垢が付くし、今回みてえな虫食いだけじゃねえ、今まで運よくカビとらんけど、今後も黴ん保証は何処にもねえ。だから術式陣モジュールを焼いた線に沿って彫刻刀か何かで彫って、更に墨液インクを流し込んで仮漆ワニスで仕上げりゃ、かなり長持ちするはずだ。


 板に術式陣モジュールを描く練習をしてえってえと、クーさんが円盤に使う木材の切れ端をくれたんで、これに教本の練習問題にもなってる発光の術式陣モジュールを刻むことにした。回り灯籠にも組み込まれてる、ただ光るだけの術式陣モジュールだ。元々の術片コマンドのほとんどは効果があるかねえか分からん程度のモンだから、目に見えて効果が分かるくらい術片コマンドを集めた術式陣モジュールはそこそこ複雑になるけど、これでも術式陣モジュール全体から見りゃ簡単な方だ。

 彫刻刀は幸い、ダグ小父さん家に種類もいろいろ揃ってたんで、工房の片隅を借りて丸二日かけてなんとか完成させた。思ったよか時間かかったけど、やってるうちに昔の感覚を思い出せたから、久々にやったにしちゃ早い方だろ。ついでの仮漆塗る練習でもう二日。

 しかし練習用の簡単な術式陣モジュール作るのに丸二日かかってんだから、あんな複雑な術式陣モジュールだと何日かかることやら。先が思いやられるな……



 例の術式陣モジュールの資料は、あれからすぐ送られてきた。どうやらウッズ先生から複写コピーをもらってすぐ、過去の覚書メモを探し出して準備してたみてえで、届いた日付から逆算するとあの遠話が終わってすぐ送ったモンらしい。学校宛に届いたのをウッズ先生から連絡貰って取りに行ったら、思ったよか封筒分厚くて吃驚びっくりしたよ。

 中にゃ術式陣モジュールの資料の他にも、手紙やら謎の書類やらいろいろ入ってたけど、あの子が一刻も早い回り灯籠の修復を、そしてお祖母ちゃんの回復を待ってんだから、あまりのんびりは出来ん。手紙にざっと目を通して、書類は後回しにして、すぐ術式陣モジュールの修復の準備に取り掛かった。

 ちなみに俺があのとき頼んだ依頼者への伝言メッセージは、別途送ると封筒の裏に走り書きしてあった。じゃねえと、資料送るのもっと遅くなってただろうし、そこは仕様がねえか。


 まずは送ってもらった覚書の中から、必要な術式陣モジュールの分を選びださにゃ。これに関しちゃありがてえことに、土台上とか御伽噺の題名タイトルとか書いてある清書された術式陣モジュールの図面があったから、すぐに終わった。下絵はこれを、土台の大きさに合わせて描き写しゃいいだけだ。


 必要な図面を探しながら他の覚書にもざっと目を通したけど、初期案らしい、まだ普通の一種類の御伽噺を写す回り灯籠の術式陣モジュールもあって、これくらいなら最初に調べたとき見つけた術式陣モジュールにも似てて、俺にも何とか理解できた。どうやらベル先生、回り灯籠を作り始めたときから最終版が完成するまでの、全部の術式陣モジュールの資料を送ってきてるっぽいな。ひとつの術式陣モジュールを組むのに何枚も書いて書いて書き直してて、そりゃ封筒も分厚くなるわ。

 と言っても、清書されてた図面以外は、全部旧国語で書かれてるから、時間をかけりゃ読めなかねえけど、ざっと見ただけじゃ詳しい内容は分からん。それでも後から書き足したり線で消して書き直されたりしてるのは見りゃ分かるから、術式陣モジュールを組むときにかなり試行錯誤したのが察せられる。そう言や戦前は羽ペンと消しスポイトの一式なかったんだっけ?

 清書された図面も、旧国語と新国語の二種類あって、新国語版にゃ端っこにベル先生の署名があった。たぶんベル先生が戦後に清書した? ちなみに旧国語版は、同じトコに旧国語で使われてた大陸文字が並んでる。こっちも人名かな?


 そう言や戦後すぐ、旧国語が使用禁止になったときに、国民全員が改名させられたんだっけ。親父やお袋も厳密にゃ戦前生まれ――と言っても開戦時にゃ乳幼児だったけど――で旧国語の名前を持ってたけど、戦後に改名させられて以来使っとらんし、本当なら大陸文字での書き方もあるらしいけど、教えてもらう前に使用を禁止されたから大陸文字じゃ書けんらしい。


 ってことはこの大陸文字、たぶんベル先生の旧国語名だろうなぁ。この字は確か銀って意味だ。その前の字は何だっけ……たぶん鐘だか鈴だかだったはず。他にも読める字あるけど、この簡単な字は何だったかな、やだなード忘れしちゃってるよ。歳を取るってこう言うことなんだよな。


 ともかく俺は、ベル先生が清書した図面を見ながら、薄い紙に慎重に、丁寧にそれを模写した。

 模写するだけ、と言や簡単そうに聞こえるけど、中に描かれた術式印メソッド術式紋クラスが細かくて複雑だから実際はそう簡単じゃねえ。若い頃ならともかく、四十路よそじを過ぎた中年にゃなかなかつらい作業だ。まだ老眼が始まっとらんとは言え、ずっとそう言う仕事をしてたんなら簡単にゃ衰えんだろうけど、俺は最近んな細かい線なんぞ書いとらんからなぁ。

 しかも既にある円盤の術式陣モジュールと大きさも位置も厳密に揃えんといかんから、どんなに細かくて描きにくくても、この大きさで描くしかねえ。並みの魔技手なら描いた図面を好きな大きさに縮小する魔技も使えるけど、悲しいかな俺はんな魔技使えんし。

 唯一、描き間違えても修正が利くのが救いだ。何が救いかって、俺が愛用してる羽ペンは元々魔技手学生用。自動補充される墨液にもいろんな魔技効果が付与されてて、簡単な魔技の触媒になるだけじゃなく、書き間違えても専用の消しスポイトで紙から墨液だけ吸い取ることが出来る優れモンなのだ。

 これが普通の墨液なら、一度浸み込みゃ吸い取り紙や消し麺麭パンに吸わせてもそうそう消えんから、もう一度描き写し直す羽目になる。そう考えりゃ、術式プログラムが組み込まれたお高い羽ペンを使う価値がある訳よ。俺が普段使いしてる理由も分かるだろ?


 っかし、こうやって仕事で術式陣モジュール描いてると本当、ユーフォリア先生の言ってたことが身に染みるな……術式陣モジュールを描き写すときは、遅くてもいいからとにかく正確にって。

 術式陣モジュールを雑に描くってことは術式陣モジュールを改変すること、術式プログラムを改変することと同じ。だから、描かれてる術式プログラムの中身が分かるなら、好きに描きゃいい。でも、術式プログラムの中身が分からんのに術式プログラムを改変なんかすんじゃねえ。分からんなりに丁寧に正確に描くことだけ考えろって、ユーフォリア先生いつも言ってた。

 ユーフォリア先生は先生たちの中じゃ一番年取ってて一番厳しかったけど、今思や俺たちの将来を見据えて、大人になったときにきちんと出来るよう言ってくれてたんだな。将来どんな職に就くことになっても、丁寧で正確な仕事を心掛けろって、慣れりゃ手はいくらでも早くなるんだから、雑なやり方を覚えると後でそれを変えにゃいかんくなって苦労すんぞって、最初の授業から卒業するまで、ずっと。


 ただ、いくら丁寧に正確に描き写してても、術式プログラムの内容がよく分かっとらん以上、全部が全く迷わずに描ける訳じゃなかった。そこで役に立ったのが、試行錯誤の跡が見える旧国語の覚書メモだ。

 俺一人だったら読むのに結構な時間がかかるけど、戦前生まれで子供の頃に旧国語を普通に使ってたダグ小父さんやエマ小母さんが読むのを手伝ってくれて、凄く助かった。と言っても小父さんも小母さんも当時はまだ小さかったから、難しい大陸文字はあんま読めんかったけど、俺が読める字もあったから内容は大凡おおよそ把握できた。


「ヨーちゃん、これ旧国語だけど本当に読んで大丈夫かい?」


 ダグ小父さんが小声で囁いた。一般人は旧国語の使用が禁止されてるからな、小父さんが心配するのも無理はねえ。


「魔技手なら使用が許可されてるから大丈夫すよ。警察に見つかっても、この襟章ピンバッジ見せりゃ、逮捕されたりせんから」

「それならいいんだけど……」


 今じゃ読み書き出来る人も少ねえからそうでもねえけど、小父さんたちが小さい頃はまだ旧国語を読み書き出来る人が多くて、その分進駐軍の取り締まりも厳しかったそうだ。

 毎日、何処かで旧国語が使われとらんか警邏パトロールしてて、道端で旧国語で雑談してた小母ちゃんを逮捕して、以降、誰もその小母ちゃんを見かけなくなったとか……背筋がぞっとする話だ。そりゃ旧国語を使って大丈夫か心配するわな。

 でもお陰で、術式印メソッドと照らし合わせて、何とか正しいと思われる術式プログラムを描くことが出来た。これが親父やお袋なら年齢的にまず読めるか怪しいし、読めたとして確実に要らん話で時間を取られるからな、小父さん小母さんには感謝しかない。


 そうそう、旧国語の覚書にゃ明らかにベル先生のとは違う筆跡が混じってた。それも少なくとも二人か三人。そう言やベル先生、あの回り灯籠は友達と一緒に作ったってたっけ。術式陣モジュール一人で担当したってたから、もしかして途中までは友達と一緒に組んでたのかな。

 ……あんときベル先生、一緒に回り灯籠作った友達の半分は戦争で死んだってたな。もしかして、この中に死んだ友達の筆跡もあるんかな。だったら、そう簡単にゃ処分できんよな。例え進駐軍に旧国語の使用が禁止されて、沢山の貴重な書物が焚書されてても。

 そうか。依頼者の母娘だけじゃねえ、作ったベル先生にとっても、この回り灯籠は大事な思い出の品なんだ。それも、亡き友人の形見とも言える品。だからあの術式陣モジュールを資料ごと、誰かに受け継いで欲しかったんかな。俺にゃ何の思い入れもねえから、渡されても困んだけど。



「っと、ちょっと休憩すっか。くぁーっ、肩凝るわ……」


 ただでさえ凝り性なのに、この歳になって目と手先に神経集中する仕事とか、滅茶苦茶肩凝るわ。肩を回しほぐしてると、クーさんも休憩中なのか声をかけてきた。


「ヨーちゃん今大丈夫かな? 部品の作り直したのを、ちょっと確認して欲しいんだけど」


 あ、作り直しを頼んどいた土台側の板か。下絵が完璧でも、術式陣モジュールを刻むべき土台が失敗してちゃ意味ねえモンな。クーさんなら大丈夫だとは思うけど、作業者以外の第三者が作業を確認するのも仕事の上じゃ大事なことだ。

 と思ったら、


「何これ、ほぼ全部作り直してんじゃん」


 そう、素人の手作り品が、形や寸法はそのまま、職人プロの技術できちんと作り直した品物に生まれ変わってた。

 魔晶石に被せる枠の風車は、貼り合わせた厚紙じゃなくて薄い不銹鋼ステンレス板になってるし。その枠を乗せる支えも、針金じゃなく焼入れされた細い金属棒だし。お椀にも似た木製の土台の上部は、まだ削りたての木肌の匂いを漂わせてた。C型に曲がった木の板は土台下部の側面で、上下に術式陣モジュールの板を取り付けて円盤を入れる差込口スリットになる部分だ。


「そんなことないよ。魔晶石を置く台座は変えてないし、枠の紙の部分は前のままだよ」

「でも枠を支える針金だったトコ、針金じゃなくなってるし、円の形も綺麗になってるし、土台の木もこないだから轆轤ろくろで削ってた奴っしょ? まだ荒いけどやすりまでかけてんじゃん」

「だってヨーちゃん、土台の模様が虫に食われてるから作り直したいって言ってたじゃない? だったら他の部分も、見えないだけで虫に食われてるかも知れないでしょ。土台バラしたら実際、かなり虫に食われててね、ほら」

「ぅゎ」


 見せてもらったお椀型の土台の内側は、外からは分からんかったけど、虫が苦手な人が見たら卒倒しそうな惨状だった。


「こんなだったからね、土台丸ごと作り直す必要があったんだよ。他の部分はそのついで」


 確かに灯篭の紙の部分はそのままだし、木製の土台は新しくしたとは言え木製のままだから、見た目はそこまで変わっとらんのよ。例えるなら、年月を経て古びたモンが、作り立ての新品に戻ったみてえな。その方が魔技なんかより、よっぽど“魔法”めいてんじゃん。それをに、他の仕事の合間に、ひと月も経たん間にやっちゃうとか、職人こわい。


「あ、あと土台に入れる円盤も、予備いっぱい作っといたから、失敗しても大丈夫だよ。もし足りないときは作り足すから言ってね」


 ……クーさん、なんか手間賃コスト完全に度外視してませんか?


「俺は単に面白がってるだけだよ。ヨーちゃんが魔技手学校に通ってたのは知ってるけど、実際魔技を使ってるところは見せてくれたことないだろ?」


 ああ……そりゃま、見せたくても見せられんからなぁ。


「そのヨーちゃんが、俺の思ってたのとは違うけど使んだ、俺はそれをもっと見たいだけ」


 うーん、これも“魔技を使ってる”のうちに入るんかなぁ。他人が組んだ術式陣モジュールを書き写してるだけなんだけど。


「だって俺にはただの模様にしか見えないけど、ヨーちゃんならこの模様がどんな魔技でどんな効果があるか分かるんだろ? それって俺らみたいな素人からすりゃ凄いことだよ」


 そ、そうだね、確かに俺にも分かる部分は多少あるけどさ。でもクーさん、俺を買い被り過ぎだよ。この術式陣モジュールの全部が全部分かる訳じゃねえよ。俺はんな優秀な人間じゃねえ。無理に背伸びして何とか食いついたけど、が自分の世界じゃなかったって思い知らされただけだ。

 んな世界に戻る気は、今の俺にゃねえ。追いつくにゃ遠すぎて、追いつくために振り絞る気力もねえ。

 だから俺にとって、この回り灯籠の修復は最初で最後の“魔技手としての仕事”だ。この仕事をやるのは賃金を貰うため。それ以上の理由は、俺にゃねえんだ。そもそも俺が望んでこの仕事を受けた訳じゃねえし。


「だからヨーちゃんはもっと自信を持っていいよ。他の人に出来ないことが出来るんだからさ」


 違うよクーさん。俺は他の人が選ばんかったことを偶々たまたま選んだだけ。んで選びゃ誰でも出来るようになることすら中途半端なまま止めたんだ。いくら突き進んでも中途半端なトコで終わるしかねえって気付いたから。

 気付かにゃもっと進めたかも知れんけど、行きたいトコまで行けんと気付いたとき、俺は進めんくなった。進めんまま、同じ場所でいつまでも立ち尽くしてるだけだよ。

 クーさんみたく、迷わず自分の道を突き進んでる職人とは違うんだ。



 結局、術式陣モジュールの下絵を書き終わるまで二旬二十日もかかっちまった。まず土台の下側のひとつ、土台の上側のひとつ。そしてベル先生のお陰で分かった、失くした十二枚目の円盤の両面。計四枚だから、一枚当たり平均五日かかった計算だ。

 何しろ土台側の術式陣モジュールは、他の十一枚の円盤の術式陣モジュールと重ね合わせたときに、きちんと稼働せにゃ意味がねえ。だから描きながら都度、全部の円盤の術式陣モジュールと重ねていちいち確認せんといかんかった。下絵の時点で円盤と魔晶石と重ねたとき、ちゃんと幻影が見えてやっと合ってた、良かったと胸を撫で下ろす具合だったよ。

 特に十二枚目の円盤は描きづらかった。他の円盤と同じく穴を開けるから、穴を開けるのは最後にしても、てのひら大の車輪に模様を描くみてえなモンだ。外輪リムスポークに当たる幅の狭い部分に細かな術式印メソッドを描き込まんといかんかったし、穴の形や位置も術式陣モジュールの一部だからはみ出す訳にもいかんかったし。

 最初は一ヶ月くらいかかると思ったけど、慣れてきたのか最後の方は少し速度が上がったしな。だいたい、三十年近く前に魔技を勉強したとは言え、その後魔技から離れて情報の更新アップデートも技術の維持もしとらん今の俺は、魔技を多少かじった素人と大差ねえぞ。


 そうやって出来上がった下絵を、ズレんよう正確に板に貼り付けて、魔技の火で線の部分だけ板に焼き付けりゃ、とりあえずは回り灯籠を動かせるようになる。

 俺は魔技の火をおこせんけど、魔技手学生用の羽ペンの墨液とそれ用の触媒を使や、普通の火で同じことが出来るのだ。触媒は幸い、教本や教材が入ってたあの箱の中に、ちょーっと古びてたけど、残ってた。こないだ学校に行ったとき、買い足しゃ良かったかな。

 見た目はただの炭の粉みてえだけど、これでも焼成する前に魔技儀式で触媒としての効果が付与されてるのだ。流石に三十年近く前に使った触媒の残りだから、魔力はかなり霧散してるけど――俺は魔拿は扱えんけど、集中すりゃ魔力感知は出来る――、着火できる分だけありゃ十分。ちょうど料理酒の酒精アルコールを飛ばすのに火を点けるみてえな感じで、墨液に沿って一瞬で下絵全体に炎が広がって術式陣モジュールが板に焼き付くのだ。


 板に術式陣モジュールが焼き付いたら、普通の焼き印と同じく焼き付いた部分が少し凹むんで、後はそれに沿って彫りを深くすりゃいい。焼き付けただけでも効果はあるけど、ベル先生たちはそこまでしかしとらんかったから線が浅くて、それで虫に食われてるからな。

 つか元々の円盤、ベル先生の話だと七十年以上前に作られたはずだし、仮漆仕上げもされてなくて、そこそこ手垢も付いてるけど、それにしちゃ術式陣モジュールがかなり綺麗に残ってたんだよな。あの子のお祖母ちゃんが、よっぽど大切に扱ってたってことなんかな……



 その後は地道に、焼き付けた術式陣モジュールの凹みを彫って、御伽噺の円盤は穴が必要だからクーさんに開けてもらった後、鑢で整えて、模型の墨入れみてえに墨液を付けた筆で溝をなぞり、仮漆で仕上げた。

 仮漆はそこら辺で売ってる奴だけど、墨液はウッズ先生に協力してもらって、触媒に詳しい人に良さ気な奴を見繕ってもらった。それとクーさんやダグ小父さんが、出来るトコだけでもって手が空いたときに手伝ってくれたから、その分はちょっと早く出来上がったかな。

 言っとくけど、特別面白いことはなかったぞ? たぶん動画撮影しても、再生するとき早送りされるくらい絵面地味で代わり映えせんぞ?


 とりあえず依頼された修復は、これで完了と言って良かった。後はバラけた土台を組んで、仕上げの鑢掛けと仮漆を塗るだけで、これはクーさんがやってくれる。


 そうそう、せっかくだから虫に食われとらん円盤も、仮漆で綺麗に仕上げることにした。クーさんが本体をあんなに立派に作り直してくれたんだ。何もしとらん円盤がそのままだと古びてみすぼらしく見えるからな。

 そのために表面を鑢で削って綺麗な木肌を出さんといかんけど、それで術式陣モジュールが消えたら意味ねえ。元の図面があるから削って描き直せんこともねえけど、それはそれで手間だかんな。だから新しく作った円盤と同じように、先に溝を少し深く彫って墨液を流し込むことにした。

 ただ、それだと御伽噺の題名も消えるから、木肌を削る前に薄紙に描き写して、術式陣モジュールの焼き印と同じ要領で線に沿った溝を作って、一緒に彫るつもりだ。

 ただでさえ作業時間が増える上、万一失敗したら作り直す手間があるから悩んだけど、後から「やっときゃ良かった」って心残りになるのも嫌だったかんな。魔技に関わる仕事はこれが最初で最後。終わったらすっぱり忘れるつもりだから、悔いを残したかなかった。


 しかし年末年始が近づいて、ここから暫く作業は停滞した。ダグ小父さんもクーさんもエマ小母さんも、ずっと俺にゃ回り灯籠の術式陣モジュール以外の仕事をさせんでいてくれたんだけど、年末にゃ年明けに向けた修理の仕事が増えて、流石にそうもいかなくなったからだ。

 俺も小父さんたちが忙しくしてるのに、一人だけ自分の仕事に専念してられる程鈍かねえよ。小父さんたちも俺の仕事を手伝ってくれんだから、工房で仕事させてもらってる以上、俺が小父さんたちの仕事を手伝わん道理はねえだろ。


「ごめんねヨーちゃん、こんなことさせるのに来てもらってるんじゃないのに」


 いいよ小父さん、こっちこそ年末年始の働き口がなかったら、親父やお袋に何て言われてたか。だから謝んなくてもいいんだって。親父やお袋に愚痴愚痴言われるよか、ずっとマシな正月が迎えられんだから。

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