十一.ウサギの献身
ベル先生との遠話を終えて家に帰った後、俺は早速、依頼人の母親に連絡した。あの回り灯籠の作者が存命かつ、偶然とは言えこれ程早く見つかったこと、おかげで回り灯籠を修復する目途が立ったこと、そして今でも回り灯籠を大事にしてもらってるのを喜んでたこと。
と言っても
「そうそう、それと作者の方から、あの回り灯籠についてちょっとした秘密を教えてもらえたんで、修復が終わったらお見せしますね。楽しみにしててください」
俺もどんな仕掛けなのか分からんけど、持ち主にゃ当然、知る権利があるだろ。ベル先生もそのつもりで俺に教えたんだろうし。これがもし、単に
それともうひとつ。ダグ小父さんにゃ、回り灯籠の土台の新しい部品と一緒に、御伽噺の円盤になるべく近い材料を用意してもらうことにした。そう、何処かで失くなっちまった十二枚目の御伽噺の
これで後は、ベル先生から資料が届くのを待つだけだ。
と言っても、やることは簡単。薄い紙に
ただ、経年劣化を考えると、板の表面に線を焼き付けるだけじゃちょっと足りんかな。触ってるだけでも手垢が付くし、今回みてえな虫食いだけじゃねえ、今まで運よく
板に
彫刻刀は幸い、ダグ小父さん家に種類もいろいろ揃ってたんで、工房の片隅を借りて丸二日かけてなんとか完成させた。思ったよか時間かかったけど、やってるうちに昔の感覚を思い出せたから、久々にやったにしちゃ早い方だろ。ついでの仮漆塗る練習でもう二日。
しかし練習用の簡単な
例の
中にゃ
ちなみに俺があのとき頼んだ依頼者への
まずは送ってもらった覚書の中から、必要な
必要な図面を探しながら他の覚書にもざっと目を通したけど、初期案らしい、まだ普通の一種類の御伽噺を写す回り灯籠の
と言っても、清書されてた図面以外は、全部旧国語で書かれてるから、時間をかけりゃ読めなかねえけど、ざっと見ただけじゃ詳しい内容は分からん。それでも後から書き足したり線で消して書き直されたりしてるのは見りゃ分かるから、
清書された図面も、旧国語と新国語の二種類あって、新国語版にゃ端っこにベル先生の署名があった。たぶんベル先生が戦後に清書した? ちなみに旧国語版は、同じトコに旧国語で使われてた大陸文字が並んでる。こっちも人名かな?
そう言や戦後すぐ、旧国語が使用禁止になったときに、国民全員が改名させられたんだっけ。親父やお袋も厳密にゃ戦前生まれ――と言っても開戦時にゃ乳幼児だったけど――で旧国語の名前を持ってたけど、戦後に改名させられて以来使っとらんし、本当なら大陸文字での書き方もあるらしいけど、教えてもらう前に使用を禁止されたから大陸文字じゃ書けんらしい。
ってことはこの大陸文字、たぶんベル先生の旧国語名だろうなぁ。この字は確か銀って意味だ。その前の字は何だっけ……たぶん鐘だか鈴だかだったはず。他にも読める字あるけど、この簡単な字は何だったかな、やだなード忘れしちゃってるよ。歳を取るってこう言うことなんだよな。
ともかく俺は、ベル先生が清書した図面を見ながら、薄い紙に慎重に、丁寧にそれを模写した。
模写するだけ、と言や簡単そうに聞こえるけど、中に描かれた
しかも既にある円盤の
唯一、描き間違えても修正が利くのが救いだ。何が救いかって、俺が愛用してる羽ペンは元々魔技手学生用。自動補充される墨液にもいろんな魔技効果が付与されてて、簡単な魔技の触媒になるだけじゃなく、書き間違えても専用の消しスポイトで紙から墨液だけ吸い取ることが出来る優れモンなのだ。
これが普通の墨液なら、一度浸み込みゃ吸い取り紙や消し
っかし、こうやって仕事で
ユーフォリア先生は先生たちの中じゃ一番年取ってて一番厳しかったけど、今思や俺たちの将来を見据えて、大人になったときにきちんと出来るよう言ってくれてたんだな。将来どんな職に就くことになっても、丁寧で正確な仕事を心掛けろって、慣れりゃ手はいくらでも早くなるんだから、雑なやり方を覚えると後でそれを変えにゃいかんくなって苦労すんぞって、最初の授業から卒業するまで、ずっと。
ただ、いくら丁寧に正確に描き写してても、
俺一人だったら読むのに結構な時間がかかるけど、戦前生まれで子供の頃に旧国語を普通に使ってたダグ小父さんやエマ小母さんが読むのを手伝ってくれて、凄く助かった。と言っても小父さんも小母さんも当時はまだ小さかったから、難しい大陸文字はあんま読めんかったけど、俺が読める字もあったから内容は
「ヨーちゃん、これ旧国語だけど本当に読んで大丈夫かい?」
ダグ小父さんが小声で囁いた。一般人は旧国語の使用が禁止されてるからな、小父さんが心配するのも無理はねえ。
「魔技手なら使用が許可されてるから大丈夫すよ。警察に見つかっても、この
「それならいいんだけど……」
今じゃ読み書き出来る人も少ねえからそうでもねえけど、小父さんたちが小さい頃はまだ旧国語を読み書き出来る人が多くて、その分進駐軍の取り締まりも厳しかったそうだ。
毎日、何処かで旧国語が使われとらんか
でもお陰で、
そうそう、旧国語の覚書にゃ明らかにベル先生のとは違う筆跡が混じってた。それも少なくとも二人か三人。そう言やベル先生、あの回り灯籠は友達と一緒に作ったってたっけ。
……あんときベル先生、一緒に回り灯籠作った友達の半分は戦争で死んだってたな。もしかして、この中に死んだ友達の筆跡もあるんかな。だったら、そう簡単にゃ処分できんよな。例え進駐軍に旧国語の使用が禁止されて、沢山の貴重な書物が焚書されてても。
そうか。依頼者の母娘だけじゃねえ、作ったベル先生にとっても、この回り灯籠は大事な思い出の品なんだ。それも、亡き友人の形見とも言える品。だからあの
「っと、ちょっと休憩すっか。くぁーっ、肩凝るわ……」
ただでさえ凝り性なのに、この歳になって目と手先に神経集中する仕事とか、滅茶苦茶肩凝るわ。肩を回しほぐしてると、クーさんも休憩中なのか声をかけてきた。
「ヨーちゃん今大丈夫かな? 部品の作り直したのを、ちょっと確認して欲しいんだけど」
あ、作り直しを頼んどいた土台側の板か。下絵が完璧でも、
と思ったら、
「何これ、ほぼ全部作り直してんじゃん」
そう、素人の手作り品が、形や寸法はそのまま、
魔晶石に被せる枠の風車は、貼り合わせた厚紙じゃなくて薄い
「そんなことないよ。魔晶石を置く台座は変えてないし、枠の紙の部分は前のままだよ」
「でも枠を支える針金だったトコ、針金じゃなくなってるし、円の形も綺麗になってるし、土台の木もこないだから
「だってヨーちゃん、土台の模様が虫に食われてるから作り直したいって言ってたじゃない? だったら他の部分も、見えないだけで虫に食われてるかも知れないでしょ。土台バラしたら実際、かなり虫に食われててね、ほら」
「ぅゎ」
見せてもらったお椀型の土台の内側は、外からは分からんかったけど、虫が苦手な人が見たら卒倒しそうな惨状だった。
「こんなだったからね、土台丸ごと作り直す必要があったんだよ。他の部分はそのついで」
確かに灯篭の紙の部分はそのままだし、木製の土台は新しくしたとは言え木製のままだから、見た目はそこまで変わっとらんのよ。例えるなら、年月を経て古びたモンが、作り立ての新品に戻ったみてえな。その方が魔技なんかより、よっぽど“魔法”めいてんじゃん。それを修理のついでに、他の仕事の合間に、ひと月も経たん間にやっちゃうとか、職人こわい。
「あ、あと土台に入れる円盤も、予備いっぱい作っといたから、失敗しても大丈夫だよ。もし足りないときは作り足すから言ってね」
……クーさん、なんか
「俺は単に面白がってるだけだよ。ヨーちゃんが魔技手学校に通ってたのは知ってるけど、実際魔技を使ってるところは見せてくれたことないだろ?」
ああ……そりゃま、見せたくても見せられんからなぁ。
「そのヨーちゃんが、俺の思ってたのとは違うけど魔技を使ってるんだ、俺はそれをもっと見たいだけ」
うーん、これも“魔技を使ってる”のうちに入るんかなぁ。他人が組んだ
「だって俺にはただの模様にしか見えないけど、ヨーちゃんならこの模様がどんな魔技でどんな効果があるか分かるんだろ? それって俺らみたいな素人からすりゃ凄いことだよ」
そ、そうだね、確かに俺にも分かる部分は多少あるけどさ。でもクーさん、俺を買い被り過ぎだよ。この
んな世界に戻る気は、今の俺にゃねえ。追いつくにゃ遠すぎて、追いつくために振り絞る気力もねえ。
だから俺にとって、この回り灯籠の修復は最初で最後の“魔技手としての仕事”だ。この仕事をやるのは賃金を貰うため。それ以上の理由は、俺にゃねえんだ。そもそも俺が望んでこの仕事を受けた訳じゃねえし。
「だからヨーちゃんはもっと自信を持っていいよ。他の人に出来ないことが出来るんだからさ」
違うよクーさん。俺は他の人が選ばんかったことを
気付かにゃもっと進めたかも知れんけど、行きたいトコまで行けんと気付いたとき、俺は進めんくなった。進めんまま、同じ場所でいつまでも立ち尽くしてるだけだよ。
クーさんみたく、迷わず自分の道を突き進んでる職人とは違うんだ。
結局、
何しろ土台側の
特に十二枚目の円盤は描きづらかった。他の円盤と同じく穴を開けるから、穴を開けるのは最後にしても、
最初は一ヶ月くらいかかると思ったけど、慣れてきたのか最後の方は少し速度が上がったしな。だいたい、三十年近く前に魔技を勉強したとは言え、その後魔技から離れて情報の
そうやって出来上がった下絵を、ズレんよう正確に板に貼り付けて、魔技の火で線の部分だけ板に焼き付けりゃ、とりあえずは回り灯籠を動かせるようになる。
俺は魔技の火を
見た目はただの炭の粉みてえだけど、これでも焼成する前に魔技儀式で触媒としての効果が付与されてるのだ。流石に三十年近く前に使った触媒の残りだから、魔力はかなり霧散してるけど――俺は魔拿は扱えんけど、集中すりゃ魔力感知は出来る――、着火できる分だけありゃ十分。ちょうど料理酒の
板に
つか元々の円盤、ベル先生の話だと七十年以上前に作られたはずだし、仮漆仕上げもされてなくて、そこそこ手垢も付いてるけど、それにしちゃ
その後は地道に、焼き付けた
仮漆はそこら辺で売ってる奴だけど、墨液はウッズ先生に協力してもらって、触媒に詳しい人に良さ気な奴を見繕ってもらった。それとクーさんやダグ小父さんが、出来るトコだけでもって手が空いたときに手伝ってくれたから、その分はちょっと早く出来上がったかな。
言っとくけど、特別面白いことはなかったぞ? たぶん動画撮影しても、再生するとき早送りされるくらい絵面地味で代わり映えせんぞ?
とりあえず依頼された修復は、これで完了と言って良かった。後はバラけた土台を組んで、仕上げの鑢掛けと仮漆を塗るだけで、これはクーさんがやってくれる。
そうそう、せっかくだから虫に食われとらん円盤も、仮漆で綺麗に仕上げることにした。クーさんが本体をあんなに立派に作り直してくれたんだ。何もしとらん円盤がそのままだと古びてみすぼらしく見えるからな。
そのために表面を鑢で削って綺麗な木肌を出さんといかんけど、それで
ただ、それだと御伽噺の題名も消えるから、木肌を削る前に薄紙に描き写して、
ただでさえ作業時間が増える上、万一失敗したら作り直す手間があるから悩んだけど、後から「やっときゃ良かった」って心残りになるのも嫌だったかんな。魔技に関わる仕事はこれが最初で最後。終わったらすっぱり忘れるつもりだから、悔いを残したかなかった。
しかし年末年始が近づいて、ここから暫く作業は停滞した。ダグ小父さんもクーさんもエマ小母さんも、ずっと俺にゃ回り灯籠の
俺も小父さんたちが忙しくしてるのに、一人だけ自分の仕事に専念してられる程鈍かねえよ。小父さんたちも俺の仕事を手伝ってくれんだから、工房で仕事させてもらってる以上、俺が小父さんたちの仕事を手伝わん道理はねえだろ。
「ごめんねヨーちゃん、こんなことさせるのに来てもらってるんじゃないのに」
いいよ小父さん、こっちこそ年末年始の働き口がなかったら、親父やお袋に何て言われてたか。だから謝んなくてもいいんだって。親父やお袋に愚痴愚痴言われるよか、ずっとマシな正月が迎えられんだから。
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