十.めらめらヶ原
開いた口が塞がらん、とはこんな状況を言うんだろう。
確かにあの
でもまさか、魔技手なら誰もが魔技幾何学教本の著者として知ってる、魔技手の頂点とも言える人が作者だったとは……否、あんな高度で複雑な
たぶん今の俺は
『作った当時の覚書も残っている。戦争が始まる少し前、世界中が
獣人が、蛮族? んな話は初耳だ。
『あの頃……まだ獣人が世界中に多くいた頃、東方の人間の多くは、私たちを対等に扱ってくれた。それでも獣人と人間が同じ町に暮らすことは少なかったが、この国だけは特別でね。島国で国土が狭かったからかも知れないが、古代から獣人と人間が同じ町で暮らし、同じように働き、同じように学ぶことが出来たのだ。だが西方はそうでなかった』
そう言や西方じゃ戦前、ある国で東方人……と言っても西方に近い中東の辺りの人たちが多かったそうだけど、その排斥運動が起きたんだっけ。その国じゃ
『父の故郷は暗黒大陸の……いや、今はそう呼んではいけないのか。あの大陸が、戦前は西方諸国の植民地だったことは君も知っているだろう? 私たちは身体能力が君たちに勝るが故に、君たちに比べれば文明に頼ることは少なかった。原始的、と言っても良いだろう。だがそれは、文化や知恵が君たちより劣っていると言うことではない。なのに西方の人間たちは、獣に似た姿で原始的な生活をしてる、と言うだけで私たちを見下し、仲間を狩り、家畜にし、土地を奪った』
あー、つまり西方じゃそもそも、獣人が
そう言や西方の宗教は人間至上主義だし、“使い魔”文化もあるモンな。使い魔ってのは、そこら辺にいる動物や、
東方にも似た“憑き物”って文化があるけど、あれは本来は護り手である動物霊を魔技手が悪用してるだけだから、動物霊の機嫌を損ねると自分に返ってくる。その辺の違いは、それこそウッズ先生の専門分野だけど、今はそう言う話をする状況じゃねえから置いとこう。
『私の父は幸運だった。この国に来ることが出来た父は、先住していた同胞と変わらず人間に対等に扱われ、教育を受け、母と出会い、家庭を持つことが出来た。だからだろう、父は私が西方でも蛮族扱いされないようにと、より高い教育を受けられるよう尽力してくれた。魔技手であれば西方でも人種を問わず一目置かれると知り、私は魔技手の道を選んだのだ』
成程ね。魔技は古代から、“奇跡”や“魔法”、“術”とか“霊験”とか呼ばれ、それを扱える人は世界の何処ででも、出自を問わず周囲の尊崇を集めてきた。それは形を変えながら現代まで連綿と受け継がれてて、現在でも魔技手は社会的地位が高い。
何しろ普通なら出来んことを出来るようにする
だから社会的弱者が地位を得るにゃ、魔技手を目指すのが手っ取り早いのだ。
『この国には似たような仲間も大勢いた。私たちの地位向上のため、西方文明を学ぶ者がね』
成程、西方人と対等であるためにゃ、西方の文化や文明を学ぶ必要がある。奴らが何故西方人以外を見下すのか、見下されんためにゃ何をどうすりゃいいのか、が分からにゃ対等になれんかんな。歴史を
確か百五十年くらい前だったか、中世末期になって、既に近代化された西方諸国が植民地を広げるべく東方へやってきた。そして隣国である大陸の大帝国が西方のとある小さな島国との戦争に負けるのを目の当たりにし、次は我が国の番だと、この国は西方文明を率先して学び、中世から脱却し近代化を成した。
元は旧国教の寺院に併設されてた神職の養成所だったのが、近代的な魔技手学校へ変わったのもその流れのひとつで、それが百三十年くらい前の話。ここアリエ魔技手学校が創立されたのもその頃で、旧国教の寺院に隣接してる理由もそれだ。
そして近代化の甲斐あって、百二十年くらい前、大陸の北にある西方の大帝国との戦争に勝ち、以来この国は西方諸国から一目置かれ、肩を並べられるようになった。
獣人たちだって蛮族扱いされりゃ当然、どうすりゃ西方人から卑下されんで済むか考えるよな。だから、かつては時代遅れの“蛮族”国家だったけど、努力の末、たった三十年程で西方諸国と肩を並べるようになったこの国は、その良い見本だったって訳か。
それにこの国じゃ古来から、人間と獣人とが対等だった。そんで西方じゃ家畜扱いされた獣人も、この国でならきちんとした教育を受けることが出来た、と。
『だが世界は、文明を扱う獣人を脅威に思ったようだ。それも仕方がないのだろう。劣る者が勝る者と対等でいるには“武器”が必要だ。そして人間が我々と対等になるための“武器”が、文明や知恵だった。しかし身体能力が異なる者が同じ“武器”を持ってしまえば、当然だが対等ではいられない』
授業で習った通りなら、確かに
でも現在社会の中心が獣人じゃなく人間ってことを考えりゃ、文明や知恵って“武器”がどんだけ強力かは自ずと分かる。身体能力の勝る獣人がそれを持ちゃ、人間の優位が覆るのも明白だ。
俺は気にせんけど、まーそれが気に食わん奴はいんだろな。
『……いや、家畜であるべき獣人が文明を操り、人間と対等に振る舞うのが、西方の人間たちには許せなかったのかも知れないね』
あー、それはあるかもな。西方人は獣人だけじゃねえ、未だに東方人も見下してるトコあるし。国際条約なのに東方の文化が考慮されてなくて、東方の国が条約に参加してから慌てて条約を改正したり、国際競技大会で東方の国や選手が勝つと、ルールを変えて勝てなくしたりな。
『年寄りの長話に付き合わせて済まないね。だが私がそれを作った当時、世界中で獣人を排斥すべき、と言う機運が高まっていたことを知ってほしくてね』
「否、全然大丈夫すよ」
同じ話を延々五、六時間繰り返す親父の愚痴に比べたら、ね。
『それでは本題に入ろう。あれから七十年以上経つが、今でも忘れていないのだよ』
出だしからいきなり重いな。どうやら茶々を入れちゃ駄目な話っぽいから、ここは聞きに徹しよう。
『高等部のとき、友人の一人から妹さんの病気の話を聞かされてね。当時は治療法がなく、治る見込みはほとんどなかったが、運よく治ることもあったとか。それで妹を励ますようなものを作りたいと、私たちは彼から相談された』
『病室で寝たきりの女の子でも楽しめる、励みになる何か。そして私たちは、まだ見習いだったとは言え、それなりに魔技を修めた身だ。それで友人一同で案を出し合って、魔技を使ったちょっと変わった回り灯籠を作ることにしたのだよ』
『君が修復を依頼された、
でも、なんで回り灯籠?
『材料さえあれば、もっと良いものが作れたかも知れない。だがあの当時は紙一枚、針金一本手に入れるのも、段々難しくなっていてね。手に入る材料で作れる品など限られていたのだよ』
土台とか円盤とかに
『魔技を使って御伽噺の回り灯籠を作ること自体は難しくない。だが回り灯籠に映る御伽噺がひとつだけでは、寝たきりの子には退屈で飽きるだろうと言う話になってね。最初は三つくらいのつもりだったが、寝たきりならば三つでも足りないだろうと増やしていくうちに、数が随分と増えてしまった』
『毎日、放課後に皆で集まってああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返したものだよ。皆で役割分担して、時には先生方に教えを請うたりしてね。いろいろと苦労もしたが、実に楽しい時間だった』
『それで私は、最終的に回り灯籠の
だろうな。
『それで、そのとき考えたのだよ』
『もし戦争が起きて私たちが滅びても、私たちの物語を後世に残せないだろうか、とね』
それじゃ、あの円盤の御伽噺に全部ウサギが出てくるのって……
『最初の五つは、我が友人たちの悪ふざけだよ。私を見て、知ってる御伽噺でも、本来は出てこないウサギが出る話に変えたら、妹さんも面白がってくれるのではないかとね。だが残りの七つは違う。
ってことは、あの数字……やっぱ意味のある順番だったんだ。
『だが試写では誰も、気付かなかった。最初の五つの御伽噺と同じように、私が悪ふざけで御伽噺を改変しただけだと思われたみたいでね。だからこの方法なら、最初の兎獣人の生涯も、きっと後世に残せると思ったよ』
自分たちは滅ぼされるかも知れん、でも何とかして自分たちが存在した証を後世に残してえ。不治の病で死の床にある女の子と、獣人って種族の未来を、当時のベル先生は重ねて見てたんだろうか。
『出来上がった回り灯籠を、妹さんは随分と喜んでくれたそうだ。だが妹さんは結局私たちの卒業前に亡くなって、そのとき回り灯籠も遺品と一緒に処分したと聞いた。だからウッズくんからあの
あ、今笑った? 顔立ちが人間に近いとは言え根本的にウサギだからか、それとも歳だからか、ベル先生って表情分かりにくいんだけど、今のは何となく分かったぞ。
『だから、その子がどう言う経緯で回り灯籠を手に入れたのか、少し気になってね』
そりゃ気になるよな。
『それで、その修復を依頼してくれた子は、あの回り灯籠のことを何と?』
「随分気に入ってたみてえすよ。元々はお祖母ちゃん
『そうかそうか』
ベル先生が声を弾ませながら頷いた。まるっきり孫娘の話を人
「えーっと、確か飽きんよう、見る順番を変えたりしてて……そう言や円盤に書いてあったあの番号順に映したこともあるそうすけど、それだと最後にウサギが焼け死んじまうから可哀そうだって」
『……ウサギが焼け死ぬ話が最後?』
表情は分からんけど、ベル先生の声色は明らかに変だなと言いたげだった。
『そう言えばウッズくんが送ってくれた複写には、『ウサギのウェネト』がなかったね。そのことも聞こうと思っていたのだ』
「『ウサギのウェネト』? んな話あったっけ……」
確認するけど
『話に付けた番号なら十二番だよ』
「十二番? 否、俺が預かった円盤は一から十一までで、十二番とかなかったすよ。あの子からも母親からも、十二番の話とか聞いてませんし」
『……そうか、なら、その子たちが手に入れる前に失くすか壊すかしてしまったのかも知れないね』
ベル先生の表情は相変わらず分からんかったけど、何となく声色が落ち込んでるように聞こえた。
「そう言や俺、あの円盤順番通りに見てったら、最後がウサギが焼け死ぬ話なの子供向けじゃねえなって思ってたんすけど、そうか。十二番があるってことは、ウサギが焼け死んだ後にも話があるってことっしょ?」
あの円盤は、それぞれ独立した御伽噺だし、一から十一まで連番で揃ってたから、まさか十二枚目があるとは気付かんかった。つかそんなん気付きようがねえだろ。でもあの円盤が全て揃って一つの物語だってんなら、全十二巻の漫画とか小説とかみてえなモンだ。最終巻だけねえとか、そりゃ作者としちゃ凹むよな。
でもベル先生は、俺の質問にゃ答えんかった。
『君に送る資料には、『ウサギのウェネト』の
敢えて教えず自分で試せってことは、俺やあの母娘を驚かせたいってことかね。俺の知らん御伽噺だけど、この題名ならたぶん「ウェネト」って名前のウサギが主人公だよな。
でも獣人の種族名と同じ名前の動物って、人間に「ニンゲン」って名前付けたみてえなモンだろ。普通んな名前の付け方せんだろ……否、ちょっと待て。ベル先生さっき、最初の兎獣人の話をどうたら言わんかったか?
ってことは、まさか。そのウサギの名前がウェネトだったから、種族名がウェネトになった……?
『しかし、まさか円盤が一枚無くなっていたとはね。あのとき
あのとき?
『戦時中は他人に言えない重要事項にも関わったからね。戦後、いつ進駐軍の
教材の円盤……って。
『君は三十年程前、教本が筆写から木版に変わったのは知っているかね? そのとき私は教本の編纂を依頼されたのだが、魔技幾何学の教本は特に不正確で酷い有様でね。魔技幾何学は正確性が何より重要だと言うのに。だから丸々一冊書き下ろすことにして、無理を言って円盤を教材に付けていただいたのだよ。その調整に時間を取られてしまって、他の科目の教本は監修だけになってしまったが』
『代わりに私が編纂を手伝うことになったけどね』
とはユーノスさん。
へええええーーー。思いがけず、木版教本誕生秘話まで聞いちまった。そう言や最初に回り灯籠の円盤を見たとき、魔技幾何学の教材と似てるなって思ったけど、そりゃ作った人が同じなんだから似てて当然だわ。
『若い君たちは知らないだろうが、私たちはあの戦争で、多くのものを失ってしまった。二千年近く受け継いできた、しかし進駐軍の価値観にそぐわない旧国語に旧国教、文学や工芸品や伝統、故郷の地……妹を亡くした
そうか。あの回り灯籠だって、戦前に作ったんなら、戦火で無くなってもおかしかなかったんだ。
『友人たちの半分は戦後まで生き残ることが出来たが、流石に七十年も経てばね……あの回り灯籠を作った仲間で生きているのは、今や私一人だ』
そう言や、戦前に高等生だったってことは、若くても戦時中に成人を迎えるはずだから、今
『だから最後に残った作者の権限として、あの
伝統的な
そして、ベル先生が俺と直接話したかった理由が、ようやく
重い。もう魔技手をやる気がねえ俺が抱えるにゃ重すぎる荷物だ。ただウッズ先生は俺に魔技手を続けてほしそうだから、
「よかったじゃないかジョー」
とか言ってるし、まさかウッズ先生の差し金だったりせんだろうな。
『そうだ、君にはもう一つ、教えておくことがある』
え、まだ何かあんの?
『あの回り灯籠には、ただ十二の物語を映す以外にも、ちょっとした仕掛けを施してあるのだが、君は気付いたかね? あの
言われてみりゃ、差込口の厚さに結構な余裕があったような。つか、よく考えたら差込口の上下に
うーわ、全然気が付いとらんかったよ……土台に二種類の
『あの円盤には数字が書いてあったろう?
また「結果は自分で確かめろ」ってか。十二枚目の御伽噺のときと言い、もしかしてベル先生、他人を驚かせるの大好きだったりせん? それが盤上遊戯の強さの秘訣なん?
『父さん、あまり無理しない方が』
急に喉を詰まらせたベル先生の背中を、ユーノスさんが
だとすりゃ、あまり話を長引かせん方がいいんだろうけど、それでも言わにゃいかんことがひとつある。
「そうだベル先生、もうひとつだけお願いがあります」
『……何かな?』
「体調の良いときでいいんで、出来りゃ依頼者の……回り灯籠の持ち主の子に、先生から直接伝えてあげて欲しいんす。会うのは無理でも、手紙とか
回り灯籠を作った魔技手がまだ生きてて、喜んでもらえてよかったって、本人同士で。
「修復を頼みに来た子の名前はクロエちゃん。お母さんの名前は、えーっと」
さっき引っ張り出した覚書を再度
「……あったあった、リゼ・ベルモントさんす」
『君は優しいね』
それは過大評価だ。俺は別に親切で言ってる訳じゃねえ。
だって俺は
『分かったよ、約束しよう。少し時間がかかるかも知れないが、待っていてくれたまえ。必ずその子に伝言を送るから』
ちなみに話しながら〈騎兵隊ポーカー〉もちゃんとプレイしてたんだけど、結果はベル先生の三勝だった。
左の小塔、俺が取れると思った五のスリーカードに対して、ベル先生は六のスリーカードを揃えたんだよ。五に勝てるのは六しかねえのに。そして中央、俺の三のスリーカードに対してベル先生は木のストレートフラッシュ。右は俺が
その感想戦。俺は三のスリーカードを捨てて、最後に引いた【土の三】を【土の二】【土の五】の列に置いてりゃ、一戦は引き分けられたのに。でもその前に【金の四】を引いて、その時点じゃ他に土カードを持っとらんかったから、どっちに置くか迷ったんよな。三のスリーカードを捨てるか、土のフラッシュを捨てるか。まさか次にどっちにも置ける【土の三】を引くとは思っとらんかったんよ。それで【金の四】を右に置いたら、直後にベル先生が【木の四】を中央に置いて木のストレートフラッシュが完成、三のスリーカードを揃えても負けが確定しちまった。ちなみにベル先生、初手に【木の三】と【木の五】は持ってたけど、【木の四】と三枚の六は山札から引いたらしい。しかも最後の一手、六のスリーカードを決めた【土の六】は、八巡目のドロー、最後のドローで引いたとか。
出来る人は持ってんなぁ……
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