九.ウサギとフクロウの知恵比べ

 それから数日は、複写コピーした資料を参考にあれこれ調べながら、ウッズ先生からの連絡を待ってた。

 普通の回り灯籠を作る術式陣モジュールは、いくつかの作例があったから何となく分かったけど、映す絵を変える錠前術式ロック鍵術式キーに関しては、参考になりそうと思った術式陣モジュールとは術式プログラムの構造が全く違っててさっぱりだった。

 回り灯籠が実際に動いてるトコを、俺が見たことねえからってのもあるけど、どう言う仕組みで動いてるのか分からんから、術式プログラムの穴埋めだって出来ゃせん。

 もっかい学校の図書館に行って、別の資料を探そうか……と考え始めた頃、ウッズ先生から連絡が来た。


『例の術式陣モジュールの写しを何人かにお送りしたんだけど、ある先生があの術式陣モジュールについてお前と是非とも話したいとおっしゃってくださってね』

「本当!?」


 あの術式陣モジュールについて俺と話してえってことは、あの術式陣モジュールを復元できるか、出来んにしても術式プログラムの構造が分かるってことだよな? ……まさかの分からんけど興味あるだけ、っつー可能性もなかねえけど、先生の言い方だとすごく偉い人っぽいから、んなハズレ魔技手じゃねえと信じてえ。


『ただ先方も王都にお住まいだし、最近は体調が優れないそうだから、日にちを決めて遠隔リモート講義の形でお話ししようってことになったんだ。それで、お前がいつなら学校に来られるかと思ってな』

「俺……私ならいつでもいいよ、今他に仕事ねえし。何なら明日にでも、他にいい資料ねえか探しにまた図書館行こうかなって思ってたトコだし」

『分かった、先方にお伝えするから待っててくれ。決まったらまたすぐ連絡する』


 幸いウッズ先生からは、その日のうちにもっかい連絡が来た。


『明後日、学校の共用棟の第三視聴覚室でいいか?』

「いいけど……その人どんな人?」

『たぶん、凄くびっくりするぞ。名前だけならお前も知ってるはずだからな。先方に失礼のないように、きちんと髪をいて身嗜みだしなみを整えてくるんだぞ』


 うわ、どんだけ偉い人なんだろ。口の利き方とか身嗜みとか、あんまうるさかねえウッズ先生がそこまで言う人って。



 翌々日、ウッズ先生から指定されたその日に、俺は再び駅馬車に揺られ学校にやってきた。今日は卒業生襟章ピンバッジも忘れず持ってきたぞ。箱に入れっぱなしで失くすのは怖いから、学生時代みてえに襟元に付けておいた。

 共用棟の門番さんは、あんときとは別の人だったけど、そこまで頻繁にゃ出入りするかまだ分からんし、差し入れは次でいいかな。


 場所は第三視聴覚室だったっけ。光画板に届いた電信メールを確かめて、俺は共用棟の階段を上った。

 実は俺、共用棟の視聴覚室に行くのは初めてだ。ってのも中等部にも視聴覚室が別にあって、中等生は普通、そこを使うからだ。必要なら共用棟の視聴覚室から映像を転送できるし。

 第三視聴覚室、第三視聴覚室……あった。使用中の光看板ランプが点いてるけど、入って大丈夫だよな?


「失礼します」


 合図ノックして中に入ると、三十席程度の、この手の部屋にしては広かねえ部屋の前方に映写幕スクリーンがあって、そのほぼ正面の席にウッズ先生が座ってた。向かいの映写幕にゃ寝床ベッドから起き上がった小さく真っ白な老人と、その横に付き添うように、背筋を伸ばした老年の、ウッズ先生とも対等タメ張れそうな男性の姿が映ってた。


「あ、お話ししてた子が来たみたいです」


 ウッズ先生が振り返って手招いた。


「ジョー、こちらシルヴァン・ベル先生と、お隣が息子さんのユーノス・ベル先生。お前も知ってるだろ? 魔技幾何学の初等教本を書かれた、シルヴァン・ベル先生だ」


 え。


 ウッズ先生、確かに「研究成果を発表したらいろんな凄え人と知り合った」ってたけど、え? どう言うことよ?

 それだけじゃねえ。そのシルヴァン・ベル先生、よく見ると頭頂にウサギの垂れ耳が、顔も人間のようだけど短い獣毛がびっしり生えてる。ぱっと見全身真っ白かったのは、肌じゃなくてその獣毛の色だった。


 獣人アニマルフォークだ。


 この国にまだ獣人がいたとかマジ。戦前は何処にでもいたらしいけど、確か戦後の獣人独立運動で、ほとんどがこの星のほぼ真裏へ移民したはず。何でこの国に残ったんだろ。


「この前も話した通り、例の術式陣モジュールをベル先生に送ったら、いたく興味を持たれてね。体調不良をおしてでも、是非お前と話したいと仰るんで、それなら先生も慣れていらっしゃる遠隔リモート講義の形式がいいだろうと思って、今日はわざわざお前に来てもらったんだ」


 そしてウッズ先生の後を、付き添いの老年の男性が、深みのある穏やかな声で引き継いだ。


『初めまして、……ジョーくん、だったね。こちらが父のシルヴァン・ベル、私は息子のユーノス・ベルだ。驚くのも無理はない、父は御覧の通りの半兎獣人ハーフ・ウェネト、私もこう見えて四半クォーター混兎獣人ミクスド・ウェネトだ。私は下半身だけだから、服を着てたらほとんど人間と見分けがつかないけどね』


 半獣人ハーフ……獣人と人間の間に生まれた混種か。確か動物が直立二足歩行した感じの純粋な獣人と違って、人間に動物の毛皮を被せた感じだって、魔性生物学の授業で習ったっけ。別種の獣人同士の混種もおらんこたねえけど、そもそも獣人の繫殖力は人間より遥かに低く、獣部分が近縁の種じゃないと滅多に産まれんらしい。人間が混ざっとらん四半に至っちゃ相当な希少種レアケースだとか。

 混獣人ミクスドは四半以下の混種で、確か獣人の特徴は部分的にしか発現せんらしい。しかも人によって何処の部分に発現するかはまちまちだそうで、人間の頭部に獣人の耳が生えるのが多いらしいけど、ユーノスさんみてえに脚だけとか腕だけ獣人とか尻尾が生えてるとか、中にゃ見た目だけなら全然普通の人間なのに夜目が利いたり犬みてえに微かな匂いを嗅ぎ分けたり出来る混獣人もいるらしい。そして獣人の血が薄まる程、身体的特徴は人間に近づいていく。

 共通する特徴が少なくて、三十年前にゃ肉体を構成する術式プログラムの解析も全然進んどらんかったって習ったけど、今はどうなんだろ。


『父がこんな調子だからね、今日は私も付き添わせていただくよ。大雑把な話は父やウッズさんから聞いてるから、何か分からないことがあれば遠慮なく聞いてくれて構わないからね』


 遠慮なく、と言われても緊張するなぁ……偉い人だから、じゃなく初対面のよく知らない人だからだけど。でも、すぐ横でウッズ先生が「ほら」って囁いてくるし、もうここは腹を括るしかねえか。


「あの……ウッズ先生から、例の術式陣モジュールのことでベル先生が俺……私と直接お話されたいのだと伺いました」

『そうだね。あの術式陣モジュールには大事な術式印メソッドが何ヶ所か欠けていて、その修復を君が請け負ったと聞いている。君は欠けた術式プログラムの構造が分からなくて困っているそうだけど、それに関してはこちらで既に、欠ける前の術式陣モジュールの資料を用意したから、後は君が回り灯籠の部品にそっくりそのまま描き写せばいい』


 うーわ、流石は術式陣モジュールの教本を書いた人。あんなに衰えてるのに仕事はええなあ。


『費用についても、必要経費も含めて私たちは受け取るつもりはない。ただ、君にとってこれは仕事だ。こう言う資料は普通、無償提供してもらえるものではないし、その代償が金銭だけとは限らないと知ってもいるだろう?』

「……私ゃ何をすりゃいいんすか?」

『君も魔技手なら少しは盤上遊戯ボードゲームを嗜むだろう? 君が父と盤上遊戯で勝負すること。これが君へ資料を提供する条件だ』


 ええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……


 そりゃ俺も含めて、大抵の魔技手は盤上遊戯やりますよ。作品タイトルにもよるけど、論理的な思考能力を身に付けて、活用する練習にゃ持ってこいだかんな。

 驚いてる間に、隣で黙って話を聞いてたウッズ先生が、こっそり耳打ちしてきた。


「ベル先生、盤上遊戯が滅茶苦茶強くてな。強すぎて今ではお身内やお知り合いの方々からはあまりお相手してもらえなくなったそうだ。だから最近は、知り合ったばかりの人を誘うとかで、俺もお会いしたばかりの頃、丸一日〈大戦前夜〉に付き合わされた」


 〈大戦前夜〉ってあの、別名愛好会サークル破壊遊戯ゲームって言う敵対交渉中心の戦略遊戯じゃねえすか。初対面の人とやる作品じゃねえよ!?


 あれ、ひょっとして俺、遠話で盤上遊戯するために呼ばれたん?


『遊ぶ作品は、君が選んでくれて構わない。ここに映ってないものも別室にあるから、題名を言ってくれれば出してくるよ』


 と、画面が動いて寝床ベッド横の棚が映った。うわぁ、滅茶苦茶沢山あるな。さっき言ってた〈大戦前夜〉は勿論もちろん、〈実芭蕉バナナ共和国〉、〈荒魂あらみたま和魂にぎみたま〉、〈孤島の開拓〉、〈豆農家〉、〈農村復興譚〉、〈緑の胡瓜キュウリ〉、〈ワイン蔵の一年〉、〈逢魔が港〉、〈野鳥保護区〉、〈新星の方舟〉、……有名どころが古いのから新しいのまで一通り揃ってるし、俺の知らん作品も結構な数がある。これでも一部で別室にまだあるとか、どんだけ盤上遊戯好きだよ。

 でも遠話で遊ぶとなると、作品は限られてくるな。そう言や俺の手札とか駒とかどう操作すんだろ。ユーノスさんが動かすのかな。だったらユーノスさんは人数から外した方がいいな。

 ……なんとなくだけど、ベル先生は俺を試してる気がする。一緒に盤上遊戯で遊べば、初対面でも相手の人柄は何となく分かるからな。静かで大人しそうな人が実は凄え負けず嫌いだったり、普段は豪快な人が遊戯中は慎重派だったり。勿論、普段の性格がそのまま戦術プレイングに出る人もいる。

 それならウッズ先生も人数から外して、二人だけで遊べる奴が良さそうだ。となると〈つぎはぎ布〉とか〈運河の都〉とかかなぁ。〈薔薇の王〉は遊んだことねえし、ベル先生に試されてんなら虚言ブラフ系は避けた方が良さそうだ……


「んじゃ、〈騎兵隊ポーカー〉で」

『へぇ……〈最前線〉の方じゃなくていいのかい? 出してくるから、少し待ってて』


 あそこで〈最前線〉が出てくるトコ、ユーノスさんも盤上遊戯に詳しそうだな。てか父親がここまで盤上遊戯好きなら、嫌でも詳しくなるか。


 〈ポーカー〉。題名通り、基本のルールはポーカーと同じだ。印と数字が描かれた遊争札トランプに似た専用カードを、普通のポーカーは全部で五枚だけど、〈騎兵隊ポーカー〉は全部で三枚を、同じ印か同じ数字、または三連番で揃えりゃいい。それを三戦やって二勝すりゃいいんだけど、〈騎兵隊ポーカー〉が普通じゃねえのは、三戦を同時進行するトコだ。

 なので場にゃ「小塔タレット」と呼ばれる駒三つを並べ、手番になったら四枚の手札から一枚だけ好きな小塔の前に置く。この小塔の前に置いたカードが、普通のポーカーの手札代わりだ。だから一つの小塔の前に置けるカードはお互いに最大三枚までで、そこさえ守りゃ置く順番や場所に決まりはなく、ABCの小塔があるとしてCCACBとか言う順番で置いても構わん。そして同じ小塔の前に置いたカードの役を競って勝敗を決めるのだ。

 ユーノスさんが言った〈最前線〉の方は、〈騎兵隊ポーカー〉の元になった盤上遊戯。基本的なルールは同じだけど、九戦同時進行で手札は七枚、印と数字の書かれたカードが増えること、特殊効果を持つカードが混ざってることと、あと単純に五勝する以外にも、隣り合って連続で並ぶ三つの小塔を取りゃ勝ちって特殊ルールがある、くらいの違いかな。


 選んどいてなんだけど、俺はこの遊戯あんま得意じゃねえ。どの小塔も均等に取りに行こうと思って、負けが見えてる小塔でも諦めきれず手を迷っちまう。一発逆転できる程の幸運もない癖にな! だから九戦やる〈最前線〉じゃなく、三戦で全体が見通しやすい〈騎兵隊ポーカー〉の方を選んだ。今日は遊ぶのが本題じゃねえし、ベル先生の体調も良かねえってたから、軽く遊べる作品にしたかったのもあるけど。

 勝ちは見込めんけど、別に「この資料が欲しけりゃ俺に勝て!」とは言われとらんから、要するに御老体の暇潰し、退屈しのぎに付き合やいんだろ。回り灯籠の修復に必要だってんならこれも給金のうちだ。ベル先生が物足りんのなら二戦、三戦やっても〈最前線〉に変えてもいいだろうし。


「ジョー、ちょっとそこ退いてくれ」


 いつの間にか立ち上がってたウッズ先生が、俺の前で机を動かしてるんで、俺も慌てて机を抱えて手伝った。

 俺の席の前に、ちょうど盤上遊戯が遊べそうな広めの空間が出来ると、先生はそこに盤上遊戯のプレイマットに良さ気な敷物を敷いた。中央にゃ何やら術式陣モジュールが描かれてて、えらい複雑な術式陣モジュールだなーとか思いながら眺めてると不意に、目の前に箱を持った手が現れてめっちゃビビった。

 しかし持ってる箱にゃ凄く見覚えがある……〈騎兵隊ポーカー〉。あれ?と思って映写幕を見ると、ユーノスさんが〈騎兵隊ポーカー〉の箱を机の上に置いたトコだ。見てるとユーノスさんの手の動きと、目の前の敷物の上に見える手の動きが連動してる。

 そう言うことか! この敷物、ベル先生んの机と連動して、幻像で手や箱を見せてるんだ。あ、よく見ると机の上に似たような敷物が敷いてあるな。机じゃなくて敷物同士が連動してるのか。映写幕越しよか遥かに見やすいし、幻像とは言え、駒やカードが目の前にあると実感が違うな。

 たぶん教本の原版と似たような仕組みだ。“親”である敷物の上に手をかざしたり物を置いたりすると、“子”の敷物の上でそれが幻像で再現されるんだ。

 いいなぁこれ。この敷物が沢山ありゃ、遠く離れた誰かや、ベル先生みてえに寝たきりの人とも一緒に盤上遊戯遊べるじゃん。


『お待たせ。小塔やカードを触ってみて御覧。たぶん本当に触って動かせるはずだから』


 マジで!? 恐る恐る触ってみると、本当だ! ちゃんとカードの紙の感触や小塔の木の感触がある。試しにカードをシャッフルしてめくると、映写幕の向こうで幻像の俺の手がカードを構えてた。


「すっげ……」

『良かった、ちゃんと動いてるみたいだね。もっとも、これはまだ試作品でね。王都や央東では試遊して成功したんだけど、西州みたいな長距離で試すのは今日が初めてなんだ。それに魔力の消費が激しくてね、実用化するにはもっと魔力効率を上げないと』


 ああ、だから学校なのか。アリエ魔技手学校の敷地は龍脈の真上、何の魔技を使っても魔力が枯れることはまずねえかんな。つまりこの敷物の運用試験も兼ねてると。あれ? にしちゃえらい準備が早くね? 俺が学校に来いって言われたの一昨日だぞ? たった二日で王都から敷物が到着する訳ゃねえじゃん。


「先生、この敷物、どんな魔技使って取り寄せたの?」

「何を言ってるんだジョー、魔技なんか使わないぞ。例の術式陣モジュールについてのお返事と一緒に送ってこられたんだ」


 あー、そりゃそうか。だから返事に時間がかかったんか。ってか気が早いなベル先生! あの術式陣モジュールを見ただけで、んなモン送ってくるとかマジ。

 ……あれ? ってことは、つまり最初からする予定だったんだよな。先生もそう言うことは先に言ってよ。なんで俺は当事者なのにいつも蚊帳かやの外なん?


 ま、今更愚痴っても仕様がねえし、とりあえずは目の前の対戦に集中しよう。


 と言っても〈騎兵隊ポーカー〉の遊び方は簡単だ。手番が来たら四枚の手札から一枚をどれかの小塔の前に置いて、山札から一枚引いたら相手の手番。これを交互に繰り返すだけだ。

 最初の手札は……お、初手から五が三枚か。悪かねえ。数札は一から六だけで、ワンペア、ツーペア、フルハウスがねえから、ストレートやフラッシュよかスリーカードの方が強えんだ。だから五のスリーカードならそうそう負けやせん。一勝はほぼ確定で、問題は残る一枚、【水の三】からどの役に繋げていくか。

 先手の俺は中央の小塔に【水の三】を置いて、カードを引いた。【土の二】。他の土札は持っとらんし、悩ましいな。印が合やストレートフラッシュも狙えたけど、ただのストレートなら無役ブタよりマシ程度、狙える連番も一二三か二三四だけで、同役比較でも勝てる公算は薄い。これは役が上のフラッシュ狙いかな……

 後手のベル先生はっつーと、中央に【木の三】を置いてきた。うわ、同じ小塔に同じ数札を置くとか嫌らしいな。それじゃさっき引いた【土の二】を右に置いて、ドローは【火の三】。これは中央に置いてスリーカード狙うか。


『君が修復依頼を受けた回り灯籠』


 唐突に枯れた声が響いた。ユーノスさんに似た穏やかで落ち着きのある声は、ここまでずっと黙ってたベル先生か。人間にウサギの皮を貼り付けたような顔は、口元の動きが少なく、喋っててもそうと分かりにくい。


『いつ頃、何処で手に入れたとか言う話は聞いていないかね』

「あ、はい、聞いてみたんすけど、持ち込んだ十歳くらいの女の子のお祖母ばあさんが、子供の頃に旅行先の蚤の市フリマで手に入れた、としか……場所は分かりませんし、時期もはっきりしませんけど、たぶん戦後すぐくらい?」

『そのお祖母さんはどうされたのかね? お亡くなりに?』

「いえ、倒れてられて、命は助かったそうすけど、娘さんの顔も分からん状態とかで、それ以上詳しい話は何も……」

『そうか』


 言ってベル先生はカードを置いた。え、右に【火の二】かよ。また同じ小塔に同じ数札を置くとか、嫌らしいにも程がある。でも俺がさっき【火の三】を引いたから、ベル先生がストレートフラッシュを作るのは不可能。俺が二のスリーカードか、少なくとも土のフラッシュを揃えりゃ、負けんはず。問題は俺にんな引きドロー運がねえことくらいか。

 俺は空いてる左の小塔に【金の五】。初手の三枚の五のひとつだ。引いたのは【水の六】。うーん、【水の五】も初手にあったから、中央に置きゃフラッシュに変えられるけど、まだ三のスリーカードを捨てる気にゃならんな。


『ウッズくんから聞いているよ。君は魔拿マナが扱えない体質だと。それで魔技手を諦めたのに、あの術式陣モジュールの修復を請け負ったそうだね』

「魔拿が扱えんでも、術式陣モジュールを刻むことは出来ますから」


 魔拿ってのは、魔力のうちでも“魔技手の制御下にある魔力”のことだ。魔力を水に例えるなら、魔拿は魔技手の掌の上にある水、って感じかな。

 大抵の人間は体内の魔力を魔拿として扱うけど、魔拿の最大量にゃ個人差があって、片手で掬った程度の魔拿しか扱えん奴もいりゃ、湯吞コップ手桶バケツ、果ては自分の周囲の魔力まで自在に制御して、大地から泉が湧いたのかってくらい大量の魔拿を操る奴までいる。

 よっぽど魔力効率の良い術式プログラムを組まん限り、扱える魔拿の量は術式プログラムの規模や複雑さをに関わるから、魔技手になるなら魔拿の最大量が多いに越したことはねえんだ。

 そして俺は、この扱える魔拿の最大量がゼロだ。握り拳の手の甲で水をすくうみてえに、魔力は俺の掌からこぼれ落ち、何かに使うどころかろくすすることも出来ん。


 言っちまや、いくら喉が渇いても目の前の水を眺めるしか出来ねえようなモンだ。


 魔技手学校に入学したばかりの頃は特に気にしとらんかった。入学したてで魔拿を扱える奴はほとんどおらんからな。でも授業で三ヶ月も扱い方を練習すりゃ、同級生の大半は魔拿を扱えるようになった。

 ただ俺は、俺だけは、置いてかれた。毎日欠かさず練習して、なのに一年経っても二年経っても二年半経っても、魔拿を扱えんかった。だから魔技の勉強が段々虚しくなってった。やる気は少しずつ削がれ、成績は徐々に落ちてった。

 小さい頃から憧れて努力して、念願叶って魔技手学校に入学できたのに、同級生が皆どんどん魔技を使えるようになってくのを横目で見ながら、自分だけ全く魔技が使えないまま置いて行かれるのは、これ以上ない地獄だった。楽しかったことも学んだことも多かったけど、目の前で魔技を使われるたび「自分には出来ない」のを思い知らされ続けた。

 だから中等部を卒業する頃にゃ、もう二度と魔技に関わるまい、と思うようにさえなってた。第一、今更水を浴びても、木乃伊ミイラは人間にゃ戻らんよ。


『学びたいことを学ぶのに遅すぎると言うことはない。君さえ良ければ、あの術式陣モジュールについて講義しても構わないよ。君も曲がりなりにも魔技手だ、あの術式プログラムの構造が気にならない、とは言わないだろう?』


 確かに気にならんと言や嘘になる。でもそれは修復に必要だからであって、別に、これを応用して新しい術式陣モジュールを組みてえとかは全然ねえよ。そんなに深く知らんでも、ベル先生がくれる完成図を正確に描けきゃ、それでいいんだ。


「そうすね。でも……ベル先生、体調が良かねえんしょ? 今日はそこをおしてでも、俺と話したかったとウッズ先生から伺いました。先生がそうまでして俺としてえ話ってのは、あの術式陣モジュールの講義じゃねえっしょ?」

『心配をかけているようだね、ありがとう。だが私も、残された時間はあまりない。元々私たちは短命な種族だ、それがどうしたことか、若い頃知り合った人間の友よりも、こうして長く生きている』


 ベル先生は中央に【木の五】。流石に三手目まで同じ小塔に同じ数は置かんかったか。ただ、ベル先生の中央の手は【木の三】と【木の五】。もしベル先生が【木の四】を置きゃストレートフラッシュ。対応する俺の手は今んトコ【水の三】のみ、手札にゃ【水の五】もあるけど、五のスリーカードを捨てて中央をストレートフラッシュ狙いに切り替えても引き分けが精一杯。うーん……【水の四】が手元にねえ以上、中央の小塔を切り捨てるかは迷うトコだ。ここは様子見かな。初手の五の二枚目、【火の五】を左に出して、引いたのは【水の一】。やっぱここで欲しいカードを引ける程の豪運は、俺にゃねえよな。


『あの術式陣モジュールの講義も、したかった話のひとつだが、確かに君の言う通り、今日こうして君と直接したかった話の本題ではない』


 っしょね。だって、あんな分かりやすい魔技幾何学の教本を書ける人が、わざわざ俺を学校に呼び出して、あの術式陣モジュールについて直接講義する必要性なんぞ全然ねえし。体調が悪いんなら尚更、遠話っつー疲れることせんと、教本みてえな解説の覚書メモとかを、術式陣モジュールの復元図と一緒に送りゃ済む話だ。


『実は、あの術式陣モジュールは私が学生時代に作ったものでね』


 ……はい?

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