七.聖兎の八十八難

 よし、今日はなんとかいつもの時間に起きることが出来たぞ。親父の機嫌を損ねんうちに朝飯だ。

 居間に行くといつも通り、お袋が既に朝飯の準備を済ませて、食卓で親父が起きてくるのを待ってた。俺も自分の席に座り親父を待つ。そして、朝七時を知らせる時の鐘と共に、親父が起きてきて席に着いた。二日続けて深酒した割にゃ元気だな。若い頃よか酒にゃ弱くなってるし、思ったよか量飲んでねえのかも知れんな。

 親父がひとくち食べたのを確認して、


「「いただきます」」


 俺とお袋も朝飯を口にする。いつもと変わらん、我が家の朝食風景だ。黙って食ってると親父が開口一番


「ヨー、お前、初等生くらいの女の子にって言われたんだって?」


 うわぁ……ダグ小父おじさん、親父に話しちゃったのか。


「そうそう、あんたがってねぇ」


 親父もお袋も明らかに笑いをこらえてる。そうか昨夜大爆笑してたのはか……


「あんた中等部の頃から全然見た目変わってないのにね」


 全然ってこたねえぞ、もう四十代だぞ、中等部の頃から二十年以上経ってんだぞ。

 確かにお袋の言う通り、身長の伸びは中等部の頃に止まったし、体重も体格も当時からほぼ変わっとらん。おかげで二十代の頃にゃ五歳くらい、四十代になった今でも大抵は十歳くらい若く見られるけどさ。

 若い頃みてえな肌の張りはねえし、目立たんけど白髪も生えてきてるし。今まで働いたトコじゃ何処でも、小母おばちゃん方によく「若く見えて羨ましい」って言われたけど、実際は羨ましがられるようなことじゃねえ。若く見られるってことは軽く見られる、舐められるってことでもある。現に今、目の前に俺を舐めてる見本がいるし。


「何言ってんだよ、俺だってもう流石に二十代にゃ見られんよ。三十代でも初等生から見りゃ立派に小父さん小母さんだろ」

「そんなものかしらねぇ」

「んなモンだよ」


 お袋も、中等部卒業してからは働けだの結婚しろだの孫はまだかだの散々言ってた癖に、そう言うとこだけ中等部扱いしてんじゃねえよ。どうせ何言ったトコで本気で聞く訳ゃねえから、それ以上言う気もねえけど。


「っははははは、ヨーがか」


 親父もしつこいな、だから聞かれたかなかったんよ。それと食べながら笑うなよ、つばと食いカスが飛び散ってんじゃんか。俺はさっさと朝飯を食って、空の食器を台所に持ってった後、自分の部屋に引っ込んだ。

 と言っても親父やお袋の顔を見たかねえってだけじゃねえ、今日は魔技手学校に行くんだし、忘れ物の無いよう準備せんと。何しろアリエ市までは駅馬車で片道一時間半、何か忘れても気軽に取りに戻れる距離じゃねえし、時間も運賃も馬鹿にならんからな。


 とりあえず、回り灯籠を分解した土台の板と円盤は、枚数を確認した後、適当な巾着袋にまとめて入れて背嚢リュックに突っ込んだ。枚数が多いからバラけると面倒だし、これなら袋から出さん限り一枚だけ失くすってこともねえだろ。あちこち移動するたびに、枚数が揃ってるかいちいち数えるのも面倒だしな。

 羽ペンと覚書メモ用紙も、ちゃんと入ってるか確認する。これは足りにゃ学校や近くの文具屋ででも買い足しゃいいけど、無駄遣いはせんに越したこたねえ。


「んーと、教本は要らんか。どうせ最新版があるだろうし」


 俺が入学するちょっと前に教本が全国統一されたってのは話したけど、実際に全国の見習い魔技手全員に行き渡るよう、最新版の教本を準備するのは大仕事だ。でもそこは魔技手、印刷用の原版に術式プログラムを組み込んで、全国でほぼ即時リアルタイムで最新版の教本が共有できる仕組みシステムを作り上げた。なんでも戦前の旧国教に似た仕組みがあって、それを応用したモンらしい。

 具体的にゃ、各教本の原本を王都の“親”原版に複写コピーすると、各県の統括校に配られた“子”原版へ自動複写され、そこから更に県内各校に配られた“孫”原版へ自動複写される。それらの原版を元に、各校で各教科の教本が印刷されるのだ。ただ、便利な代わり魔力の消費が半端ねえから、残念ながら魔技手学校の教本以外じゃ利用されとらん。旧国教の神殿みてえに、全国の印刷所が全て龍脈の上に建ってりゃ話は別なんだろうけど。


 アリエ魔技手学校は統括校だから当然、各教本の“子”原版が保管されてて、図書館にゃ閲覧用の教本も収蔵されてるんで、三十年近く前の俺の教本より新しい情報が参照できるはずだ。え? 教本そのものは自動複写せんのかって? んな費用コストと魔力がかかり過ぎる真似、ド素人に毛が生えた程度の見習いの教本にゃ使わんよ。どうせ落書きされたり破かれたり失くされたりすんだし。俺みてえに三年使っても新品同様な教本とか、結構な稀少例レアケースだぞ。


 他にも何があるか分からんし、財布にも少し余裕を持って金を突っ込んどいた。駅馬車の交通費は勿論もちろん、板の術式陣モジュールを複写するのに複写魔技機械を使わせて貰えるとしても、有料のはずだからな。本来は図書館の本を複写するための備品だし。あと、何度か来ることになるかも知れんから、司書さんにお茶請けスイーツでも差し入れよう。

 中等部の恩師にも差し入れしてえトコだけど、年齢的に居るかどうか分からんから、こちらは所在を確認してからかな。

 準備が終わって台所に行くと、親父はもう仕事に出てお袋が朝飯を片付けてた。今日は弁当ねえし、そのままお袋に声をかけて、俺も家を出る。学校に行く前に、ダグ小父さんに声かけとかんとだし。俺が学校に行くのは、いわば仕事のための出張みてえなモンだ、なら上司に行ってくるって声かけんといかんだろ?


 つー訳で、駅馬車に乗るなら遠回りになるけど、まずはダグ小父さんの工房へ向かった。


「ヨーちゃん、おはよう。昨日は依頼の話をしなきゃいけなかったから来てもらったけど、あれなら自分ちで修理してもいいんだよ」

「いや、家だと親父やお袋に暇だと思われて邪魔されるから、隅っこでいいから場所貸してもらえたらなーって」

「それなら工房の何処でも好きなとこ、いつでも自由に使っていいよ。工房の裏に、屋根はないけど大きい作業台もあるから、良かったらそっちででも」


 ダグ小父さんのお許しが出てありがたい。親父もお袋も、俺が家にいると何かと俺に用事を言いつけて時間を奪いに来るからな。俺が家にいるのは、親父やお袋の用事をこなすためじゃねえんだぞ。おかげでせっかくの内職仕事が駄目になったこともあるし。


「ありがとうございます、でも今日は術式陣モジュールのこと調べたくて学校に行くつもりなんで」

「そうかい、なら行っといで。工房の方は俺がいないときでも使えるよう、母ちゃんとクーにも言っとくから」


 つー感じでダグ小父さんへの用は済んだんで、俺はそのまま商店街へ向かった。普段の買い物にゃまだ早い時間だけど、駅に近い土産物屋はぼちぼち開いてる。


 地元はそこそこ都会に近くて便利な田舎町だけど、実は全国でも知られた旧国教の寺院がある旧神領だ。戦後、旧国教が「国の宗教」じゃなくなったとは言え、今でもそれなりに参拝者はやってくるんで、そう言った連中が顧客ターゲットの観光の町なのだ。

 司書さんへの差し入れは、うーん……これでいいかな、地元の定番銘菓『オグナの王子の東征饅頭まんじゅう』。小豆じゃなく白あんの豆に卵の黄身を混ぜた特製餡を、少し甘みのある茶色の皮で包んだ、そのまま食べても甘すぎんしお茶にも珈琲にも酒にも合う、参拝者に一番人気のお茶請けだ。司書さんの好みも分からんし、これなら間違えねえだろ。


 よし、時間もちょうどいいし、後は駅馬車に乗って学校へ行くだけ。乗合馬車ならともかく、駅馬車に乗るのは何年振りだろ。


 あ、乗合馬車は町内の決まった路線を循環する馬車で、駅馬車は町から町へ決められた長距離路線を走る馬車のことな。駅はどっちの馬車も乗降できるし、どっちか片方しかない町も珍しかねえから、よく混同されるけど。

 路線を持たず乗降場所を問わん流しの馬車、辻馬車タクシーも、客がおらんときゃ駅前広場に溜まるから、駅近くに来りゃ、運賃が支払える限り大抵の場所にゃ行ける。

 これが路線から外れたド田舎だと、辻馬車すら滅多になくて、生活物資を運ぶ荷馬車に相乗りするとか、ある程度の都会まで徒歩なり何なりで行くしかねえとかだから、適度に便利な田舎ってありがてえ。


 商店街の通りを駅前広場へ向かや、遠く蹄鉄ていてつがカッポカッポと石畳を踏む調子のいいリズミカルな足音が響いてくる。そのまま音の聞こえる方へ抜けると、目の前に広がる駅前広場で、若いきゅう務員さんが手綱を握って馬を一頭ずつ歩かせてた。馬車を引く馬を交代させるのに備えて、準備運動ウォームアップしてんだろう。

 そりゃ馬だって生き物だから無限に働ける訳じゃねえ。駅ごとに馬を交代リレーして、次の馬車が来るまで馬を休ませるのだ。だから始発朝イチの馬車じゃねえ限り準備運動は必須じゃねえんだけど、もうだいぶ寒くなったからな。馬も駅舎で待ってる何人かも息がうっすら白く染まってる。

 俺も駅舎の待合所に入って、しばらく馬の歩くのを眺めてたけど、準備運動が終わった馬を厩舎に入れるトコで、初老の厩務員さんが厩舎で待ち構えているのに気づいた。と、その老厩務員さんと目が合う。


「お、久しぶり。馬車でお出かけたぁ珍しいじゃねぇか」


 声と喋り方を聴いて分かった。魔技手学校時代に毎日乗ってたお陰で、顔馴染みになった厩務員さんだ。うーわ、老けたなぁ。あれから三十年近く経ってるし、当然っちゃ当然か。あの頃はまだ新婚で、可愛らしい奥さんのことで他の常連客によく揶揄からかわれてたっけ。

 学校を卒業してからは、たまーに馬車に乗るときチラッと見かける程度で、ほとんど顔を合わせることも話すこともなくなったけど、こっちが分からんのに向こうはすぐ分かる辺り、お袋の言う通り、俺の見た目が中等部の頃からほとんど変わらんせいなんだろうなぁ。


「この時間ってこたぁ駅馬車か?」

「ちょっと用事があって、久々の学校すよ。この路線に乗るのも何年ぶりかな」

「遠慮しねぇで、学校行く以外でももっと乗っていいんだぜ。何なら乗合馬車の方ででもよ」


 とか言いながら厩務員さんは馬の世話に戻った。

 昔聞いた話だけど、馬車馬を常時世話する必要があるから、厩務員は一家で駅舎に住み、大抵は世襲せしゅうで厩務員になるそうだ。だからもう一人の若い厩務員さんは息子さんかな、似とらんけど。たまに手伝いとか修行とかで他所から人が入ることもあるみてえだから、ただのお弟子さんって可能性もあるけどね。


 と、チリチリチリと刻むように鈴の音が響いた。馬車の到着を知らせる魔技機械アーティファクトの鈴だ。通りを見ると、薄い朝もやの向こうにそれらしい大きな影と蹄鉄の音が近づいてた。


「お客さーん、早く起きねぇと乗り損ないますぜぇ」


 駅舎の奥で厩務員さんの声が響く。……何処となく声が若いけど、もしかして息子さんの方? 声も喋り方もお父さんそっくりだなぁ。ちなみに厩務員さんが客を起こしてるのは、駅舎が素泊まり食事なしの宿屋も兼ねてるからだ。出入り自由な待合所の長椅子で寝る酔っ払いもいるけど、そう言うのはこの時間だと流石に追い払われてる。


 兼ねてると言やもうひとつ、駅馬車は手紙も運ぶんで、駅は手紙の預り所でもある。前払いで手紙を預かると、送り先に応じて手紙を分けて束にして駅馬車に乗せんだけど、これは厩務員が片手間で出来る作業じゃねえんで、手紙を扱う専門の人、書信番の仕事だ。

 近づく駅馬車を眺めてると待合室の奥、手紙の預り所から書信番さんが紙束を二つ下げて、いい塩梅タイミングで出てきた。そして計ったように、駅馬車が定位置に止まる瞬間にその横に立つ。今日の書信番さんは俺より年下っぽいけど熟練者ベテランなのかな、効率の極みで美しい。


 馬車が止まると、馭者台ドライバーシートにいた二人の馭者ドライバーさんのうち、片方がすぐ馭者台から降りて後部に回った。折り畳まれた昇降用の踏み台を展開し、車体コーチ後ろの両開き扉を開けて、降りるお客さんから料金を徴収しつつ、荷物を降ろすのを手伝ってる。

 馭者台に残った馭者さんは、座席下の扉を開け「西ヘッツ」の赤札が付いた紙束を書信番さんに渡し、書信番さんは代わりに送る方の白札付きの紙束二つを馭者台へ上げる。馭者さんは受け取った二つの紙束を座席下の扉へ突っ込んだ。


 一方、厩務員さん達は馬の交代作業中だ。馬の頭数は路線や馬車の大きさにもよるけど、この駅馬車は四頭立て。頭数が多いと交代にも手間取るモンだけど、そこは馬たちも厩務員さんたちも慣れたモンで、手際よく馬車から馬具ハーネスを外し、曳いてきた馬たちを駅の裏口へ引っ張ってく。そして手紙の預り作業が終わった馭者さんと厩務員さんとが、待ってた馬を誘導して馬車の前に立たせ、手早く馬具を馬車に取り付けてる。


 ちなみに俺は、降りるお客さんと、先に駅に来てたお客さんが乗るのを待って、列に並んでる最中だ。いつもならすぐ乗れるのに、今日に限ってお客さんの乗降に時間がかかってるのは、降りるお客さんにお歳いった方が結構いらっしゃるせいだろう。待ってるお年寄り方と合流してるから、どうも団体さんっぽい。

 たぶん旧国教の寺院への参拝者だけど、あんないっぱい荷物持って、しかも手伝ってる馭者さんが結構重そうに降ろしてるし、何が入ってるのやら。お袋もだけど、小母ちゃんたちがやたら重い荷物持ち歩くのって謎だよな。


「他に降りるお客様は? ではご乗車のお客様、お待たせしました」


 乗車を待ってた列が進み始めた。乗降口は車体の後ろで、高さもそこそこあるから、乗り降りにゃ昇降台が欠かせん。

 この昇降台、誰が考えたのか折り畳み式で、畳むと後部扉の留め具にもなる優れモンだ。昔は箱の台を車体側面に引っ掛けてたらしいけど、落としたり、出発するときに忘れたりするんで、今じゃ全部この形式になったそうだ。


 車内は左右の側壁沿いに長椅子ロングシートが備え付けられてて、乗客はそこに向かい合わせに座る。席数は八席だけど詰めりゃ十人は座れるし、中央の廊下部分にゃもっと乗れる。しかも王都から離れた田舎の県の駅馬車にしちゃ豪華な屋根付き車体、普段は乗せんけど、年末年始にゃ屋根の上にも客を乗せられる程丈夫だ。それでも運び切れんくらい、参拝客が来るけどな。

 最後尾の俺が着席したのを確認して、乗降を手伝ってた馭者さんが外から扉を閉める。がちゃん、と留め具が落ちる音が聞こえた後、馭者さんが前方の馭者台へ走って乗り込むのが窓から見えた。


「出発!」


 カララン、と厩務員さんが合図の鐘を鳴らし、馬車が動き始めた。カッポカッポと蹄鉄が石畳を踏む音が一定の調子リズムを刻んで、転寝うたたねしそうな程心地良い。昨日一昨日と寝るのが遅かったし、到着まで一時間半だし、今のうちに少し寝とくかな。


 ……目をつぶるとその分、音がよく聞こえるから、自然と耳を傾けちまうな。車輪の回る音、馬の足音、他の乗客の話し声。


「駅馬車って初めてだったけど、座り心地もすごくいいし、思ってたより全然揺れないのね」


 如何いかにも駅馬車に乗り慣れん人の感想だな。長時間乗る客も多い駅馬車は、椅子は背もたれも座面も緩衝材クッション張りの豪華仕様だし、車体の揺れを抑える発条バネに魔技が仕込まれてて、乗合馬車よりはずっと快適に乗り続けることが出来るのだ。


 やがてチリチリチリ、と車内に鈴の音が響いた。到着を知らせる魔技機械アーティファクトの鈴は車内と駅とに下げられてて連動してるから、近づくだけで自動的に鳴り出すのだ。


「間もなくアリエ駅に到着します。お降りの方はご準備をお願いします」


 ……あれ、いつの間に。俺、クーガでもニイグンでも発着に気付かんくらいマジ寝してた? 駅馬車乗るの久々だからかな、それともやっぱ、ここ最近のごたごたで神経疲れてんのかな。ま、寝過ごさず起きられただけでも上出来だ。

 背嚢を確認して俺は、云十年ぶりにアリエ駅に降り立っ……あ、運賃払わにゃ、財布財布。学生時代と違って今日は定期乗車証じゃねえんだぞ。危ねえ危ねえ。


「またのご利用をお待ちしております」


 つー訳で改めて……俺は、云十年ぶりにアリエ駅に降り立った。駅の外壁が綺麗になってんな、塗り替えたのか。

 駅の正面、太陽を背に眺めりゃ記憶の通り、商店が立ち並ぶ大通りの突き当たりに、寺院の青い屋根瓦と大門が見える。懐かしの母校は、あの寺院の裏手だ。変わらんなぁ。


 一方で大通りの両脇に立ち並ぶ店は結構変わってる。古道具屋が大きな知らん店に建て替わって綺麗になってたり、酒屋が空き地になってたり、同級生が通ってた食堂がそのまま残ってたり。流石に昼飯にゃ早いから、開いてる店は半分くらいかな。んな目新しさと懐かしさが混在する門前町の大通りを避け、俺は通学路だった裏道へ入り、遠く見える青い屋根瓦を目印によく知った道を南西へ下った。


 流石に三十年近く経ってるから、通学路も随分と綺麗になったけど、変わらんモンもある。校門までの距離だ。

 地元の寺院は専用の乗合馬車が出るくらい駅から離れてるけど、ここアリエの寺院は駅から大門まで一直線、徒歩で十分程の距離にある。大門の奥が寺院の敷地で、その裏手にさっきも言った通り学校がある。

 学校が神職の養成所だった頃は敷地も寺院と一つだったそうだけど、今じゃ寺院を通り抜けられんから、学校に入るにゃ寺院の外から回り込まにゃいかん。そして校門は駅から離れた奥手、学生向けの下宿が集まる住宅街側にあった。その距離、駅から徒歩三十分。

 否、別に徒歩三十分が苦痛って訳じゃねえ。その前に駅馬車で一時間半の道程があるってだけだ。


 駅から寺院の外周に沿って歩きゃ、柵の向こうに運動場と校舎が見えてくる。あれから三十年近く経ってるから、流石に壁とか古びて汚れたり植木が伸びたりしてるけど、印象は昔と変わっとらんで懐かしい。

 でも目の前に見えながら、中にゃ入れん。校門までが遠い。そりゃ生徒も“近道”すんだろ。ほらだって、“近道”すりゃ駅前の商店街まで十分だぞ。中等部や高等部の生徒とか十代の子供だぞ。「魔技手は精鋭エリート」って言われるし、世間からは真面目な連中って思われてるけど、多かれ少なかれ誰だってするお年頃だろ?


 十分ちょい歩いてようやく、中等部の校門が見えてきた。一応、敷地は中等部、高等部、大学部で分かれてて、それぞれに校門があるけど、その真ん中に図書館とかの共用棟があるから行き来は割と自由で、中等部の生徒が「大学部の敷地に入ったから遅刻じゃない」っつー感じで言い訳すんのも日常茶飯事だ。

 柵の向こう、実習棟の方からは、ざわめく声と時折おおぅ(感嘆)とかキャー(悲鳴)とか聞こえてくるけど、たぶん元素学の実技かな。木火土金水の元素を操る魔技は見た目が派手で人気科目だからな。あ、今何か雷鳴がしたぞ。担当の先生が見てるだろうから大丈夫だと思うけど。


 これがアリエ魔技手学校。俺と兄貴の母校。魔技を学ぶなら県内一の歴史と資料と人材と実績を誇る場所だ。


 校門をくぐると、あれ、見たことねえ石碑が立ってんぞ……創立百周年記念碑? ああそうか、俺は九十……何期生だったっけ、とにかく百周年に片手の指で足りんくらいだった。高等部に進学できてたら、在学中に創立百周年を迎えたはずだ。

 確か参加自由フリーな百周年記念式典の招待状が我が家にも来たけど、俺は参加せんかった。初歩の魔技もろくに使えんまま中等部を卒業した俺にゃ、まだ知った顔がいる学校にゃ顔を出しづらかったからな。

 でも四十路を過ぎた今、元同級生とか在籍してても数人だろうし、何より今日の目的は図書館だ、授業時間中なら鉢合わせる確率はかなり低いはず。それでもなるべく人と会わんよう、懐かしの校舎を横目に、教室側から見えづらい通路を選んで共用棟へ向かった。

 ほら、あの柵の向こうの建物が共用棟だ。術式陣モジュールで結界が張られてて、一般人は許可がねえと入れん。在校生なら学年襟章ピンバッジを付けてりゃ素通り出来るけど、中等部、高等部、大学部のそれぞれの出入口に門番もいるし、強行突破は難しいぞ。つーことで、俺は身分証を出して門番に声をかけた。


「すいません、図書館を使いたいんすけど」

「見ない顔だね。え、卒業生? 身分証だけじゃ駄目だよ、利用許可証がないと。ないなら一時利用申請書を書いて出せばいいよ。書類は事務室にあるから、身元保証人の欄のとこ、正規の魔技手……卒業生なら知り合いの教職員か研究員かいるでしょ、誰かに書いてもらっておいで」


 ぁー……書類を書くのはいいとして、身元保証人……いるかなぁ。中等部時代の先生は職員室に行かんと分からんけど、年齢的にほぼほぼ定年のはずだし……高等部や大学部に知り合いはおらん。仮に同級生がいたとしても、出来りゃ顔は合わせたかねえし、卒業以来三十年近く連絡も付き合いもねえ奴の身元保証人になってくれるとも思えん。

 ……どうしよう。んなトコで手詰まりになるとかさ。

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