二.編み笠ウサギ
何にしても、あんまし勝手に話を進められても俺が困るんで、ダグ
「でも小父さん、仕事が貰えんのはありがてえんだけど、俺が修復できんかも、とか思わんかったん?」
「そのときはマーちゃんがいるでしょ。今王都だっけ? だから直接修理は出来ないにしても、ヨーちゃんが困ったら助けてくれるでしょ?」
いやー兄貴はんな甘かねえよ。教えてったら教えてくれんのは間違えねえけど、よく分からんからって代わりに修復してくれたりは絶対ねえ。お前が引き受けたんだからお前が最後まで責任持ってやれって、まー当たり前っちゃ当たり前のことだけど、そう言う人だ。
何の確認もせず勝手に決めて押し付けてくる連中に比べたら、相当
「兄貴も忙しいみてえだから、期待は出来んかな。今なんか大きな案件抱えてるみてえだし」
こないだ遠話したとき、あんま詳しいこた言えんけどって前置きして、んなこと言ってた。親父もお袋もいい歳だから、兄貴とは定期的に遠話して近況報告してるのだ。
「そうか、マーちゃんもマーちゃんの仕事があるもんな。あれなら今度帰ってきたとき、うちにも顔出すよう言っといてよ。俺もたまにはマーちゃんと話したいから」
「ん、伝えとく」
つー感じで話してると、俺が来た道、大通りの商店街の方向にエマ
「ただいま。ヨーちゃん来てたんだ、久しぶり。あ、今からお昼の用意するけどヨーちゃんどうする? 食べてく?」
「あー……弁当あるから」
回り灯籠を調べるときに置いた
「それじゃ、うちでお弁当食べてきなよ。貸してごらん、一緒に温めてあげるから」
すると俺より先にダグ小父さんが背嚢を開けて、中の弁当をひょいとエマ小母さんに渡した。ええ……
呆然としてる間にエマ小母さんは、山盛りの買い物の荷物と一緒に器用に弁当箱を持って台所へ消え、ダグ小父さんは
「お昼まで暇だろ? 俺は工房で仕事してるから、ヨーちゃん店番頼んでいいかい? クーが帰ってくるまでで良いからさ」
と言いつつ奥の工房へ引っ込んだ。ええ……だから俺、修復するとも店番するとも言っとらんのに……
でも、否とも言えんかった。弁当箱が人質にされてるのだ。否、人じゃねえから人質ってのは変だな。とにかく、弁当箱が戻ってくるまでは家に帰れん。じゃねえと帰ってお袋に何て言われるか。
店番、ってか接客が出来んとは俺も言わん。若え頃から接客の仕事もそれなりにやったことがあるし、常連さんと顔馴染みになりゃ雑談なんかも出来なかねえ。でも知らん人は相変わらず怖くて、その怖さに慣れることなんぞ全くなかった。なんで知らん人が怖いん?と聞かれても分からん。むしろこっちが、なんで知らん人が平気なん?と聞きたいくれえだ。とにかく怖えモンは怖えし、だから接客なんぞ嫌で嫌で仕様がねえ。俺にゃ好き好んで針山に全身突っ込むような
もっとも、ダグ小父さんの工房にゃ、幸いなことにあれから他の客は来んかった。否、客商売だから客が来んのを幸いって言っちゃ駄目なのは分かってるけど、この仕事は元々、店員が客先に出向いて、壊れた物があったら預かって修理する
とにかく回り灯籠を修復するにゃ、元の
調べた
長期保存する書類ならともかく、こう言う長く残さん
この羽ペンは魔技手学生時代から三十年近く使ってる、魔技の触媒も兼ねた
しかし、写した静画を拡大したら、これかなり細かい
それに
こりゃ元々の
調べた結果、とりあえず部分的に似たような
これ光画板で調べるのは限界かな。情報庫は比較的最近、光画板が普及し始めたのと前後して新設されたモンで、まだまだ情報化されとらん
だとしたら、後は物理の紙の本で探すしかねえか……一応、探す当てはねえこともねえけど。我が母校の図書館だ。
そうこうしてるうちにエマ小母さんが
「ヨーちゃん、お昼にしようか」
声をかけてきたんで、ダグ小父さんと一緒に食卓に着く。しかし、昼食の用意をされた席はひとつ空いたままだ。
「クーの奴遅いな……ヨーちゃん、時間ないなら先に食べてていいよ」
ダグ小父さんが言ってくれたんで、遠慮なく、温めてもらった弁当とエマ小母さんが作ったおかずを食べた後は、そのまま真っ直ぐ家に帰った。
調べにゃいかんことは山程あるけど、まずは
「ただいま」
「あら、今日は早いのね、ヨー」
本日仕事休みのお袋は、台所で洗い物をしてた。たぶん昼飯の後片付けかな。
「母さん、俺の魔技手学校の教本、何処?」
「お兄ちゃんの部屋の何処かに置いてるはずだから、自分で探しなさい」
「へいへい」
紙が安かねえとは言え、三十年近く前の教本を
でもお袋は物が捨てられん
おかげで家の中は部屋の隅から廊下からお袋が作った荷物の山だらけで、普段は足の踏み場もなく邪魔で仕様がねえけど、こう言うときにゃありがたい。こう言うときは滅多にねえけど。俺はお袋の倉庫になって久しい、兄貴の部屋の扉を開けた。
「うわぁ……」
うん、予想はしてたけど、お母さま、俺がしばらく見らんかった間に、また荷物増やしてません?
扉を開けてすぐの足元にゃ、お袋が出かけるときに使う買い物籠や手提げ袋が中身入りで幾つも放置されている。仕事用、買い物用、友達と出かけるとき用ってな感じで、用事や行き先に応じた中身を予め入れといて、家を出る前に持っていく袋を選ぶだけにしてあるのだ。
その籠や袋の向こう、部屋の九割は、両手で抱えられる野菜箱程の箱が床から胸の辺りまで、それこそ野菜箱みてえに山積みされてた。向こう側が見えてるのに
他の部屋も似たようなモンだけど、一つだけ違うのは、お袋の“通り道”の有無だ。廊下やお袋が奥まで行く部屋にゃ一人がギリ通れる“道”があるけど、兄貴の部屋はお袋が奥まで入らんから、入口のすぐ近くまで箱でぎっしり埋まってる。
そうした箱のひとつひとつに“布”だの“毛糸”だの“古着”だの、“子犬人形の材料”だの“女の子人形の材料”だの“手提げ袋の材料”だの“
本棚は部屋の一番奥に見えてるけど、下半分は当然荷物に埋まってて、入り口から見ただけじゃ何の本が何処に置かれてるか分かりようもねえ。しかも、もし本棚になかったら、この箱の山から、何処かに埋もれてるだろう俺の名前と“教本”って書いてある箱を探さにゃいかんくなる。兄貴の机も
お目当ての教本が何処にあるとしても、まず箱を
……母校の図書館で初等教本探した方が早い気がしてきた。でも流石に、それだと校外へ持ち出すことは出来ん。現役の学生じゃねえかんな。
はぁ……前途は多難だ。中身の分からん箱が詰まった部屋で、探し始める前から途方に暮れてると、ちょうど廊下を通りかかったお袋が
「そうだ、ヨー」
「何」
「箱、動かしてもいいけど、ちゃんと元通りに積み直しといてね。分かるようにちゃんと整理して置いてるんだから」
……え。この箱の積み方、なんか規則性あんの!?
「じゃ、お母さん昼寝するから、静かにやんなさい」
言うだけ言ってお袋は自分の部屋へ引っ込んだ。
なんか、ただでさえ絶望的な状況に追い打ちをかけられちまったな。部屋の中に箱を退かせる空間はねえから、廊下に運び出さんといかんけど、親父が帰ってくるまでに教本見つけて元通りに積み直せる気はせん。親父が荷物の箱の山見たら、また晩飯食いながら愚痴と説教が始まんだろが……はぁ……気が重い……
しかし溜息を
足元の袋を全部廊下に出したんで、改めて積まれた箱の側面に書かれた中身を、見える分だけでも確認したけど、どうやら手前の箱は家族の衣服とお袋の趣味の手芸材料だけっぽかった。しっかし、今じゃほとんど帰省せん兄貴の服まで
否、兄貴の服はともかく、今は教本を探さんと。とりあえず積まれた箱の中身を確認しつつ箱を退かして、奥の本棚までのルートを開拓すんのが最善か。
ざっと見た感じ、手前の方に置いてある奴は箱も中身も新しそうだ。となると三十年近く前に使ったっきりの教本は本棚か、箱詰めされてるとしても、置き場所はかなり奥の方のはず。
そもそも、兄貴が部屋を使わんくなったのは、魔技手学校を卒業して王都に就職したからで、入れ違いで俺が魔技手学校に入学した年でもある。俺が卒業するまでは、兄貴もちょくちょく帰省してたから、当時はまだ兄貴がいた頃の状態を保ってた。もう三十年近く前の話だ。
兄貴の部屋がお袋の倉庫になり始めたのはその後、兄貴が王都での暮らしに慣れて段々帰省しなくなったのと、親父が邪魔な荷物をいい加減処分しろってお袋に
荷物はそのうち整理して減らす、減らすから今はとりあえずここにって言いつつ兄貴の部屋に押し込んで、それから今日まで荷物を入れるトコは見るけど減らすトコは見たことねえ。そして空いた部屋の隅や廊下の壁沿いに、別の新しい荷物を置き始めて、気付いたら片付ける前より高く山積みになってた。そこに何もねえことが我慢できんみてえに。
俺が子供の頃は大した荷物もなかった我が家だったけど、似たようなことを過去何度も繰り返した結果、壁は何処も頭上の高さに親父が作った棚だらけで、親父はともかく、背の低いお袋や俺にゃ何が何処に置いてるのか
つー訳で我が家は、俺の部屋と食卓と便所以外は胸くれえの高さに積まれた荷物だらけで一人がギリ通れる幅しか空いとらん。玄関ですら、下駄箱の中に靴以外のいろんなモンが詰まってるし、下駄箱の上にゃお袋の手芸の成果が時々落っこちる程度に溢れてる。勝手口の前なんか兄貴の部屋と同じく完全に塞がってるけど、勝手口を使わんから荷物を積んだのか、荷物を積んだから勝手口が通れなくなったのかは定かじゃねえ。
俺の部屋は俺の部屋で散らかってるからあんま人のことは言えんが、ほぼ趣味の本と趣味の
それと親父も頼むからいい加減学習して諦めてくれ。お袋に荷物を片付けさせるたび、片付けた先に荷物残したまま、片付け前の場所に前以上の荷物が置かれるってさ。単純に荷物が倍以上に増えてんぞ。払下げでもう自前の家になってるからいいけど、借家のままだったら普通、後付けの棚とか退去するときに外さにゃいかんぞ。
……いかんいかん、考えに
よし、と意を決して箱の上の雑貨を退かし、目の前の箱をいざ持ち上げようとしたら……思ったよか遥かに重かった。この箱、中身“親父の下着”じゃねえん? 何を入れたら“親父の下着”がこんなに重くなんの? それにんな重い箱、よくこの高さに積めたな……腰で受け止めりゃ下ろせんことはねえけど、この高さまで持ち上げるの結構大変だぞ? ま、お袋の腕力も並みの男以上だけど……
戻すときのことを考えると嫌んなるけど、どのみち教本を探すにゃこの箱の山を退かさんと話にならん。ここは仕事で培った荷降ろし
と言っても大したことやる訳じゃねえ。箱同士の隙間に指を突っ込んで、少しずつ箱を引っ張り出し、
しかし箱を持ったまま振り向ける程の空間は、今のこの部屋にゃなかった。このまま
「あ、そうだ」
部屋の前まで来たついでに、石盤を取ってこよう。お袋の荷物を積む順番を
石盤二枚と白墨、書き間違えたときのため白墨を消す小さな雑巾を引っ張り出し、石盤の片方に廊下の見取り図を、もう片方に兄貴の部屋を想定した枠を描いた。兄貴の部屋の方は、上から見たときの箱のおおよその位置を区切り、今しがた出した箱のあった位置に印を書き込む。続いて廊下の見取り図、今置いた箱の位置を書き足し、同じ印を書き込んだ。
何をしてるかっつーと、縦に積まれた箱の、動かす前の位置と動かした後の位置を覚書ってるのだ。動かす前にABCと縦に積まれてた箱を、動かした先でCBAと逆順に縦に積む。戻す時は、これを逆の手順でやりゃいいだけ。後は動かす前と動かした後の箱の位置を間違えなきゃいい。馬鹿正直に箱の表記を全部書ける程大きい石盤じゃねえし、白墨で細い字を書くのは難しいからな。
これで箱を元通りの位置に戻す目途も立ったし、さっさと教本の
結局目当ての箱を探し当てたのは、親父が仕事から帰ってきて晩飯を食った後、夜もかなり遅い時間だった。
案の定、親父は帰ってきたとき廊下に積んだ箱を見たせいで、飯を食いながら愚痴愚痴言いだしたけど、そんなん真面に聞いてたら余計に終わらんわ。さっさと飯を食って「あの箱片付けるから」っつって親父の説教から抜け出した。
お袋は延々、親父の愚痴と説教に付き合わされてるけど自業自得だ、俺は知らん。どうせそのうち親父のおらんトコで「言われなくても分かってる」だの「洗い物が片付かない」だの俺に愚痴ってくんだろけど。つー訳で俺はひたすら、部屋に積まれた箱の表記を確かめ、目当ての箱じゃねえ奴を部屋から運び出した。
あの後“親父の下着”の奥の箱を見たら、予想通り中身が古かったんで、まずは本棚へ向かって真っすぐ掘り進んだ。勿論、両脇の箱に教本が入ってるかの確認は怠らん。
箱は本当に、指を入れるのがやっとくれえに隙間なくみっちり詰まってて、一箱分退かすだけじゃ奥の方の箱は抱えることも出来んかった。幅方向のもう一箱分を退かしたら、流石にだいぶ楽になったけど、その分、掘り進むのも時間がかかった。
本棚に教本を見つけられんかった後は、本棚のある壁に沿ってL字に部屋の奥へ掘り進んだ。それでも見つからんで、掘った箱を戻した――先に戻さんと、隣の列の手を付けとらん箱が崩れ落ちそうだった――トコで晩飯の時間になったんで、親父の愚痴を流してアレコレ考えながら飯を食ってた。奥まったトコに初等生の頃の荷物があったから、魔技手学校の荷物も近くにあると思ったのに、見つからんかったんよな。
飯の後、本棚の壁沿いにさっき掘ったのとは逆方向、兄貴の机が埋まってる方へ掘り進んだら、それが当たりだった。兄貴の机の上にあった箱二つに、お目当ての魔技手学校の教本が詰まってた。兄貴のと俺のとだ。俺の箱をなんとか引っ張り出した後、掘った箱を元の位置へ戻してたら、もう真夜中を過ぎてた。昼過ぎからずっと運んでたから、日雇いの荷運びよかよっぽど働いてるぞ。日給出らんのに。
それに、まだ“たぶん
でも今日はもう寝よう。たぶん大して金にならんだろうことで、こんなに疲れることせにゃいかんとか、貧乏くじにも程がある。ま、明日仕事がねえことだけが救いかな。ダグ小父さんのトコに行かにゃいかんけど。ぁー、本当、なんで俺んなことしてんだろ……
ちなみに、どうでもいいことだと思うけど、お袋の言ってた「分かるように整理してある」箱の積み方の規則性は、結局よく分からんままだった。
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