一.ニンジンころりん

 何かキッカケがあったのかは覚えとらん。でも物心付いた頃にゃ俺はもう、魔技手になりてえと思ってた。


 皆知ってるとは思うけど、念のため「魔技手」について解説しとくと、物理法則を断片にバラし、そのバラした断片を組み換えることで、普通なら起こらん物理現象を意図して引き起こす技術「魔技」の使い手。今じゃ御伽噺おとぎばなしでしか聞かん、かつて魔法使いとか魔術師とか魔導士とか魔女とか呼ばれたたぐいの職業のことだ。


 ただ、「魔法使い」なら小さなお子様でも知ってる言葉だけど、「魔技手」ってのはもっと大きなの表現だ。よくよく考えたら当時の俺、何で魔技手っつー言葉知ってたんだろ。

 身近なトコで魔技手っつーと兄貴だけど、兄貴はどっちかっつーと子供の頃から絡繰からくり好きで、それを突き詰めたら偶々たまたま魔技にぶち当たっただけだし、第一、俺が魔技手になりてえと思ったのは、兄貴が絡繰に興味持つよかずっと前の話だ。

 つって親父もお袋も魔技に関しちゃド素人だし、俺の知る限り、幼馴染や親戚にも魔技に縁のある奴はおらんかったはず。


 ただしお袋いわく、祖父じいちゃんの兄弟に一人だけ魔技手になったのがいたとか。お袋が結婚する前に亡くなったらしいから俺はよく知らんけど、先の戦争でそこそこ戦功を挙げたとかで、戦後も傷痍しょうい軍人として亡くなるまで恩賞をもらってたらしい。

 傷痍軍人ってのは、軍の命令で戦争に行って、死なんかったけど戦えんくれえの重傷を負った人のこと。その祖父ちゃんの兄弟の場合、なんでも戦地で片目と片腕無くしたって話だからぞっとするけど、それで一生働かずに食っていけんなら、今の俺にゃちょっとうらやましくもある。


 っつーのも、去年の十月の……確か中頃だったか、日雇いで船の荷降ろしの仕事にありついたまでは良かったんだけど、酒瓶をひとつ割っちまったんだ。


 やっぱ俺に力仕事は向いとらん。軽く渡された酒瓶が、あんな重いとは思わんじゃん。本当は降ろした荷物の帳簿付けとかやりたかったけど、残念ながらそっちの仕事の募集は既に終わってた。そんとき「船の荷降ろしの仕事で良ければ、人手が足りないから、日雇いになるけどまだ募集してるよ」って言われて、ちょっとでもその仕事の伝手コネになりゃと思って妥協して受けたんだけど、それが悪かった。

 普通の酒だったらそこまで言わりゃしねえんだけど、は年末商戦に向けて見本品サンプルとして仕入れたとかで、結構稀少レアな酒だったらしく、弁償で賃金は徴収パー。「足りない分を請求しないだけ良かったと思いな」と来たモンだ。噂の広がるのも早かったらしく、翌日口入屋に行くと、当分仕事の口利きは出来んと言われちまった。「半年経って皆が忘れたらまたおいで」だとさ。


 これはマズい。非常にマズい。これから年末の稼ぎ時だってのに。一応、口入屋を介さず直接その仕事場で雇ってもらう手もなかねえけど、俺の場合、大抵はろくなことにならん。

 早いトコなら十月半ばにゃ、もう年末に向けて臨時雇いアルバイトを募集し始めるくれえで、募集の数そのものは多いんだ。何しろ地元は年末年始の参拝客が特に多い観光地だかんな。

 しかし業務内容は大抵、俺が死ぬ程駄目な接客だ。知らん人間が怖くて仕様がねえのに、途切れることなく引っ切り無しに押し掛ける怖い連中に向かって、無理やり笑顔作って対応せにゃいかんとか、感覚が麻痺して本っっっっっ気で気が変になるぞ。

 実際、前に年末の裏方仕事にありついたと思ったら、裏方は人手が余ってるからって接客に回されて、金がなかったし他の仕事を探すにも遅かったから仕様がなくそのまま一ヶ月働いたけど、それから半年くれえ不眠と吐き気にさいなまれた。いつも裏方の仕事で面接に行くのに、大抵んトコで何故か、人手が足りんから接客やらない?って言われるし、裏方で雇ってもらったはずなのに、何故かあれこれ理由付けて接客に回されんだよ。他の誰かが接客に回されるトコとか見たことねえぞ。もしかしてそういう呪いか?って思いたくなるくれえだ。

 これが口入屋経由だと、裏方募集しといて接客に回したら「話が違う」って苦情クレームになって雇った側の信用が落ちるから、募集と違う業種に回されたりは絶対にせん。つまり、この時季に接客業を避けるための大事な後ろ盾を失うのは、俺にとって相当痛いのだ。


 こんなとき魔技が使えたら……いや、そもそもちゃんと魔技が使えるなら日雇い人夫フリーターなんぞやっとらんな。何しろ魔技手は引く手数多あまたの技術職だ。


 これでも魔技手学校に通って、基礎だけは履修したんだ。もう三十年近く前の話だけど。

 自分で言うのも何だけど、当時の座学の成績は平均すりゃ学年でも中の上くれえ。自惚うぬぼれていいんだったら、科目によっちゃ上の下から上の中くれえはイってたと思う。でも実践が全く駄目だった。呪文を唱えても、炎はおこせず、水はべず、風はぎ、土は崩れた。魔技薬はただの煮物で、魔技薬ならではの不可思議は微塵みじんも起きんかった。

 杖が駄目なのかと思って何本か変えたけど、どれも同じだった。先生に付き添ってもらって中等課程や高等課程で習うような強力な呪文を試したり、効果を増幅する術式陣モジュールなんかを併用したりもしたけど、目に見えるような違いはなかった。

 入学して何ヶ月かで魔技の資質に目覚め能力がメキメキ伸びてく同級生と違って、俺の能力はいつまで経っても底辺だった。毎日あんなに訓練してんのに最終学年の最終学期まで底辺なのは流石に変だろ、と悩んだ末に精密検査をした結果、持てる魔力量最大MP皆無ゼロ、と分かった。魔技を使うとき自前の魔力じゃなく、精霊に頼んだり土地の魔力を借りる方法もあんだけど、精霊に呼びかけても魔力がなさ過ぎて気付いて貰えず、土地の魔力を借りてもそれを一時的にすら保持できん、かなり珍しい体質だと言われた。例えるなら、握った拳の手の甲側で水をすくうようなモン、なんだそうだ。


 端的に言や、俺にゃ魔技に必要不可欠な素質がなかった。


 誰だって一生に一度は、自分が世界でも珍しい特別すげえ人間だったらって想像すると思うんだけど、俺、んな駄目な方向で珍しい特別な人間になりたかなかったよ。


 でも、そう言うこったから諦めるしかなかった。もっと早く分かってたら最初から別の道を選べたのに。他の連中みてえに、訓練すりゃ資質に目覚めて魔技が使えるようになる、と思ってたのに。そのために、子供の頃から勉強も頑張ったのに。

 何しろ魔技手学校は合格率十五パーセント程の狭き門。国の技術官僚テクノクラートも夢じゃねえ精鋭エリート中の精鋭だ。現に兄貴も、歴史に名前は残らんにしても国の社会基盤インフラに関わる仕事をしてて、例え家族でも一般市民にゃ口外できんことも多いらしい。

 でも俺は、んな精鋭になれんことが確約しちまった。精鋭どころか、初心者がちょっと勉強すりゃ使える魔技も、碌に使えんかんな。だから中等部で初等課程だけ修めて(ちょっとややこしいけど、専門学科の初等課程は、一般学科の中等課程に相当するのだ)、高等部への進学は諦めた。単に親父があの頃馬鹿やって借金してたせいでもあるけどな。もっとも魔技手学校に限らず、高等部や高等学校に進学する奴なんぞ半分くれえしかおらんから、そこは別に珍しかねえ。ただ聴講生でも良いから是非大学部にって話はあったんだけど、それって俺の体質が珍しいから実験動物にってことだろ!?

 結局俺は中等部卒業後、進学も就職もせんかった。魔技手は諦めたけど、他にやりたい事もなかったし、何をしたらいいかも分からんかった。将来魔技手になれんとか、あんときまで微塵みじんも考えたことなかったかんな。


 あ、俺も別に働くのが嫌って訳じゃねえぞ。ただ、何のために働くのかって言や、親父とお袋が働け働けってうるさいからってだけだ。金はねえよかある方がいいけど、そもそも俺にゃそうまでして生き続ける理由すらねえし。


 そんなんで、働く理由も生きる理由もねえまま俺は、日雇い人夫や農閑期の出稼ぎに混じって船の荷降ろしを手伝ったり、内職で土産物の木彫り人形に下塗り塗料を塗ったり、臨時の代官仕事の下請けで人別改を手伝ったり、新年の参拝で賑わう神殿の掃除を請け負ったり……って生活を、もう三十年近く続けてきた。でも働く目的も目指す将来もねえから、次への向上ステップアップに繋がることもなくて労働者としちゃずっと底辺のままだし、責任ある仕事を今更やりてえとも思わねえ。末っ子でいつも誰かにああしろこうしろ言われる人生だったから、誰かに言うこと聞かせるような能力もねえしな。


 やりてえことが見つからず空っぽのまま、いたずらに年を食うだけの生き方だったのは、自分でも分かってるつもりだ。


 だから俺としちゃ、また半年家に引き籠もってもいいんだけど、その間ずっと、お袋に口うるさく働け働けって言われんだろな。

 と言って、口入屋以外に働き口を利いてくれるような心当たりは全く無い。生まれたときからずっと地元だから顔見知りは多いけど、小一の同級生クラスメートだったあのくそ野郎のせいで、今でも友達どころかすれれ違うと目を逸らされるし。

 当然ながら結婚にも縁がねえから、金稼ぎは相方に任せて家事専業って訳にもいかん。

 仮に自力で仕事を探して、運よく働き口が見つかったとして、接客せずに済む可能性は限りなく低い。若い時なら我慢できても、四十過ぎてちょっとしたことでも体調崩しやすくなったし、不調からの回復能力が覿面てきめんに落ちたからな。

 勿論もちろん、この状況で“天職”に行き当たるような幸運も持ち合わせとらん。


 全ては八方塞がりだ。


 でも、ここで悩んでても仕様がねえし、とりあえず家に帰r……あ。今日はお袋が仕事休みだから、家にいるんだった。うわぁ……このまま真っ直ぐ家に帰ったら、仕事はどうした云々言われるのが目に見えてる。せっかく弁当作ってやったのにって言われても、俺から頼んだ訳じゃねえのに。親父の弁当のついでにしても、頼みもしねえことで文句言われるのはどう考えても理不尽だろ。


 あれこれ考えながらぶらぶらしてるうちに、商店街の方へ来ちゃったけど、よくよく考えるとお袋の知り合いが多すぎて悪手だったわ。お袋の働く食堂は、この商店街にある。お袋が買い物に来てる可能性があるし、そうじゃなくても姿を見られてお袋に密告チクられたら、お袋に今日の仕事が見つからんかったことが露見バレちまう。否、どうせバレるけど、毎日毎日愚痴ぐち愚痴言われても、俺にゃお袋の愚痴で浪費されるような無駄な時間はねえんだ。お袋だって親父の愚痴聞かされてんだから分かんだろ。

 でもここまで来てきびすを返すのも不自然だ。誤魔化すために路地に入って、この先にある空地で暇潰して昼頃に弁当食ってから家に帰るかなぁ、とか考えながら歩いてると、


「ヨーちゃーん」


 立ち並ぶ路地裏の店の一軒から声を掛けられた。そうだった、この路地にゃ、ダグ小父おじさんの修理工房があるんだった。

 ダグ小父さんは親父の兄、俺の伯父さんと同い年の幼馴染で、親父とも仲がよく、我が家も鍋とかの修理でよくお世話になってる。兄貴や俺のことも生まれたときから知ってるんで、まー近所の親戚みてえなモンだ。

 一瞬気づいとらん振りして無視スルーしようかとも思ったけど、下手に無視して、後々親父やお袋に「こないだヨーちゃんがね」とか密告チクられたらたまらん。渋々だったが振り向いた。


「小父さん」


 ここの修理工房は駄菓子屋にも似た作りで、手前側に買い取った廃品を修理した雑多な売り物の棚が並んでて、少し奥に会計台カウンター代わりの机と椅子が置いてある。その更に奥が修理のための工房スペースで、脇にゃ小父さん家族の住居へ続く通用口。玄関は裏にあるけど、店が開いてるときは誰かしら店番がいるんで、小父さんに用があるときは皆だいたい店の方に顔を出す。

 今日の店番は珍しくダグ小父さんで、椅子に腰かけてて、すぐそばに女の子が立ってた。十歳くれえかな、両手に何か小さな物を持ってて、たぶんそれの修理を頼みに来たんかな。


「ちょうど良かった。ヨーちゃんこれ、何処が壊れてるか分かるかい?」


 ダグ小父さんが指した机の上のは、回り灯籠どうろうだった。

 中に光源となる蝋燭ろうそくを置き、風防のため紙貼りの枠で覆った紙灯籠の一種で、回り灯籠の場合は枠が内外二重になってる。内枠の上面には風車が付いてて、中の蝋燭に火をともすとその熱で上昇気流が発生し、上面の風車が蝋燭に被せた内枠を自動で回す。この内枠に描かれた影絵が、外枠に映って動いてるように見える仕組みで、別名は走馬灯。

 それ自体は材料さえありゃ子供でも作れる代物だ。わざわざ修理工房に持ち込まれる理由が分からん。ただ、机の上にゃ外枠が見当たらんから、壊れたのは外枠っぽいんだけど、小父さんは持っとらんし、依頼者らしい女の子が持ってる何かはもっと小さくて、少なくとも風防の大きさじゃねえ。

 仮に子供にゃ作れんような凝った外枠だったとしても、親父の結婚前からこの仕事やってる小父さんなら修理できるはず。だいたい修理の専門家プロが壊れた箇所が分からんってド素人の俺に聞くのも変だよな。


 いぶかしみながら回り灯籠を上からのぞくと、枠に付けられた風車の隙間から、蝋燭の代わりに小さめの魔晶石が嵌め込まれてるのが見えた。ってことはこれ、魔技機械アーティファクトじゃん。成程なるほどね、これなら大人でも壊れたら修復してくれってなるわ。

 この嵌め込まれた魔晶石が蝋燭代わりの光源と熱源になって、内枠を回す仕組みだ。それなりに普及してるとは言え、魔晶石の明かりなんぞ、蝋燭より明るくちらつかんから、結構な贅沢ぜいたく品だぞ。

 ただしこう言うのは、魔晶石の魔力が尽きて交換するときになって、新品と大差ねえ値段に途方に暮れる羽目になる。何たって値段の九割方は魔晶石の値段だし。第一、魔技の光なら蝋燭と違って熱が出んのを、灯篭を回すためにわざわざ発熱させてんだ。その分魔晶石に蓄えられた魔力を消費して、魔晶石の寿命も短くなるんだから、贅沢品の中でも更に贅沢ってモンよ。

 でもこの回り灯籠、店が開いて間もねえ午前中の今でも分かる程の明るさでゆっくり回ってて、見た感じ壊れてるようにゃ思えん。と、女の子が手に持ってた何かを俺に差し出した。


「これ入れても何も見えないの!」


 は、木製の薄い円盤だった。十枚程ある。円盤と言っても縁が半周欠けてて、どうやら決まった向きに嵌め込む代物っぽい。車輪みてえに同じ形の穴が六つ開いてて、外輪リムスポークに当たる部分の裏表に術式紋モジュールが刻まれてる。魔技手学校の授業で使った円盤にも似てて、少し懐かしい。

 円盤の模様や穴は一枚一枚が異なり、焼き付けられた数字の横に小さく、『ウサギとハリネズミ』とか『ウサギの海渡り』とか『オグナの王子』とか、子供の字で書き付けてあった。書かれてるいくつかは、たぶん誰でも知ってるド定番の御伽噺の題名タイトルだ。でも『油断大敵』って何だろ? これも御伽噺の題名なん?


「入れる? これを? 何処に?」

「ここ!」


 女の子は回り灯籠の土台の側面にある、差込口スリットを指した。そんじゃ、と試しに『ウサギとハリネズミ』の円盤を入れてみたけど、目に見えて変わったトコはなく、魔晶石に照らされた内枠の影絵がゆっくりと回るだけ。裏表逆か?と思ってひっくり返して入れても、特に変化はなかった。


「ね、何も見えないでしょ。本当だったら、入れるとに書いてあるお話が見えるの!」


 と女の子が円盤の文字を指した。ああ、そう言うことか。この魔晶石は単なる光源じゃなくて、魔技の魔力源なんだ。

 この回り灯籠にゃたぶん、円盤を差し込むと幻影が見える術式陣モジュール魔技機械アーティファクトが、土台に組み込まれてんだ。明かりが灯るってことは魔晶石から魔力は供給されてんだから、壊れてんのは、その幻影を見せるための術式陣モジュール魔技機械アーティファクト。んな回り灯籠、初めて見たし今まで聞いたこともねえけど、仕組みは大凡おおよその見当がついた。


 なら、土台を開けて中身を見りゃ、修復の目処も立つだろ。


 俺は背負ってた弁当入りの背嚢リュックを下ろして、回り灯籠を手にした。壊さんよう気を付けながら枠を取って熱くなった魔晶石を外し、土台を開けようと継ぎ目を探す。ひっくり返したお椀のような木製の土台は、お椀の縁が凸凹でこぼこになってて、歯車のような底板を噛み合わせて被せてある。差込口も小指が入る程の厚さしかねえし、これ素手で開けるのは無理だな。


「小父さん、これ底板開けられる?」

「ちょっと時間かかるけどいいかい?」

「お願いします」


 ダグ小父さんは土台を受け取ると、錐にも似た工具を種類を変えながらしばらくの間あれこれいじり、それをじっと見ていた女の子が飽きてきたのか大きくあくびをし始めた頃に、


「ほら開いたよ、これで壊れたところ分かるかい?」


 開いた土台の内側をこちら側に向けた。上下両方に、何か模様のようなモンが描かれてるのが見える。


「貸して」


 ダグ小父さんから土台と底板を受け取って、よーく見ると、外された底板に描かれてる模様は、術式陣モジュールっぽかった。そして底板を外したお椀のような土台の上側にも平たい板が嵌め込まれていて、そこに刻まれた模様もたぶん術式陣モジュールだ。

 しかし土台に組み込まれた二つの術式陣モジュール、ってか描かれた板が両方とも、ところどころ何かにかじられたみてえに削れてる。卵の殻っぽい小さな白いモンが板の表面にあちこちくっ付いてるし。たぶん円盤を入れるスリットから、木を食べる種類の虫が入り込んだんだろな。殻はどれも割れてて、既に中身はなくなってるんで、虫の正体までは分からんけど。


 成程ね、描いた線が虫に食われて途切れたのと、虫に食われて出来た凹みが線を書き加えたような働きをして、術式陣モジュールが壊れたのか。産み付けられた卵の殻も、術式陣モジュールに対する抵抗ノイズになってそうだ。


 たぶん術式陣モジュールが長持ちするようにだろ、術式陣モジュールそのものは表面を浅く焼いた溝になってて、その溝に墨液インク、恐らく術式陣モジュールの効果を高める調合レシピの墨液を流し込んで補強されてたみてえだけど、墨液ごと虫に食われてんな、これ。授業で使ってた教材の円盤みてえに、せめて仮漆ワニス仕上げ塗装コーティングしてたら、ここまで虫に食われんかったんじゃないかな。


「分かった」


 俺がつぶやくとダグ小父さんも依頼者の女の子も、えって表情で顔を向けた。なので俺は、二人に欠けた術式陣モジュールが見えるよう、土台と底板の内側を見せた。


「ほら、ここに模様が刻んであるっしょ? これたぶん術式陣モジュールなんだけど、これが虫に食われて駄目になってる」

「じゃあ、その術式陣モジュールってのを直せば、元に戻るのかい?」

「理屈じゃそうだけど……」


 術式陣モジュールを修復しても、刻んだ板がまた虫に食われんとも限らん訳で。虫除けの仮漆を塗るなり、円盤の素材を虫に食われん別の物に変えるなり何なりせんと、今直してもまたそのうち虫に食われるぞ。


 すると、ダグ小父さんと一緒に壊れた術式陣モジュールを眺めてた女の子が、俺を見上げながらたずねてきた。期待半分、不安半分と言った感じで。


「おじちゃん、直せるの?」


 おじちゃん……そうか、おじちゃんかぁ。否、大抵の人からは若く見られるけど、確かにもう四十路よそじだし、このくれえの歳のお子様から見りゃおじさんおばさんの範疇はんちゅうに入るのは分かるけど……さすがに初対面の女の子に直球で言われるとクるモンがあるな。それと


「小父さん笑わない」


 ダグ小父さんは声を堪えて肩を震わせてた。


「いや、ごめんごめん」


 と口じゃ言ってるけど、ダグ小父さんの声はまだ震えてる。で、震えの残る声で女の子に向かって


「大丈夫だよ、お嬢ちゃん。この、昔魔技手学校に通っててすごーく頭いいんだ、だからお嬢ちゃんの大事な回り灯籠、きっと直してくれるよ」


 ええ……直すのはダグ小父さんの仕事でしょ。小父さんが魔技に関して素人なのはともかく、修復ド素人の俺に直させようとすんじゃねえよ……

 しかし女の子の表情が途端に明るくなり、


「本当!? ありがとう、おじちゃんたち!」


 ええ……直ること前提で礼を言われたら、出来んって言えんじゃん。構造は分かっても、実際直せるかどうかは別の話でしょ。これで直せんって断ったら、俺が悪人になんじゃん……

 でも俺を余所よそに、ダグ小父さんは女の子に向かって


「じゃあこれ、直るまで小父さんたちが預かってもいいかい?」

「うん!」

「それじゃお嬢ちゃんのお名前、教えてもらっていいかな? おうちどこ? それと、明日でも良いから、お父さんかお母さんか家族の大人の人、ここに連れてきてもらっていいかい? お父さんたちにも、これしばらく預かりますよって言わなきゃだから。あと直すのにお金も要るからね」

「分かった! 明日お母さん連れてくるね!」


 ちゃっかり商売してるし。


「おじちゃんたち、バイバーイ」


 手を振って道の向こうに去っていく女の子を眺めながら、俺はダグ小父さんに訊ねた。


「良かったの、小父さん? 修復引き受けちゃって」

「詳しいことは明日、親御さんに説明するよ。どうせ直すのヨーちゃんだし」


 ええ……ド素人の俺にやらせる前提で仕事引き受けなさんな……


「だってヨーちゃんじゃないと、俺は術式陣モジュール……だっけ? 修理できないよ? それに、こんな時間にこの辺彷徨うろついてるってことは、ヨーちゃん今日は仕事ないんだろ? 聞いてるよ、昨日の荷降ろしのこと。父ちゃん母ちゃんには、俺からも話してあげるから」


 うっ、あの話広まってるしバレてるし、その申し出はありがてえようなありがたかねえような。


「あと、ちゃんと修理できたら手間賃はちゃんと払ってあげるよ? 魔技のこと分かる職人は少ないから、その分手当もつけてあげるし」


 ああ……んなこと言われたら、ますます断りづれえじゃん……仕事……お賃金……ああ……今一番俺に必要なモンが……


「正式な修理依頼は、明日あの子の親御さんと会ってからの話だけど、ヨーちゃんはとりあえず、今日のうちに出来る下調べしときなよ」


 もう……だから何で、俺が引き受けるって前提で話を進めてる訳? 俺、やるとか一言も言っとらんのに。


 いつもそうだ。いつもいつも俺のやることを、俺以外の人間が勝手に決めて、その通りにせにゃ「どうしてやらないの」とか「文句言うな」とか「わがまま」だとか言われんだ。

 どうしていつもなんだろな。俺のことなのに、俺は一度も「どうしてえ?」って聞かれんまま、周りが勝手に俺のやることを決めちまうのは。

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