第8話

「うわっ、まだ夕方なのに、お客さんすごく多いな」


 12月24日の店内は、早くも混沌の渦と化していた。


「ぼさっとすんなよ、涼太!」

「う、うん!」


 『赤鼻のトナカイ』の陽気な音楽とは対照的に、僕たちはまるで地獄で働く罪人のように忙しさに追われていた。


「席が空いたらすぐに片付けて!  もたもたしないで!」

「はいっ!」


 16時からのバイトは、時間が経つにつれて忙しさがピークに達した。ここで自分たちが退勤することに、少しの申し訳なさを感じていた。


「ったく、一番忙しくなるときに帰るやつがあるかよ!」

「す、すみません」

「文句があるならシフト組んだ店長に言ってくださいよ。俺らはシフト通りに働いたんですから。な、涼太!」

「う、うん」


 頭を下げてばかりの僕とは対照的に、一之瀬は先輩にも引かず、自分の意見をはっきりと述べることができる。そういう一之瀬の性格を羨ましいと思ったことは、一度や二度じゃない。


「残業していってもいいんだぞ?」

「今日は家でクリスマスパーティーなんで、無理ですね。店長にもちゃんと言ってあるんで」

「相変わらずかわいくねぇガキだよな、お前。榊原は残業していくよな?」

「えっ、僕……!?」


 もちろん、残業なんてしたくない。だって今から一之瀬の家でクリスマスパーティーを一緒にするんだから。


「無茶言わないでくださいよ! 榊原も俺の家で一緒にクリスマスパーティーするんですから」

「榊原本人は残業してくれるかもしれねぇだろ。時給も100円アップだぞ? 高校生には魅力的だろ?」


 たかが100円アップで恭子さんとのクリスマスパーティーを辞退できるわけがない。たとえ時給10万円アップを提示されても、僕は帰るつもりだ。


「かえ――――」

「残業するよな!」


 有無も言わせないように、並木先輩が肩に手を回してきた。すぐに振りほどこうとしたのだけど、思いの外がっちり首をロックされていた。


 どうしよう――と思ったその時、


「並木くん、彼女に振られたからって高校生にからまないの!」

「げっ!? 野崎さん」


 店長さえ恐れると噂の、ベテランパートの野崎さんがやって来た。


「あんた人の顔見てうんち踏んづけたみたいな顔してんじゃないわよ。こんなところで石油王みたいに油売ってないで、さっさと働くっ!」

「いや、あはは……はいっ!」


 野崎さんのおかげで、僕は難を逃れることができた。僕は頭を下げて感謝の意を示した。


「せっかくのクリスマスイヴなんだから、楽しんで来なさい」

「はい、ありがとうございます! ――では、お先に失礼します!」


 バイト先を出た瞬間、僕は心から喜んでいたが、一之瀬が隣にいるので平静を装った。

 そして、今から一之瀬と一緒に向かうのは、恭子さんが待つ友人の家だ。


「腹減ったよなー」

「忙しかったもんね」

「だなー」


 二人で帰宅するその道中、やはり学校での一之瀬の、あの不自然な態度が気になっていた。

 好きな人のことはどんなことでも知りたい。僕はもったいないお化けならぬ、知りたいお化けと化していた。


 恋をすると、時に人はめんどくさい生きものになることがある。

 自分だけはそうならないと思っていても、恋に落ちるとそうもいかない。恋は想定外の連続だ。気持ちを抑えられるほど、この恋は温泉みたいに生ぬるいものではない。


「きょ、恭子さんの旦那さん、和也さんだっけ?」

「そうだけど、なんでそんなこと聞くんだよ?」

「いや、その、旦那さんも来るのかなって?」

「は? なんで?」

「なんでって……クリスマスパーティーだから、てっきり夫婦で参加するのかなって……」


 本当はこれっぽっちもそんな風に思っていないし、来られると僕のテンションがガタ落ちしてしまうけれど、不自然に思われず、一之瀬から情報を引き出すためにはこう言うしかなかった。


「和也さんは来ないんじゃないか?」

「そうなんだ。……大人の人はクリスマスイヴなんて子供っぽくて興味ないのかもね」

「そんなことないだろ。大人のカップルもクリスマスは普通に楽しむと思うぞ」

「そうなんだ」


 僕もそう思ってはいるけど……なら、なぜ恭子さんは旦那さんと一緒にクリスマスイヴを過ごさないのだろう。


「姉ちゃんさ、俺や母ちゃん、親父には心配かけたくなくて何にも言わないんだけど、和也さんとあんまりうまくいってないみたいなんだよな」

「仲悪いの?」

「うーん、どうなんだろうな。ただ……いや、やっぱり何でもない」


 ええっ!? そこまで言っておいてそれはないよ。気になってパーティーに集中できないよ。


「そ、そういう言い方されると、な、なんだか気になっちゃうな〜」


 我ながらとてもわざとらしいと思うのだが、このまま何も聞かずに一之瀬家に行くことはできない。僕は自分が思うより、ずっと子供っぽいんだろうな。


「こればっかりは、姉ちゃんのプライバシーに関わることだからな」

「そ、そうだよね」

「そんなことより、今日はパーティー楽しもうぜ!」

「……うん」


 街を白く染める雪のように、僕の心も白く染められたら良かったのに……。

 こんな気持ちのままでクリスマスパーティーを楽しめるのか、少し不安だった。

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