第7話

「ホワイトクリスマスだ!」


 今日はついに待ちに待った12月24日、クリスマス・イヴ。


 街はどこもかしこも賑やかで、リビングで流れるテレビからジングルベルの音楽が響いていた。耳を澄ませば、どこからともなくベルの音が聞こえてくるかのように、世界はクリスマスの魔法に包まれていた。


 クリスマスパーティーのプレゼントと、恭子さんへの贈り物をスクールバッグに詰め込み、意気揚々と登校していく。


「あと少しで恭子さんに会えるのか」


 この日は時間がなかなか進まないように感じられた。体感的には6時限目が終わったくらいの感じだったが、時計を見るとまだホームルームが終わったばかりで、1時限目ですら始まっていなかった。


「今日だけ、教室が精神と時の部屋になっているみたいだな」


 時間がゆっくり進む感じがして、勉強好きな人には最高の環境かもしれないけど、夜が待ち遠しい僕にとっては最悪の状況だ。


「涼太、バイト終わったらそのままウチに来るだろ? それとも一回着替えに帰るか?」

「そのまま行こうかな。いい?」

「俺は別に構わねぇよ」


 一度着替えに帰りたい気持ちもあるけど、そうすると恭子さんと一緒にいられる時間が減ってしまう。それは避けたい。


「あと、今日は結構混むっぽいから、マジで覚悟しとけよ」

「望むところだよ!」

「おっ、気合充分じゃん」


 その後のことを考えれば、たとえ地獄のような忙しさでも、耐えられる自信があった。


「ウチの姉ちゃんも、気合い入れてご馳走作るって言ってたぜ」

「恭子さん、もう帰って来てるの?」

「みたいだな。さっきLINEあってさ、今から支度してるっぽいぜ。先に言っとくけど、ウチの姉ちゃんの料理だけは、マジで――」


 えっ……ひょっとして不味いのか?


「――すっげぇー美味いから! 涼太マジで腹空かせとけよ」


 なんだ、そっちの方か。

 たとえ恭子さんが料理が苦手でも、それは全然問題じゃない。僕は彼女が大好きで、それが何より大切なんだ。


「姉ちゃん、料理だけはマジで上手いんだよな」

「楽しみだなー」


 恭子さんの手料理を食べたことのある一之瀬が羨ましいけど、僕も今日食べられるんだよな、恭子さんの手料理。考えただけでニヤニヤが止まらない。


「そういえば、恭子さんは旦那さんとクリスマスイヴを一緒に過ごさないんだね」


 特に深い意味はなく、ただの興味から聞いたんだけど……。


「あー、……な」

「……」


 ん……?

 なんだよ、その反応は。


 苦笑いを浮かべた一之瀬が、困ったように頭を掻いた。その行動が僕の不安を増幅させた。


「……」

「………」


 おい、何か言ってくれよ。

 いや、黙り込むなよ。

 そっぽを向くなよ。

 めちゃくちゃ気になるじゃん。


「――――」

「ほら、もう昼休み終わるぞ」


 意を決して「あー、……な」の理由を聞こうとしたが、タイミング悪く一之瀬は僕の元から離れていく。


「あっ、ちょっと――――一之瀬……それはあんまりだよ」


 他人の僕が他所様の家庭に首を突っ込むのは間違っていると思うけど、あんな言い方されたら気になって授業どころじゃない。このままだと頭がおかしくなりそうだ。


 案の定、5時限目と6時限目の間に、僕はスランプに陥った太宰治のようにぐしゃぐしゃと髪を掻きむしっていた。隣の席の女子からは、「榊原くん、目がずこく充血してるよ。保健室行ったほうがいいんじゃない?」と心配されるほどだった。


 【恋をしても賢くいるなんて、不可能だ!】

 イギリスの哲学者、フランシス・ベーコンの言葉は事実だったようだ。このままだと僕はノイローゼになってしまう。


 今すぐにでも一之瀬をとっ捕まえて、先程のあの言葉の真意を追求したかった――それなのに、いざ一之瀬を前にしたら思うように言葉が出てこない。何と言って切り出そうかと考えている間に、気がつくとバイト先に到着していた。


「あ、あのさ――」

「3時間後にはお待ちかねのクリスマスパーティーだぜ! 気合い入れていくぜ、涼太!」

「……うん」


 そそくさと仕事着に着替え終えた一之瀬が、ロッカールームを後にする。


 ピロリロリン♪


 一人取り残された室内に、甲高い通知音が鳴り響いた。


「あ、恭子さん!」


 仕事前に恭子さんからLINEが届いた。

 それだけで、霧がかっていた胸の中が嘘みたいに晴れていく。気がつくと、僕はまた締まりのない顔をしていた。


『今日は涼太くんも来てくれるから、恭子お姉さん張り切っちゃった(笑)』


 そう書かれたメッセージの下には、赤く染まったオーブンの前でピースをする恭子さんが添付されていた。


「エプロン姿の恭子さん! かわいすぎだろ!」


 恭子さんのエプロン姿は、色っぽさと可愛らしさが絶妙に融合しており、美術館の貴重な絵画のようだった。この写真の価値は1億ドル以上あると思われた。


「恭子さん! 恭子さん! 恭子さん! 恭子さん!」


 スマホを恭子さんに見立てて、幸せのタンゴを踊りたくなるほどだった。


「返信しなくちゃ!」と、顔を引き締め、即座にメッセージを送信した。


『恭子さんの手料理バンザーイ"(ノ*>∀<)ノ』

『早く食べたいなーゎ‹ゎ‹(๑ ᷇ 𖥦 ᷆๑)♡ゎ‹ゎ‹』

『エプロン姿の恭子さんもとってもかわいい(((*♡д♡*)))カッカワイイ.*・♡』

『僕、本気で見惚れちゃいました( ˶°⌓°˶)』

『涼太くん大袈裟だよ。でも嬉しい! そんなこと言ってくれるの涼太くんだけだから(笑)』

『大袈裟じゃないよ! 恭子さんは世界一美しいですパチパチ(⸝⸝⸝⸝神∀神⸝⸝⸝⸝)パチパチ』

『ありがとう♡ 涼太くんも世界一かわいいよ♡♡♡ お仕事頑張ってね!』


 し、幸せだぁ〜。

 こんな風に恭子さんからLINEが届くと、幸せで胸がいっぱいになる。まるで無限のパワーを注がれたヒーローのようで、地球侵略に来た宇宙人だってきっと倒せる気がした。


「あーもうっ、好きだぁあああああああああああああああああああ!!!」


 恭子さんへの気持ちが爆発し、ロッカールームで声を大にしてしまった。


 ――――ガンッ!


「うるさいぞ、榊原ッ! 早く着替えてホールに出てこい!」


 すると、ドアを蹴りつける音と、店長の怒鳴り声が響き渡った。


「は、はいっ! 今行きます!」


 恭子さんの写真を大事に保存し、特別なフォルダに移動させてから、戦場と化しているホールに向かった。

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