第5話
「いらっしゃいませ〜」
季節は恋人たちが寄り添う冬に包まれていた。
僕は1ヶ月程前から、人生初のアルバイトに挑戦していた。大人の一歩を踏み出すため、というのが名目だった。ちなみに、僕の仕事は接客業。高校生の初バイトとしてはぴったりの、ファミレスの仕事だ。
「うぅ〜、さみぃな、くそっ!」
「冷たいッ!」
一之瀬はごみ捨てから戻って来ると、迷わず僕の頬を両手でバシッと掴んできた。
「何するんだよ!」
「寒さのお裾分けだ」
「いらないよ、そんなもん!」
バイト先でも、一之瀬は相変わらず一之瀬のままだった。
「っんなことより、何で急にバイトする気になったんだよ?」
「だから、社会勉強だってば」
「何が社会勉強だよ。嘘つけ! これか? これなんだろ! ほら、正直に吐け!」
と、一之瀬が下品に小指を突き立ててくる。続けざまにチョークスリーパーをかけてきた。
「痛い! 痛いってば一之瀬!」
「止めてほしかったら相手を教えろ! どこの女だ? 他校か? まさか、ウチのクラスの女子じゃねぇだろうな!」
「だから本当に違うんだって」
僕は誰とも付き合ってなどいない。過去に告白されたことはあるけど、あの頃の僕には人を好きになる感情が理解できなかった。
でも、今は違う。
好きな人がいる。
ただし、それは叶わない恋だ。
なぜなら、彼女は……既婚者なのだ。
「誤魔化さず教えろって」
「本当に違うんだって」
言えない。
一之瀬には絶対に知られたくない。僕が心から愛しているのは、君の実の姉だなんて、言葉にできるわけがない。
もし一之瀬が僕の気持ちを知ってしまったら、どんな反応を示すのだろう? 彼は僕が彼の姉を愛していること、既婚の女性に恋をしていることを、どのように受け止めるだろう? 絶交……となるのだろうか。考えるほど、辛く、苦しく、そして恐ろしい。心臓がどんどん小さくなっていくような、不安に包まれていた。
「遊んでいないで仕事をしたらどうなんだ。時給を減らされたいのか!」
ヤバい、極道みたいに強面の店長に睨まれてしまった。
――――ピンポン♪
「あっ、客だぞ、涼太!」
「う、うん」
僕たちの状況に助け船を出すように、お客さんがやって来た。
「いらっしゃ……っ!?」
自動扉をくぐり抜け、来店してきたお客さんを見た瞬間、僕の心臓は風船のように大きく膨らみ、パンッ! と一瞬で弾け飛んだ。
「姉ちゃん!?」
「近くまで来たから様子見に来ちゃった」
真司は露骨に不機嫌そうな顔をしていたが、僕は嬉しさで顔がにっこりとほころんだ。この瞬間、このバイトを一之瀬に紹介してもらったことを、心から感謝していた。
「涼太くんウェイターさんの恰好似合うね。真司とはえらい違いね」
「俺だって似合ってるっつーの。つーか俺の方が先輩なんだかんな」
「一之瀬くん! そこは榊原くんにお任せして、君は向こうのテーブルを片付けてくれるかな?」
楽しそうに話していたのが店長の気に障ったのか、一之瀬が店長に呼ばれてしまった。
「はっ、はい! 涼太、姉ちゃんのことよろしくな」
「え、あ、うん!」
できることなら一生彼女の面倒を見ていたいと思ったが、そんなこと言えるわけもない。
一之瀬がいなくなったことで、僕と恭子さんだけが残された。
「……」
「久しぶりだね」
「はっ、はい!」
僕はこう見えて、かなりのネット弁慶だ。チャットやメールでは自分から話しかけることも平気なのに、直接会って話すとなると、途端に緊張してしまうんだ。
「あ、あの……せっ、席にご案内します!」
「うふふ。お願いします」
まるで手と足が一緒に出てしまうかのような、小学生の行進のようにぎこちない動きで、恭子さんを空いている席まで誘導する。
ちらりと後方を確認すると、恭子さんがクスリと笑っていた。
「うぅ……」
恥ずかしすぎて、死んでしまいたい気分だった。
実は、これが三度目の恭子さんとの出会いだった。前回、一之瀬の家で会ったときも、緊張のせいでうまく話せなかった。次に会うときは、自然な会話を楽しめるように頑張ろうと思っていたのに、まさかバイト中に再会してしまうなんて思いもしなかった。
「相変わらず、LINEの涼太くんとは別人みたいだね」
「――――!?」
背後からそっと近づいてきた恭子さんが、吐息混じりに耳元で囁いた。瞬時に、僕の全身が湯たんぽのように熱くなった。
「いや、あの、その……ごめんなさい」
「どうして謝るの? オラオラ系でグイグイ来る男の子より、そういう女の子に不慣れな男の子の方が、お姉さんはずっとかわいいと思うけどなー」
「ふ、不慣れです」
「うん、知ってる」
大人の女性の恭子さんには、僕の女性経験のなさは既にバレていた。これまで童貞であることを恥ずかしいと思ったことはなかったが、今回は違った。やはり恭子さんのような大人の女性は、落ち着いていて大人の余裕があり、リードしてくれる男性が好みなのだろうか? 頭の中で思い描く彼女の旦那さんは、僕とは真逆の人物のように思えて、何だか少し悔しい気持ちになった。
「涼太くん、どうかした?」
「あ……いえ」
悔しさと恥ずかしさでまともに顔も見れなかったけれど、何とか恭子さんを窓際の席まで案内した。
「ご、ご注文は?」
「うーん、夕食は家で食べるからなぁー……涼太くんのおすすめは?」
「え……えーと、じゃあ、このチーズケーキなんかは、意外とおいしいですよ。恭子さんの好きな珈琲にもぴったりだと思います」
「涼太くん、私の好み覚えてくれてるんだ? ちょっと嬉しいかも」
恭子さんの珈琲好きは、何度もLINEの会話で話題になっていた。甘いものやケーキが好きなことは、弟の一之瀬からこっそり聞いていた。そのケーキ好きが高じて、高校生の頃にケーキ屋さんでアルバイトしていたことも調査済みだ。
「じゃあ、それで」
「では、チーズケーキとドリンクバーでよろしかったですか?」
「うん」
緊張から少し手が震えていたけど、何とかハンディーターミナルに注文を打ち込むことができた。
「――――!?」
ほっとしたのも束の間、身を翻した僕の手を、恭子さんが素早く掴んできた。
「涼太くん、今月の24日……暇?」
「えっ!?」
今月の24日はクリスマスイヴだ。恋人にとっては特別な日でも、独り身の者にとっては賑やかなだけの一日。
当然、僕は後者の人間で、特に予定はない。と言っても、19時まではこのファミレスでウェイターをしているのだが。
「19時まではバイトですけど?」
「よかった」
え……まさか!?
これはデートの誘いというやつなのか。
「私、24日は実家で過ごすことになったんだけど、どうせならパーティーでもしようかってことになってね。もし良かったら涼太くんもどう?」
「僕、行っていいんですか!」
「うん。もう真司から聞いてるかなって思ったんだけど……その様子だと、やっぱりあの子まだ言ってなかったみたいね」
ああ、そう言えば、一之瀬から何度か24日の予定を聞かれていた。仕切りに恋人ができたのか聞いてきていたのは、このためだったのか。恋人がいるなら、誘うのが申し訳ないと思っていたんだろうな。一之瀬らしいと言えばらしいのだが。危うく恭子さんとのパーティーがなくなってしまうところだった。一之瀬のやつには後でしっかり、僕には恋人なんていないってことを言っておかないとな。
「24日! めちゃくちゃ楽しみにしています!」
「うん! 一緒に楽しもうね」
「はい!」
この日は、人生ではじめてバイトが楽しいと思えた一日だった。
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