第4話
恭子さんとLINEでメッセージをやりとりするようになって、もう2ヶ月が経過した。季節は夏から秋へと移り変わっていた。
この頃には、僕からも積極的にLINEを送るようになり、その内容も一之瀬の授業態度以外のことに広がっていた。
『涼太くん居る?』
『(*´︶`*)ฅハーイ♡』
『早い(笑)しかもかわいい♡』
『⁄(⁄•⁄ω⁄•⁄三 ⁄•⁄ω⁄•⁄)⁄テレテレ』
『キャッ! (*/□\*)♡』
『❀( ⸝⸝•ᴗ•⸝⸝ )❀パァー』
『涼太くんの絵文字芸すき♡♡♡(笑)』
恭子さんからのLINEは通常、昼間に多いのだが、この日は珍しく21時を回っていた。そのことが、僕には少し気になっていた。
「旦那さんと何かあったのかな?」
子供が口を挟むことじゃないけど、やはり気になってしまう。
以前、バラエティ番組で恋愛依存症みたいなギャルが、好きな人のことはどんなことでも知りたいと言っていたことを思い出す。正直、あの頃の僕は、そんな彼女のことをどうかしていると思っていたのだけど、今はあの時のギャルの気持ちが痛いほどに理解できる。
「気になるな〜」
どんな些細なことでもいい、好きな人のことを少しでも知りたいと思う感情は、至って普通のことなのだろう。
しかし、人にはプライバシーというものがある。親しき仲にも礼儀ありという言葉のように、人には踏み入ってはならないラインが存在するのも、また事実だ。僕にだって、知られたくないことや言いたくないことの一つや二つあるのだ。
「ここは我慢だ、涼太!」
僕は奥歯をかむことで自制しようと試みた。
内心の葛藤を隠しながら、なるべく普段通りにメッセージを送信しようとした。
『こんな時間に珍しいね。恭子さんはもうご飯食べた?Ψ( 'ч' ☆)』
『僕はカレー食べた。満腹(*´ч`*)』
『涼太くんは相変わらず可愛いね、ちなみに私も食べたよ。一人でだけど……( ・᷄ὢ・᷅ )』
ん……?
「一人……? 旦那さんと一緒に食べないのかな? ……残業か何かかな?」
恭子さんのメッセージには珍しい絵文字が使われていたが、その表情は穏やかではなかった。
「心配だな」
しかし、ここでは冷静に振る舞い、旦那さんについては触れずに話を続けることにした。この関係を保つために、適切な距離感を守ることが必要だと思っていたからだ。
『恭子さんと一緒に食べたい(´;ω;`)ウゥゥ』
『私も涼太くんと一緒に食べたいよー。一人で食べても全然美味しくないもん。せっかく作ったのにムカつく!』
「…………」
なぜだろう。
胸のあたりには少し痛みが走った。まるで心臓に穴が空いたかのような、奇妙な感覚が体内に広がっていった。
痛みとは微妙に異なり、むしろ苦しみや、圧倒的な不安に襲われたときの感覚に近かった。
『僕なら毎日恭子さんと一緒に食べるのにな( ˘• ₃ • )ちぇー』
『涼太くんと結婚すれば良かった(笑)』
『嘘でも嬉しい(⸝⸝ ´艸`⸝⸝)』
『嘘じゃないよ♡』
『でも、旦那さんもお仕事忙しんだもんね。大学の先生とかすごいなー(๑・ิ-・ิ๑)』
『大学の先生って意外と忙しくないみたいだよ』
『そうなの? 忙しそうなイメージだった∑(°口°๑)』
『私もそう思ってたんだけど、飲み会だって言って学生と飲んでばっかりだもんなー』
LINE越しに恭子さんの寂しさが伝わってくるようで、僕も少し寂しい気持ちになった。
好きな人が悲しんでいる姿を想像するのって、思っていたよりもずっと辛いことだと気づいた。恭子さんを好きになって初めて経験する感情だった。
「こんなに素敵な奥さんがいるのに、毎日学生と飲み歩いているなんて最低だな!」
もし僕が恭子さんの旦那だったら、仕事が終わるたびに走って帰るだろう。
現実は不公平なことが多い。
僕は顔も知らない男に嫉妬していた。
『そんなクソ旦那なんて忘れて僕と――』
スマホを持つ手が突然止まった。
「何を考えているんだろう」
途中まで入力したメッセージを削除し、代わりに『教育の一環なのかなσ(∵`)?』と送信することにした。
感情が絡む関係って、どうしてこんなに複雑なのかな。人は大切なものができると弱くなるって、何かの漫画に書いてあったことを思い出す。
元々僕も強くはなかったけれど…。
『どうなんだろうねー。それならそれで、連絡の一つくらいくれてもいいのにね。この間は朝帰りだったし(ꐦ°᷄д°᷅)』
絵文字からも恭子さんの怒りが伝わってくる。
「当然だよな」
大学の講師が生徒たちと飲みに行って朝帰りなんてするのだろうか? まだ大学に行ったことない僕には分からない。ドラマなんかでは教授と生徒が一緒に飲みに行く場面があったのだが、講師と教授は全然違うよな。それくらいは高校生の僕にでもわかる。
……まさか、浮気とかじゃないよね?
僕の方が心配になってしまう。
恭子さん、浮気されていませんか……?
そんなこと聞けるわけない。
『でも、一人の方が気が楽だったりするんだけどね(笑)』
僕が返信に悩んでいることを感じ取ったのか、恭子さんから続けざまにメッセージが届いた。
『あっ、お風呂沸いたから入ってくるねー☆ いつも愚痴に付き合ってくれてありがとう♡』
『!!OK(。•̀ᴗ-)و ̑̑✧◌𓈒𓐍OK!!』
背中からベッドに倒れ込んだ僕は、以前に送られてきた恭子さんの写真をぼんやりと眺めていた。
「僕がもう少し大人だったらな……」
大人だったら、何ができたのだろうか。
相手は人妻だ、年齢だけが問題じゃない。
「せめて恭子さんが結婚する前に出会えていたら……」
あるいは、僕にもチャンスがあったのかも知れない。
「時をかける少年になりてぇ〜」
心の奥からそんなことを思っていた。高校2年生の秋だった。
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