第3話 反応

まだ真昼間の心地良い天気には似合わない、ひとたび触れれば破裂してしまいそうな禍々しい空気。気味の悪い笑みを浮かべたふたりはこの世界から切り離されてしまったような雰囲気をかもしだしていた。

会話が行われていない今であっても水面下で戦いは始まっている。

おそらく、皆は本当に頭の出来が良い人達の談合を見たことがない。それも中途半端じゃ駄目だ。自分の知識をただひけらかすようなあの早口の人種はただのモグリだと思っていい。

真の強者達は基本的に自分の感情を言葉に出さない。何かを「言葉にする」という行為は自分の不利益にしかならないのだ。

それ故に彼らは上辺だけの何もこもっていない、ただ記号としての意味しかなさない言葉で探りを入れてるわけだ。

気が向いたら周りを見渡してくれ。

「ああーそれ?それはたしか19993年に流行ったやつだよね。その時3冠とったけどその後の流れには乗れなくてねー、お、そうそう、君物知りだね」

こんな会話とも呼べないようなものををさぞ当然かのように振りまいている輩がいるだろう。教室の隅っこや、結婚ブームに乗り遅れた人たちの合コンで目にできるはずだ。そういう奴は大概ほんの小さな輪の中でしか息をすることは出来ないのだ。

そして、それを見つけたらただ一言。たった一言でいいから言ってやれ。

「頭悪そうに見えっからやめた方がいいよ」

その日から君は少なくともそいつよりは賢い存在になっているだろう。

話が脱線した。

断っておくが、これからの会話と呼べるか定かではないものは、ほとんどの場合考えなくていい話。

両者の頭の回転が誰も追いつけないレベルにあるとしよう。その時は勝負に終わりなんて来ないのだ。


「君には、本当、に嘘は、ぅっ、通じなさそう、だ。それなら、私が言っていないことも、大、体察しがついているん、だろ」

赤髪の女性の手はナイトを掴む。

147328手目。

「それに、嘘が分かる、のに、私にい、一度も勝てていないのは、何故なんだ?少、年」

白髪の少女の手はルークに触れる。

147329手目。

「そのセリフは、はァ、一度でも勝ててから、言ってくれますぅ?mama」

二人の試合は216回目のドローを迎えた。もちろん216試合中である。チェス駒の悲鳴が合唱パートに突入する。

限界を迎えた先頭のポーンは、密かな呻き声をあげ、息を引き取った。

死因、過労死。年中休暇なしで戦場に潜り、当たり前のように捨て駒にされる。終わったかと思えばまたリスタート。それが十何万回と続けば、耐えただけでも表彰者である。

典型的なブラック企業。


時は2日前に遡る。

お互いが思惑のほんの片鱗を見せあった後。

「私が殺人に躊躇いがあるか、ですか?」

美少女がしなさそうな会話第五位くらいのものであろうか。入る余地のない探り合いはもう既に始まっている。窓から入ってきた風も恐れをなしてUターンしていった。

「もし私がYesと言ったら、どうするんです?」

透き通った赤い目は赤髪の女性、ベロニカの心を透かしているようだった。その目を見ても彼女はヘラヘラ笑っている。

「別に?何もしないさ。ただ、そうであった方が私には都合がいいかな」

殺人意志の有無を、いたいけな少女に問う彼女の目もまた、根源的な恐怖を呼び覚ますような光を灯していた。

「でも私は前まで兵士だったんですよ。殺してない方が不思議なのでは?」

「いや、抵抗がなければいいんだ。君が何人殺してようが私は気にもとめない」

微かな笑い声をあげる二人。それ以上はどちらも踏み込まない。いや、踏み込めない。

この空気の中で、探り合う二人は時を過ごしていく。永遠のように長い時間。この雰囲気を壊すには人生1番の勇気がいるだろう。

「じゃあ分かりやすく、勝負にしないかい?」

この時点でコーヒーは両者5杯目を迎えていた。

白髪の少女、クトリはミルクを少々、角砂糖は2つ程でそれでも苦そうにしていた。

「なにで勝負するんです?」

苦しそうな顔は消え、先程までの獲物を狙うかのような顔が見えていた。

相変わらず表情を作るのに長けすぎている。

「そうだなあ、頭を使うゲームがいいかな」

「同感」

「じゃあこれなんか、どうかな」

ベロニカは何も無い虚空から魔法のようにチェス盤を生成した。

否、魔法のように、ではなく魔法である。

「随分シンプルですね。複雑なルールはまだ理解するのが大変ですか?」

「それで挑発しているつもりかい?もう勝ったつもりでいるなら気が早いんじゃないかな。じゃあここは大人らしく。譲ってあげるよ、先手」

彼女も彼女で、彼女のペースを崩そうとしない。

「大人らしく?一体私とどれくらい離れているんですかねぇ。さっきも教えてくれませんでしたし。知ってます?えー、若ーい!って遠回しに歳がいってること刺してるんですよー」

ここまで表情からは感情が読み取れなかったベロニカも、耐えられなかったのか眉を少しだけ動かした。

「やっぱmamaは面白いなあ。先手譲ったこと後悔しないでくださいよー。私は子供らしくハンデをありがたくいただくので。いやー若いっていいなぁ」



......序盤にもどる。

いくら頭脳が明晰でも2日も頭を使えば疲労は募っていく。空に浮かぶ月だって2度も同じ景色を見たくはないだろう。

「いつまで続くの、これ?」

縁側にとまる鳥や空を描く大三角形、音を立てて落ちてくる雨の1粒1粒だって同じことを考えていた。

「そろそろ、疲れてきたんじゃあ、ないか?」

「えー、mamaはもう、疲れちゃったんですか。そろそろ負けを、認めたら、どうです?」

「手が震え、てるよ。少年」

息を合わせたように両者は同時に机に倒れ込んだ。人間なんだからとっくに限界である。

外からはやっと終わり、ほっとしているような声が聞こえる。それも普通の声でなくもっと自然的なもの。

意識が遠くなりつつもまだお互いの目を除く。未だ彼女らは探りあっていた。眼光だけで何人か殺してしまうような美しい目。あんな目を見たら通常は勝負を投げ出すだろう。

数分もすれば部屋の中には寝息がこだましていた。


また一夜開けた朝。二人は案外ぐっすり寝てしまっていた。それ故首も痛いし、手が痺れているが、彼女らにとっては人前でぐっすり寝てしまったことに寒気すら感じていた。

まだ敵かも分からない相手の前で寝顔を晒すなど、と。

「もう賭けとかやめません?多分終わらないですよ。何でそんな強いんです?」

白髪の少女クトリは目を覚ましてからの3日間ほとんどチェスしかしていないことを理解し、そして絶望した。このままではいつまでたっても本題に入れないではないか。

……少々気づくのが遅かったのかもしれない。

「それはこっちのセリフだ。君は軍で戦闘の訓練しかしてなかったんだろう。なぜ私と互角に戦える」

「何でそれ知ってるんですか。まあいいや。ルールを知ったのは今日なんですよ。というかまあ私は自分の特技フル活用してるだけですけどね。捨て駒もフェイクも動き見てればバレバレなんですよぉ」

平然と、常識を疑うような事実を口にする彼女。その態度からは、そんなの当然ですよという声が聞こえてきそうだった。

「お得意のアレか。だが、それはイカサマじゃないのか」

クトリは舌を出すだけで問いに答えない。この部屋に平穏な空気は訪れるのだろうか。もううんざりした雀は鳴くことすらしなくなった。

「もうやめにしましょう。おそらくあなたは私の敵ではない。」

クトリはただそう告げた。それだけなのだが……それは彼女が早くもベロニカを理解してしまった、ということだ。

「......根拠は?」

そうたずねる彼女の声は、普通に聞けば気にならないくらいにひきつっていた。

その普通に聞けば気にならないくらいのひきつりを感知し、クトリは頬をひきつらせた。

「手っ取り早く魔法を使わないあたり、あなたは私をどうにかしようなんて思っていない。それとも本当に情なんかが入ってしまったんです?」

その表情のまま続ける彼女を見て、手を出さないようにと深呼吸をする。三回くらい。

「君は本当にくえないな。分かった。チェスなんて提案した私が愚かだった。これなら簡単に君の目的を聞き出せると思ったんだがな」

「嘘」

なんなら被せるように彼女はそう言った。

「ん?どういう意味だ」

彼女の様子にベロニカは焦る。これまで数え切れないほどの探り合いをしてきた彼女でも、目の前の未知の生物には恐怖を隠せない。

「チェスを選んだのはそれが理由じゃないですよね。相手がぁ、欲しかったんじゃないですのぉ」

それが真実だと確信しているような表情。獲物を見るような彼女の目はベロニカをひるませる。

間延びした声はその自信を物語っていた。

「ああ、それもある。一度くらい負けてみたかったんだ。悲しいが今回も叶わなかったが」

「ぜーんぜん皮肉になってませんよ。それは勝った人が言う言葉ですし。まあ機会があったらまたやってあげましょうか。」

対抗しようとしたが、理路整然さが感じられない言い訳は、自分でも虚しかった。

気づけば彼女のペースに乗せられている。

これは想像以上かもしれないぞ。

抑えきれない興奮を感じ、舌なめずりをした。

「その時は温かいミルクでも用意しておくよ」

そうしてくれると助かります。ここは彼女も格好つける訳にはいかなかった。

「言いづらいんですけど、無理してブラックを飲むのはおすすめしませんよ。砂糖を入れたがっているのが見え見えです」

「......娘の前でくらい格好をつけさせてくれ。それとも君が飲むかい?」

今度からは遠慮しないでおこうと心に決めた。もう舌先がビリビリしてしようがない。

ただ首を振る彼女を横目に、話の切り出し方を考える。

「ここは私のほうから答えるのがフェアか。

君は何を聞きたい。好きなことを聞いてくれて構わない」

身振りも加えて彼女を促すが、疑わしげな目を向けてくるだけだった。

「質問をする、という行為の方が相手に情報を渡しやすいのにもかかわらず、フェアかー」

そう皮肉のような言葉をぶつける彼女は、まあいいやと提案を飲んだ。それはそれは不服そうな顔で。

「そうだなぁ、まずはあなたの経歴、職業、性別、それに......本当の名前、ですかね」

赤い目は太陽の光を反射し、光沢のある赤髪と調和する。自然界では生み出せないようなその光景は、話の内容とは両極にあるような代物だった。

「嘘がつけないのはなかなかフェアじゃないね。それに「性別」というのは?」

「見た目だけじゃ判断しかねるんですよ。答えてくれます?」

「言っただけじゃ証拠にならないんじゃないか、君の目で確認しなけれ……いや、私の答えで君は判断できるのか。君のその「特技」とやらは本当に便利だね」

軍の輩は彼女のどこを見ていたんだ。こんな化け物の。私は本当に危険なものを懐に置いてしまったかもしれない。

「じゃあ、答えてくれます?」

有無を言わさない雰囲気が辺りの日中の明るさを消し去っていく。

ベロニカ(?)はもう笑みを隠そうとはしなかった。

「私は見ての通り女だ。......嘘はあるかい?」

聞かれた彼女はただ頷き、手のひらをこちらに向け先を促した。赤髪も頷き、口を開ける。

「職業は、そうだな。聖戦に関わっていた、とだけ答えよう。これ以上は、すまない......答えにくいな」

怪物の手に少しは乗ってみようか。

勝負など気にしなくても良かったかもしれない。これに勝つことはできないだろうし、やるだけ無駄だったんだ。

おそらく彼女は勝とうと思えば勝てたんだろう。でも対等な立場で会話をすることを選んだ。

これは敵わないなぁ。

「別にいいですよ。大体察しはついているので。それよりも、ですよ」

「ほとんどバレているかぁ。分かった。それよりも、だな」

二人の髪は風にさらわれた。こんなタイミングよく吹くものなのか?もしかしたら彼女の仕業かもとクトリは頬を緩める。

赤と白。どこまでいっても分かり合えそうにないな。まあそんな関係もいいかもしれない。

二人はしばし流れる空気に身を任せた。

「じゃあ、改めて自己紹介といこう。」

「私の名はシャウラ。そう、王国軍、片翼のフリューゲルとは私のことだよ」

いつの間にか現れていた、それは大きな虹色の羽は、この部屋ごとクトリを包んでいた。肩書きの通り片方だけ。それも相まって、誰もが息を飲むほど神秘的だった。

かつて聖戦で王国の悪魔と称されたシャウラ。

王国きっての魔導師であり、帝国軍をほとんど陥落まで追い込んだ脅威。英雄のような存在だった彼女は王国民にも広く支持されていて、彼女のせいで戦場に行きたいと願う子供が多くなったのも事実だ。しかし、

「征服決行の日に消えた、という話ですよね」

彼女の消えた穴は埋めることが出来ないほどのもので、帝国軍のなけなしの抵抗にすら勝利をおさめることは出来なかった。そこからの反逆は凄まじく、彼女があの日作戦に参加してさえいれば、2年前、特攻兵隊が編成されることだってなかっただろう。

「ああ、その通りだ。戦うことを放棄した私を、君は憎むかい?」

軽蔑されることにはもう慣れていた。戦場を離れ、逃げるように消えた私を批判する声は嫌でも耳に入ってきた。

「そんなことはしませんよ。だってあなたは戦うことは放棄してない。」

ベロニカ、改めシャウラは少し驚いた様子だった。この話になれば、皆口を揃えて非難する。

しかし、またあの目だ。獲物を捉えるみたいな。彼女にとっては人の真実みたいなものを暴くことが生き甲斐なんだろうか。

「ただあの戦いに出なかったというだけ。あなたに依存していた王国にも非はあるんですから。」

それに、と白髪の少女は続ける。

「何か、戦場から離れねばならないほどのものがあったんですよね?」


クトリはしばしば聞かれる。

「お前には何が見えているのか」と。

こんな質問は無粋の極みだ。

何が見えているのか、ではない。

全て見えているのだ。人を受け入れられず、嫌い、憎み、疑うことで手に入れた、誰にも理解されない、理解することが出来ない「視点」。

彼女は同じ世界にいるようで、全く異なる空間で生きている。

神が生み出した、化け物(エラー)だった。

シャウラはこの3日間でそれを知った。否、思い知らされた。

「例えば......これは「聖戦」であって「戦争」ではない、とかですか?あなたは「戦争」から離れただけであって、「聖戦」には今も立ち向かおうとしている」

彼女の目の奥深く、笑っているように見えてほんの少しも笑っていない。その目は彼女の底のしれない何かをシャウラに確信させた。

「ああ、本当にその通りだ。いや、本当に素晴らしいよ君は。......そう私は気づいてしまったんだよ。あれは聖戦なんてものじゃない。それにまだ終わっていないんだよ」

終戦後、戦うことしかしてこなかった人類は1歩ずつではあったが、人間らしい生活を求めて奔走していた。

今では国による政治の根幹、分業制度も形となり、街には店が並んだ。行商人が行きかいするようになった。戦車の知識は乗用車に使われ、戦闘機以外の移動手段を用いるようになった。子供は外で遊びまわり、喧嘩をすれば親に叱られる。

喧嘩なんて甘っちょろいものじゃない、ホンモノの殺し合いをしてきた親たちが、だ。

なんだか馬鹿らしく感じられるだろう?


この世界は丸ごと嘘をついている。ハリボテの平和を被った醜い世界。握手を交わした各国の外交官だってその瞬間も相手を殺す方法を探している。

星の数ほどの命を奪った聖戦は、周りの360度しか見えていない人種には終わったように見えている。違う、そう錯覚させられているだけだ。

民衆には見えない水面下で、今も国同士は人の命を駒として使う、愚かな戦いを続けている。


「私は昔から何もかもを隠す、この国が大嫌いだった。それに乗っかる周辺国も。罪のない民衆を戦場に駆り出し、魔法が使えると分かれば死ぬまで使い潰す。その目的すら教えずに」

国民は真実を知ったらどう思うだろうか。

この戦いが、たった1人の存在を得るためのものだと知ってしまったら。

「だから私は戦場を去った。この悪夢を根本から壊すために」

彼女の目は邪念を払い、ただ明日の方向を向いていた。


「だから少年、一緒に壊さないか?」


「君にだって拒否権はある。私の手を取らなくたっていいんだ。」

「でも、断らないだろう?」

白髪の少女は初めて楽しそうに笑った。

ああ、これだ。この人は「分かってる」人だ。

数少ない私の「視点」を分かってくれる人。


「だって君も、この世界が大嫌いだ」

ははっ、ダメだ笑いが止まらない。こんな興奮は感じたことがない。体の髄から何もかもが彼女を求めている。あぁ生きてた甲斐があった。

「私たち、結構似てるかもしれませんね」

「冗談でもよしてくれよ。少年は私なんかじゃ収まってくれないだろ」


この人となら「生きる」ことが出来るかもしれない。


この子とならこの世界を止められるかもしれない。


二人は人生で初めての相棒を手にした。

「悪魔」と「エラー」の化学反応。

それは出会うはずなかった二人。

出会っては行けなかった二人。


この反応はすぐに世界中を巻き込んでいく。

もう誰も彼女らを止めることなんかできない。





1ヶ月後。

二人の出会った日のように、夏顔負けの素晴らしく良い天気。

二人は日常の顔から、戦前の顔つきに変わる。日差しの光ですら彼女らの眼光には敵わない。



「さあ、嘘の聖戦を終わらしに行こうか」


「はい。行きましょうか。ママ」


いつの間にか皮肉の呼び方は、柔らかな愛称に変わっていた。


片翼の悪魔と、珍しい白髪の少女。

待ってろよ聖戦。今すぐ引導を渡してやる。


彼女らをずっと見てきた周囲の風は、なんの気負いもなく二人の背中を押すことができた。

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