第2話 対面

時は少し進み、もう何も考えないことにした私は今家の中の椅子に座っていた。

今私を見る人は、人形かなにかと思って素通りしてしまうだろう。いっそそっちの方がいいかもしれない。

家の内装は外見通り簡素なものだった。家具は木製のダイニングテーブルに、またもや木でできた少々大きめのベットが1つ。あとは物が少ないだけなのか整理整頓が行き届いている台所、それにおとぎ話に出てきそうな浴室。

お世辞にも住みたい家とは言えないだろう。

「今日からここに、住む?」

誰もが思っただろう。こんなところに?と。こんな不便な場所と。駅から徒歩何分だと。

......またなんか頭に入ってくる。頭痛するからやめて欲しいんだよな。

話を戻そう。何が言いたいかと言うと、どんな話にも悲しいことに例外はいるということだ。

「やはり、私の「ここ天国説」は間違っていなかった......」

例に漏れず、私もその1人だった。私はこれを恥ずかしいとは思わない。存分に罵ってくれ。

「そんな大袈裟な。お世辞にも住みたい家とは言えないだろ」

先程一回でも、しかも例としてだがそう思ってしまったことをここに謝罪する。

口には到底できないけれど。

コーヒーカップをふたつ乗せたお盆を持った彼女は、やはりこの家に似合いすぎていた。

......もうこの家に住むためだけに生まれてきてるだろ、この人。だってこの人が宮殿とかに住んでるイメージつかないもん。

いや、嘘だ。王妃とかでも別に遜色ないわ。

「そんなことはないです。整ってて、風情があって素晴らしい家だと思います。あ、別にバカにしてる訳じゃないんですよ?ただ、ここ10年近く家という家になんか住めていないんですよ」

数瞬の沈黙。

ん?

黙られると自分が変なこと言ってると錯覚してしまうではないか。え、言ってないよね。

そんなことは急だと言わんばかりに、彼女は謝罪の姿勢をとっていた。

「......すまない。君について深くは知らなかったんだ。踏み込んでいけない部分だった。本当にすまない」

彼女はこれでもかと額を机につけていた。あの机を羨ましがる人間がこの世に何万人いるか。

......売れるかな?

「いやいや何を考えているんだ......って、あ、違うんです。とりあえず顔を上げてください。そんなつもりではなくてですね。......丁度いいので話しておきましょうか」

彼女は神妙な様子で顔をあげた。まだ申し訳なさそうな顔をしていて、こっちも申し訳なくなる。

私はただ小さく頷き、過去を振り返るように話しだした。彼女も口を閉ざし、私の言葉の先を伺う。

私を話を静かに聞いてくれる人種は嫌いじゃない。

いや、まだ神様っていうより可能性も......。

それじゃあ気を取り直して、話を始めよう。



元々いい暮らしではなかった。政治の環から外れ、自分たちの国のことなど何も知らなかった。私にとってはその村が世界の全てであったのだ。その世界の全人口は百人程度であったと思う。小さかったがとても住み心地のよい村だった。

私たちの村は基本的には自給自足だった。自分たちで食料を作ったり、採集したり、ときには狩りをして生計を立てていた。

今日はこれが捕れたぞ、なんて言ってみんなでワイワイ踊るのは私のささやかな楽しみだった。誰も彼もが幸せそうで、悲しみなんかとは程遠い暮らしだった。

七歳にもなれば私も狩りを教えられる。木でできた弓で動物を狩るのだ。

ちゃんとした狩りを行う前に、私の村では試験のようなものを行う。的と弓ひとつずつのとても簡易的なものだった。

たった一回弓を放つだけ。ただそれだけでその一年の自分の過ごし方が左右されるのだ。

村の子供は皆、その試験に向けて膨大な練習を行う。

親から子へ伝承される狩の技術。親にとっては、立派になって欲しいという思いと、自分から離れて言ってしまうという寂しさの葛藤があったのだろう。私の父も鍛錬を行う私をどこか悲しげな目で見つめていた。

しかしそんなことに気づきもせず、私は自分の技術を磨いていった。飲み込みの早い方だったらしく、すぐに追い抜かれてしまうな、と父は何度も私に苦笑を見せていた。

期待に応えようと、私は弓をありったけの力で引き絞る。放たれた矢は、弧を描くようにして的のど真ん中を射た。試験の合格基準は的の中心から半径10cmに入れる、というものだったのだが、私には関係の無い話だった。

試験が終わり、1ヶ月ほどたった天気の良い日。狩りの本番がやってきた。

山に入り、地面の痕跡から獲物を探す。大きな足跡をおっていけば、体長2メートルは優に越す熊と目が合った。

大丈夫、あれは的だ。

そう自分に思い込ませ、矢に手をかけた。

それと同時に、熊の目の下についた傷が目に入った。それは相当昔のものであり、別に気にするようなものでもなかった。

でも私はその傷を知っていた。

まさか、あなたは……。

思い出がフラッシュバックする。それはまだ私が一回り程小さかった時、人目を盗んで森に出かけていった時のこと。無数の落ち葉で埋められた地面にそれはいた。

今にも死んでしまいそうな子グマ。まだ「死」という概念に理解がほとんどなかった私は、どうにかしてこの子を助けたいと思った。何度も森に足を運んでは看病をし、みるみる元気になっていくその子を見て、初めての友達だと嬉しがっていた。

でも、完治が近づいてきたくらいでその子は消息をたった。

なんで、なんで、なんで。なんでいなくなっちゃうの?

その日は日が沈むまで森を走り回った。暗くなる頃には足が動かなくなって、村の人が私を探そうと総出をあげていた。

無事見つかって家に帰っても、私は手が付けられないほど泣いていたらしい。

そう、その子の目の下には、私に見つけられた時にできていた傷があったのだ。

お前、なのか。

私は矢を握る力も失っていた。その私を見て焦った付き添いの父は、迷わずクマに弓を向けた。

獲物だと思って近づいてきたクマは私を見て止まる。その表情には何か愛情に似たものが見えた。

父が弓を引き絞る。

や、やめてぇぇぇぇ!

目の前で崩れ落ちるクマ。その数秒はスローモーションのように長く感じられた。私の悲痛な叫びが森に響き渡る。

この日から私は、矢を放つことはおろか、弓を持つことだって出来なくなった。動物を見るだけで記憶が蘇り、たちまち悪夢に襲われる。倒れる寸前の、あのクマの感情が溢れそうな目。忘れることなんてできやしなかった。

結局私はもう狩り要員から外された。哀れみの目で私を見つめる父は、その時はあたかも自分の子供を手にかけた殺人犯のように思えた。

それから私は家事や村の中でできる仕事をこなすようになった。どうか私に腫れ物を見るような目を向けないで欲しかった。


すみません、少し話がズレてしまいましたね。


そんなことがあっても、村は私の全てだった。それに変わりはない。私の故郷であり、たった一つの家。

都会民からは指をさされ笑われてしまうような私の世界。そんな暮らしでも、私にとっての日常で、暖かくて、大好きな毎日だった。何があってもここにいたい。ここの外で暮らすなんて考えたこともなかったんだ。

不器用で伝わりにくいがどんな形であれ、愛されていると伝わってくる寡黙な父。片親でも彼なりに考えて、私たちを大きく育ててくれた。彼の背中はいつでも私の目指すところであり、尊敬もしていた。

だからこそ、初めての狩りの時にあんな顔をさせてしまったのは、やっぱり申し訳ない。


年の離れた私を、わが子のように気にかけてくれた兄。彼は村でたった一人魔法を使えた。故に村をあげての狩りにはほとんど参加していた。

みんなから頼られる彼は、家族の贔屓目なしに輝いて見えた。

彼は狩りで家に居ないことが多かったが、家にいる時はいつも私に、私のためになることをしてくれた。

狩りが出来なくなり、運動をしなくなった私をよく外へ連れていき、体を一緒に動かしてくれた。俺が遊びたいんだ、と気を使ってくれる彼は本当に優しそうな目をしていた。

いつもは優しいが、怒る時はとことん私を叱った。それは鬼のような形相で、大声で怒鳴ることもあった。それは小さい私にとってはとても怖かったが、それが優しさであることを誰よりも知っていたから、受け入れて反省しようと思えた。

それに彼は絶対に人に手をあげない。喧嘩になったって口論だけで済ませようとし、相手が先に手を出しても、自分だけは絶対に暴力に体を委ねなかった。

いや、一度だけ人を殴ったことがあったっけ。

それは確か同年代の少年だった。きっかけは……そうだ、その彼は姉を泣かせたんだった。

狩りに行かない姉は、狩りに行くために身を粉にする村の子供からしたら、一種のズルのようなものだった。その彼も彼女を良くは思っていなく、兄がいない間に彼女を散々罵った。全く、いちばん卑怯なのは誰だ。

もとより気の弱い姉は最初は言い返したが、じきに顔に不安のような表情を浮かべ始め、最後には涙ぐんでしまった。

帰ってきた兄はその状況を見ると、すぐさま顔を歪め、その少年に近づいていった。

これに関しては私も兄の意志を尊重した。

その後私だって殴ったんだから。

ああ、本当に家族思いな兄だった。そんな兄も、もちろん私の尊敬する人だった。


よく話し、よく笑って、どこか欠けている家族の雰囲気を明るくしてくれた姉。

母は私の物心がつく前に亡くなってしまったらしく、彼女が私の母代わりだった。どこまでも私を可愛がってくれて、本当の母親のようだった。料理はほとんど彼女が作り、私にとってのお袋の味のようなものだ。

それに、彼女は動物を愛していた。手に止まる鳥には慈愛の目を向け、手の中のリスを撫でる姿は、ため息をついてしまうほど優しさに溢れていた。

だから彼女は狩りは好まず、家にいることを選んだのだ。家族のために別の形で頑張る。いかにも姉らしかった。

私は彼女に本当に助けられていたと思う。

あの日村の人に連れられて帰ってきた私を彼女はただ抱きしめ、別にいいのよ、あなたが苦しそうなのを私も見たくないから、と言ってくれた。

彼女の存在はその時の私の拠り所であり、ここなら安心だ、と不安もなくなっていった。私を包む彼女の手は出ていきたくなるのが惜しくなるほど心地よく、ずっとそこにいたいと思ったのを今でも覚えている。

別に本当の母親なんかいなくてもこの家族は私の「普通」でこれ以上ないほど幸せだった。

それだけで良かったんだ。

それでもやはり、この世には神様なんか居ないんだろう。本気でそう思った。

こんな世界で一番美しい家族関係は、ほんの一瞬でただの灰とかした。

その時は知らなかった。村の外では魔法がはびこり、人が星の数ほど死んでいっていたなんて。知らないまま一生をその村で終えられたならどれだけ幸せだったろう。

後に皮肉で聖戦と称される第一次魔法大戦は、世界中を巻き込み、星をも壊すほどの激しいものになっていた。

その中でも戦いに参加しなかった村は、見つかった翌日には兵士で溢れ、一夜で焼け野原になった。川で水をくんでくるよう言われていた私は、赤く染まった村を見て、ただ戦慄した。

なにが、なにが起きている?

手に持った桶を投げ捨て、私は一心不乱に火の手に向かった。近づけば近づくほど震えが大きくなる足。ほんの直前では、動かなくなった足を叩いて、死に物狂いで進んだ。

一歩ずつでもいい、少しづつでもみんなのもとに近づかなきゃ。

やっとの思いでたどり着いた村は、言葉では表せられない有様だった。ショックでほとんど機能を失った五感で、人の死を感じる。

今でも夢に出てくる女性たちの悲鳴、悲鳴、悲鳴。耳を刺すようなその声は、呪いのように耳に残っている。

横を見ればこれまで住んでいた、簡素だが思い出で溢れた私たちの家。そこに残された記憶など気にもとめずに火は勢いを増していく。

そこは紛れもなく地獄だった。あなたは見たことあるか。ついさっきまでは笑顔を振りまいていた家族があっけなく焼かれていく姿を。さっきまで楽しく話していたんだ。今日のご飯はどうする?とか、今日はいい獲物が取れたんだぞ。あら、こっちだって沢山収穫出来たんだから。家族の幸せの残骸のようなものがまだそこには残っていた。

私は耐えられなかった。今でも思い出しては頭痛がし、気持ち悪くなる。どれだけ時間が経っても私の身体から出ていってはくれない。私はずっとあの日に囚われたままなのだ。

迫り来る巨大な軍兵。

生存者がいるぞ!殺せーっ!

私を見る彼らの目には、人として私を認識している素振りなどなかった。生存者、なんて言ってもその時の私はただの一ポイントだったんだろう。

足が震えて立ち尽くす私。横には弱々しくただ、逃げろと告げる、もう半身が切り裂かれている父。

そこからは記憶がない。時間が経ったということもあるが、やはり私自身が蓋をしているんだと思う。

この時私は人生で初めて死を覚悟したのだ。

私は目が覚めれば、軍基地の治療室にいた。

すぐにやってきた看護師からは、あなたは運が良かったと言われた。その言い方だと私が意地汚く生きのびた、と言いたいのだろう。と、当時思った私は、変化の激しい周囲に追いつけていなかったんだろう。

そこからは早かった。

あくまで「生かされた」立場である私に拒否権はなく、そこに従うしかなかったのだ。

あの悪夢を思い出して涙を流してる暇もなく、一直線に軍兵への道を進まされた。

流れるような日々だったが、その中には優しい大人達がいた。ちょうど私くらいの年の娘がいるものも多く、たいそう大事にしてもらった。

教養がほとんどない私にたくさんの知識をくれた。そこには新しいものが溢れていてとても新鮮だったのだ。

おそらく私は、彼らにどこか家族のような何かを見出そうとしていたんだと思う。忘れられないのならば、別のもので埋めてなかったことにするしかない。

現実逃避のためにがむしゃらに働き、大人たちとの信頼も築いていった。私は真面目で熱意のある皆の娘、という立場を確立していく。

しかし、それでも悪夢は止まないし、心の傷は逆に広がっていくばかりだった。

私を絶望へと落とした兵士たち。それが彼らでないことは間違いないだろう。それは彼らからはもっと温かい、人を思いやる空気が感じられるからだ。

その兵士たちへの復讐心は、私にもう一度火を灯し、銃をにぎらせた。

私の世界の全てを壊したんだ。自分が壊される覚悟は持っているんだろうな。

私が直接壊してやる。それまでヒヤヒヤしながら待っていればいい。

そうするとまだ8歳だった私は、それからの10年弱をあの簡素な建物で過ごしたことになる。復讐の心だけを持って訓練に明け暮れる。戦場に行くとあらば心が震えた。戦争は人を変えるというのは本当だなと、身をもって知っれたと思う。

思えばあの忌々しい日の出来事は、今日の目まぐるしい変化と大差なかった。

ゆったりとした動作でコーヒーを1口飲んだあと、彼女は口を開いた。ガラスの当たる音が室内に響き、なんだか心地よかった。

「改めてすまなかった。それに君の口からそんな話をさせてしまった」

「本当にいいんです。いずれ話すことだったんですから。それがほんの少し早くなっただけです」

「それに同情をしないあたり、あなたは真に優しいひとですよ」

彼女はそれでも反省を続けていた。本当に真面目で、不器用で。こんな人で世界が溢れれば聖戦なんか起きなかったのかもしれないと思ってしまった。

いや、そんな簡単でもないか。だって戦争は人を変えるのだから。この人の優しさも聖戦を経てのものかもしれない。

「私だって後ろばかり見てられないんです。いつかは乗り越えなくちゃいけない」

気持ちの良い風が空気を泳ぎ私の髪に触れる。少し冷たい風。さっきの雪景色の方から吹いてきたのかもしれない。降りしきる雪は、今の繊細な気分の私にはちょうど良かったかもなと、ガラにもないことを考える。

いつか面と向かって幻影を振り切れるときはくるだろうか。

いつか、なんて考えてる時点で、これはただの逃げなんだろうな。そう冷静に判断してしまうところも嫌いだ。私は私を軽蔑する。

「そろそろ、話を戻しましょうか」

今でさえ目を背けてしまうんだから。

彼女はゆっくりと頷き、2回ほどコーヒーカップに口付けた。

「それじゃあ、話をしようか。少年」

冷ややかな声が室内を満たした。気温が一気に下がったように感じる。温度差が酷くて心臓が止まってしまいそうだ。

さっきまでの暖かい雰囲気はどこへいった。

体を温めようとコーヒーを1口。......何だこの苦い飲み物。

「1つ気になったんですが.....」

今度からはミルクを入れてもらおう。

「なんで.....「少年」なんですか?」

「一応女だと自覚はしているんですが」

そう、ずっと気になってはいたんです。そこまで気にはしてなかったけれど。

ああ、「気になる」と「気にする」って結構意味が変わってくるんですね。

私の言葉に彼女はたぶん驚いたらしい。しばし静止していた彼女自身がそれを物語っている。

「たしかにそうか。そうだな。あまり気にしていなかった。無意識だったのか?まあそうだな、気をつけるよ」

何故だろう。彼女はどこか寂しそうだった。

その呼び方出来なくなるだけでそんな辛いの?

今の私には理解できなかった。

私、男っぽいのか?いやそんなはず、ないよね?

「いや、別にいいんです。少し気になっただけなので。少年でいいですよ。

じゃあ改めてさっきの続きをしましょう」

そうだなそうだなと頷いていた彼女の表情は少し明るくなっていった。

「では少年」

直す気はないらしい。別にどっちでも気にはしないのだが。……いや少しばかり新鮮で案外いいものかもしれない。

「まずは何故君が生きているのか、だね」

この人が話し始める時はいつも空気がガラリと変わる。彼女が読めば、子供向けの童話も鬼気迫るサスペンスになりかねないだろう。

「そう......そうなんです。帝国軍の天撃をもろに受けたはずで.....生きていられるはずがない」

そう、有り得ないんだ。その時の王国軍はあれに対抗できる手段など持ち合わせていなかった。あの力の前ではただなされるままで、それを見た兵士の戦意を喪失させた。

そういった威嚇のような効果もあったのかもしれないな、と今になって思う。

「その通り。あれは帝国軍の最高技術だ。並の人間なら骨だって残らない」

あの時、周りの兵士が消えていく光景は未だ目に焼き付いている。本当に呆気なく、人であることを否定されるみたいに。

しかも何年も時間を共にした者たち。私だって同様になっていたかもしれないのだ。

でも、なんで私、だけ?

「それでも君は生き残った。先程の話を蒸し返すようだが、そうだな、少年は運がよかったんだ」

「運、ですか」

もう聞き飽きた。その手の理由は納得がしづらい。納得ができてもそれは自分だけが生きていることに対しての慰めにはならないからだ。

他の人の屍を踏み越えて、醜く生きている感じがする。そうまでして生きたいなんて、その時の私は思っていなかったはずだ。

「ごめんね。他に表しようがないんだ。君だけが治療可能だった。もちろん瀕死には変わりなかったんだけどね」

「私だけかぁ。他のみんなは跡形もなくて、私だけ。悪運だけは強いんですね」

いつもそうだ。私だけが卑しく生き残って、他の皆を見送る。疫病神かなんかか、私は。

「それともう1つ」

彼女の目は一心に私を見つめている。どこまでも曇りのない、信念が詰まっているその目。

彼女の剣幕はこちらが本題であることを明らかにしていた。

「聖戦が終わったのは」

もう一度言葉を拾うように彼女は一息つく。

覚悟を決めた様子で再度口を開いた。


「丁度君が眠りについた日なんだ」


私は正真正銘言葉を失った。言葉が理解できなく、頭の中をただグルグル回っているだけだった。

「信じられないかもしれないが、本当なんだ。私だって未だに信じられない」

最初知った時は彼女だって今の私みたいな様子だったんだろう。それでも私を諭すように穏やかに話し続けた。

その様子に、私の中で何かが弾けた。心の奥にある、決して消えてくれない黒い何か。

出てきてはダメだと理解はしている。理解しているが、私の手ではどうしようもなかった。

「あ、あの日に?有り得ない。終わるどころか、日に日に酷くなっていた。あの醜い戦争が......終わった?そんなの、駄目。そんな呆気なく終わっちゃ駄目だ。そんなのいや。いやいやいやいやいやいや嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌」

「少年、どうしたっ。様子がっ」

「あれは、あいつらは、私の全部を奪ったんだ。私が終わらさなきゃ。全部壊して......」

体の奥底から絶えず感情が溢れてくる。

なに、これ。止められない。

徐々に体の端々が熱を持ち始め、抑えられない黒い何かが実体化しだした。

これは本当に、私?

「......止め、て」

私の目を見た彼女は、哀れみのような苦悩のような言葉に出来ない表情になっていた。

まるで彼女自身が苦しんでいるかのように。

「まだ、ダメだったか」

彼女は聞こえないくらいの声でそうつぶやいた。それから意を決したように目を閉じて、神経を集中し始める。気づけば彼女の背中に7色の羽が形作られていった。

光を灯した緑色の目を私に向け、細い右手には完全な魔法陣が現れていた。

初めて見るはずだ。でも、何故かその光景には見覚えがある気がした。


ああ、なんでだろう。なんか懐かしい感じ......


彼女の手から発される暖かい光は、私の私じゃない部分をゆっくり解凍するようにに鎮めていった。ただ身を任せ、私は私に戻っていく。




数分経ち、やっと私は体の所有権を取り戻した。

「すみません......何が何だか分からなくて」

今でも汗は止まらない。なんだあれは。私の知らない私。でも、ずっと心の奥底にいたのかもしれないと思ってしまう。

何故か簡単に納得いった。納得はしても、心の中は感じたことの無い恐怖が占めていた。

「あれは一体、何なんですか?」

未知の恐怖、いや怪物と言うべきか。私を内からこわしていくような何か。

おそらく私は「危険」な何かなんだろう。もしかすれば彼女は私を見はるための存在なのかもしれない。

彼女は俯いたまま必死に言葉を探している様だった。

「......君にはちゃんと伝える。絶対に。でも......それは今じゃない。君には申し訳ないがこればっかりは譲れないんだ」

彼女の必死な様子は見たことがなかった。その真剣そうな顔には、僅かだが孤独さが見え隠れしていた。ただただ、触れがたかった。

「そう、ですか。あなたがそう言うのであれば、従います。私に信じれる人は、今はあなたくらいですから」

さっき生まれたばかりのような感覚。私には分からないことだらけで、納得できないことも数え切れない。

でも彼女は私に優しい視線を向け、暖かい言葉をかけ、ただ抱きしめてくれた。

彼女くらいしか信じられない、ではなく、彼女だけを信じたいのだ。

「まだ私には信じられないことばかりです。それでも、あなたからは嘘をほとんど感じられない。そんな人はこれまでで初めてです」

「嘘?どういう意味だ」

ああ、これ説明しづらいんだよな。

分からないことに首を傾げる彼女はどこか幼かった。

「私、人の嘘がわかってしまうんです。少し話せばその人の癖がわかる。嘘に関しては殊更わかりやすいんです。あなたの場合は嘘をつくとき......そうですね、わかりやすいものであれば左手で頬にさわりますね。」

眉毛がピクっとした。わかりやすいなあ

「あとは、右足の親指が少し上がるとか、瞬きを10秒間に6回以上するとか......」

彼女は驚きはしたが、徐々に楽しげな目をし始める。それからすぐに、笑いながら話すように言葉を並べた。

「そんな癖、私自身ですら知らない。列記とした才能だよ。誇っていい」

それじゃあもう嘘つけないじゃないか、なんて笑いながら話す彼女は少し子供っぽかった。

そんな彼女を見て、私は一つの不安が払拭されるのを感じた。

「あなたは、気味悪がらないんですね」

不自然な間。彼女は言葉を探しているようだった。が、諦めた。

「.......何故だ?」

彼女は何も分かっていない様子だった。

その表情にホットする。

ああ、私、やっぱり心配だったんだ。

「いや、いいんです。本当に、あなたという人は」

人にそのことを言えば悪人を見るような目を向けられ、私はいつしか隠すようになった。別にこんな特技、あっていいことなんてほとんどないし、逆に言えば話す相手からしたら面倒臭いことこの上ないだろう。

でも彼女は……。やはり心配の必要はなかったみたいだ。

「とりあえずは信じてみます。

では、聖戦はまさにあの日に終わった。で合ってるんですよね?」

もう進むしかないんだ。あいにく私には振り返ってみても、いいことなんて一個もなかった。

「その通りだ。うん、君はやっぱりつよいよ。本当に」

「強いって、なんなんです?」

彼女が気休めで言ってる訳ではないなど、とうに理解していた。それでも私はそんなことを言われるような人ではないと思う。

彼女が向ける眼差しは私を素直に喜ばせてしまうのだ。

敵わないなぁ。あなたこそ本当に強い。信念があって、彼女の心の、曲がらないなにかが嫌でも感じられてしまう。

尊敬の目を向ける私に微笑み、話を再開した。

「本題はどうして終わったのか、その事なんだが......」

彼女の目には確かに迷いがあった。言うべきか言わないべきか、いや、言ってあげたいが、言えない、みたいな感じか。

彼女に続きを口にさせてはいけない。

「言えないんですよね。私には」

多分聞かない方がいいんだろう。別に聞きたくもないし。......嘘。聞きたいは聞きたい。

「ああ、分かってくれると助かる。本当に君は子供か?」

彼女は疑うような顔をしたが、すぐに微笑み、話を再開する。

「それに未だに未確定なんだ。あれはいきなりすぎた。今わかっているのはほんの一部だがまだ外部にでてはいけない。国の機密情報みたいなものなんだ。だからまだ君には話せない」

彼女は面目なさそうに俯いていた。そんな顔はしなくていい。

「別にいいんです。それより私自身の事の方が気になってしまうんですが」

そう、おかしな部分が多すぎるのだ。何故助かったかのかまではいい。だが、この2年のタイムラグは一体なんなんだ。

でも体は時を経ているように感じられない。身長も伸びていなさそうだ。

私の成長期......誰か返してくれ。

「さっきも言ったが、君は運が良かったんだ。いつ死んでいてもおかしくはない状態だった」

顔を上げないまま、本当に本当にと繰り返し彼女は言う。

「目を覚ます見込みは絶望的で、でも誰も君を死なせようとしなかったんだよ。それでつい先日、また命を灯したんだ」

それは奇跡にも等しい話。それが私に起きた。

「信じられないなあ」

もう信じられない出来事が多すぎて信じるも何もなくなってしまったが。

違うんだ、と彼女は首を振る。

「信じて欲しいんじゃない。受け入れて欲しいんだ」

分かってる。受け入れるしか方法がないなんてことくらい。

「少年が目を開けた時、最初に私と目が合った。その時の少年はどこか寂しそうで悲しそうな顔をしていて。その時私が責任もって育てようと思ったよ。本当にただ嬉しかったんだ。こんな気持ちは初めてだった」

そう、君のせいなんだよ、と。

目尻が下がっていて、ああ本当に優しそうな目だ。

「だからね、こんなダメな私だけれど、責任とって私に育てさせてはくれないか」

私の目を見て、力強くそう言った。彼女の目には何か力がありそうだ。有無を言わさないというか。

一度心を固めようとコーヒーを飲む。......やっぱにげーわ、コイツ。てかぬるいな。

核砂糖を4っ入れてからきちんと向かい合った

「私にはまだ分からないことが多いです。私自身のことだってまだよくわかってない。さっきの力のことも。でもあなたなら何があっても私を守ってくれるんですよね」

ただコクりと頷いてくれた。

ああ、本当に嘘じゃないみたいだ。私の嫌いなこの特技も、彼女なら受け入れてくれそうだ、なんだかそう感じた。

「それなら、こんな不束者ですが、私を育ててくれませんか。こちらからもお願いします」

彼女の表情はこれ以上ないほど穏やかで、母親の顔をしていた。私が初めて見る母親。

これからは、戦争なんか忘れてしまうような幸せな日々を過ごせるかもしれない。この人となら本当に家族のような関係になれるかもしれない。

「じゃあ、これからの話をしようか」


そんなことは、まるでない。





「単刀直入にいこう。」

不敵な笑み。彼女のホンモノの笑顔が初めて私の前に顔を出した。ああ、そんな顔でも彼女は人を惹きつけるんだ。私は唾をゴクリと飲み込んだ。

「少年はもう、人を殺めることに躊躇いはないかい?」

さっきまでの緩んだ空気は、一瞬にして弛緩した。




「私もひとつ聞いていいですか?」

彼女は何も言わなかったが私は無視して続ける。


「あなたが嘘をつく時の癖まだ沢山あるんですよ」

私の滅多に見せない笑顔。

「さっきの話の中であれば、そうだな。嘘ついてる時、自分が俯いたまま話してるの、知ってました?」

彼女はもう驚かなかった。ただニヤリと口角を上げ、前とは比べ物にならないほど楽しそうな顔。





そう、私に明るい未来なんてない。あいにく、

平穏な日々など私は欲しくもなんともないが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る