第6話 舞踏会

 城に戻って、さてアリアはトイに平謝りだった。

「申し訳ありません。家出などと」

「良い。わたしの配慮が足りなかった。さするに、ソナタの料理屋を、この城の一角で開くのはどうだろうか」

「……え?」

「無理にとは言わぬ。なに、この城のコックたちも、ソナタの腕を見込んでいる。店を開くのなら、城のコックも日替わりで遣わすが、どうだ?」

 アリアがぱっと顔を明るくする。わかりやすくてかわいらしいと思う。トイは決してアリアの自由を奪いたくない。いや、もう既に、妃として迎えた時点でアリアを縛ることにはなっているのだが。

「では、師匠もそこに呼んでもよろしいですか?」

「ああ、かまわん」

「あと、オープンに当たって、常連さんたちにもわかるように、昔の店に張り紙をしても?」

「……それは少し考えさせてくれ」

 常連客を大事にするのはわかるのだが、何分、妃としてのアリアを付け狙う輩が現れることは十分に注意せねばならない。王族とは常に暗殺が付きまとうものなのだ。アリアにはその自覚がないようだが。

「ああ、どうしよう、うれしいです」

「そうか。よかった」

「はい。あ、あと、仕入れも昔なじみの方々に連絡しないと」

 コックたちと仲良くするのは少し癪だが、アリアの為ならなんでもしたい。トイはにこやかに夢を話すアリアに、心奪われるのだった。


 ダンスの練習は相変わらずうまくいかず、アリアは自分の才能のなさに嫌気がさしていた。しかし、踊れないからとアリアのお披露目の舞踏会が延期になるわでも、ましてや中止になるわけでもなかった。

 とうとう迎えた当日に、最終的にトイは、自分以外の貴族王族とは踊らないようにとアリアに釘を刺した。

「ソナタのダンスはまだまだ未熟故、わたしがリードする。幸い、わたしとならばかろうじて踊れるようだし」

「す、すみません。私みたいなものが妃なんて」

「いや、謝るな。ソナタは十分に努力した」

 本当は、自分以外の男と踊る姿を見たくないがための取って付けた言いわけだった。しかしアリアは素直ゆえに、トイの言葉を「アリアはダンスが下手だ」と取ってしまった。うまくはないとはいえ、踊れることは踊れるようになったにもかかわらず、アリアは料理以外のものに対して消極的で否定的だ。

「ああ、私はなんにとりえもなくて」

「アリア。最初から気になっていたことだが」

 とうとう我慢できず、トイが口をはさんだ。

「アリアは素晴らしい女性だ。なのになぜ、そうやって自分を否定する?」

「私が素晴らしい……? 王子さまこそ、なにをおっしゃっているのですか?」

 真顔で返されてしまい、トイは深くため息をついた。

「料理が美味い。心根が優しい。人と打ち解けるのが早い。誰とでも平等に接する。明るく朗らかで人望もある」

「ちょちょちょ、え? なんです急に?」

「ソナタの好いところだ。ほかにもあるが、言うか?」

「や、待ってください。買いかぶりすぎです。料理以外は」

「料理は認めるのか」

「はい。だってこれは、私にとってのアイデンティティですから」

 料理に関しては多少傲慢になれるのに、そのほかになるとすべてを否定する。厄介だ。

 この少女に、自分のいいところをどうやって認めさせようか。

「でも、そうだな。あと一つ、特技がありました」

「ほう、それはなんだ」

「はい。一度私の料理を食べたお客さんの顔は、忘れません」

「ほう。それはなかなか珍しい特技だな」

「そうなんです。私の魔法って、味の分析でしょう? それに付随する副反応だと思うんですけど。私の料理って、多少私の魔法の力が練りこまれるらしいんです。だからか、私の料理を食べた人のことは、一度見たら忘れませんよ」

「なるほど、ソナタの小料理屋で、常連客に対して味の好みを記憶していたのはそのためか」

「え、そんなことまで知っているんですか?」

 トイはアリアを城に迎える前に、アリアのすべてを調べぬいた。アリアを妃に迎えるまでのたった一晩で、アリアに関する資料を読破したのだ。

「王子さまって、少し怖いところありますよね」

「怖い?」

「いや、だって普通、一目ぼれした相手とはいえ、そこまで調べられるとちょっと怖いです」

 そういうものなのだろうか。多少ショックを受けながらも、トイは、

「次からは気を付ける」

「あ、いえ。王子さまに指図するなんて、私にはそんな権利ないので」

 あわあわと両手を顔の前で振って、アリアはにこやかに笑った。最初のころに比べて、最近は素の笑顔を見せてくれるようになった気がする。一歩前進、というところだろうか。

 だとしても、今後は好いた人間のこととはいえ、調べるならアリアに一言許可を取るべきだな、とトイは思った。


 ダンスパーティーが始まる。

「わ、すごくきれい」

 部屋にはシャンデリアが輝き、貴族王族たちはきらびやかなドレスを身にまとい、アリアはつい見惚れてしまう。

 さらに今日のアリアは、一段と飾り付けられた。

 最上級のシルクのドレスに、ビジューで飾りをあしらった。ビジューは数千個を手縫いで縫い付けてあるそうだ。オーガンジーもふんだんに使い、髪の毛には宝石のついた髪飾り。

 アリアの髪は、絹の様に細いくせっけだ。アリアは自分の髪の毛が好きではなかったが、トイはアリアを膝に乗せ、アリアの頭を撫でるときよくこう言った。「絹の様に繊細な髪の毛も美しい」

 その細い髪の毛はラフにまとめられ、宝石はシルバーのものを。アリアの髪の毛は、トイの白銀と対になるようなきれいな金色だ。瞳の色はグレー。この瞳の色もまた、トイのお気に入りである。いわく、「わたしの髪の色と同じ」だそうだ。

「まあ、あれが王子さまのお妃さま? ずいぶん子供ですこと」

「本当。小さくて折れそう」

 アリアは子供ではない。トイの年齢が二十歳で、アリアの年齢は十七。そこらの貴族ならば、もうとっくに嫁いで子供をなしている年齢だ。

 背が低いのは仕方がない。遺伝か、あるいは幼少期にろくにものを食べられなかったからか、確かに平均よりも低い、百四十センチ台だった。

「気にするな。ソナタは美しい。嫉妬だ」

「王子さまって、本当に動じませんよね」

 動じてないものか。

 こんなに美しく着飾ったアリアの手を取り歩いているのだ、かっこつけたいし、いいところを見せたい。転ばないように歩くので精いっぱいだ。本当は、こんなにかわいらしい姿のアリアを、誰にも見せたくない。末期だ。

「王子さま、舞踏会が終わったら、料理場で一緒に料理、食べましょうね」

「ソナタはこんな時まで食べ物の話とは」

「だって、それを楽しみに、この堅苦しい舞踏会を乗り越えられるってものですよ」

 ふんふんと鼻歌交じりにアリアが歩く。物おじしないのは生来の性格だろうか。

 下手をしたら、トイのほうが緊張しているかもしれないと思った。


 あらかたの挨拶を終えると、会場に曲が流れ始める。

「……いよいよですね」

 アリアの表情が、今日一番引き締まる。

「ああ、大丈夫だ。わたしのステップに合わせていれば」

 早く終われ、そう思っているのはアリアだけではなくトイも同じだった。

 みな、アリアに注目している。こと、貴族の老人たちが、嫌らしい目でアリアを見ていることに耐えられそうにない。

「さあ、踊ろう」

 トイがアリアの手を取った。そのままダンスのポジションをとる。ワン・ツー・スリーでステップを踏む。アリアのドレスが優雅に揺れた。

「まあ、見て」

「ああ、さすが王子さまの選んだ方だ」

「付け焼刃にしては上出来だこと」

「美しいわ」

 賛否両論である。しかし、アリアの耳にはなにも入らない。とかく音楽を耳で拾って、ステップを間違ええないように足を踏み出す。

 右足、左足。

 足がもつれそうになりながらも、なんとか一曲が終わる。

 会場に拍手が巻き起こった。

「ブラボー。王太子妃さま、わたしとご一緒してくださいませんか?」

 案の定、トイに近づきたいのか、はたまたアリアに近づきたいのか、貴族の男たちがアリアに群がり始める。

 あたふたして、アリアは断れない。

 しかし、トイがアリアの腰を引き寄せ、その額に唇を落とした。

「これはわたしの女性ゆえ。今日は誰にも渡さぬ」

「独り占めですか?」

「そうだ」

「そんなことおっしゃらずに。お妃さまのお披露目の席で、お妃さまとお話ができないなんてこと、あっていいんですか?」

 食い下がる男がいた。この国の大臣の一人息子、ムスクだった。端正な顔立ちは王子顔負けに美しい。

「あ、私……」

「おい、わたしの妃に触れるな」

「行きましょう? アリア嬢?」

 半ば無理矢理、ムスクはアリアの手を取って、再び舞踏会の会場の真ん中に歩みだす。

 アリアは最後までトイに助けを求めるよう視線を向けていたのだが、何分場所が悪い。

 トイは来賓に取り囲まれ、アリアをみすみす手放してしまった。

「アリアさま。ダンスがお上手で」

 ワン・ツー・スリーでステップを踏む。足がもつれそうだ。ヒールの高い靴は窮屈で、アリアの足首は既に折れそうだった。

 ムスクがアリアをリードする。

「あの女嫌いの王子さまのことだ。アリアさまもお寂しい思いをしておいでなのでは?」

「寂しい?」

 思わず聞き返せば、ムスクが、「夜のお相手なら、わたしのところに来てくださってもいいんですよ」と耳打ちした。

 むろん、本気でそんなこと言ったわけではない。ただの戯れだ。いや、これはアリアを挑発しているのか、あるいはトイを侮辱しているのか。

 後者だ。と確信したのは、ムスクがダンスの最中にトイに向けた、あざ笑うかのような視線のせいだ。

 バチン! 乾いた音がダンスホールに響く。アリアがムスクを叩いたのだ。

「ああ、お妃さまはご乱心だ」

「アナタ、王子さまを馬鹿にしたでしょう!?」

「わたしはただ、冗談で場を和ませようと」

 冗談にしては悪質だった。

 しかし、現状アリアとムスクの会話を聞いていたものはいない。ならば、この場の誰もが、『妃が乱心した』と思っても仕方のないことだ。

 はめられた。

 アリアに白い目が向けられる。

「やはり平民は野蛮だ」

「今からでも追放すべきだ」

「王子さまは騙されているんですわ」

 みんながみんな、アリアを非難する。消えてしまいたかった。

 しかし、そんなアリアの手を取ったのは、まぎれもなくトイだった。

「わたしの妃に、なんたる無礼を働いてくれた!?」

「え、王子さま、わたしは」

「ムスク公。ソナタがいくら大臣の子息とはいえ、わたしの妃が乱心だと?」

 その剣幕に、ムスクは恐縮し、こうべを垂れた。

「も、申し訳ありません、王子さま!」

「ソナタ、アリアになにを申した」

「なにを……さて、なんだったか」

「アリア? なにを言われた?」

 アリアは言葉に詰まった。この場で言える内容ではないからだ。

 アリアが黙ったことで、トイは大方アリアがなにを言われたかを察したようだ。ムスクを会場から追い出して、自身もアリアを連れていったん会場を後にする。


 自室に入って、トイはアリアを抱きしめた。

「怖かっただろう」

「こわ、かった……? 私が?」

「ああ、震えている」

 ここで初めて、アリアは自分が震えていることに気が付いた。

 トイといるときは感じたことのない、男性に対する恐怖心。あの男は、アリアを性欲のはけ口の様に扱ってきた。それがトイを侮辱するためとはいえ、それはアリアにとってこれほどの恐怖だったのだ。

「王子さま、私」

「いい、言うな。どうせ、下世話な話をしてきたのだろう?」

「……ムスクさま、は……王子さまが私に寂しい思いをさせてるから……だから夜のお相手をしましょうか、と。言ったんです」

「……! よもや、わたしのアリアにそのような下賎なことを」

「そう、なんです。そうなんですよ。私、王子さまと一緒になって、寂しい思いなんて一度もしていないんです。そりゃあ、窮屈な思いはしましたけど、王子さまは私のことを第一に考えてくださいますし」

 思い出して、だんだん腹が立ってくる。なにが夜のお相手だ。こちらから願い下げだ。

「本当、失礼ですよね。王子さまが女性嫌いっていうのも、きっとなにかの誤解なのに。王子さまを馬鹿にする人間なんて滅びればいい!」

「……! ふっ、ははっ」

 怒る焦点が少しずれている気がする。トイが思わず笑えば、「なぜ笑うんです」とアリアは余計に頬を膨らませた。

「アリア。ソナタは自分のことでは怒らぬのに、わたしのためには怒ってくれるのか?」

「だって、だって。みんな王子さまを誤解しているんですよ」

「誤解、か……それはあながち誤解でもない。わたしはアリア、ソナタ以外の女に優しくするつもりはない」

「……え? なぜです」

「優しくする価値がないからだ」

 その目は少しだけ濁っていて、アリアはそれが悲しかった。アリアはトイの手をきゅっと握る。あたたかい、こんなにも。

「王子さま、に。お願いがあります」

「なんだ。珍しい」

「はい……私以外の人間――女性にも男性にも、優しくしてあげてください」

「……なぜだ」

 心底解せない、といった様子で、トイがアリアを見下ろしている。

「なぜって……王子さまはこんなにお優しいのに、他者から誤解されるのを見るのは嫌なんです」

「だが、わたしに寄って来る人間は、みなわたしの権力におもねっているだけだ」

「……! そう、なんですか?」

「ああ、そうだ。政治とは、そういうものだ」

 むっと口を結んで、アリアは考える。しかし、元来勉強が得意でないアリアに、トイの言葉はいささか難しかった。

「それでも、私はみんなに優しくする王子さまが好きです」

「なに。ソナタはわたしが好きなのか?」

「……? はい。コックのみなさんも、師匠のことも。みんなのことが大好きですよ」

 色恋に疎い娘だとは思っていたが、アリアにとって自分はあくまでお飾りの夫のようだ。

 この不毛な恋を実らせるためには、ここはひとつ、アリアの言うことを聞くほかになさそうだ。

「善処してみる」

「わあ、ありがとうございます!」

 にっこり笑ったアリアから目をそらす。アリアの頬がほのかに桜色に染まっていたことに、トイは気づけなかった。



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