第5話 師匠

 城を飛び出して、アリアは当てもなく走った。当てなんてないはずだったのに、いつの間にか自分の小料理屋の跡地にたどり着いていた。

「あれ」

 わいわいと小料理屋がにぎやかだった。

 アリアは恐る恐る小料理屋に足を踏み入れる。

「いらっしゃーー、あ! アリア!」

「え。師匠?」

 そこにいたのは、アリアが五年間旅路を共にしてきた人物、アリアの料理の師匠でもある、コトンだった。

「アリア、心配したんだぞ」

「師匠、師匠……!」

 ばっとコトンに抱き着いた。見知った顔に、気持ちが緩んだ。涙があふれる。ぼた、ぼたり。

「アリア? どうした?」

「師匠こそ。なんでここに」

「いやな。そろそろ俺も、全世界を回り終えたんで、オマエと一緒に料理屋をするのも悪くないと思ってな」

 つまり、アリアがいなくなったこの店を守ってくれていたらしい。

「師匠、私。もうここには戻れそうにないんです」

「なぜだ」

「なぜ……話すと長くなるんですが」

 アリアの真剣な面持ちに、しかしコトンは、

「今は昼飯時だから、店を手伝え。話はそれからだ」

「……はい!」

 久しぶりの小料理屋は、やはり楽しく充実している。

 アリアはやはり、自分のフィールドはここなんだと、改めて実感した。


 あらかた人がはけてから、アリアはコトンに事情を話した。

「なに、オマエがあの気難しい王子の妃だったと」

「はい。どうやらそうなってしまったようで」

「はー、こんなこともあるもんだな」

 頭を手でペチンと叩いて、コトンが目を真ん丸にしている。

「私もなにがなんだかわからなくて」

「だが、妃がこんな場所に来て大丈夫なのか?」

「それは……」

 うっと言葉に詰まったアリアを見て、

「さては、家出してきたな」

「なんでわかるんです?」

「オマエはいつもそうだ。嫌なことがあるとすぐに逃げ出す。料理以外はてんで我慢ができない」

「うう、言い返す言葉もございません」

 はあ、とコトンのため息。

「それで、外でずっとオマエを見守っているのが、例の王子さまか?」

「え?」

 ばっと振り返ると、店の入り口に人影が動いた。その人影はドアを潜り抜け、こちらへと歩いてくる。

「おうじさま……」

「すまぬ。わたしがふがいないせいで、ソナタに窮屈な思いをさせた」

「いえ、そんな。王子さま、政務は?」

「ソナタより大事なことがあるか?」

 かっとアリアが頬を赤くした。コトンはははん、とうなる。

「本当に、王子さまはアリアを大事に思っているんだな」

「し、師匠、そういうからかいは」

「ああ。俺はアリアをなによりも大事に思っている」

 さらにアリアが顔を赤くする。どうやら、『まんざらでもない』らしい。

 コトンは、くっく、と笑いを漏らして、

「王子さま。この娘は幼くして両親を亡くし、不遇な幼少期を送ってきました。ゆえに少し、自分に鈍いところがあります」

「それはわたしも感じている。城のものの陰口にも笑顔で対応するなど……わたしに言えば、そのような不埒な輩は解雇できるというのに」

 やっぱりですか、とコトンは笑った。

「俺はアリアの親代わりみたいなもんなんです。だから言わせてください。アリアを頼みます」

「あ、いえ。こちらこそ、アリアを幸せにしてみせます」

 なにやら、両家の顔合わせの様になってしまった。挟まれたアリアはあわあわと両者を見て、コトンとトイは、固く握手を交わすのだった。

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