第4話 コックたち

 この城のコックは全部で十人。城に住む王族と、召使いたちの分まで料理を作る。

「平民はそもそも、一日に三食しか食べないもんなあ。この城に来てから感覚がくるってました」

 コック長が魚のグリルを盛り付けながら、アリアに言った。

「そうですよね。私もこの城に来るまで、貴族たちがこんなに不健康なことをしているとは知りませんでした」

「おどろきますよね、最初は」

「はい」

 魚のグリルには、木の芽のソースを添える。そして、付け合わせにはアリア自家製の味噌汁。

「発酵食品は体にいいんです。本当はナットウとか出したいんですけど、あれはこの国では不評だったので」

「ナットウ……どんな料理です?」

「……大豆を発酵させた……ねばねばした食べ物です」

「ねばねば!? それは腐っているのではないですか!?」

「いや……まあ、そういう反応になりますよね」

 今日はヒノモト風のメニューだ。焼き魚に木の芽をすりつぶして味噌を混ぜたソース、みそ汁に香の物。お浸し。漬物は、キュウリを塩もみしただけの手軽なものだ。

 粗方作り終えた頃、息を切らしたトイが顔を出した。

「あ、王子さま。もうすぐ出来上がりますよ」

「すまない。今日は政務に忙しかった」

「いえ。一緒に食事をできるだけでも、私は幸せですので」

「……! そうか」

 出来上がった料理をコックたちが運んでいく。

 食事の間の大きなテーブルに、アリアとトイは向かい合わせに座る。そうして、出来上がった食事を口に入れると、トイがほうっと息を吐いた。

「優しい味だな」

「はい。木の芽の風味もお楽しみください」

 トイはアリアが作った味噌汁が好物である。味噌の風味がたまらないのだそうだ。

 そして、今日のメインは魚。最初トイは、魚は腹にたまらないと少しばかり抵抗を見せたのだが、こうやって木の芽のソースを添えたり、付け合わせに野菜を添えることで、満腹感を感じるように工夫している。なにより、アリアの料理はどれもうまい。

「はあ、ソナタの料理、ほかのものに食べさせるのがもったいないくらいだ」

「王子さまったら。でも、このお城の方々は、なんとか食習慣を正せましたけど、城の外の貴族の方々に、どうやって食生活を改めてもらうか」

 うーん、と考えるさまは、王太子妃というよりは、料理人というほうがしっくりくる。

 まだ新婚なのだからトイのことだけ見てればいいものを。そう思うも、きっとアリアは、トイに好意を寄せたりしないのもわかっている。この恋はトイの独り相撲だ。

「王子さま? 眉間にしわが寄っていますが」

「いや、なんでもない。貴族の食教育……それはわたしも策を講じてみるゆえ、ソナタも根を詰めすぎぬように」

 優しい時間が流れていく。トイはただ、アリアとともに過ごせるだけで、幸せだった。


 アリアが料理場で説明をしている。

「これはヒノモトのコンブとカツオブシです」

「コンブ……? 海藻はわかるがカツオブシは……なんだこの硬さは」

「はい。コンブは海藻で、カツオブシは魚です」

「魚?」

 コック長のキースが物珍しそうに鰹節を見ている。手の甲でたたけば、カチン、とまるで鉱物のような音。

「これをこうして」

 専用の削り器で、薄く、薄く削り節が削られていく。

 薄く削ったそれを味見にと、トイやキースに渡される。

「これは……香りが良いな」

「はい。それで、先ほどのコンブを水につけて三十分したら」

 鍋ごと火にかけ、沸騰寸前でコンブを取り出す。そのあと、削った鰹節を加えて火を弱めて一分から二分煮出す。

「そうしたら、布巾を敷いたざるで濾して完成です。この時、濾した削り節は絞らないように」

「なぜだ? 紅茶は最後の一滴がゴールデンドロップと呼ばれるほどうまいもんだろうに。カツオブシは違うのか?」

「はい。濁りが出てしまいます。見てください、この完成しただしを」

 ボウルに濾された黄金色のだしを見て、みんながみんな感嘆の声を上げた。

「これは……コンソメのような色だ」

「ああ、香りも」

 それを一人一人味見して、ほっと溜息が漏れるのだった。

「奥深い……とても三、四十分で取っただしとは思えない」

「でしょう? 西洋のフォンは、肉の下ごしらえや煮込み時間だけでも半日。けれど、ヒノモトのだしはこんなに手軽なんです」

 アリアの目が嬉々として輝いている。

「しかし、このカツオブシとやら、作るのに根気がいりそうですね」

 コック長のキースの言い分はもっともだった。

 鰹節は、まずカツオを背と腹に分けて、一尾から四節に切り分ける。

 その後、茹でて蒸して、骨抜きをする。焙乾(燻製して熱を加える)して傷ついた部分を修正して、もう一度並べて間歇焙乾(かんけつばいかん)する。ここまでで荒節と呼ばれるものが完成する。

 さらに荒節を半日ほど天日干ししてから表面を削る。カビをつけやすくするためだ。削ったものを裸節という。

 そこから二、三日干したらカビ付けして、室で貯蔵する。そのあとは天日干しとカビ付けを何度か繰り返したら本節の出来上がりだ。

 ここまでで大体百五十から百八十日かかる。

「なるほど。これは画期的ですね」

「でしょう? カツオブシは作るのに手間がかかりますが、だしを取るのにそう時間を要さない。それに、一度だしを取ったコンブとカツオブシは、二番だしと言ってもう一度だしをとることができます」

「なんと。二回もだしを」

 トイが感心したように声を漏らした。

 二番出汁は主に、煮物などに使われる出汁だ。

 だしを取ったコンブとカツオブシを鍋に入れて、沸騰したら追いガツオして、一分ほど煮出せば二番だしの完成だ。

 これにはトイも舌を巻く。

「なるほど、みそ汁のうまみはこれがあるからなのか」

「さすが王子さま。話が早いです。だしは、ヒノモトでは『うまみ』と呼ばれる、味の一種なんです」

「『うまみ』」

 アリアの言葉はなにひとつ知らなかった。アリアは十二の時からいろいろな世界を旅してまわっていたのだと聞く。この少女は、自分の知らない世界をたくさん教えてくれる。

「ソナタは料理をしているときが一番生き生きしているな」

「はい! 私は料理人なので!」

「その前に、わたしの妃であることも忘れずにいてほしいがな」

「あ、そうですね。すみません」

 いまだアリアは、自分が妃としてここにいていいのかわからない。そもそも、周りの人間でアリアをよく思わないものがいるのも事実だった。


「なんであんな平民が王太子妃になったのかしら」

「しっ、聞こえるわ。きっと悪辣な手段を使ったのよ」

 聞こえてますよ、と思いながら、アリアは窮屈な城を歩いていく。

 この城には毎日様々な客人が訪れる。その中でも貴族たちはアリアに白い眼を向けているのが現状だった。

 特に、きらびやかなドレスに身を包んだ少女たちは、アリアを蹴落とさんと必死である。大方、アリアのような人間が妃になれたのだから、自分も側室になれるのでは、と期待しているのだろう。

「王子さま、この度はご結婚おめでとうございますぅ」

「ああ」

「ところで、お世継ぎはまだなのですか?」

「まだアリアが妃になって二週間だが?」

「あはは。冗談ですってば。ご寵愛を受けていらっしゃるので、お世継ぎもすぐにご誕生するでしょうね」

 ぴき、とトイのこめかみに青筋が立った。

「ソナタ、わたしとわたしの妃を侮辱するのか」

「え。いえ、あれ」

 アリアを妃にしたのだから、少しは柔らかくなったのかと思ったのだろうが、トイはそう一筋縄ではいかない。

 こうやって女を武器に言い寄られると、反吐が出る。トイの女嫌いは輪をかけてひどくなったようにも思う。

「お、王子さま。お客さまにそのような言葉は」

「だがこのものは、ソナタを侮辱――」

「いいんです。私みたいなものが妃になれば、反発も起きるでしょう」

「ソナタは――」

 お人よしが過ぎる。

 ぎゅうっと今すぐ抱きしめたいのをこらえて、トイは政務を執る。

 アリアを横に大事に座らせて、難しい話はアリアにはちんぷんかんぷんだ。

「王子さま、私が同席する意味とは?」

「ソナタを国の内外に広めるためだ。あとは、ソナタを一人にするとすぐ料理場に入り浸る故……ソナタは私のものゆえ、そばに置いている」

「ええ……」

 過保護だな、とアリアは思う。トイはアリアに対してなにか世話の焼ける子供とか、そんな見方をしているのかもしれない。

 城の中を見学して回るのだって、時間があればトイはついてくるし、お風呂に行く時だって、トイはアリアの護衛にと、風呂場の前で陣取っている。

「ああ、王子さまって変わった方ですね」

「そうか? 大事な人を守るのは男の役割だろう?」

 そんなことを真顔で言えるところも、変わった人間なのだと思う。


 さて。

 妃になったからには、国内外にアリアをお披露目する舞踏会が開かれるのはわかりきったことだった。

 しかし、アリアは生まれてこのかた平民だ。ダンスの心得なんてあるはずもない。

 だから、トイがアリアにダンスを教えることになったのだが、これがもう、うまくいかない。

「え、足、え」

「こちらだ。右左、右」

「右、ひだり、あっ」

 カツ、とヒールでトイの足を踏んでしまい、アリアは恐縮してトイに頭を下げる。

「も、申し訳ありません」

「良い。気にするな」

「ですが……もう一週間になりますが、一向にうまくならず……」

「大丈夫だ。まだあとふたつきはある」

 微笑むトイのなんと美しいことか。アリアは顔を赤くしてトイから離れた。

 そもそも、男性が女性の手を取り、腰に手を添えて踊るこの体勢がよくないのだ。

「王子さま。私踊らなきゃダメですか?」

「なにを。ソナタの為の舞踏会だぞ?」

「でも、でも。私は踊るよりも、裏方でパーティの料理を作りたいんです!」

 舞踏会が決まってから、コックたちは毎日ああだこうだとパーティのメニューを楽しそうに考えている。いや、真剣に考えているのだが、アリアには楽しそうに見えてしまうのだ。

 自分もあの中に混じって、パーティの料理を考えたい。

 手軽に食べられるカナッペには、クリームチーズやキャビアを乗せて。

 サラダも必要だ。農家から直接仕入れた新鮮な野菜に、それから、隣国のカルパッチョも作りたい。カルパッチョは生の肉を使うが、ヒノモト流にアレンジするなら、生の魚で作ればさぞおいしいだろう。

 カクテルはきらびやかな色のものを使用して、それからマカロンやマドレーヌと言った焼き菓子に、そうだ、シンの揚げ菓子もつけよう。

「アリア、ソナタまさか、料理にかかわろうとしていないだろうな」

「え。ししし、してませんよ。レシピを考えてなんて」

「そんなことだろうと思ったよ。そうだな、当日の料理は厳しいが、レシピの助言くらいなら――」

 ぱっとアリアが顔を明るくする。まるで子犬がしっぽを振るがごとくその顔に、ほだされてしまう。

「では、少しここを離れても?」

「ああ。夕刻までには戻ってこい」

「はぁい!」

 ドレスを翻して、アリアが走っていく。天真爛漫だ。料理のこととなると見境がなくなる。

 それがアリアの長所でもあり、短所でもある。


「なるほど、スシの応用ですか」

「はい、カルパッチョにするんです」

「ですが、この国では生の魚を食べる習慣がないゆえに、今回は見送ります」

「ええ、なんでです。食べたら絶対においしさをわかってもらえますって」

 アリアはキースに文句を言った。

 キースの考えたレシピは、ローストビーフ、魚の一口グリル。生ハムをバンケットに乗せて、サンドイッチと焼き立てのパン。ウィンナーに野菜のマリネ。

 キイチゴのムースにビスケットとアイスクリーム。

「うーん、どれもおいしそうですね」

「ありがとうございます」

 正直、ここのコック長の腕前はなかなかのものだ。そもそも、アリアの様に味を分析する魔法がないうえでの料理なのだから、料理の腕だけで言ったらどうしたってキースのほうが上なのだ。

「早く舞踏会にならないかなあ」

「アリアさま。アリアさまは召し上がっている時間なんてないと思いますよ」

「え!? なんで?」

「なんでって……主賓なのですから、ほうぼうにご挨拶することになるかと」

「ええええ。そんなぁ」

 しゅん、としょげるアリアを見て、キースもどうにかアリアにこの食事を食べさせたいと思ってしまう。

 なじにしろキースは知っている。このアリアこそが、『小料理屋 磯』の女主人なのだ。

「じゃあ、アリアさまの分は別に分けておくので、舞踏会が終わったらお出しするようにしておきましょうか?」

「え! いいんです?」

 いいもなにも、そこまで楽しみにされたら、料理人としては食べてほしくなるというもの。なにより、自分が丹精込めて作った料理を、アリアに食べて評価してほしかった。

「俺も腕によりをかけますので、召し上がったら忖度なしの感想をお願いしますね!」

「はい! それはもう楽しみにしています!」


 そこからは、キースは企業秘密だとレシピ開発をアリアに見せてはくれなかった。

 アリアの魔法で材料が分かってしまうとはいえ、食べる前までどんな料理が出るのか、想像して楽しんでほしかったのだ。

「はぁ、今日もうまく踊れません」

 何度もトイの靴を踏んで、すねを蹴って、どうやらアリアにはダンスの才能がないらしい。

 しかしトイは、根気強くダンスの練習に付き合っている。それがいたたまれない。

「すみません。不出来な妃で」

「いや、そんなことはない。ソナタはわたしの自慢の妃だ」

「じまん……具体的に王子さまは、私のなにが気に入って妃に迎えたのですか」

 いまだ城の半分のものはこの結婚に反対している。悪口を言われているのだって知っている。

「ソナタを悪く言うもののことは気にするな。わたしはわたしの意志でソナタを探し、ソナタを妃とした」

「だから、その理由を」

「……理由などない。一目ぼれだと申したであろう」

 それは初日に説明された。だが、納得はしていない。なにに一目ぼれしたのだろうか。

「王子さま、は。買いかぶりすぎなんですよ」

「買いかぶってなど」

 ここにきて、不満が抑えきれなくなった。それはそうだ、アリアはこの城に着の身着のままで嫁いできた。友達と言ったら、料理場のコックたちくらいで、しかしコックたちもアリアが王子の妃だと知るや、どこか踏み込んでこないところがある。

「アリア?」

「王子さまは、本当は誰でもよかったのでは?」

「それはどういう……」

「だから、好きでもないのに私を妃にして、本当は権力争いから逃れるために、私を利用して――」

 途中で、アリアはハッとして言葉を止めた。トイがそんな人間でないことは、この一か月で嫌というほど知っているはずなのに。

 悲し気なトイの瞳に、アリアはいたたまれなくなって走り出す。

 ダンスで靴擦れしていて足が痛い。けれど今は、心のほうが痛い。

 トイの気持ちを疑うなんて、自分は最低な人間だ。


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