第2話 アリアの料理

 アリアの料理は、世界各国のあらゆる料理が再現されている。

 スブタ、スシ、ボルチチ、ハンバーガー、フライドチキン、ハクマイ、メン。

 アリアの店を訪れたものは、そのどれを食べても舌鼓を打ち、店を出る頃にはアリアの料理のファンになっている。常連客も多い。

 なのに、アリアはトイの妃としてこの城に移り住んだ。急な料理屋の閉店に、常連客には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「え、これ全部食べるんですか? 先ほどコース料理を食べたばかりですよ?」

 城での食事は、基本的にコックたちに任されている。この国一番のコックに作らせたコース料理は、一日に五回提供される。

 貴族の間で、美食ブームが巻き起こっている。しかし、人間が一日に食べられるご飯の量は限りがある。反して、貴族たちの道楽は、美食をたしなむこと。

 だから貴族たちは、食べた料理を吐き出しては食べ、吐き出しては食べ。そういうことが、貴族たちの間では『普通』だった。

「この羽を喉奥に入れて、先ほど食べたものを吐き出してください」

「え、ちょっと待ってください。吐く? 食べ物を?」

 なんて罰当たりな。アリアは大いに拒んだ。

 召使が困惑する。美食は貴族の最上級のたしなみだ。だから、アリアの行動が理解できない。

 しかし、理解できないのはアリアだって同じだ。せっかく食べたものを吐き出すなんてこと、できるはずがない。一生懸命作ってもらった料理を吐き出すなんて。

「王子さまも、こういった食生活を?」

「はい。王子さまも同様です」

 アリアは思案する。

 アリアがこの城で生きていくためには、まずこの食生活を改善する必要がありそうだ。


 不便があったらなんでも申せ。そう言ったのはトイのほうであるし、だがそれは、ただの社交辞令かもしれない。いまだトイの腹の内が読めないアリアは、まず最初にトイに相談する前にキッチンへと向かった。

 忙しそうに料理をするコックたちは、フレンチを皿に盛り付け、美しくソースで絵を描いている。まるで宝石箱のような美しさに、ついつい前のめりに見入ってしまう。

「おい、誰だオマエは。料理の邪魔だ」

「ああ。ああ、申し訳ありません。でもこの料理、本当に美しい……!」

 基本的に、アリアは食べたものを分析はできるが、こういった盛り付けのセンスだけは自分の努力で磨かねばならなかった。いつだってアリアは料理に興味津々だ。

 もともとは、親せきをたらいまわしにされた際、アリアの料理の腕だけは親戚も重宝したため、仕方なく料理の腕が磨かれたのが発端なのだが。それでも今は、アリアは自分のために、料理をしている。

 料理屋を営んでいるころは、お客さんが喜ぶ姿を見るのがなによりも好きだった。

「ああ、食べてみたい。これはジビエに……キイチゴのソース?」

「お、お嬢ちゃん、わかる人間だね。そう、これはキイチゴのソース。ただし、特別な隠し味が入れてある」

 ああ、ああ、とアリアが嬉しそうに目を輝かせるため、コックもアリアについいらぬことをしゃべりだす。

「味見するかい?」

「え、いいんですか?」

「いいさ。この城の人間は、どうせ料理なんて味わったらあとは吐き出して終わり。一瞬の娯楽としてしか考えてない」

「わかります! 料理は作り手にとっては子供も同然なのに、この国の貴族は少しおかしいです」

「はは、貴族さまにそんなこと言ったら怒られるぞ?」

 コックがナイフとフォークをアリアに渡した。アリアはジビエを一口大に切って、キイチゴのソースをたっぷりとつけて口に入れた。

「んふぅ!」

 あまりにも幸せそうに食べるため、コックもまんざらでもないように鼻を鳴らした。

「ジビエ……これは鹿ですね。丁寧に臭み抜きされてる。塩水に一、二時間つけたんですね」

「そこまでわかるのか?」

「はい。あとこのキイチゴのソース……ショウユが入ってますね」

「なんだと!? 俺の隠し味がこうも簡単に……いや、そもそもなぜショウユの存在を知っている!?」

 ぴしゃりと言い当てられて、コックは面目丸つぶれだ。しかし、それよりも、アリアの正体が知りたいようで、アリアに質問攻めである。

「なぜ知っている? オマエも料理人か? ならばあの店に行ったことがあるのか? 街の料理屋、磯……それしか考えられん。俺はあそこのスシを食べて、このキイチゴのソースを思いついた」

 早口にまくし立てられ、アリアはさてどう説明するか迷った。そもそも、その料理屋、磯、の店主がアリアなのだから、この料理の隠し味に気づいてもおかしくはない。

 とはいえ、アリアには食べたものを分析する力がある。だから、一口食べただけであの料理がどれだけ『丁寧に』作られているかもわかってしまうのだ。

「あーと。そうですね。私の魔法が、『味の分析』なんです」

「なに……なんて羨ましい力」

「うらやましいとか、初めて言われました」

 もっと、国の役に立つようなスキルだったら、アリアの人生も違ったに違いない。だが今は、このスキルがあってよかったと思っている。アリアにとって料理は天職だ。

「でも、そうですね、このソース、改良の余地がありますね。バルサミコ酢を入れるんです。味がしまりますよ」

「なるほど!」

 バターで炒めた玉ねぎに赤ワインとバルサミコ酢、隠し味のショウユとメインのキイチゴを加えて煮詰める。最後に風味付けのバターを加えたら、キイチゴのソースの完成だ。

「おお、これは……!」

「バルサミコ酢がいい味出してるでしょう?」

「ああ。それで、アンタは本当に料理が好きなんだな。味の分析のスキルがあるにしたって、こうも簡単に俺のレシピをアレンジするとは」

 コックが参った、と笑っている。

 そこに王子が顔をだし、コックが恐縮してこうべを垂れた。

「ソナタたち、このものが誰だかわかっていてそのような口を利くのか?」

 アリアのことである。コックたちは顔を見合わせて、首をフルフルと横に振った。

「その方は、どちらさまなのでしょう……?」

 恐る恐る口にすれば、

「わたしの妃だ。明日にでも婚姻をあげる、わたしの大事な女性だ」

 ひ、と料理場の全員が青ざめた。そんな高貴な方がなぜここに。

 アリアが慌てて口をはさむ。

「あ、王子さま。私がこの方たちの邪魔をしただけで」

「ソナタもソナタだ。なぜ料理場になど足を踏み入れる?」

「そ、それは……」

 もごもごと言い淀み、しかしアリアは意を決して、

「貴族たちの食生活に、あまりにも驚きましたので……実態調査というか」

「実態調査?」

「はい。美食をたしなむのはよいことです。しかし、一日に五食食べるために、食べては吐いて、吐いては食べて。それでは、体を壊します」

「それは、わたしの体を案じてくれているということか?」

「まあ、そういうことになるのでしょうか」

 ふむ、とトイが顎に手を当てる。

「ならば、ソナタが思う、体に良い食べ物とは?」

「そう、ですね……アジアの食べ物――特にシンやヒノモトの食べ物は、体にいいと聞きました。シンには『医食同源』という言葉があります。医は食から、食は医、という考え方です」

 アリアの声に、迷いはなかった。アリアは今まで、いろいろな国の料理を食べてきた。

 シンでは、体を温める香辛料や、あんかけなどの料理、また、食材も漢方に使われるようなクコの実や八角などが使われる。

 ヒノモトでは、魚を中心にした食事が基本で、西洋と違い脂質の摂取量が少なく、それが体にいいのだと、アリアは旅をする中で気づいた。

 もちろん、西洋の料理も体に悪いわけではないのだが、何分、魚の油や野菜よりも、肉やバターなどの脂の濃い食事が好まれる。

 だからアリアは、西洋料理だけでなく、バランスよくアジアの食事も日常に取り入れればより健康になれるのだというところまでは知っている。

 アジアのとある研究者が、そういう研究結果をまとめた本がある。残念ながら、彼の研究は先進的過ぎて、誰にも理解されないのだが。しかしアリアは、この理論は間違っていないと思っている。

「なるほど。それほどまでにわたしを思っているとは」

「いえ、そこまででは」

 トイはアリアのことになると少しポジティブすぎる思考に陥るようだ。アリアは苦笑しながらも、

「それで。王子さま。私はこのお城で、コックとして働きたいのです」

「なに? ソナタ、自分の立場はわかっているのか? ソナタはわたしの妃となる。一国の王太子妃が料理などと」

「ダメですか?」

 しゅん、としょげるアリアに対し、トイがうっと言葉に詰まる。トイはアリアに弱い。それはもう、なんでも言うことを聞いてしまうくらいには。

「わ、わかった……では、わたしの食事はアリア、ソナタに任せよう」

「ありがとうございます!」

 にぱっと笑うアリアを見て、トイがくらっとめまいを催す。純粋無垢なこの娘にどうやって、自分の妃だという自覚を持たせようか、頭が痛い。


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