第144話 ケ・ベッロでバイト①
——— 今日から夏休みだ。
これからバイトだが、まずその前に、翠の病気に関する話からだ。
結論から言うと、医者は「完治」とは言わなかった。江藤さんが以前言ったとおり「躁状態」の可能性はまだ拭えないと言う事で、暫く様子見となった。
ただ、制限とかは特に無く、やりたい事をやらせて大丈夫という事だが、一般常識から外れるような事を言い始めたら要注意との事だ。
そして学校から貰ったバイトの許可だが、許可を貰う際、教頭には「医者から病気は治ったとは言われていないが、今は人前に出ても大丈夫」と話している。ただ、ウィッグはそのまま継続して被るとも話している。
教頭は「ウィッガーが減らなくて良かった」と安堵していた。一応、旧校舎の空き教室の鍵は借りたままだ。
——— そして夏休み初日。今日から早速バイトだ。今、翠と二人で「ケ・ベッロ」に向かっている。
当然、今日の俺と翠の髪は自然体だ。俺は後ろに纏めてゴムで留め、前髪はカチューシャで上げている。ついでにキャップも被っている。
翠もウィッグを付ける事無く、キャスケットを被っている。ついでにメイクも施してるから滅茶苦茶可愛い仕上がりになっている。勿論、メガネを添えて。
「お仕事……撮影と違うんでしょ? 何するんだろうね?」
「せいぜい、陳列棚の整理とか棚卸しとかだろ? 慣れたらレジ打ちかな? レンタルショップと同じだろ」
「ちょっとワクワク」
「そうだな」
そうこうしているうちに「ケ・ベッロ」に着いた。
裏口から入ると店長が出迎えてくれた。
「待ってたわよぉ」
「今日から宜しくお願いします」
「それじゃ、早速これに着替えてね」
そう言うと、ハンガーが付いたまま、上下セットで服を一着手渡された。翠はイヤリングとバレッタも渡された。
着替えが終わり試着室を出ると翠はまだ出てきていなかった。少しすると出てきたのだが、その様相に皆、溜め息をついて見惚れる。ただ、皆、慣れたもんで、直ぐにこっちの世界に戻ってきた。
「相変わらずとんでもなく可愛いですね」
「今日はメガネなんだ?」
「あ、私、普段はメガネなんです」
「なんか、メガネとイヤリングってデザインハマるとアクセサリーの相性抜群ですね」
取り敢えず、店内の服の配列などを一通り確認した。
今陳列されている商品は、三分の二が今年の夏物。残り三分の一は秋物だ。
開店十分前だ。店長から俺達の動きについての指示が出た。
「最初の三十分は店の前で立ってて。呼び込みとかはいいから。ちょっと気取った立ち方してくれるだけでいいよ」
「はぁ……」
今一つやる事のイメージが掴めず、ちょっと気のない返事をしてしまった。
——— そして開店の時間になった。
俺と翠は指示どおり店の前に立った。
店の前には結構広めの庭のような空間があって、足元は白い石のようなインターロッキングブロックが敷き詰められている。そして、植樹やベンチが点在している。
スペースとしては車が十台は駐車出来るが、植樹とベンチが邪魔で駐車場としては使っていない。
目の前の道路も歩道も車道もレンガっぽいインターロッキングブロックが敷き詰められており、何となく公園ぽい雰囲気を出している。
道路そのものは車も走れるが一方通行だ。
ただ、ここを走る車は運送車両が殆どで、一般車両は滅多に走らず、限りなく歩行者専用道路のような扱いになっている。
因みに裏口に回るのは裏の通りからしか入れないのと建物の脇を通れないので結構遠回りになる。
店の外に出た俺達は、其々自分のパネルの前に立ってみた。
ポーズを取っても人がいないので二人で肩幅程度に足を広げて仁王立ちだ。
徐々に通りに人が増え始めると、店の前を通る殆どの人がこっちに視線を送る。
「宗介、なんか見られ始めてるね」
「手、振ってみたら?」
翠は三人組で歩く女性に軽く手を振ってみた。すると早速レスポンスが返ってくる。
「わぁー♪」
「可愛い」
「綺麗」
呼び込みはいいと言われていたが、俺も思わず声が出た。
「良かったらお店見てって」
その一言で三人の女性から「キャー!」っと黄色い声が上がった。
その声がキッカケになったのか、ドンドン人が集まり始めた。
「あの……写真撮ってもいいですか?」
という質問もあった。店長からは特に何も言われなかったが、ネットの掲載だけは避けたかった。
「SNSの上げなければ……上げるなら顔は隠して下さい」
と、一応の条件を付けた。最近の人は肖像権なりプライバシーの意識が高いので、無断でネット上に上がる事は無い。上がれば即裁判沙汰だ。
——— そして徐々に通りも騒がしくなり、
「パネルの人? わぁ……」
「マジ? マジだ! ちょっと寄ってこ」
と、軽い感じで入店する人も現れ、三十分もすると、店内も客が溢れてきて、入店に人数制限を設けた。
約束の三十分になったので俺達は店内に戻った。
「ありがと。暫く店内でお客様の対応お願いね」
「分かりました」
「それからネーム。これ首から下げといてね」
ネックストラップの名札を渡された。名札には「ヤマダ」とカタカナで書かれている。翠のは「タケダ」だ。
一応、念には念を入れ、店長にお願いして偽名にしてもらった。もうバレてもいいんだが、翠の思うところもあってそうして貰った。
ふと、後ろから視線を感じ振り返ると、一人の男性が俺の服をマジマジと見ていた。
「すみません。今あなたが着ている服の色違い有りますか?」
「えーっと、こちらになります。サイズはここにあるもので全てになりますのでご了承下さい」
「すみません。貴女と同じ服を……」
「少々お待ち下さい」
翠も同じような対応をしている。
時間が経つと質問の内容も徐々にバリエーションが増えてきた。
「すみません。この服に合うボトムスって……」
「あのー……この色合いだとどうなんでしょう?」
アドバイスが欲しいといった質問が多い。
こうなると、センスで受け答えするしか無かった。
いいのか? ファッションの専門学校とかにも行ってないズブの素人がこんな対応していいんだろうか?
そうこうしているうちに、客足は少なくなり少し落ち着いて来た。
時間は既に午後一時を過ぎていた。
「お昼ご飯食べて来ていいわよ。ただ、この紙袋持って歩いてねぇ。お食事は喫茶店とか出来るだけ人目の付くところでお願い。あと、紙袋はウチの店名が周りに見えるように意識して」
そう言うと、店長から大きからず小さからずな紙袋を渡された
「食事が終わったら一時間くらいデートして来て。はい、これ経費ね」
そう言って、一万円手渡された。
しかし、仕事中にデートして来いって……そんな指示ってある?
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