第130話 巨人殺し(3)


「ニャー♪」


 ご主人はすごいニャ!――とミヒルは喜んでくれている。

 だが、俺としては複雑な気分だ。


 レベルを考えると技能スキルの威力が、おかしな事になっている。

 明らかに遣り過ぎオーバーキルであり、文字通りの番狂わせジャイアントキリングだ。


 技能スキルのひとつひとつはキチンと機能しているので、この場合は『俺に原因がある』と考えるべきだろうか?


(もしくはエーテリアだな……)


 感情や妄想力が影響を与えている――というのとは違うようだ。

 やはり俺の持つ、地球での概念がいねん技能スキルに影響している気がする。


 それを引き出しているのが『女神の加護』という可能性は高い。

 だが、それを俺に与えた彼女自身は無意識なのだろう。


 でなければ説明してくれるハズだ。俺が、この異世界に対応できるように『世界全体が便宜べんぎはかってくれている』といった感じがする。


(世界のことわりを俺が変えているようで怖いが……)


 守ることの出来た命もある。

 俺は足元でニャンニャンはしゃぐミヒルの頭をでた。


 仮に【概念武装】と名付けておこう。

 横文字にするとビジネス用語みたくなりそうなので、今はこれでいい。


 しかし、俺のレベル30に対して、巨人サイクロプスはレベル50といった所だろう。

 普通に考えて、俺が勝つのはおかしいのだが――


(どうやら、レベル差をめるなにかがあるようだ……)


 俺は巨人サイクロプスが黒い霧となって消えてゆくのを確認する。

 巨大スライムの時のように、全体が消失するまでには時間が掛りそうだ。


 勿論もちろん胴体どうたいぷたつにされて生きているハズはないのだが、油断は禁物である。


 突如とつじょとして動き出す可能性もあるので――ミヒルを連れて――この場を離れる事にした。それに、まだ6体の巨人が残っている。


(内2体は失明しているが……)


 すぐに俺たちのる場所へと向かってくるだろう。

 一旦いったん、竹林のある場所まで戻ることにする。


 さて、誰にも知られないままほろんでゆく『自己犠牲』の精神を教育された日本人の力を見せてやるとしますか。


 確か学校の教育――国語の教科書には――自己主張をうながす物語はっていなかったハズだ。


 逆に自分を主張することなく、黙々と善行を積むような物語が多くっている。

 昔は『公民』という授業があったらしいが、俺は受けた事がない。


 『現代社会』の授業がソレに近いのだろうか?

 中学生くらいでやるような内容の気もするが、初めて受けたのは高校の時だ。


 恐らく、故意こいに授業の開始を遅らせているのだろう。

 記憶を辿たどると、あまり重要視されていなかった気がする。


 本来なら、社会との関係を学ぶための教科なのだが――


如何いかに自分の考えを持たせないか……)


 憲法で言論の自由が保障されている日本だが、実際に教育で力を入れていたのは『その点』だろう。


 学力の低下を理由に『話す』『聞く』といった能力は軽視されている。


 道徳教育や人格教育の徹底によって『大人にとって都合のいい、人格の画一化かくいつかが行われた』と言っても過言ではない。


 規則ルールという名の呪縛じゅばくを受けた世代が『今の大人たち』というワケだ。昭和の教師は『生徒に自分の意見を持たせたら、恐ろしい事になる!』と思っていたらしい。


 自己主張する能力を子供たちから奪った。結果、ブラック校則が生まれた事から、教育する側にも問題があったのは確かだろう。


 とある研究によると、自己主張ができるようになる事で、他者への攻撃性が下がるそうだ。


 思い当たるのは老人だろうか?

 会社勤めの頃、駅で声を上げている姿を見た事がある。


 まあ、歳を取ると前頭葉の機能低下で感情がおさえられないと聞く。加えて、自分の思いを伝えるのが難しくなり、不安や苛立いらだちを感じて攻撃的になるのはあるだろう。


 『承認欲求』については「他者と同等でありたい」「他者より劣っていたい」という欲求も含まれるようなので異なるようだ。


なにやらマゾっぽいな……)


 歴史から見ると1960年代の後半には学生運動もあった。

 不良漫画が流行はやったように、1980年代には中学・高校で暴力が激化。


 喫茶店やゲームセンターは不良の溜り場だ。このような経緯から『生徒を規則ルールしたがわせる』という考え方が強化されたのだろう。


 250年ほど前までは丁髷ちょんまげで刀を振るい、国民同士で斬り合いをしていた民族でもある。イカれている方が『本当の姿』なのかもしれない。


 そんな日本でも2020年には『主体的・対話的で深い学び』を柱とする新学習指導要領が――段階的にだが――導入された。


 18歳からは選挙権も与えられている。

 2022年度には『公共』という科目が高校の授業でスタートしたらしい。


(これからの日本が良くなる事に期待しよう……)


 そもそも、人は環境に左右される生き物だ。

 教育によって俺たちの世代は『受け身の立場』となっていったのかもしれない。


 『偏差値』も日本特有の基準らしい。そのため『創造性』や『個性』をどう伸ばすかよりも『ひとつでも多くの公式を覚えろ』と教師たちは考えるのだろう。


 日本人は謙虚な国民だ――とも言われるが、それは自信が無いとも取れる。

 情熱を持つと無駄に暑苦しいと言われ、人前で夢を語れば笑われる。


 いつしか個性のない、周囲に合わせるだけの人間になってしまった。

 確かに『大人になる』という事は、そういう事だ。


 だが、それは「自分はこういう人間だ」という自信や「変化を起こす」という情熱を失ってしまったとも言える。

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