第40話 それぞれの夜
花嫁の付添をしていたユリカが一休みして宴の隅でつまみ食いをしていると、酒樽片手のエンマが通りかかった。
「てっきり、お前達が先にこうなるものかと思っていたが」
族長の代理として砂里を率いて、先日ついに新しい湧水点を見つけて大移動を果たしたエンマだが、喜ばしい日とあってはるばる砂里から幾人かの民を従えて霊峰を登り谷を訪れていた。
彼の視線の先には雛壇で酒を勧められて困っている花婿と、そこから杯を奪って豪快に飲み干す花嫁ナンナの姿がある。
少し下がると、ナンナに娘を重ね合わせて感極まったのか号泣を続けるカドーロと、その隣に同じようにめそめそと肩を震わせているナンナの父親カマクの背が見えた。娘を持つ父親同士で奇妙な絆が生まれているようだった。
かつての事件の後、ナンナは砂里とルンノの連絡役として二所を往復することとなった。
そうして頻繁に行き来をしているうちに、よく顔を合わせる羊飼いの青年と恋に落ち、あれよあれよという間にこうして婚姻にまで至ったのだった。
「何の話ですかね」
つんとすましてそっぽを向くと、エンマは困った顔をして唸る。
「……む」
しばらく考えた込んだ末に何か思いついたのか、エンマは足早にその場を去って行った。
◆◆◆
「おい、ディーハ」
「ふぁい?」
道化役の得意な青年は、既にあちこちで酒杯を受けてふらふらと酩酊状態にあるようだった。
エンマは彼の肩を掴み、囁く。
「もしかして、お前はあれか、あの娘に求婚していないのか」
「え、したと思うんだけど返事が貰えてない感じっすね。まさかナンナさんが一番乗りとかねぇ」
「…………」
へらへらと笑うディーハ。一つのよろしくない推量が思い浮かぶエンマ。
「まさかとは思うが、あの子が水都の霊廟で気絶しているときに嫁にすると言っただけじゃなかろうな」
「あ」
ぽかんと口を開けるディーハ。
「そうかも~」
「…………」
「どうりでなんかここのところ妙に冷たくされると思った。ちょっくら求婚してきますわ」
身なりを直そうともせず、千鳥足でユリカの方に行こうとするディーハの首をとっさに掴むエンマ。
「待て」
「ぐェっ」
強引に引き寄せてから、半ば恫喝するように言い聞かせる。
「場所と、時間を考えろ。一生を左右する言葉だぞ」
「よく知ってるんすね、お嫁さん居ないのに」
「……殴りたいがナンナとあの娘に免じてやめておく」
背後でわっと歓声が上がった。
壇上の二人が歌と拍子に合わせて踊り出したのだ。
周囲にも立ち上がり賑やかに舞の輪が広がっていく。とうてい揃っていない足並みで、それでも皆笑い合い幸せを共有しているようだった。
「いってきまぁーす」
賑やかな音を背にしながら、怪しい足取りでユリカのいる方へと向かうディーハ。
たきつける時機を間違えたかもしれないと思いながら、族長代理はすっかり好青年となり谷に馴染んでいるかつての忌み子を心配そうに見送った。
◆◆◆
砂里の青年が意気揚々と出発したのと同じ頃。
天人の街、水都にて。
月下、もくもくと一人で水門を操作し、各所の澱を流しているのは、天人の少年クルトだった。
美しい夜だった。水都の白い町並みが月明かりで照らし出されている。
「……もう彼女の結婚式が終わった頃だろうか」
呟いて、ルンノの谷の方角の夜空を仰ぐ。
水都において、死と穢れを司る魔女は、かつて天人から蔑まれ忌み嫌われていた。
魔女ミラによってその真相は暴かれたものの、評価や態度が簡単にひっくり返ることはなかった。
魔女ミラが砂里の族長グイドに弑された後、それまでミラの言葉に大人しく従っていた評議会が再び何事もなかったかのように次代の魔女を立てようとした。
それを何とか押しとどめ、その役は一人の人間に背負わせるものではなく皆で担わなければならないと強硬に主張したのがクルトだった。
そして仲間を募り、ミラに学んでいた水路の操作、そして死者を霊廟へと導く仕事を自分達で始めていた。
最初は賛同者も少ないものだったが、真摯に仕事を続け、根気よく魔女と水都の真実を説く内に次第に仲間は増え、今となっては評議会よりも多くのメンバーを擁する一大組織となってしまった。
その代表のような立場に祭り上げられてしまったクルトは、時折水都を訪れて仕事を手伝ってくれるユリカにこう伝えたのだった。
「きっと魔女なんて仕事を無くしてしまって、皆が平等に役割を負うようにしてみせる」
本当は、その言葉の後にもう少しだけ続けたい言葉もあった。
でも、きっとそれを言うとユリカが自分のことを気にかけすぎてしまうだろうから、クルトはただユリカに一連の事件を収めてくれた礼だけを伝えて、そして水都で自らの役割を果たすことを選んだのだった。
「きっと僕は君よりずっと早く死んでしまうから……僕が遺してあげられる精一杯のことをさせてほしいんだ。
……君や、君に続く誰かが魔女としてここに来ないで済むようになるのが、僕の一番の願いなんだ」
短い人生の中のほんの一瞬の間だけの巡り合わせでも、クルトには十分すぎる宝石のような思い出だった。
この願いを次世代へと着実に継いでいくことこそ、クルトの使命となった。
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