第38話 族長のゆくえ

 霊廟の入り口に、ユインとクルト、そしてユリカが立っていた。

 

 グイドだけが現れ、待ち人が出てこなくなったことを悟ると、魔女見習いの娘は沈痛な面持ちで俯くが、やがて顔を上げた。


「ミラから話は聞いています。きっとこうなるだろうって」


 嗚咽混じりにそう言ってから、ユリカは俯いた。


「あなたを責めないようにとも言われています。

 でも……せっかく、分かり合えそうになれたのに、どうして」


 食い下がろうとするユリカをクルトが留める。そして代わりに発言する。


「用が済んだのであればここから去っていただきたい」

「そうさせてもらおう」


 グイドはユインを伴い深夜の水都から脱した。

 あれほどまでに欲して止まなかったはずの天水には、もはや見向きもしなかった。


 ◆◆◆


 水都とルンノを結ぶ道ではなく、霊峰の頂をさらに上へと向かおうとするグイド。


 道らしき道もなく、ただ険しい岩肌が立ちはだかっているそこに一歩を踏み出しかけるグイドに、背後のユインがぽつりと声をかける。


「やはり、お供することを許してくださらないのですか」

「お前は好きな世界で好きに生きろ。砂里に拘る必要はない。

 子に己の名を継がせる必要もない」


 俯くユイン。

 急斜面を、ろくな装備も準備もなく、ただその身体一つでグイドは霊峰に挑もうとしていた。


 風が強く、雲が眼下でうごめいているのが分かる。上方には夏にも関わらず溶けずに残る雪が待ち構えている。


「鬼子は鬼子らしく憎まれながら消えさせてもらう」

「私は、憎んでなどいません」


「分かっている。咎は全て己のものだ。お前達は達者でいろ」


 それだけを言い残し、グイドはただひたすら、霊峰の上を目指すべく足を進め始めた。


 いつまでもユインの眼差しを背に感じながら、族長の座を追われ、ただの罪人となった男は山の向こうへ、まだ見ぬ世界へと上り詰めていった。

 昔、許嫁のある身でありながら訪れていた行商人と通じ、子を為した女が居た。


 新たな命は歓迎されることが多いとはいえ、その事件の場合は泥を塗られた許嫁の支族が酷く怒り、極刑を望んでいたため、生まれた子は産声を待たずに砂に流すこととなっていた。


 だがその前に母親が臨終の床に入り、離れた場所でたった一人で、最後の力で男児を出産した。

 母親は嬰児を抱いたまま事切れたが、生まれた男児は小さかったものの確かな生命の息吹を携えていた。


 生まれてすぐに砂に流すつもりだった。

 だが機を逃し強い産声までを上げてしまったため、男児は死を免れた。

 

 辿れば長に連なる血筋だったにも関わらずどの支族にも入ることを許されず、半端者として生きていたが、持ち前の陽気さと優れた能力で、忌み子であるにも関わらず砂里において一定の地位を獲得し、立派な戦士にまで成長した。


 ――男児の名は、ディーハという。



 忌み子でありながら強く生きてきたディーハと、忌み子であることを隠し続け、砂の城で母に植え付けられた復讐心だけを抱き王のように振る舞っていたグイド。


 果たして、どちらが幸せな人生だろうか。

 そんなことを考えながら、グイドは霊峰を上へ上へと進んだ。


 夕餉の際は必ずいもしない父親の分まで用意する母親だった。

 あなたは族長になるのだから、お父様を見習って立派な戦士になりなさいなどと繰り返し言いつけられた。

 幼い頃は、それを信じてただひたむきに、いつか戻るヨナという父親を待って研鑽した。


 事実を知ったのは母が幸せな夢のままに眠り、砂に流された後だった。


 祖父から代理の支族へ預けていた族長の座を戻すという話になったときに、反対する者が幾人も現れた。


 グイドはヨナの子ではない、バハルの将に孕まされ心を違えたシャダがそう言っているだけだ、そんな鬼子を長にするわけにはいかない――


 支族の長達の会合で、そう告げられた。

 グイドは、一つ一つ、決闘をして着実にその横やりを折っていった。

 

 ときには凄惨な手口すら浸かって数年かけて入念に棘を潰していった結果、晴れてグイドは名実ともに砂里の長となった。

 出生の真相を知る者も、異議を唱える者も、もはやどこにも居なかった。 



 幾度か滑り落ち、爪は剥がれ指は千切れ折れ、既に身体は冷え切って満身創痍だった。まるで登れば登るほど、異界へと入り込んでいくようだった。


 歩んできた道の中で蹴落とし踏み潰してきた者達の恨み言が間近から聞こえてくる気がした。

 だが、グイドはただ一つを目当てに、自身に罪を与えるように山を掴み続けた。


 そうして命を少しずつ削り落としながら、とある尾根を抜けた先に――ついに、グイドは求めている光景を見つけた。


 空の色をそのまま映し出した水面。恐ろしいほどの静けさの中、さざ波の起こる美しい湖があった。

 

 それは天水の源、全ての水源たる広大な火口湖だった。

 天湖と呼ばれ、その存在だけは密やかに魔女達が語り継いできた真の水源だった。魔女ミラが語った話の中の、導きの星が落ちた場所だった。


 夜明けの光が稜線を越えて湖に差し込んでくる。


 言いようのない達成感と、同時に虚脱感が襲い来る。

 グイドはそこで初めて足を止め、細い尾根に腰を下ろした。

 すぐ後ろをついてきていた死の気配がついに自分の肩を叩いたのが分かるようだった。グイドはただその場で天水を眺め下ろしていた。


 眼下の天水に触れ、口にすれば奇跡のように回復をするかもしれない。

 だが、グイドはそれをしようとはしなかった。天人と化すことなど自身の矜持が許しはしなかった。


 そうして凪いだ心で、静謐な水をただ眺める。


 族長になっても、水都を支配しても、ミラの懐に刃を差し入れても完全には満たされなかったからっぽの心に、天水の青さが染み渡っていく気がした。

 

 ◆◆◆

 

 その後のグイドの行方を知る者は居ない。


 砂里は残った支族の長の中で元よりグイドから指名を受けていたエンマが族長を代行し、水都の侵攻という強攻策でぐらついた支族同士の岩盤を再び固め直し、そして谷や水都と連携をとり、水源の問題を解決していくこととなった。


 そして――グイドの子を宿しているユインも、その後砂里に姿を現すことはなかった。

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