第36話 再会の宴

 備蓄してあったありったけの食糧を用いて、ルンノの村人達は砂里の民を迎えるための用意を調えていた。

 豪勢とはけして言えないが、温かい料理も澄んだ水も、砂里の戦士達の心を緩めるに十分なものだった。


 ルンノの村人百人弱と砂里の戦士数十人。

 それだけを収容できる建物はないため屋外に布を敷き餐を並べ向かい合った。

 

 最初のうちはぎこちなかったものの、どの集団にもお調子者が居るもので、とくに酒が入るといつの間にか長年の親友のごとく馴れ合い親しむことができるようになっていた。

 

 カドーロとキルレに捕まったディーハが何やら強めに説教されていたが女性陣に混じって給仕に忙しいユリカは見なかったことにして放っておいた。


 水都から正規の道で追いかけてきたナンナも合流した。

 ちょうど谷から水都に報せにいく使者とすれ違ったとのことだった。

 水都に残留している戦士や麓の家族も呼び寄せ、二日もすればこの谷が狭くなるくらい砂里の民が訪れることになるだろう。


 食べ物は近いうちに底をつくだろうが、それでもこの谷に住んでいる者として遠い支族の再会を祝すのは義務のようなものだった。

 

 ◆◆◆


 そして、夕刻。

 腹を満たした戦士達が今度は水に興味を持ち出し水路に飛び込んだり水を掛け合って遊んだりと童心に帰り始めた頃。


 腕が酷く痛み出したので袖をまくって見てみると、手甲で受け止めきれなかった衝撃のせいか左手の肘から下がどす黒く腫れ上がっていた。


「うわぁ……」


 よくこの状態で給仕などしたものだと我ながら感心するユリカ。

 天水が効く体質ならばすぐに解決するのだが、残念ながら魔女候補にすらなったユリカには治療の効果は薄い。時間をかけて治癒するのを待つしかないのだ。


 そんなとき。

 何となく、本当にただ何となく、この傷を見せて労って欲しい相手の顔が思い浮かんだ。


 ユリカは谷の中央で行われている宴や水遊びをしている面子の中にその顔を探す。

 だが、どれだけ睨んでも目当ての人物が見つからなかった。

 仕方なしに酒樽片手にそばを通りかかったエンマを呼び止める。


「あの、ディーハは……」

「水遊びしてから疲れて寝てる。あっちの家に世話になっているようだが」


 そう言って彼が示したのはかつてディーハが行商人として逗留したキルレの家だった。

 ユリカは呆れて嘆息する。


「寝てるって……」

「お前のためにずいぶんと神経を使ったようだ。責めてやるな。

 あいつ、決闘の間ずっと族長を弓で狙ってたぞ。お前が斬られる前に何とかするつもりだったようだが」

「そ、そうだったんですか」


 ぺこりと頭を下げてからキルレ宅に向かおうとすると、背後から声がかかった。


「無謀すぎてどうなることかと思ったが、最良の形で落着しそうだ。礼を言う」

「はいっ」


 笑顔で応えてから、ユリカは小走りでキルレの家に赴いた。


 ◆◆◆


 主が不在のキルレ宅。

 明かりもつけていないので既に中は暗かった。


 ユリカは奥の客人用の寝室を覗き込み、そこで大の字になって寝ている一人の男を認め、そっと歩み寄った。


 すらりとした体躯の、精悍な顔立ちの男だった。

 目尻は僅かに下がっており、その顔で甘く微笑まれると心が必要以上にざわつく。

 だが、今は大口を開けて間抜けな顔で眠りこけている。


 叩き起こすつもりで来てみたものの、寝顔を眺めるだけで少し満足し、ユリカはそっとその場を離れようとした。


 が、一歩退くその前に、眠っていたはずの彼の腕がもたげ、ユリカを掴んで寝台に引きずり込んだ。


「わ、」


 男の胸の上に倒れ込むユリカ。

 腕を突っ張ろうとするが、その前に力強く抱き込まれてしまった。


「ディーハ、ちょっと、起きてたの……」


 身動きが取れないほどに強く抱かれる。

 肌が強く重なって、否応にもその感触を意識させられる。


「……無茶しすぎだ。心配で心配で死にそうだった」


 低く囁くディーハ。互いの肌を介してユリカの身体の中まで声が響く。


「もう、あんなことしちゃだめだ。

 すごいことを成し遂げたと思うけど、もうだめ。これ以上はおれが心配で死んじゃう」

「……ばか」


 ユリカは抵抗を諦め、ディーハの胸に頬を預けた。

 落ち着いた声とは裏腹に、ディーハの心臓がとても早く脈打っているのが分かる。それがとても嬉しかった。


「何かあったら、代わりにおれがやるから」

「うん」

「おれのことを、もっと信じて、頼って欲しい」

「……わかった」


 力が抜けていく。いつの間にか、優しい眠気が訪れる。


 ユリカは腕の痛みも忘れ、ディーハの腕の中で何日ぶりか分からない穏やかでしあわせな眠りの中へと滑り落ちていった。

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