第35話 落着

 族長を打倒した後、さらなる敵愾心を持つ者は流石に現れなかった。


 尻餅をついたような姿勢で固まっている族長グイドと、腕に食い込んだ剣を突きつけて不格好ながらも勝利したユリカ。

 

 皆がただいきさつを見守るべく固唾を呑んで立ち尽くしている。


 朝日で煌めく水路のせせらぎだけが響く。

 その穏やかな音を破り、真っ直ぐに立ったユリカはグイドを一瞥した後砂里の戦士達を仰いだ。


「血の同胞たる砂里の皆様方。ルンノの谷へようこそおいでくださいました。

 遠くからの同胞の来訪を、我々は心より歓迎し歓待いたします。宴の用意がございます、どうぞ剣を下ろし装いを解き、心ばかりの餐を召し上がってくださいませ。

 麓でお待ちになっているお連れの方々も、是非この水をお持ちになりお呼びになってくださいませ。どうぞ、乾きと疲れを全て、こちらで癒やしていってください」

 

 ユリカが朗々と言い終えて頭を深々と下げた頃、ディーハが村の建物の方で呼びかけてきた。

 朝日の中、ごちそうありますよーと暢気な声で叫んでいる。


「……どういうことだ」


 すっかり気の抜けたグイドが身体も起こさないままで唸る。


「もとからこうするつもりでしたよ。

 ただ、あなた方に占領されたらきっと将来にわたってあなた方にとっても良くないことになるだろうから、とにかく同胞であることを知って、その上で行動して欲しかっただけです」


 ユリカが見つめる前で、ディーハに名指しで呼ばれたエンマが仕方なしに戦士を伴って移動を開始する。


 水都でさんざん見ているはずだが、豊かな緑の中を流れる水は珍しいのか何人もの戦士がユリカ達の方に視線を残しながらぞろぞろと歩き始めていた。


「さっきのは、何だ」

「そこの窪みの近くだけ、見えないけど流れがすごく強くて水を吸っている横穴があるんです。

 村の子らは絶対に近づかないように言われている場所です。どうも下に流れが漏れてるみたいで。

 だから、何とかそこに来てもらうことだけ考えてました。こんな形になったのはまぐれだけど……」

 

 先ほど血止めの布を投げ捨てたときにその流れ方で場所を確認し、最後の賭けとしてグイドをその場所まで誘い込んだのだ。

 起き上がるときにその流れに巻き込まれ掌を穴に吸い付かせ動きを止めたグイドに、ユリカは何とか刃を向けて勝利を得たのだった。


「ここにきてまぐれに負けた、か」

「あと、もう一つ」


 ユリカは手甲にがっちりと食い込んだ剣を外すことを諦め、そのままの手で水路の中を指さす。


「うちの水路には、いくつかこんな感じで水が抜けるところがあります。

 それに、ここで全部使い切ってるってわけでもなく、余った水はまた下に流れます。もしかしたら――」


 ユリカが谷の外を見上げると、グイドもつられて顔を上げた。


「それが、地面や砂の下を通って、砂里にまで繋がっていたりするのかも。

 ここ以上に毒の抜けた水が、ちゃんと届いていたのかも。だって、ルンノよりも長生きしてるお年寄りがいるんですから。全部、かもしれないってだけの話だけど」


 ユリカは両手で水を掬う。さらさらと尊い水がこぼれ落ちる。ユリカはその水に頬を寄せる。口付けをするかのように。


「わたしたちは、ちゃんと一つの水で繋がっていたんだと思う。

 砂里の水が無くなってきたのなら、ここから流す水を増やせばいつかは戻るかもしれない。

 ――まずは、皆で一緒に考えましょうよ。水都と谷と砂里の、水のこと。話し合って、考えて。きっと今より良くなるから」


 グイドは凪いだ表情のまま、何の返事もしなかった。


 やがてユインがグイドに駆け寄ってくる。その表情はただ側近として以上の心配の情を示していた。

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