第32話 谷間の決闘
「そういえば、水都からわたしの迎えって来てたの?」
「ああ……ひとまず病で臥せっていると伝えてお願いして刻限を伸ばしてもらっていたよ。
おまえが逃げたのであればそれでも良いと思っていたが、よもやこんなことになっていたとは」
「……ごめんね、ありがとう」
そしてユリカはカドーロに向き直る。
「話してるうちに一つ、試してみたいことを思いついたの。
お父さんとキルレさんはとにかく村の皆に報せて、今から言う準備をして欲しい。
準備が終わったら麓への道の近くで隠れて、もしわたしが失敗したら大人しく降伏して従うか、様子によってはそこから逃げて」
「それで、ユリカちゃんは、どうするつもりなの」
キルレ夫人がおろおろと見上げてくる。ユリカは拳を、明け空の月を握りしめる。
「言ったら、止められるから内緒です。でも、死にに行くつもりじゃないから」
そして父親の背に手を回し、抱き締めた。
「お父さん、わたしね――」
「ユリカ……」
次の瞬間、ユリカは握り拳を背後から思い切りカドーロの背にたたき込んだ。
どす、と鈍い音が響く。
「ぃだァーー!?」
床に転がり悶絶するカドーロ。
傷めた腰が完治していなかったのだ。脂汗を滲ませながら浅い息をしている様は大変に可哀想なものだった。
狼狽する一同の中、ユリカは君臨するかのように堂々と立って、宣言した。
「村長カドーロは病の床につきました。
これより娘のわたしが長の名代をつとめます!」
◆◆◆
砂里の戦士が里の入り口についたのは、既に夜空から闇が抜け始め、東側から明るくなってきた頃だった。
エンマを先頭に、ユインとグイド、そして精鋭の戦士達数十人が続く。
彼らの顔に疲労の色はない。急な指令の変更にも従い、武器を携えて黙々と山を下ってきたのだ。
谷に入ると途端に緑の気配が増す。行商で他の街を知っている者ですら、思わず感嘆の息を漏らす。
ルンノは美しい村だ。
霊峰の隙間のちっぽけな谷に、隙間なく草木が茂っている。水だけが豊かな水都以上に、ルンノは乾きから遠い存在だった。
構造を見渡し、グイドがそれぞれに指示を出そうとした瞬間、村の方から歩いてくる一人の少女が居た。
「あれは……」
誰であるか気づいたユインが息を呑む。
他でもない、水都に置いてきたはずの虜囚、ユリカだった。
「あの子、どうやって」
波打つ赤毛を揺らしながら、少女はどんどん近づいてくる。
その手に一振りの剣が握られていることに気づいたエンマが身構える。
だが、ユリカはお構いなしに彼らの目の前にまで出てきて高らかに声を上げた。
「わたしはルンノの村長カドーロの娘、ユリカ」
そして、砂里の民の返事を待たずに、ユリカは自らの掌を掲げ、示す。
「手の内に明け空の月を頂く同胞として、砂里の長グイドに決闘による裁定を求めます」
◆◆◆
ユリカの声は夜明けの谷に朗々と響いた。
「水都の魔女ミラの言により、遠い父祖の祈りの証により、我々がかつて源を一とする支族だと分明しました。
水都の天人、谷の村人、そして砂里の民。皆、住む地は違えど血を分けた同族です」
それだけで、水都にて天人を虐げてきた戦士達に僅かな動揺が走る。
敢えて何も告げずに彼らを率いてきたグイドが小さく舌打ちをする。
「同胞である砂里の皆様が遠い砂漠から水と場所を求めて来たことは知っています。
同胞に我々の餐を分け与えることはむろんやぶさかではありませんが、しかし、あなた方の方法であなた方の望むような形での提供はできません。
わたしは村の支族の長の名代です。
わたしが勝ったら、同じ一族としてわたしに従ってもらいます」
ユリカの頭には血止めの包帯が巻いてある。
先刻グイドが霊廟の壁に叩きつけて負傷させたためだ。白いそれには既に血が滲み始めていた。
「大人しく忌み子の嫁にでもなっていれば良かったものを」
吐き捨ててから、グイドは側近にだけ聞こえるよう低く呟く。
「後ろから五人ほど周囲に散らせて伏兵を見つけ次第始末しろ。
ディーハは確実に居るだろう。あとはカマクの娘もだ」
「了解」
ユインがさらに背後の戦士に伝達し、ユリカに見えない位置の戦士達が静かに行動を開始した。
だが、同胞であるという宣言と、それを否定しないグイドに驚かされた者の反応は鈍い。
とくに、水都を攻めるという方針に賛同しなかった支族の者は懐疑的にすらなっているようだった。
背後のその様子を察したグイドは雰囲気を振り払うように威風を纏って一歩を前に出る。そして高らかに宣言した。
「よかろう、谷の同胞よ。
その決闘、謹んでお受けしよう。ただし、我々は民の行く末全てを背負って命を賭してこうしてここに来ている。決闘の際は――」
言いながら、グイドは鞘から剣を抜き放つ。黎明の光を受けた刃が煌めく。
「貴姉の身命まで、賭けていただこう」
砂里で一二を争う戦士が眼光鋭くそう告げると、しかしどう見てもただの村娘である少女は力強く頷いた。
「了承します」
戦士たちの集団の中、少女と少なからず縁を結んでしまったエンマが居心地悪そうに身じろぎをしている。
だが、グイドは構うことなく前進した。
東から夜明けの光が差し込み、草地が眩い緑を誇り出す。
風が抜け、波のように揺れている。
乾きと滅びから見逃された奇跡の村は、一人の少女と一人の男の戦いによって命運を決しようとしていた。
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