第29話 谷への道

「仕方ない。たとえかつての同胞だったとしても、それぞれ立場は違うのだから」


 攻められる立場の心情をようやく実感して恥じ入り嘆くユリカの肩に、そっとクルトが手を置いた。


「――ここは、どこなの?」

「魔女の家。まだ、天人は修学寮に閉じ込められてる。砂里のやつが何人か残って番をしてて、こっちも状況が良くなったわけじゃないんだ」


「せめて、谷に何か合図でも出せれば……そういえば、いつも澱を流す時に光で合図を出すよね。あれって、何か言葉とかは送れないの?」

「ううん……そんなに難しい意味はないはずだ。光を何度か遮って、お互いに確認するだけだから」

「そっか……」


 そうして少しの間しょんぼりと俯いていると、クルトが慰めるように切り出した。


「ここから谷までだと、未知を知ってる僕の足で丸一日かかった。

 傾斜がきついし谷から僕らを攫ったときみたいなこともできないだろうから、砂里のやつらでも到着は夜明け前くらいになるんじゃないか。


 どの道を使ったかは分からないが、あの男……ディーハに頼んで走らせれば、先に里について伝達くらいはできるかもしれない。といっても、あいつが谷で敵だと思われかねないが」


「どこか、近道……」


 砂里の戦士達はおそらく水都と谷を繋ぐ一番確実な経路を辿っているはずだった。

 それ以外にもクルト達が忍びながら降りて来たルートなど、水都と谷はいくつかの道で繋がっている。とはいえどれも険しく、簡単に行き来ができるものではない。


 もっとも早く、確実に繋がる道――水都と、谷のつながりといえば。


「あ」


 はっと気づいたユリカがクルトの肩を掴む。


「そうだ。澱だ。クルト!」


「……え?」


 クルトはしばらくして思い至ったらしく、怪訝な顔をする。


「おい、正気か?」

「確か今は水……澱が溜まってるんでしょ」


 ユリカは疲労も痛みも頭から全てを追い出し、宣言した。


「わたしが、谷まで行くわ」


 ◆◆◆


 外に居たナンナとディーハを呼び入れ、ユリカは計画の要旨を説明した。


 二人とももちろん砂里の戦士で族長の命令に従うことにはなっているものの、心配こそすれ反対はしなかった。

 先んじて村での抵抗をやめさせるという目的なのだから、族長の命令に反するわけではないと解釈できるためだ。


「今ある分で足りないかもしれないから、いくつか町中で水門の操作の必要がある」


 薄明かりの中で、ユリカ、クルト、そしてディーハとナンナが顔を付き合わせる。

 クルトの手には鍵の束が乗っている。今はどこかに姿を消しているミラが遺していったものだ。

 

 鍵の形はやはり、ユリカが村で水門を操作するのに使っていたものとよく似ていた。


「こっちの操作は僕がやる。場所はだいたい分かっているんだ」

「危ないから、気を付けて」


 そこに、ナンナが小さく挙手する。


「私が彼につきます。ディーハは、彼女の方を」

「そうだな。頼む」


 そうと決まればあとは時間との戦いだった。


「みんな。ありがとう。危ないことになったら、すぐにやめてね」


 ユリカが改めて頭を下げる。


「そういうのは成功してからでいいから、急ごう」


 クルトをはじめ、他の面子も立ち上がる。

 

 置いてあった剣を手に取るナンナに、ユリカは改めて声をかける。

 この馴れ合いの中で彼女だけはどちらかというと部外者に近い存在だった。


「あの……ナンナさんも、ごめんね、ありがとう」


「ううん、族長にはちょっとやり返したいと思っていたしね。あなたが先回りできたらきっとビックリするわ。その顔、私も見てみたい」


 決闘により父を負傷させられた支族の娘は黒い瞳をぎらりと光らせた。

 ユリカは苦笑する。


「掟には従うけど根には持つのね」


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