第27話 天水・2

 老婆の手により白い生地に青い糸で美しく刻まれていた紋様は、細部は異なっているものの、間違いなくこの壁のものと同じ主旨をしていた。

 

「そうして、今こうやって、同胞が集うことができた。形はどうであれ、ね。


 ここは今でこそ霊廟と言われているけれど、元々は祈りの間と呼ばれていた。

 三方に別れた支族を送り出した先代の長達が、再会の祈りを込めたところだから。そして、その身に毒を引き受け、死してもなお保ち続けることにより、天水から少しでもその毒が薄まることを祈りながら死んでいった水都の民の祈りが込められているから」


 グイド、エンマ、ディーハ、ナンナ。そしてクルト。ユリカ。

 ミラの言葉によると祖先を同じくする同胞達は、しかし心を一つにして再開を無邪気に喜ぶなどということには、けしてならなかった。


「でも、どうして皆、そのことを忘れてしまったんですか。

 もとは同じ仲間で、憎しみ合ったわけじゃなくて、ちゃんと理由があって離れて暮らすようになっただけなのに」


 ユリカが思わず口を挟む。それは皆の質問の代弁でもあった。


「流れている時間が違うせいかしらね。

 水都に残り天人となった人々は、毒を受け続けて成長が早い分死ぬのも早かった。今は20年、40歳も生きれば良い方よ。

 大人になるのは生まれて10年した頃、子供が生まれてもその成長を見守る前に死ぬ。

 子供は早々に親元から離され修学寮に集められて大人になるための教育を詰め込まれてすぐさま大人になって、子をもうけて死んでいく。


 ――そんな周期で人が生まれ死んでいくうちに、もともとあった崇高な理念なんかかき消えてしまった」


 ミラは自嘲するかのような笑みを浮かべる。


「時折、明け空の月がとくに濃く残って、特別に耐性がある女児が生まれることがあった。その娘には天水の扱いを任せて皆は多大な感謝をしていた。

 魔女だって、もとは崇拝の対象だったのよ。でも、世代はめまぐるしく移って、今の魔女は澱を流す役を負わされている。なぜだか蔑みの対象にまでなって。

 ……まあ、このことに関しては私にも否があるのだけど」


「否?」


 きょとんとするユリカに、ミラは片目を瞑って見せた。

 

 「それはまた、おいおい」と言ってはぐらかしてから、ミラは一歩を踏み出し、グイドの前に立った。


「砂里の族長、グイド。この場で同胞に再会できたことを感謝します。

 長年の死者達の祈りが報われるわ。

 ここにあるのは、秘蹟なんかじゃないわ。父祖が自分達で見つけ自分達で築いたものだけ。ただ未来を願って祈って、死んでいった者が眠っているだけ。

 けれど、何者にも代えがたい大事な祈りの塊であることは間違いないわ。

 さて、あなたはこれからどうするつもり?」


 グイドの横顔に表情はない。

 しばらくの間ミラと視線を交錯させた後、横のエンマを仰いだ。


「そういえば、年寄り共にはこの傷痕があったか」

「薄いものなら、いくつか見たことがあるな」


 そう言って自身の掌を見下ろす砂里の男達。

 だがそこには闘いで負った傷しか残っていない。


「砂里にもルンノにもそれなりの量の天水を分けて持って行って、赤子が生まれるたびに傷をつけて天水の毒への耐性を調べたのでしょうね。

 とくに耐性の高い子は、水都に上がって魔女の役につくこともあったのでしょうね」


「……わたしが、そうでした。赤ちゃんの頃に喚ばれたって」

「あなたが私の弟子だったかもしれないのね。あのときは結局立ち消えになったけれど」


 ディーハの庇護から抜け出し、ユリカはおずおずと掌をミラに向けて見せた。


「ならば、この場は天人どもに使わせた方が上策というわけか」


 グイドの冷ややかな声で、緩みかけていた空気が、その言葉で再びぎゅっと引き絞られる。

 侵略者の頭領は、もはやこの空間に興味がないとばかりに冷めた目をしていた。


「天人どもに毒の濾過をさせて、自らは漉された水でのうのうと暮らす。そんなことができる土地があるようだな」

「それは……!」


 ユリカは思わずふらふらとグイドの前に歩み出る。ディーハが後方で慌てているが、制止まではしてこなかった。


「つまり、真に水を享受するべきならば、そこに住まうべきだろうな」

「だめ、それは、」


 言葉を遮るように、ユリカはグイドに掴みかかる。

 だが、グイドは構うことなく、傍らの側近に向かって新たな指令を出した。


「下谷谷を獲れ」

「やめて……っ」


 なおも縋ろうとしていたユリカは、次の瞬間グイドの繰り出した腕により呆気なく振り払われた。


 とっさに体勢を立て直すこともできず祈りの壁に頭を強くぶつけ、ユリカの意識はそこで途切れた。

 

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