第22話 月夜の侵攻・3
麓の女子供達への護衛に数人、さらにこの野営地に数人が残り、およそ50人ほどの戦士が水都へと向かうこととなった。
中にはユインのような女戦士も数人おり、中には先日グイドとの決闘で敗れ行軍に従わされているカマクの娘の姿を認めることができた。
比較的若い層が多く、エンマより年上の戦士はあまり見られない。
三十年ほど前に東の帝国バハルに蹂躙されたり、数年前に熱病が外より持ち込まれ滅びかけたことがあるため、世代ごとの数に落差があるようだった。
ミラから情報を貰っているためか、霊峰の乾いた山肌へ足を踏み入れる戦士達は万端の準備をしていた。
位置どころか構造や人数にいたるまであらゆる情報を入手しているのでよほどのことがない限り順当に制圧ができるものと思われた。
ユリカの村、ルンノは中腹ほどにある谷だが、東側からは見える位置ではない。
何とか逃げ出して谷へ戻ることも考えてはみたのだが、自分の体力ではどうしようもないことをすぐに悟る。
結局、水都制圧後にルンノへの交渉材料として使用されるという名目で、ユリカは戦士達に虜囚として同行し、かつて夢にまで見たあこがれの街、水都へと赴くこととなった。
◆◆◆
その道程は険しかった。当分はなだらかな山肌は、次第に傾斜を増していく。
夏にも関わらず空気は冷え、いつ転がり出すか分からない岩地をぬってさらに上を目指す。
ミラの指図により適宜休息をしながら、二日間。
一行は脱落者を出すことなく、ついに水都を上方から目視できる場所にまで到達した。
ユリカは最初から荷として扱われているクルト以上に足手まといだった。
ディーハに手を引かれ、何度も弱音を吐きながらの行程となった。それでも、長年焦がれた水都を目の当たりにすると、疲れも忘れて感嘆の吐息が漏れた。
「きれいな街……」
薄い雲を眼下に望むことのできる高さだった。
もう少し上に登れば年中溶けずに残っている雪も見えている。
戦士の中で水に飢えている者が物欲しそうにそれを見上げていたが、水都に入りさえすればもっと簡単に水が手に入ると言われていちおうの納得をしていた。
水都はルンノのように谷間にあるわけではなかった。
山肌を削って平地を設け、石造りの都市を築き上げていた。
雲の上、生命の気配の薄い霊峰において、突然現れるそれはまるで幻想の都のようだった。白っぽい建造物が並ぶ中に、木々の緑もかすかに点在している。
だが、水都を拝むことができたという感動は、すぐさまそこが侵略に脅かされているのだという憂慮に取って代わる。
砂里の天幕の集まりよりも二回りほど大きいだろうか、張り巡らされた水路に煌めく水と石造りの優美な街の様子は、水に飢え放浪の暮らしを強いられてきた砂里の民の目の色を変えるに十分だった。
ユリカはグイド率いる東側から攻め入る集団の後方で、逃亡や水都に逃げ込むことを妨げるためか改めて縛り直された。
クルトも隣に居るが、世話を焼いてくれる双子も居らず、何も食べていないのもあって、既に憔悴しきっている。
今から自分の街を蹂躙されるというのだから、当たり前ではあった。
結局、ユリカは何も事態を好転させることもできずにここまで来てしまった。
そう思うとどうしようもなく心が痛む。
ミラはエンマとともに西側に回り込むとのことだった。
日没後に最接近し、示し合わせて東西から水都に侵入し天人を鎮圧して行き、中央で落ち合う、そんな計画をしているようだった。
日が傾き始め、あたりはいっそう冷え込んでいく。
風も強く、戦士達は外套を被り、岩の陰に紛れて静かに時を待っていた。やがて霊峰の向こう側に太陽が隠れ、影に入った山肌は一気に暗くなる。
隅で縛られているユリカ達のところにディーハがこっそりと近づいて近づいてきたのは、そんなときだった。
「ディーハ……」
「大丈夫? 痛くない?」
太い革紐で縛られているユリカの手を心配するディーハに、ユリカは何も言えずに首を横に振るだけだった。
そんなユリカの気持ちをくみ取ったのだろう、ディーハはほんの一瞬だけぎゅっとユリカを抱き締めて、聞こえないくらいの小さな声で「ごめんね」と囁いた。
状況さえ違えば、どれほど幸せな瞬間になっていただろうか。
ディーハはそっとユリカを解放した後、クルトの方にも向き直る。
「先輩。おれは先輩のこと好きだよ。でも、砂里の戦士として、自分の意思で族長の決定に従う。もう少ししたら、水都に入る」
「……」
顔を背けるクルト。砂里の娘アニとユニに求婚すらされた天人の青年は、この状況が悔しいのか唇を噛んで蹲っていた。
「それじゃ」
視線を僅かにユリカに残してから、ディーハは立ち上がった。
外套が風にはためき、腰に佩いたナイフと、矢筒が見える。
背を向けて集団に戻ろうとしているディーハに、気をつけてとも頑張ってとも言えず、ユリカはただその背を見送った。
たとえ生まれが違おうとも、住む場所が違おうとも、一人と一人ならば、馴れ合うことも好き合うこともできるというのに、多と多ではそううまくはいかない。
利害が衝突し、どちらか一方が、それどころか双方が傷つき衰えていく。
結局自分は何もすることができなかった。
逃げ出すことも、止めることも、何もできなかったのだ。ユリカは自分の無力さを思い知る。
ディーハとすれ違うように一人の女戦士がユリカ達の元へやってきた。
「お二人は遅れて入り、霊廟へ向かいミラ殿と合流するよう族長から指示が出ていますので、後ほど私が先導します」
カマクの娘ナンナだった。
背も高くはなくおっとりと優しそうな顔をした娘だが、今は長い髪をきつく縛り、腰にはもちろん剣がある。
彼女はそのままユリカ達の見張りにつき、側に腰を下ろした。
「ナンナさんは……、ナンナさんのお父さんは、どうして、この計画に反対をしてたんですか?」
ユリカよりも少し年上だろうか、ぽってりとした唇をした戦士の娘は、ユリカのおずおずとした質問に僅かに眉を上げた後、苦笑して遠い目をした。
「誰かを傷つけて飲む水なんて、きっと美味しくない。水が涸れて乾いて死ぬのなら、それが砂里の定めなのだから……って。
父は、私を里から出したかったみたい。でも、こうなったからには族長に従う必要があるから、怪我をした父の代わりに私がここに」
「そうだったんですか……」
「きっと、心から賛成してる支族は居ないと思う。天人が羨ましいけど、憎いわけじゃないもの。水を分けてもらえたら、それでいいのに」
ナンナは肩越しに背後を、明かりの灯り始めた美しい都を見やる。
少しの間、ユリカも同じように水都を遠目で眺めていたが、いつしか不自然に揺れて消える明かりがあることに気づく。
「あ、」
はっと気づいてディーハの去った方向、戦士達が待機していた場所を見ると、既に彼らの姿がない。
「さっき、火矢の合図があったわ。私たちはもう少し後ね」
横のクルトが立ち上がり、背伸びをして水都を見る。
東から次第に黒くなっていく空の下、この距離では悲鳴も剣戟の音も聞こえない。ただ、随所の明かりが揺らぎかき消える様子だけが窺えた。
脱力し、がっくりと膝をつくクルト。
上っ面の慰めなど無駄だろう。ユリカもただ立ち尽くした。
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