第19話 戦の準備
残された者達を包む空気がひどく重い。
静かにセドリクの骸に手を置くミラ、青ざめ立ち尽くすディーハとユリカ、そして自らの掌を見てわなわなと震えるクルト。
「僕らの血が、毒なんて……」
「事実よ」
ミラの静かな言葉に、クルトは息を呑む。
外から、族長グイドの張りのある声が聞こえてくる。戦士達を集め、鼓舞しようとしているのだ。
剣を持て。
足ある者は者は皆集え。
銀月の導きの元に新世界へと征く時が来たのだ。
子らに無尽の水を、未来に豊穣を――
「元々、この子が眠った後に水都に戻るつもりだったわ。こんなことになるとは思っていなかったけれど。でも、きっと良い機会になる」
「何が、良い機会なんだ!
これから何人も死ぬかもしれないのに、なんでそんなに落ち着いて、喜ばしいことみたいに言うんだ!」
ミラの、まるで他人事のような口ぶりにクルトが激昂する。
拳を握りしめ、天幕に漏れ入ってくるグイドの声を押し返すかのように、語気を荒らげる。
「先生も死んだし、あなたにとっては自分を馬鹿にしてたやつらがみんな死ぬから嬉しいのかもしれないけど……
あなたのことを頼りにして、仲良くしようとしていた人だってたくさんいた。そんな人まで皆死んでしまってもいいのか」
泣き出すのを堪えるような顔で、ミラを睨むクルト。
ミラはしかし、か細い天人の怒号など何の痛痒も感じていない様子で、ただ睫を伏せて死者の包み布を撫でている。
グイドの呼びかけに応じて、戦士の鬨の声までもが聞こえてくる。
昨晩水が湧いたことすら気運として、まさに今が砂里に与えられた最後の機会なのだと力説していた。
そして、やがて外のざわめきが大きくなるにつれて、ディーハが落ち着かなくなってくる。
「……おれ、行かないと」
それは、もっとも聞きたくない言葉だった。
だが自分が詰ったり引き留めたりできる立場ということもユリカは理解していた。
たとえ捕虜とどれだけ親交を深めようと、戦士は君主の命に従い戦うことしかできないのだ。
行かないでとも一緒に逃げようとも言うことができず、ユリカは背を丸めて天幕を出て行くディーハの背を見送ることしかできなかった。
◆◆◆
そうして、砂里は戦の準備に入った。
女達は夫の、父の、子のために刃を磨き、旅装を繕い、祈りを込めた。
男達は月下に剣を振るい、虚空を裂いて鍛錬を続けた。子達はそんな父母をただ見上げ、大人しく従っていた。
支族の長達は族長の天幕に集い、斥候と内通者がもたらした情報をもとに水都に至る道筋と、霊峰の岩肌をくりぬいて作ったという石の都の構造を幾度も確認し検討した。
水都には数百の天人が息づいている。
無尽の水に傲りきって音楽を愛で詩を編む蕩けきった生活をしている彼らに防衛の能力はないと判断された。
個々が住まう家の他、大きな構造物は四つ。
若者が暮らし大人になるまで学ぶという修学寮、評議会、そしてはずれにある霊廟と、反対側の水門。
血を流すことは、族長よりいちおうの禁忌として言い渡された。
しかし厳命というほどではなく、人と人が衝突する際に避けられないような流血までは看過するという意図を言葉の裏に読み取ることができた。
足の萎えた者と子供は麓にて待機、戦士達は野営地に陣を張り、機を見て登山し水都へ。
天人を修学寮に押し込み、水門や評議会を占拠、支配権を確立する。
その後麓の人々を呼び寄せる。
大まかにそのような計画だった。
血を流させずとも、天人は水から引きはがし飢えさせればすぐに弱ることは分かっていたので、水路の通っていない修学寮に放り込んでおけば無力化することは容易だと思われた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます