第17話 湧水・2
「わあ……」
ユリカは思わず感嘆の吐息を漏らす。中は強い明かりで煌煌と照らされていた。
大きめの天幕の脇の砂地には細い石の管のようなものが刺さっており、そこから水がやんわりと噴き出している。
ユリカが持ってきたのと同じような瓶がそこにずらりと並んでおり、水を溜める順番に置いているのだと把握できた。
優しい音を立てて湧出す水は澄んだ色をしていなかったが、この乾いた世界では何よりも貴重なものだった。
「あら、どこの子?」
「ほら……天人の……」
中には数人の女が居た。ユインのような戦士以外は基本的に外にあまり出ないようで、ユリカが初めて見る砂里の女達だった。
ユリカの姿を認めて手を止めている。中には裸同然の女性も居り、目のやりどころに困る光景だった。
「あの……エンマさんのところの水汲みのお手伝いで」
「そうなの、じゃあおいで。ついでに身体も洗って行きなさい」
「え、え……?」
遠巻きにされるかと思いきや、突然その中の一人に手を引かれ中央へと導かれる。
厚手の布が敷いてあり、汲みきれずにこぼれた水が溜まるようになっている。
瓶を取り上げられた挙げ句服を脱がされる。
天人は綺麗ねえと皆して眺められる中で、天人ではないと否定する間もなくごしごしと背中を擦られ髪を梳かれてされるがままになってしまった。
そんなとき、次の入室者があった。
「あ」
思わず間抜けが声が出る。日に焼けたしなやかな身体をしたその戦士は、他でもないユリカ達をこの砂里にまで連れてきた片割れのユインだった。
「ユイン、さん」
「来ていたのか」
順番待ちの最後列に抱えていた瓶を下ろすと、ユインは慣れた様子で服を脱いでユリカの横に来る。
日に焼けた褐色の肌にはいくつかの傷痕が残っている。
だが、肌は艶やかで生命力がにじみ出ているようだった。本当に綺麗なのは、きっとこういう人のことを言うのだろう、とユリカは思った。
「エンマさんのお使いです。あの……マフトマさんのところは」
「我らの事情にそれ以上首を突っ込むな」
「……はい」
ぴしゃりと言われ、ユリカは口を噤まざるを得なかった。
確かに、多少の事情を知ったところでよそ者が口を出していい話ではなかった。
ユリカの倍以上の早さで沐浴を済ませたユインは身支度を調え、瓶の水汲みの手伝いを始める。
「マフトマのところへは私が先に持って行った」
「そうですか……よかった」
それ以上会話するつもりはないらしく、ユインはユリカに背を向けてしまった。
◆◆◆
「……ただいま」
「おかえり。気持ちよかったろ」
ユリカがすっかり重くなった瓶を抱えてよろよろと天幕を出ると、すぐ近くにディーハが待っていた。当たり前のように瓶を奪われ、二人は帰路へつく。
月の照らす、静かな夜だった。
水浴びをした後のさわやかな肌に、夜風は少し冷たかった。
「こうなるって分かってて、連れてきてくれたの?」
「まあ本当は覗きたかったんだけど、奥様方とかユイン姐さんが怖いし音だけ聞いてた」
「………………」
「きみの身体がすごく綺麗だってことだけは分かった」
優しい気遣いに感謝しようと思った矢先の、この言動。
その場に投げつけるための桶がないことをユリカは心底悔やんだ。
「いや、まああれよ、新入りとかよそ者だからっていじめられたりしないか一応心配だし、ね?」
すねに蹴りを入れようとしたところで弁明が飛んでくる。
ひとまず上げかけたつま先を下ろし、ユリカは月を見上げる。雲の乏しい空は残酷なほど美しかった。
「エフェメラっていう虫、いなかった」
「あれはもっと東に進んだところの水場だよ。光の周りをたくさん飛ぶんだけど、結構綺麗だから見せてあげたかった」
「……砂里の人って、やさしいね」
「うん」
乾いた世界で生きるために、内側の団結はとても堅いのだろう。
里が少しでも長く存続できるように支族や決闘という仕組みを作り上げ、長きにわたって乾きの世界で生き延びてきたのだろう。
転じて、水に溢れて皆が穏やかで優しい谷のことを想う。
父カドーロは今頃どれだけ心配していることだろうか。再び無事に逢えるだろうか。ユリカが水都に召し上げられる刻限まで、あとほんの僅かとなってしまった。
そして、水都のことも想う。
ユリカの憧れと悔しさの対象だったそこは、今や人知れず存亡の機にある。
ないまぜになった感情が胸の奥を締め付ける。ユリカは小さく呟いた。
「やさしいままでみんなが暮らせたらいいのに」
「ほんとに、ね」
ちゃぷん、と瓶の中の水が揺れた。
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