第16話 湧水

「僕らは学べる年齢になったらすぐに、修学寮に入って一通りの学問を修める。

 僕は他の同期よりもできが悪くて、落ちこぼれだった。

 皆が競うように及第して大人になっていく中で、取り残されてた。そんな僕に目をかけてくれたのが、セドリク先生だった」


 夕刻になっていた。エンマの天幕に戻ったクルトは膝を抱えて座り込み、俯きながらぽつりぽつりと語り始めた。


 セドリクの傍らに残っても良いと言われたものの、 「ミラと二人きりにしてあげるべきだ」とクルトは固辞してユリカとともにサナイの待つ天幕へと帰ってきたのだ。


「何とか及第した後はセドリク先生の家に住まわせてもらって、弟子みたいな形で世話になった。

 ミラのことを知ったのも、そのときだった」


 隣でディーハも神妙に聞いている。

 流石に双子が帰ってくればこのように話をすることはできないだろうが、今はそうならないことを願うばかりだった。


「先生は教官を辞したあと、評議会の連絡役みたいなことをしていた。評議会と魔女の間で通達なんかの行き渡しをして、ミラとはそこで……


 ミラはもう何十歳にもなっている婆さんだって言われていたけど、先生はそれでもミラのことが好きだったみたいだ。

 僕も顔を合わせることも多かったし、皆が思っているように悪い人じゃないことは、分かってたけど。


 それで、セドリク先生ももういい歳になったから隠居しようってときに、突然ミラと先生が居なくなった。


 僕にも何も言わずに、二人だけで水都から居なくなってしまった」


 クルトが拳を強く握る。その点に関してはやはり許すことができないのだろう。


「居なくなったことに気づいてすぐに、水都の端から端まで、色んなところを探した。

 でも、どこにも、居なかった。そのうちに魔女がいなくなったことが周りにも発覚して、評議会が騒ぎ始めた。澱を流す役を押しつけ合って、遺骸の処理なんて誰もやろうとしないし……。

 だから水都を出て……ルンノの谷まで降りてみたんだ」


 そこで君に見つかってしまったと言って、クルトは話を締めくくった。そこから先はユリカも知っている。


 クルトが絞り出すように言葉を漏らしている間、大人しく話を聞いていたディーハがおずおずと声を上げた。


「おれが言えた口じゃないけどさ、やっぱり夢みたいな幸せな暮らしをしてるところなんて、どこにもないんだよな。


 何か一つだけ問題が片付いたところで、全部すっきり終わるわけじゃないんだ。おれらが晴れて水都に住んだところで、今度は何が起きるんだろうね」


 クルトは眉を寄せてそれに返事をしなかった。


 水都に行きさえすれば幸せな暮らしができると信じていたユリカも、何も言うことはできなかった。


 ◆◆◆


 その晩、家主のエンマは帰ってこなかった。


 サナイとアニとユニ、そしてディーハとユリカとクルト、客観的に見ると不思議な面子ではあったが、既に当たり前のように夕餉を済ませた後、並んで横になった。


 だが、静まりかえっていた中に、不意に外から何かの号令が聞こえた。

 飛び起きたディーハが外を窺ってから、月の光を中に入れてもじもじと何やら躊躇っていた。


「……どうしたの」


「水が湧いたみたいだ、汲みに行かないと。主に支族の女の仕事なんだけど……双子ちゃんは前に全部ひっくり返した前科があるし、婆ちゃんは無理だからなあ……

 おれが行ってみるけど、混ぜてくれるかなぁ……」


 隅にある水を溜める瓶と、外と、そしてユリカをちらちらと見やってくるディーハ。

 その意図を何となく察したユリカは、仕方なしに唸る。


「ええと…………、わたしが、行った方がいい?」


 とたん、ぱっと青年の顔が明るくなる。

 自分がどうのこうのと言っておきながら、最初からユリカに任せるつもりだったようだ。


 ◆◆◆


 ディーハに伴われ、ユリカは一つの頑強な天幕へと案内された。


 昼間に通りすがった際にはてっきり長の天幕だと思っていたそれは、実は水の湧く場所だったらしい。

 見張りの戦士も護衛ではなく水が湧くのを見張っていたとのことだった。


「すみませーん、お邪魔しま――」「死ね!」


 とたんに木の桶が飛んできて、中を覗こうとしていたディーハの顔に激突する。


「いや、今日はおれじゃなくてこの子に―」「いちいち頭を突っ込むな!」


 再び桶が飛んでくる。


「と、とにかくこれ持って行ってきて」


 鼻を抑えて涙を滲ませているディーハに大きな瓶を持たされ、ユリカはなし崩しのように天幕へと押し込まれた。

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