第13話 砂里・3

 翌朝ユリカが起きてすぐに、意見を保留にしていた支族の一つが賛成に転じたという報せを、エンマから告げられた。


「カマクが負けたのが大きかったようだな。夜のうちに族長のところに行ったようだ」


 賛成派どころか族長グイドの腹心であるはずのエンマにとっては朗報であるはずだったが、あまり感情のこもらない顔で彼は言った。


 砂里は族長の家系と十の支族で構成されている。

 水都へ侵攻し水源を奪うという計画に賛同ないし屈しているのは七。残りは三の支族だが、そのうち反対は一支族のみ。

 保留の二支族も反対派の中心だったカマクが決闘で負けたことを鑑みて意見を傾ける日も遠くは無さそうだった。


「今日中にはミツカとクホートも転ぶんじゃないか。そうしたら残るはマフトマだけだ」


 言い終えた後にすぐさまサナイにおかわりの椀を差し出すディーハと、その腕を掴んで引き下げるエンマ。

 見かねたユリカが仕方なしに自分の分を横に滑らせる。


「どうぞ」

「そんなに優しくされたら惚れちゃう」

「……」


 余計な一言のせいで椀を引こうとするが、既に奪われた後だった。

 ディーハはもごもごと口いっぱいにユリカの粥を頬張り咀嚼の末目尻を下げて笑う。


「おーいしーい」

「……それは良かったわ」


 その横でアニとユニが毎食の恒例となった果実の押しつけを開始している。


「食べて~」

「かんで~」

「飲みこんで~」

「良い子ね~」


 双子の献身的な看護のおかげか、クルトの顔色はだいぶ良くなってきた。

 あどけない少女二人の無神経もとい無垢な厚意は流石にむげにできないらしい。

 だが生気が戻ってきたというわけでもなく、依然として表情は硬く、エンマやディーハを見る目は険しい。

 自分の住処を侵す算段をしているのだから当たり前だった。


 そしてユリカ自身も、天人の定めた刻限が近づいてきていることもあり不安が増していく一方だった。

 自分自身の処遇ももちろんだが、自分の不在によって父はキルレをはじめルンノの村人達にも不利益が及ぶのが怖くて仕方がなかった。


 ◆◆◆


 天幕ごとに別れて暮らしている支族は、おおむね一つあたり長とその妻、子供達に加えて兄弟や長の親なども含めて10人ほどで構成されているという。

 

 だがエンマの支族は、エンマを長として祖母のサナイと姪のアニ、ユニのみという少人数のものだった。


 もとはエンマに兄がおり長として妻との間にもうけた子がアニとユニだったのだが、二人は熱病で双子を残して亡くなったとのことだった。

 サナイの心が幻の世界に入ってしまったのもそのときで、それ以来彼女は今ではない時間に生きている。


 ――という事情を、ユリカはディーハから子細に渡り聞かされた。


 昨日と同じくエンマは長の集まりへと向かったため、留守居としてディーハが天幕の主のごとく振る舞っている。


 サナイは聞こえているのかいないのか、今日もせっせと何かの縫い物をしている。ユリカはクルトの横でディーハの独演を聞いていた。


「エンマさんは賛成派というか、族長と昔からの友達だから、そもそも侵攻するなんて案を出す前から相談してると思う。その結果なんだから賛成で当たり前だな。

 頑張ってエンマさんの嫁になって、思いっきりたらしこんで反対派に寝返らせて族長と決闘させれば何とかなるかもよ」


「……そんなことしないわよ」

「水都攻めを中止したいなら、可能性が一番高い方法だと思うけどねえ」


 先ほどまで惚れたとか綺麗だとか言っておきながら、他人に嫁がせる案を出すディーハが少し面白くなく、ユリカは黒髪の若い戦士を睨む。


「あんたは何なの?」

「おれ? おれは……何でもない」


 そう言ったディーハの横顔は、薄く笑っている。だが、それが快を示す表情ではないことは薄々感じ取れた。


「不義の子なんだ、おれ。

 本当は生まれてすぐに砂に流されるところだったのを、お情けで生かしてもらってる。だから、支族にも加えてもらえないし、何の発言権もない。

 おれの嫁さんになっても決闘なんかできないよ。ちゃんとした決闘以外で殺したとしても族長の決定自体は覆らないしね」


 ユリカが何も言えずにいると、ディーハは肩をすくめておどけて見せた。


「立場の弱いやつらはまとめて一番ボロい天幕に住まわされて……。飯は自分で何とかしないといけなかったから、昔は色んなおうちに上がり込んで飯を強請る嫌なガキだったよ。

 今はエンマさんが気にかけてくれるし、サナイ婆ちゃんもご飯をたくさんくれるから、この家が大好きだ」


「もう、お前達の事情なんか知りたくない」

「!」


 口を挟んだのはクルトだった。


 ディーハに背を向け横になっているが、ユリカからはその表情が窺えた。そこにあるのは怒りではなく、困惑に近いものだった。


「お前達がどれだけいい家族で、どれだけ優しくても、結局お前達が水都に攻め入ることは変わらないんだったら、もう聞きたくない」


「ま、そうだわな。ごめんよ先輩」

「……」


 クルトがユリカからも顔を隠すように丸くなる。ユリカはにじり寄って彼の顔を覗き込んだ。


「どこか痛いの?」

「全部」


 短い返答に、たくさんの意味が込められているようだった。

 ユリカはミラがセドリクにしていたように、クルトの肩に手を添える。


「……ディーハ」

「ふぁい」


 考えてみれば彼の名を呼ぶのは初めてだった。

 幼子のように目を丸くして次の言葉を待っているディーハに、ユリカは静かに問いかけた。


「その、最後の反対派の人って、どんな人なの?」

「マフトマさんなあ……」


 ちらりとサナイの方を見やるディーハ。

 言葉を選んでいるのか何度か首を傾げた末に結局諦めたらしく、ただ肩をすくめた。


「うーん……会ってみる?」

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