第12話 砂上の決闘
入り口が開かれ、眩い光が差し込んでくる。夜に到着したときは観察する余裕などなかったため、初めて見るに等しい砂里の光景だった。
「クルト、」
呼びかけようと足を止めると、先にディーハが口を開く。
「坊や、念のために言っておくけど、お嬢ちゃん達に手ぇ出したらエンマさんに粉々に刻まれるからやめとけよー、もちろん婆ちゃんも。
というかおれもきみ以上に刻まれるからやめてくださいね?」
「……」
ユリカから正気を疑う目で見られたディーハが慌てて弁明する。
「いや……おれが坊やくらいのときってそれはもう、ほら、すごいこうあれね、ちょっとしたことでも興奮しやすい感じで、砂にそれっぽい形があるだけで悶々としたりね?」
よりいっそう冷ややかな目で、繋いでいる手も引き気味にされる始末だった。
「子供扱いするな、僕は23歳だ。分別くらいある」
「えぇー!」
クルトが吐き捨てた言葉にユリカだけでなくディーハの声も重なった。
見た目からすると、16のユリカとほぼ変わらないほどなのに、天人の年齢はひどく読みづらい。
「そりゃ失礼しました、人生の先輩」
おどけるようにへこへことクルトに向かって頭を下げ、サナイと双子に良い子にするよう言いつけてから、ディーハはユリカを伴って天幕の外に出た。
一歩出た途端、熱い空気に包まれる。
昼の砂里は、ユリカが想像していた通りの険しい環境だった。
空気が、光が、ひどく熱い。
決闘の騒ぎで他の天幕からも人が顔を出している。ディーハは自分が被っていた外套をユリカにかぶせ、再びユリカの手首を握り直した。
香を焚きしめているらしい外套に包まれると、まるでディーハの腕の中にいるような気持ちになる。
ユリカはむずがゆい気持ちを覚えて首を横に振った。
「離れないでね。逃げても掴まえるし、運良く外に出られても多分死ぬだけだ」
「……」
ディーハの何気ないような言葉でユリカは思わず顔を顰める。
砂里の人間は死に関する言葉を比較的容易に口にするようだった。
乾いた世界で死が常に間近にあるため、この砂里ではそういった風潮があるのだろう。
それでも、すんなりと死などという言葉を受け入れることはユリカにはできなかった。
砂里の民は砂漠の中で水が湧き出る場所を探し求め、居住地を移しながら生きている。
砂漠の先には大国バハルがあり、歴代の君主の中には霊峰にまで版図を拡げるべく野心を燃やした者も居る。
そんなときに砂漠の水の出所を知っている砂里は真っ先に狙われかねない。
今でも戦士達が研鑽を怠らず気高い強さを誇っているのはそういった悪意から里を守り通すための備えなのだろう。
だが、今その強さは守ることではなく攻めることに用いられようとしている。
「カマクは、水都に攻めるのを反対してる支族の長だよ」
天幕の合間をぬいながら、ディーハは説明した。
「でも賛成派からは誰が来るんだろうな、エンマさんかなー……」
少し行ったところに、開けた場所があった。
ちょうど砂里の中央で、広場のようになっている。
既に砂里の人々が遠巻きにその中央を見やっている。
人数にして20人程度、大人の男がほとんどだった。アニとユニのように、子供はエンマの天幕のように中でじっと争いが終わるのを待っているのだろう。
中央に、一人の男が立っていた。
ユリカの父親カドーロよりも少し若いといったくらいだろうか。
砂里の戦士として日に焼け鍛えられた身体をしている。
精悍な顔立ちをしていたが、耳や頬、そして肩などに刀傷と思われる筋がいくつも走っている。手には既に僅かに反った銀色の刃を携えていた。
カマクというその男は、口を一文字にしてじっと佇み、奥の天幕を睨んでいるようだった。
やがてその視線の先に、二人の人物が現れる。
男女一人ずつ、カマクの待つ広場までゆっくりと歩いてくる。
女はユインだった。途中まで同行していたが中央に至る前に立ち止まり、何かを男に語りかけた後に周囲の観衆の列に混じる。
見ていたディーハが感嘆のような吐息を漏らす。
「うわ、族長本人か」
「あれが、族長……」
ユリカはディーハの視線を追って、改めてその男を見やる。
男はカマクと対峙する位置に来る。
カマクのように戦士の装いをしていなかった。
砂漠の、暑さや日差しを軽減する長衣のようなものを纏っている。刺繍なども施されているところを見ると、族長の衣なのだろう。
ただ、携えているのは美しい束飾りの施されている剣だった。静かにそれを抜き放つと、美しさすら感じるほどの刃が露わになる。
細身で、戦士というよりは文士のような男だった。
年のほどは30前後といったところか、族長という肩書きにしては若すぎるように思えた。
端正で物静かな印象を受ける顔立ちをしている。
顎に髭を蓄えているものの、そり落とすとただの若者のように見えるかもしれない。
「おれらにはいま十の支族があるけど、水都を攻めるっていう族長に従ってるのは五、反対が二と保留が三ってところ。
ただ、砂里全部の未来に関わるようなことは支族の長全員の同意がいる。
でも、わざわざ一人の反対派と決闘するとは思ってなかったな。
ここでカマクが勝てば水都に攻めることはないってことだよ。水都が無事でいてほしいなら応援すればいいかもね」
「だから、連れてきてくれたの?」
「まあおれが見たかっただけ。先輩はともかくきみを置いていくわけにもいかなかったし」
「……あなたは、どっちなの」
「おれ? おれは下っ端だから決まった方に従うしかないなあ。
この前のルンノ村の斥候は男衆の中で一番ヒョロいからエンマさんに押しつけられたんだ。ユインの姐さんは監視役みたいなもん。別に姉弟でも何でもないんだよね」
どこか他人事のように言うディーハ。
皆の視線の先では、向かい合う二人の男が構えをとっていた。
「砂の掟と銀月の導きのもと、この闘いによる勝者に従うことを、ツハネの息子カマクが誓う」
「砂の掟と銀月の導きのもと、この闘いによる勝者に従うことを、ヨナの息子グイドが誓う」
二者の声が朗々と響く。
ついに切っ先が地面から虚空へと持ち上がり、相手に向けられる。
「おれだって別に水都に恨みがあるわけじゃない、けど、もうこの里も――」
ディーハが何か言おうとしていた途中で、カマクの短い雄叫びが響いた。
砂を蹴り、小さく振りかぶってから横薙ぎに刃が走るが、族長グイドはそれを見切っており自身の剣でそれを受け流した。
カマクの腕があらぬ方向へと向かった隙に素早く自身の刃を突き出すが、カマクはそれを身をよじってかわしていた。
そこから、まるで何かの踊りのように男達の剣が舞い、ぶつかり合った。
金属の擦れ合う凄絶な音が響く。ユリカが息を呑んで見つめる前で、二人の男の斬り合っている。
「怖かったら見ないでいい」
ディーハが囁くが、目の前の切り結びからユリカは目が離せなくなっていた。
剣による闘いなど、のどかな村育ちのユリカにはもちろん見るのは初めてだった。
刃が煌めく。
男達が全身を使い意思の代わりに力をぶつけ合っている。
カマクが大ぶりに剣を振るうとグイドが受け流し、グイドが攻撃に転じるとカマクが同じようにそれをいなす。
お互いに構えや剣の振るい方が似ている。きっと同じように訓練し研鑽してきたのだろう。同じ里の仲間として。
そうやって十数回も打ち合った後だろうか。
単純な膂力ではカマクの方が勝っておりグイドは押され気味で、打ち合う場所は少しずつ動いていた。
だが、カマクがそれまでと同じように剣を振りかぶった瞬間、うっと呻き顔を顰めた。
その隙を逃さず、グイドの刃が差し込まれるようにカマクの首筋に添えられた。
刃は僅かにカマクの皮膚に食い込み、赤い雫が一筋こぼれ落ちた。
その場での勝者と敗者は明確に決まっていた。
低いどよめきの中、膝を落とすカマクと、立ったまま刃を掲げるグイド。
「……太陽だ」
ディーハの呟きで遅れて状況を悟るユリカ。
眩い太陽光が注ぐ広場で、打ち合う場所は少しずつ変化していた。
いつの間にか、カマクはその光を真正面に受ける位置にまで動かされていた。強すぎる光に眩んだ隙に、グイドは勝利に至る一刃を繰り出したのだ。
「たぶん、意図的にやったんだろうな。少しだけ劣勢のフリして下がりながら」
ディーハの横顔は真剣そのものだった。
戦士のはしくれとして彼らの打ち合いを分析しているのだろう。
カマクは俯いている。幸せが砂に染み込み逃げていくのが見えるようだった。
「では、おまえ達の支族にはわたしに従ってもらう。砂の掟と銀月の導きのもとに」
その頭上で宣言するグイド。その声に傲りの響きはない。カマクが顎を僅かに下げたのを確認した後、衣を翻してユインとともにその場を去って行った。
去り際、グイドは「異論のある者は支族の名代として名乗り出るが良い。決闘に応じる」と言い残していった。
人の輪から一人の娘が飛び出して、頽れているカマクに抱きつく。
雰囲気が似ていることから、おそらく親子なのだろう。
離すことのできなかった刃をぽとりと砂に落としてから、カマクは彼女の背を強く抱き締めていた。
水都を攻めることを反対していた人物が、負ける。それはつまり、水都への侵略に向けて一歩前進したということだった。
真昼の決闘が散会しエンマの天幕に戻る途中、ユリカは自分の手を引く男に何気なく尋ねる。
「あなたなら、族長に勝てる?」
「え、むりかな」
素直すぎる即答。
溜息すらつく気力もなかった。
なお、その後捕虜に与えるという名分でおやつをくすねるためによその天幕に寄り道をしたため、無断で天幕を抜け出していたユリカ達はエンマの帰宅に間に合わなかった。
双子から捕虜の見張りを放棄し決闘を見に行ったことをきっちりとエンマに報告されてしまい、ディーハは彼により苛烈な説教と仕置きを受けてめそめそと泣きながら帰って行った。
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