第5話 ユリカと水都・2
日が暮れた後。家に戻っても未だはっきりと気持ちが定まらないユリカの代わりにカドーロが動揺し、泣きそうになっていた。
「どうしてまたユリカを……」
雅な縁取りの施された召喚状は、再び臥せってしまったカドーロが握りしめてくしゃくしゃになっている。
かつて父カドーロは赤子のユリカが水都に招聘された際にそれを固辞している。
そのときは引き下がった彼らが今になって再びユリカを召し上げる理由を、しかし今のユリカは察していた。
ユリカは寝台の脇に座り、父の背をさすりながら、静かに口を開いた。
「お父さん。一つ訊きたいことがあるの」
「うん、何だいユリカや」
「わたしは赤ちゃんの頃……もしかして、魔女として水都に誘われてたの?」
カドーロは俯せのまま、返事をしなかった。否定をしないということは、ユリカの推測が間違っていないのだろう。
「どこでその話を聞いたんだ」
今も水門に隠れている天人の少年からとも言えず、ユリカはとっさに嘘をつく。
「……、お父さんが来る前に、水都の人たちが少し言ってた」
「そうか……」
ユリカが天人の少年から聞いた話と自分の記憶を縒り合わせた推論は、何も否定されなかった。
現在水都には魔女が不在となっている。
汚れ仕事を一手に引き受けるその人物が居ないのだから、候補としていた自分を再び呼び入れることとした――そう考えると唐突な召喚にも納得がいく。
しかし納得ができたところで素直に承服できるわけではなかった。
水都に行けさえすれば天人とともに夢のような暮らしができるのだと思い込んでいた。
だがきっとこの召喚に応じて水都に上がったところで、待っているのは天人のための召使いのような仕事なのだ。
この村で父や村人や谷そのものに守られて平穏に安穏に暮らせていたことが、今更どれだけありがたかったのかをユリカは思い知る。
だが、水という生命の根幹を握られているため、ルンノの民は天人に逆らうことなどできない。
ユリカひとりのわがままで、村全てを乾きの危機にさらすわけにはいかない。
「水都の、魔女のこと……知ってたの?」
「ユリカがもっと大きくなってから話すつもりだった。
このルンノの長として、いつかは知らなければならないことだ。だが……。いや、話しておかなければいけないな。
――谷の子らは生まれてすぐに掌を傷つけるのは知っているね」
「うん……」
ユリカは自身の掌に視線を落とした。
そこには、三日月のように深く抉った傷が残っている。
程度の差はあるが、村に住む者は皆、生まれたときにこうやって傷を作る。『明け空の月』といって、村の者の証となっている。ユリカの掌にはとくに色濃くその傷が残っている。
「おまえは天水ではちっとも傷が治らない体質だったんだ。
谷の女の子にごくまれに生まれるんだが……そういった子が生まれたときは水都に知らせることになってる。天水の管理をするのに向いているとかでね」
村には使い古しではない天水も少しだけ蓄えられている。村の者が大けがをした際に飲んで治癒を促すためだった。
だがユリカに限ってはその天水すら効かない体質で、いついかなる場合でも絶対に怪我をするなとカドーロから口を酸っぱくして言い聞かされていた。
「それでも村の子は減る一方で、このままではこちらの村の担い手が居なくなってしまうからと水都に上がるのを断ったんだ。それでもう話は終わったと思っていたが……」
「そうだったんだ……」
ユリカは唇を噛んだ。
幼い頃からの憧れが消え失せてしまった水都に、しかし行かなければならない。複雑な気持ちのまま夜が更けていった。
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