第4話 ユリカと水都
ユリカは天人が嫌いだった。
時折水都の評議会とやらの決定事項を報せに谷まで降りてくる天人は、揃も揃って鼻持ちならないいけすかない人物だった。
腰を低くして社交辞令を述べようとするカドーロに向かって一方的に水都の方針を報せた後は周りに見向きもせずにさっさと立ち去る。
目を見張るほど麗しい人物ばかりだったが、自分の村を汚いもののように見られるのは我慢ならなかった。
翌朝、ユリカは再びキルレ宅を訪た。
昨夜と同じくディーハとユインの姉弟に旅の話を聞く体をしながらさりげなくここに上ってくるまでの行程で誰かとすれ違ったかどうかを尋ねてみた。
「――お二人に訊きたいんですけど、誰か他に谷までの道を通ってる人とか居ました?」
「うん、どうして?」
ユリカを鷹揚に迎え入れぺらぺらと喋っていたディーハだが、ユリカが最新の注意を払って放ったその質問には大きく反応を示した。
「いえ……聞いてみたかっただけです」
「ま、誰とも会わなかったよ、ここに来るまで」
「そうですか。ありがとうございます。それじゃあ、わたしこれで――」
「ユリカちゃんは、天人を見たことがあるの?」
横から、ユインの声。
思わずびくりと震えそうになってしまう。横目で伺うと、ユインの眼差しが痛いほどにユリカに向けられている気がした。
「……定期的に、父に連絡が来ています。とても、綺麗な人ばかり」
「ユリカちゃんは天人が嫌いなの? なんだか、そんな口ぶりだけど」
声色から察されたのか、ディーハが突っ込んだ質問をよこしてくる。
「そうですね。あまり好きではないかも」
言いながら、ユリカは拳を握りしめた。そして自嘲を込めて、小さく呟く。
「……だって、わたしは天人のなりそこないだから」
◆◆◆
――それこそが、ユリカが水都と天人を嫌う一番の理由だった。
かつて産後の肥立ちが悪く母が命を落とした後、みどりごのユリカは何の因果か天人から水都への招聘を受けたことがあった。
だが妻を亡くしたばかりのカドーロが強く反対をして話は立ち消えになり、結局ユリカはルンノの子として育つこととなった。
天人は、ユリカの憧れだった。
もっと空に近いところで、綺麗な水を欲しいままにして夢のような暮らしをする彼らが、羨ましかった。
なれたはずの天上の存在に、なりそこねた。さらには、今や彼らの捨てた水をありがたがって暮らしている。
あこがれの裏返しのようなその悔恨がいつまでもずっとユリカにまとわりついている。
さらに詳しく話を聞きたがった姉弟を適当に言いくるめてから、ユリカは何も結果を得られなかったという報告のために水門に潜んでいるクルトにこっそりと会いに行くことにした。
◆◆◆
キルレ宅を出ると、いつもならのんびり畑に行ったり山羊を放牧に出したりしているはずの村人達が落ち着かない様子でそこらに立っているのが見えた。
牧童をしている男の側では山羊たちが導き手を失って彼の周囲をうろうろとしていた。
彼らの視線が他でもないユリカの家に向いていることに気づき、ほどなくしてことの全容が明らかになり、ユリカは立ち尽くす。
天人の男が二人、ユリカを視認し、真っ直ぐに歩いて向かってきたのだ。
陽光を受け、金糸のごとき髪が眩く輝いている。ただのよそ者ではなく遠くから一目見ただけで天人と分かるほど、二人の容姿は麗しかった。
神々の使いのような白い装いで、袖や襟の刺繍はとくに雅な意匠をしている。
やがてキルレ家の前に天人達が到達する。
明るい中で向かい合うと、違う生物であることを思い知らされるようだった。
すらりとした天人の男の片割れが、ユリカを見下ろしてくる。その表情は、まるでそこらの石をめくって光に晒された醜い虫でも見ているかのような残酷さがあった。
「村長カドーロの娘か」
「……はい」
ユリカよりも少し年上だろうか、恐ろしく美しい男達だったが、見つめられてもあまり嬉しくもなかった。ユリカは目を逸らさないままに頷いた。
すると男は懐から一枚の書状を取り出し、広げた。細やかな意匠の施されたそれをユリカの前に差し出した。
「水都からの召喚状だ」
「え」
ぽかんと口をあけて固まってしまうユリカ。
水都からの召喚。つまり、ユリカが水都に喚ばれているということだった。
かつて赤子の頃に行くことが叶わなかった水都。
この歳までずっと複雑な思いを抱かされていたそこに、今再び到達する機会が与えられたというのだ。
気持ちがぐるぐるとひっくり返ってしまったようだった。
「七日後に迎えを寄越す。それまでに準備と、別れを済ませておくように」
「別れ、って……」
白昼夢に入りそうになっていたユリカをその言葉が急激に引き戻した。
そこに突然、背後から暢気な声が届く。
「あ、天人だあ」
キルレ家の扉を開いて顔を覗かせたのは、天人と対照的によく日に焼けた商人、ディーハだった。
その後ろにはユインも立っている。
二人とも興味津々といった様子で伝説にも等しい存在を眺めている。
天人二人は商人を厭わしそうに一瞥した後、未だ動けていないユリカにその召喚状を押しつけた。
「拒めば谷に累が及ぶと思いたまえ」
それだけを言うと、天人の男二人は踵を返して去って行った。
キルレに支えられたカドーロが必死の形相でユリカのもとにたどり着いたのは、その直後のことだった。
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