第3話 水都の魔女
――どうして、天人様がこんなところにいるの?
形ばかりの腹ごしらえを済ませた少年に向かって腰を下ろし、ユリカは問いかけた。
少年は口を噤んでいたが、ユリカが根気よくじっと見つめていると、やがて諦めたような表情で口を開いた。
「……ひとを、さがしている」
「人捜し……この村に来ているの?」
「わからない……十日前に水都から姿を消した女だ」
天人の少年はクルトと名乗った。
ユリカが根気よく聞き出すと、クルトはか細い声でぽつりぽつりと事情を明かし始めた。
「女の名前はミラ。水都の魔女だ」
「……魔女」
聞き慣れない言葉だった。
幼い頃に父親から聞かされたお話の中の魔女といえば、呪いや悪夢を司り畏れ恐れられている人物だった。
妖精だか天使だかのように清らかな水で美しく暮らしている天人達にそぐわない気がした。
「魔女は、僕らの中でも特別な人間で、水都から澱……水を排出する役を負わされている。それに、人の遺骸を墓所に運ぶのも魔女の役目だ」
「澱……あぁ、そういうこと」
一つ腑に落ちたユリカは肩をすくめる。
「水都の中の汚れ仕事してる人ってことね……」
自分達にとってありがたい水を流してくれる人物が天人の中では蔑まれている。
何となく面白くなく皮肉を込めてそう言うと、天人の少年クルトは曖昧に頷いた。
「もう何才かも分からない、年老いた女だ」
「天人ってちっとも老けないとか聞いたけど」
「魔女だけは特別だ……老いているが、黒い髪をした美しい女だ。この谷を通らなかっただろうか」
「わたしの知る限りじゃそんなおばあちゃんは来てないわ。よそ者なら、今、麓の商人が上がってきてるけど、若い姉弟だし、お姉さんの髪は綺麗な銀色だもの」
ユリカが首を横に振ると、クルトは項垂れる。
弱り切っていて、ランプの淡い光で照らし出された影すらもユリカのそれよりも薄く、ちょっとした風でかき消えそうに見えた。
「昨晩水路の合図があったけど、これはその魔女が流したものじゃないの?」
水都から村へは、新月と満月の夜、点滅する光の合図により排水の連絡がある。
それに応じて村長がルンノのこの貯水池にそれを受け取り、水門で管理しながら使用しているのだ。
ユリカが横の水面を示すが、クルトはゆっくりと首を振り、否を示した。
「評議会で役目の押し付け合いをしている。
昨晩は僕が見よう見まねで何とか済ませたが、このままではいずれ水が溢れてしまう」
クルトの言葉と苦渋に満ちた様子で、ユリカはおおよその事情を把握した。
霊峰の尾根の一つに陣取り天水という豊かな水をほしいままにして水都を築き美しく生きている天人。
その中でも使い終えた後の水は流して捨てるし、人々は病こそ患わないにせよ、老いれば死に至ることも当然ある。
それらの厭われる類の仕事を一手に引き受けているのが魔女と呼ばれる職業の人物であり、そしてそれはけして敬意を払われる存在ではないということだった。
「本当に水都からいなくなったの?」
「それは、間違いない。
話の順序が前後したが、実はもう一人、男が姿を消している。セドリクといって、もう40歳くらいの、こちらもだいぶ老いた男だ。
……僕の、先生でもあった。多分、二人で水都から降りたんだと思うんだが、ここに居ないとなると、もっと下へ……乾きの世界にまで降りてしまったのかもしれない」
「つまり……年老いた天人二人が、駆け落ち?」
老いた天人の逃避行。あまり想像がつかずユリカが首をひねる。
「駆け落ちかどうかは分からないけど……二人は、親しい間柄だったと思う」
「そっか。それで、あんたはその二人を探して水都からこっそり水路沿いの道を見つけて降りて来たってわけね」
「そうだ」
「ここから下に降りる道も西側東側両方あるし、その二人の目的が分からないのなら探しようがないけど、どうするの?」
「探せる限り、探したい……」
ユリカの出した果物すらもろくに食べられず衰弱しかかっているというのに、クルトのその気持ちの強さだけは痛々しいほど表出していた。
「そんなに弱ってるのに、大丈夫なの」
「魔女が姿を消してから、少しずつ、水都がおかしくなっている。このままでは……」
水都嫌いのユリカからしてみれば汚れ仕事を押しつけられた人が逃げただけだし、もめ事くらい別にいいじゃないかとすら思えてしまったが、それで水の供給が止まってしまって困るのはもちろんユリカと村の面々である。
それに、弱っているにもかかわらず強い意志をしたクルトの眼差しを受けて、そんな大人げないことを口に出すはずもなかった。ユリカは小さく頷く。
「ちょっと危ないかもしれないけど、東の方から来た商人にそういう二人とすれ違ったかどうか尋ねてみることならできるよ。
いくつもある内の一つの可能性を潰すことくらいしかできないけど」
ユリカの提案を、天人の少年は苦渋の表情で受け入れた。
「あ、そういえば名乗ってなかったね。
わたしはユリカ。いちおう、よろしくね」
別れ際にそう言って手を差し出すと、クルトは一瞬躊躇ったもののおずおずと手を差し出してきた。握ったその手はか細く、水のようにひやりと冷たかった。
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