水井班、沢田に勝つ?
9階と10階の往復は何度もやらされた。
もう魔狼が怖い、なんて言わない。
真に怖いのは俺達の背後で魔狼を牽制しながら俺達を魔狼と戦わせる白い悪魔だろう。
そう、俺達は魔狼が吐き出す炎がいつの間にか怖くなくなっていた。
魔狼を倒すたびに吐き出される宝箱からマントを回収しては切り裂いて、炎を受けてぼろぼろになるマントの切れ端と交換するために9階に降りては水分補給と水を一口飲む。
そして軍曹に追い立てられては魔狼と対面し、熱いのには変わらないけど炎を浴びても無傷な体で魔狼を全員でフルボッコするそんなレベリング。
とてもまだまだ連携とって戦うなんて夢の話しの状態だった。
ただ宝箱から剣も出てくるので魔狼を倒して剣が増えるにつれ討伐は簡単になり、そんなレベリングは俺たち全員に剣が行き渡った所で軍曹が鼻をスンと鳴らした所でやっと地上に帰る許可を得るのだった。
最後のマントも切り分けてお守りのように、いや今はタオルがわりに首に巻き付けるように使う始末程度の扱いになったが、きっとこれからも雪軍曹による新人教育は続くのだろう。
空のペットボトルを持ち足取り重く地上に向かう案内を雪はそれでも走れと俺達を追い立てた。
慣れないダンジョンだけど右に曲がる時は「にゃー」と鳴き、左に曲がる時は「にゃー、にゃー」と二回鳴く。
優秀なナビゲーターだなと素直に感心したいのにそう思えないのは精神的疲労困憊の中走らされ、スピードが落ちると最後尾の奴が猫パンチを貰うご褒美付き。
最後尾になるのはやっぱりちょっとどんくさい佐藤。
しかし簡単にはめげないのがしんがり役。
「あ、もうちょっと上を宜しくお願いします。膝カックンは転ぶとこれからの戦闘訓練に参加できなくなるので止めてください」
なんてまだまだ余裕な様子に俺達は佐藤が雪担当で間違いない事を確信した。だがしかしそれを言うのなら仕事が出来ないからという言い訳をしてほしかった。俺達はあくまで仕事でここに来ている事を忘れないで欲しいとダンジョンの訓練がハードすぎて何が本業かを忘れかけたのは内緒だ。
そんな佐藤の悲鳴を聞きながらやっと戻って来た地上。
俺達はただの人と猫に戻り、雪はトイレの窓をひょいとまたいで草むらの方へと向かい、あっという間にその姿は隠れてしまった。
「あの猫ここから出入りしてたのか……」
まさかの通り道に他にも出入りしてる奴いないだろうなと不安を覚えるも
「あ、おかえりなさい。
ずいぶん長く潜ってましたが大丈夫ですか?」
ここは狭いからと庭先に移動し山水でよく冷やした薬缶に入った麦茶を持って来てくれて、今時見ないような古めかしいフルーツのイラストがプリントされたグラスに入れてくれたもので俺達はありがたく頂いた。
汗ばんだ体に生き返る様な冷たさはそこに体がある事を思い出させてくれるくらいに染みわたる。
食べきってしまった菓子パンでは物足りなく、空腹を埋めるように麦茶を飲めば薬缶の大量の麦茶もあっという間になくなってしまった。
物足りなさに少し寂しく思っていれば
「とりあえず皆さん遅いので軽食ですがおにぎり作ろうと思いましたがまだ作ってる途中なのでちょっと待っててもらえますか?」
そんな心遣い。
ありがたく嬉しく思うも自分達が食べる物。手伝いますと言おうとした所でそれを見てしまった。
「よかったらどんぶり貸していただけませんか?」
「?」
何を言ってるのか分からないと言う顔の沢田だったか彼女は判らないながらもどんぶりと箸の位置を俺達に教えてくれた。
古めかしい昭和の戦前にはまだよく見かけた土間台所。
そこに現役の竈が設置されている驚きよりも俺達はお釜の中で真っ白に輝くご飯を見つめて目を輝かしていた。
わざわざおにぎりにする意味はあるのだろうか?
否、ない。
ふっくらと炊き上がった米粒一粒一粒立ち上がるその姿、そして艶。甘く香る匂いとほんのり室内に漂う薪の香り。
おにぎりにする必要なんてないじゃないか!
お釜から立ち上る湯気を見て何故に冷めた状態を待たねばいけないのか意味が分からない。
俺達はどんぶりを片手にお釜の中を覗きこむもここは彼女、沢田の支配する城。
手作りなのだろうか市販品には見かけられない柄の部分が味のある形をしたしゃもじを握りしめ俺達のてんこ盛りをしたい欲望をあしらうようにどんぶりに均等に盛ってくれた。
美しくあれど少々物足りなく思うも
「お替わりはあるので言って下さいね!後おにぎりもあるので良かったらどうぞ」
なんて女神のごとき配慮。
ならば遠慮はいらない。
「いただきます!」
俺の合図に全員がそう叫ぶのを見て笑う女神は何かを思い出したかのようにご飯をかっくらう俺達の横で棚をがたがたと整理し始めたかと思えば一つの昔からよくある想像にも出てくるような壺を取り出して来た。
「相沢のお婆さんが何年か前につけた梅干しもありますが食べますか?
相沢はいらないって言うから遠慮なくどうぞ」
ほぼご飯がなくなったこのタイミングで凶悪なまでのアイテムを取り出してきた。
悪魔だ。いや女神だ。
誰ともなくただのプレーンなご飯を沢田が取り出した壺の中身を想像してかっくらい、自発的にお替わりをしてからの
「是非とも頂きたい」
「私も食べてみたけどしょっぱいからびっくりしないでくださいね」
なんてウェット感のない梅干をご飯の頂点に置いてくれた。
真っ白に輝くご飯の上に一粒だけ置かれた梅干。
箸で持ち上げ一口齧れば減塩志向の今時ありえないような頬の内側がきゅっとなる様なしょっぱさに一瞬体が震える。
そうだ。
ずいぶん前に儚くなった婆さんが漬けてくれた梅干もこんな感じだったな……
そんな懐かしの味と邂逅。
感涙、なんて事はないが思い出に一瞬浸ったものの口の中にあふれる唾液が思い出ではない物を求める。
かじりかけの梅干しを飾る真っ白な白米というゴールデンコンビ。
梅干しの酸味と塩味が支配する口の中にはしたなくもご飯をかきこめばご飯の甘みも合わさる無限に続く至福……
もう空腹と言う調味料だけでは収まらない食欲に俺達はさらにお替わりをし、もう一粒梅干を貰って麦茶を作ろうと沸かしていたお湯でお茶を用意してもらってのお茶漬けを頂いてやっと満足と言うように箸をおいた。
「あの、ご飯だけで本当に大丈夫でしたか?」
おかず一つ何もない食事だったが俺達は笑みをうかべ
「最高においしい食事でした」
そんなごちそうさまを言えば彼女、沢田は複雑そうな顔でお粗末さまでしたと言う。どこか納得のいかないと言う顔をしている彼女に何か不作法でもしたかと思うも
「水井さん、このおにぎりどうします?」
とりあえず駆けつけ三杯ではないが程よく満たされた腹に満足しながらも俺達の為に結ばれたおにぎりを見ればちょうど俺達に一つずつ行き渡る数が揃っている。
先ほどの美味しい炊き立てのご飯で満たされたけどそれはそれ。これはこれ。
「せっかくなのでデザートとしてみんなでいただこう」
「ご飯の後にご飯のデザートって意味わかんないんですけど?!」
なんて沢田君は吠えるも
「あ、塩加減最高です!」
「俺のは塩昆布入ってた」
「俺のは鮭フレークか?」
「やった!梅干しだ!」
「俺のはシーチキンマヨ!」
「うわ!食べてみないと判らないなんて!」
デザートらしく喜びの声を上げる部下たちに沢田君は俺達から視線を外して
「喜んでいただけて何よりです」
そう言ってあまり嬉しそうではない顔をしながら去って行った後ろ姿を見送りながら
「やっぱ女子って何考えているか理解できませんね」
辛子明太子のおにぎりを引いた佐藤は至福の顔で残りの一口を頬張るのだった。
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