第5話 美香との遭遇!

 ラーメンの調理を店長と交代で行う体制になってから一週間ほどが経った。

 ある日の休憩時間、店長はパチンコに出かけており、沢村は部屋でテレビを見ていた。

「おじいちゃーん」

 突然、女の子っぽい声が聞こえた。テレビの音声かと思い画面を眺めた。

「おじいちゃーん。いないの?」

 店の方からだと分かり、沢村は慌てて厨房に出ていく。

 カウンターの真ん中の席に小学生くらいの女の子が座っていた。赤いランドセルをしょっている。目がぱっちりしており、髪もやや長めのストレートで、どこか凛とした雰囲気があり大人びた印象を受ける。

「えっと、今まだ準備中でして……」

「あなた誰?」

「アルバイトの沢村といいます……」

「アルバイト?」と首をかしげて続ける。

「おじいちゃんは?」

「あー、店長でしたら外出してまして、もう少しで戻るとは思うんですけど……」

「待たせてもらうわ」

 その女の子は頬を手で挟むようにして両肘を付いた。

「お水くれる?」

「は、はい」とコップに水を入れて出す。

「どうぞ」

「ありがと」

 そう言いながら沢村を不思議そうに眺める。

「大人なのにアルバイトなの?」

 グサッという音が聞こえた気がしたが、沢村は何とか平静さを維持するよう努めた。

「はは、そうなんですよ。働かせてもらってます」

「ふーん。おじいちゃんにしては珍しいわね」

「ありがたいです」

「まぁがんばりなさいよ」

「はい、ありがとうございます!」

 完全に飲まれている。その時、足音が近づいてきた。

「おー、来とったんか美香!」

 パチンコの景品がぎゅっと詰まった袋を両手に持ち、店長が戻って来た。

「うん、おじいちゃん! ラーメンちょうだい!」と、沢村には見せることのなかった明るい笑顔で言った。

「あいよ! ちょっと待ってな」

 店長は厨房でラーメンを作り始めた。

 やや麺の量を少なくして茹でている。棚からどんぶりを出してきたが、普段使っているものではなく小ぶりのどんぶりで、犬のイラストが描いてある。スープもどんぶりに合わせてやや少なめにしている。量以外は普段のものと同じである。

 美香は足を揺らしながら微笑みつつ店長の姿を見ている。

「はい。おまちどうさま」

 美香の前にラーメンが置かれる。

「ありがとう!」

 美香は上手に割り箸を割って食べ始めた。

 おいしそうに食べる姿を店長はうれしそうに見ている。

「学校の帰りかい?」

「うん、そうだよ。あ、ちゃんとママの許可もらってるからね」

「はは、そうかい。ママとパパは元気かい?」

 美香は少し顔を曇らせた。

「パパ、いつも夜遅いみたいなの。それでママずっと怒ってる」

「はは、そうかい」

「ケンカばっかりでやんなっちゃう」

「やんなっちゃうねぇ、そりゃ」

 美香はふぅとため息をついたかと思うと、スープを飲み干した。

「あーおいしかった! ごちそうさま!」

「あいよ」

 美香はふと沢村の方を見て店長に言った。

「このおじさんは弟子なの?」

「はは、弟子候補ってとこかな」

「弟子なんて取ったことないのに、そんなに腕がいいの?」

「まだ働きはじめて間もないけど見込みはあるよ。これからだよ」

「ふーん……」と沢村をじっと見る。

「はは……」と笑顔で答えた。

 美香は席から降りる。

「おじいちゃん、ありがとう!」

「またおいでな」

 美香は笑顔で手を振りながら帰って行った。店長も手を振っている。

 沢村も手を振ったが、美香は全くこっちを見なかった。


「美香ちゃんというんですね。お孫さんですか?」

「ああ、息子の娘だよ」

「何歳なんですか?」

「今七歳だったかな。小学一年生だね。神田の小学校に通ってて、時々うちに寄ることがあってな」

「ということは美香ちゃんの家も近いんですか?」

「浅草橋に息子夫婦の家がある。遠くはないね」

「近くにお孫さんがいるっていうのもいいですね」

「はは、そうだねぇ」

 普段より一層柔らかに微笑んでいる店長を見て、孫ってかわいいんだろうなと、結婚もしていない沢村は思うのであった。


 ある日の休憩時間。店長が棚に置いてあるラジオをいじっては首をかしげている。

「どうしました?」

「このラジオ、雑音がひどくなってしもうたんよ」

「ちょっと見ていいですか」

 木目調のレトロなラジオである。

 電源を入れなおしたり、周波数バンドを切り替えたり、アンテナの向きを変えたりしてみたが、わずかに放送の音は聞こえるもののガサガサと雑音が入ってしまう。

 この当時で既に年代物のラジオなので、部品が劣化しているのかもしれない。

「中を見てみます。ドライバーなどの工具ありますか?」

「ああ、ここにあるよ」と、棚の引き出しを開けた。

 ドライバーやニッパー、ペンチなどの工具類が入っている。

「ちょっと借りますね」

 ラジオを奥の部屋に運んだ。ドライバーでカバーを外し中の基板を見てみると、いくつかトランジスタが見える。昔のタイプなので詳しくは分からないが、劣化してそうなトランジスタを見つけ、その型番を新聞紙の切れ端にメモした。

「ちょっと部品買ってきます」

「直せるんかい? 悪いね」

 

 沢村は店を出てまっすぐラジオデパートに向かった。沢村も当時電子部品などをよく買いに来ていた所だ。ビルの中に小さな店舗がひしめくように入っており、これぞ秋葉原という感じの場所である。沢村の元の時代でも存在している事を考えると、とても貴重で愛おしい気持ちになる。

 当時よく寄っていた店に行き、男性店員に聞いてみた。

「このトランジスタってあります?」と新聞紙の切れ端を見せた。

「これゲルマニウムですよね。あるかなぁ……」と店の隅の棚を探し始めた。

「ありました。これもう数少ないですよ」

「そうなんですか」

 購入を済ました後、無意識に声が出る。

「お元気そうですね」

「え? ええ……、ありがとうございます」

 しまったと思った。当時顔見知りだったので、つい懐かしくなってしまい声を掛けてしまったのだ。

「あ、いえ、では」沢村はさっとその店を後にした。

 修理に必要だと思い、別の店で安いはんだごてとはんだも購入した。


 店に戻り、部屋でラジオの修理に取り掛かった。店長は追加の仕込みをしている。

 コンセントに刺して熱した状態のはんだごてを手に持ち、劣化しているトランジスタの電極の接合部分にあてる。接合部の金属が溶けたのを確認しピンセットでトランジスタを取り外す。新しいトランジスタを取り付け、電極を基板に繋ぐ。水を含ませたスポンジにこて先をこすりあてた後、はんだごてを右手に、はんだを左手に持って接合部分に近づけ、はんだを溶かして接合していく。はんだ付けはたまにやっていたが、こんなにも古い家電を修理するのはほぼ初めてだったので緊張した。

 接合完了後、基板むき出しのままで電源を入れてみると、雑音もなく正常に放送が流れた。カバーを元に戻し、厨房の棚に置いて電源を入れた。聞こえてきたのは長渕剛の歌『乾杯』だった。店長が驚いた笑顔を見せた。

「おお、おまえさん凄いねぇ。技術屋だったのかい?」

「ええ、まぁそんなとこです」

「親父の頃から使ってたラジオでね、直ってよかった。ありがとね」

「なんとか直せてよかったです」

「この歌好きでねぇ」

 店長は歌を口ずさみながら仕込みを続けた。


 休業日、沢村はまた秋葉原の街をぶらついた。

 なんとなく、昔バイトをしていた家電量販店に寄ってみる。平日もあってか人はそう多くはない。そっとパソコン売り場に来て店員の姿を眺める。どうやら当時の自分はいないようで安心した。よくSFなどで、過去の自分と接触するのはタイムパラドックスを引き起こす恐れがあるため極力避けなければならないと聞いたことがある。以前、店にラーメンを食べに来た時に接触してしまったがあれくらいなら問題ないのだろうか。そんな事を考えながら、展示されているパソコンを眺める。この当時のパソコンは個性的で今見ても魅力を感じる。

「何かお探しでしょうか?」

「あーいえ、ちょっと見てるだけ……」

 店員からの声掛けに答えようと振り返ると、その店員はまさかの当時の自分であった。確認が甘かった。不意打ちを食らってしまった。

 そういえば、客には積極的に話しかけて商品を宣伝しろと言われていた気がする。

「お仕事用のパソコンでしょうか?」と健気に話してくる自分に、そっけなくするのも悪いと思った。

「えっと、ゲームするのにいいのどれかなぁって」

 当時の自分が嬉々とした表情で、少し離れたところにあるパソコンの前に誘導した。

「それでしたら、このX68000がお勧めです。16ビットCPUに高度なグラフィック機能を搭載し、なんとあのグラディウスも遊べますよ」

「おお、それはいいですね。えー、また来ます。ありがとう」と逃げるように去った。

 おそらく店員の自分はきょとんとしているだろうが、振り返らずにエスカレータで上の階に上がった。


 そのフロアにはゲーム売り場があった。

 家庭用ゲーム機やソフトがずらりと陳列されている。ゲーム機は最新機種としてPCエンジンやメガドライブが展示されている。ファミコンも端の方に置かれていた。

 試遊コーナーがありいくつかのゲームが遊べるようになっている。ふと目に入ったゲーム画面にくぎ付けになった。当時好きだった『ドラゴンスピリット』である。PCエンジン版が出たのはこの頃だったか。いわゆる縦スクロール型のシューティングゲームだ。

 それにしても結構プレイがうまい。しかし、ボス戦に入ったとたん撃破されゲームオーバーとなってしまった。ふとプレイしている人を見て驚愕した。ランドセルをしょった女の子、美香だったのだ。

「み、み、美香ちゃん?」

 美香は沢村の方を見て、ちょっと驚いたような表情となった。

「弟子のおじさん? こんなとこで何してるの?」

「今日はお店が休みの日だからね。散歩みたいなものだよ」

「あーそっか、月曜日ね」

「美香ちゃんは学校の帰りかい?」

「そうよ」とゲームをまたプレイし始めた。

「よくここに寄ったりしているの? 家には帰らないのかい?」

「帰っても誰もいないもん。ママもお仕事だって」

「そうなんだ。学校の友達とは遊ばないの?」

「あんまり気が合わなくてね……。ねぇここどうすればいいの?」

 画面を見ると、ちょうどボス戦にさしかかるところだった。

「とりあえず弾を避ける事に集中してみて」

 美香は必死になって弾を避けている。

「無理! やってみて」とコントローラを沢村に差し出した。

「えっ!」と慌ててコントローラを受け取ってプレイを引き継ぐ。

 ボス敵からの炎の弾をかわしつつ、敵に攻撃をする。

「こんな感じで避けることを第一に、隙があれば攻撃を繰り返していけば……」

 ボス敵を破壊し、ステージクリアとなった。

「やったぁ!」と美香が素直に喜ぶ姿はやっぱり小学一年生らしいなと沢村は思った。

「ねぇかしてかして」

 美香は沢村からコントローラを奪い取り、次のステージを続ける。

 その後、沢村がアドバイスしながら美香がゲームを進めていると、周囲に人が集まってきているのに気づいた。ちょっと店員の目も気になったので「ここまでにしようか」と切り上げる事にした。

「弟子おじさんゲームうまいんだね」

「はは、ゲームが結構好きなだけだよ」

「そうなんだ」

 店の入口まで来たところで、沢村は美香に言った。

「家まで送ろうか?」

「大丈夫、いつも一人で帰ってるし」

「そう? じゃぁ気を付けてね」

「またね、弟子おじさん」と美香は歩いていった。

 弟子おじさんという呼び名はどうなんだと思ったが、確かにその通りだと思った。


■一九八九年二月


 『いずも亭』で働き始めて一か月ほどが経った。

 この日の開店後、足りなくなった野菜類を買いに店長は市場へ行っており、店は沢村一人で賄っていた。

 さほど客も多くなかったためか、ぼうっと考え事をしてしまっていた。

 調理や任された仕込みには慣れてきており、一部の客からは顔も覚えられ始めている。

 しかし、まだ重要な事を習得していない。そう、スープ作りである。ダシとタレの仕込みができてこそこの店のラーメンを作れるという事だ。

 それは当然分かっているし、そうしたいのだが、教えてくださいと言えない自分がいる。その理由は自分でもよく分からない。

 この時代で本当に生きていくのか、元の時代にはもう戻れないのか、この大きすぎる問題が消えたわけではない。この事が常に頭のどこかにあるためなのだろうか。


「お願いします」という声が聞こえ、我に返った。

 目の前に当時の自分がいた。工藤までいる。また食べに来たのだ。

「あ、はい。並ですね。こちらも」と、慌てているのを隠しながら食券を受け取り、調理に入った。

 二人は席に座った。当時の自分が沢村の方をちらっと見て首をかしげている。

「どうしたんだ?」と工藤が当時の自分に聞いている。

 ひそひそ声で当時の自分が答える。

「あ、いや、前にどこかでこの店員さんに会った気がしてね……」

 おそらく、以前にパソコン売り場で会った事を思い出したのかもしれない。やはり過去の自分との遭遇はなるべく避けたいところだ。

「おまちどうさまです」

 二人はラーメンを食べながら会話を続ける。何気なく耳を傾けてしまう。

「四年になったら就職活動じゃん。沢村はどーすんだ?」

「一応ゲーム会社を考えてるよ」

「ってことはプログラマか?」

「うん、希望としてはね」

「お前なら大丈夫だろ。俺はどうすっかな」

「工藤はコンピュータメーカー系じゃないの?」

「そう考えてるけどな。パソコンとか絶対普及していくだろうし」

 こんな会話をした記憶はある。そして自分はゲーム制作会社、工藤は大手コンピュータメーカーへ就職することになる。

 工藤がスープを飲み干した後言った。

「いつかさ、俺らでゲーム会社作ろうぜ」

 当時の自分はちょっとせき込む。

「それまだ言うの? 簡単なことじゃないんだからさ」

「おいおい、お前が言い出したんだろうが。俺とお前ならできるぜ。俺はハードの技術、お前はソフトの技術を磨くんだ」

 当時の自分もスープを飲み干して言った。

「お互い一人前になったら考えてもいいかもね」

 沢村は二人の会話を聞きつつ、考えてしまった。

 就職活動をして会社に入り、仕事はそれなりにやってきたとは思うが、大きな失敗もした。会社の廊下にも貼ってあった『ドリポマ2』のポスターを思い出す。沢村が担当したプログラムに致命的なバグがあり、発売後にソフトを回収するという事態となった。まだオンラインでプログラムを更新できない時代だった。デバッグの不十分さもあり沢村を責める声もなかったが、結局それがきっかけにもなり、沢村は自らも希望してプログラマから品質管理の部署に異動した。どんな業務も仕事であるし、不満という事ではなかったが、結局中途半端な事しかしてこなかった気もする。


「悪いね、遅くなったよ」

 店長が野菜を詰め込んだ袋とパチンコの景品が入った袋を両手に持って帰って来た。

 ちょうどその時、当時の自分と工藤が「ごちそうさま」と言って席を立った。

 去っていく二人に「ありがとうございました」と沢村と店長はそろって言った。

 店長は目で二人を追っていた。

 その後、調理を交代し、沢村は厨房でどんぶり洗いや追加の仕込みなどに従事する。

 これが今の仕事だ。と沢村は思った。


 この日の閉店後、店長から久々に飲みを誘われ、また部屋で飲み会となった。明日が休業日であるからでもある。

 部屋でちゃぶ台を囲み座る。沢村はさっそく缶ビールを2本ほど飲み干した。

「おー、いい飲みっぷりだねぇ」と店長も負けじと缶ビールをぐいぐい飲む。

 テレビでは映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が流れている。『日曜洋画劇場』である。

「この映画好きなんですよ」と沢村が話す。

「ああ、時間旅行の話なんだろう?」

「そうですね。確か、三十年前の世界に行ってしまうんです」

「へぇ、三十年つったらずいぶん世の中も変わってんだろうねぇ」

「そうですねぇ。結構変わってて驚きますよ。三十年って……」

 この映画がひとごとに思えない気持ちになりつつも、ビールも進んですでに結構いい気分になっている。

「今日も結構出たんですか? パチンコ」

「まぁまぁってとこだな。どんどん食ってくれ」

「いただきますー」

 ちゃぶ台の上に並んだつまみ類をほうばり、ビールを飲んだ。

「店長、そもそもラーメン作りはどうして始めたのですか?」

「そうさな……、俺が生まれる前から親父がラーメンの屋台をやっててな。それを引き継いだんよ」

「屋台ですか」

「神田とかこの辺りを歩き回ってたよ。小さかった俺も付いて行ってどんぶり洗いなんかを手伝ってたなぁ」

「繁盛してました?」

「うーん、俺が手伝い始めたころはそうでもなかったな。客が少ないからよく浅草の方まで行って、足が疲れてたなぁ」

「なかなか難しいんですね屋台も」

「そうさな……。その後しばらくして親父が味を変えたんよ。そしたらこれが結構評判になってな」

 沢村ははっとひらめいた。

「もしかして、生姜ですか?」

「そうそう、よく分かったの」

「どうして生姜を取り入れたのですか?」

 店長はビールをぐいと飲んで一呼吸置いた。

「おふくろがもともと病気がちでな、冬の寒さに弱かったんよ。そんで、店のラーメンに生姜を多めに入れておふくろに食べてもらったら、体が温まるってよろこんでな。しかもおいしいとさ」

「なるほど。それがきっかけだったんですね」

「体を温めるには生姜を加熱する必要があるってんで、親父はスープに溶け込ませる工夫をしたんさ」

「へぇすごいですね。それはお母さんも良かったですね」

「その数年後には死んじまったけどな」

「そうなんですか……。でも、すごくおいしかったんだと思いますよ」

 店長はふふと笑ってつまみを食べ、ビールを飲む。沢村は話を続けた。

「えっと、親父さんから屋台を引き継いだのっていつくらいなんですか?」

「俺が二十五、六の頃に親父が死んで、その後だね」

「一人で屋台を続けたんですね」

「そうさね。屋台を十年近くやった頃、この空き地を見つけてな」

「ここですね。そして勝手に掘っ立て小屋を建てたという話につながるんですね」と指を下に向ける。

「そうそう。前に話したっけか」

「親父さんの味をしっかり継承したんですね」

「ああ、でもちょっと付け足したんよ」

「付け足した? ……もしかして生姜しぼり汁ですか?」

 店長はちょっと驚いた顔をする。

「お前さん勘がいいねぇ。スープに溶かし込むとは別に香りづけが欲しくてな。俺が加えたんさ」

「うーん、すごい……。親父さんのラーメンを継承進化させ、店長の味にしたんですね」

「はは、そんな大げさなもんじゃないよ。ラーメン作ることくらいしかできることがなかったんよ。生きていくためさ」

 ビールが無くなったので、沢村は冷蔵庫からいくつか出してきてちゃぶ台に置いた。

「ところで、息子さんがおられるんですよね。えっと、奥様は……?」

「妻は掘っ建て小屋の頃の常連客やったんよ。いつの間にか店を手伝ってくれるようになってな」

 店長は笑顔を浮かべている。

「籍を入れて二年くらいして息子が生まれたんさ」

「その息子さんの子供が美香ちゃんですね」

「そうそう」

「奥様は……今は?」

 店長はふと寂しそうな目をした。

「死んだよ。十年くらい前にな」

「……そうでしたか」


 二人とも結構飲んでいて、お互い顔が赤い。沢村はさらに気になっていたことを聞いた。

「その……、息子さんはこの店を継がないんですか?」

 店長はふふっと笑いながら首を振った。

「継ぐわけないよ。息子はでっかい企業に勤めていてな。ラーメン屋なんて元々興味が無いらしいんよ」

「でも店長のラーメンは食べていたんですよね?」

「小さいころにはよく食べさせていたが、いつしか食べ無くなっての……」

「そうなんですか……」

 部屋の時計を見ると、いつの間にか遅い時間になっていた。

「あ、すいません、そろそろ寝ましょうか」

「ああ、そうさな」

 沢村が空き缶やつまみの食べ残しを片付けていると、立ち上がって階段に近づいた店長が振り返って言った。

「お前さん、よくうちの店に来ていたと言ってたよなぁ」

「はい。よく食べてましたよ」

「なんとなく覚えている気はするんだけど、その顔じゃない感じがするんよ」

 沢村は手を止め、すぐに言葉が出てこなかった。

「よく来ていたころから、ずいぶん間が開いちゃってますし……」

 店長は首をかしげながら階段を上がっていった。

 沢村も寝る準備をして布団に入る。

 頭の中がぐるぐるしてすぐ眠りに入れなかった。


 次の日の休業日、沢村はまた秋葉原の街をぶらついた。

 そもそも自分が過去の世界に来てしまった事自体が異常な事態であり、本来であれば一刻も早く元の時代に戻るべきなのだ。

 どうして過去に来てしまったのか。秋葉原駅のミルクスタンドでコーヒー牛乳を飲んだからだ。ならばもう一度飲めば、と思ったとたん走り出していた。

 秋葉原駅に入場券で入り、総武線の下りである六番ホームまで階段で上がり、例のミルクスタンドの前まで行く。

 息を切らしながら「コーヒー牛乳ください」と銘柄の札を指さしつつ言い、女性店員から瓶のコーヒー牛乳を受け取る。

 息を整え、目をつぶり、ゆっくりとコーヒー牛乳を飲む。冷えていてとてもおいしい。飲み干した後、ゆっくりと目を開く。店員が別の人になっているはずだ。

 さきほどの女性店員が物珍しそうな表情で、じぃっと沢村の方を見ていた。目が合ってしまい、慌てた様子でお互い目をそらした。

 念のためホームに入ってくる総武線を見たが、全面が真っ黄色だった。


 未来には戻れなかったのだ。


(つづく)

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