第117話 栄光
* * *
竜族が魔王との戦いに備えているとき、ラグゥの住まう竜神の森に、二人の女性がやってきた。
そのうちの一人は、ラグゥもよく知る相手。ラグゥたち竜族を神として崇める一族の巫女で、名前はシエラ。年齢は二十三歳。空色の髪は腰まで伸び、彼女の動きに合わせてさらりと揺れる。優しげな瞳は、ここのところずっと曇っている。
「竜神様。お客様をお連れしました」
「……うむ。何者だ?」
シエラの隣に立つのは、純白の衣を着た十代後半くらいの少女。聖職者であろうことは、ラグゥにも予想できた。
「わたくしは、シェイラン聖王国から参りました、聖女のファイスと申します」
「……ほぅ。聖王国の者か」
珍しいことだった。聖王国の聖職者は、己の信じる神を至上とし、他の神を受け入れていない。仮にも神として崇められている竜族のことを、あまりよく思っていないはずだった。
「本日は、誇り高き竜神様に、お願いがあって参りました」
白々しい、とラグゥは思う。以前、聖王国の者が、『竜神ではなくただの竜を自称せよ』などと言ってきたことがある。
そもそも、ラグゥたち竜族は、自身を神と名乗ったことなどない。周りの人間が、勝手に神として崇めただけのことである。
『我らは今も昔もこの先も、竜神ではなくただの竜である。文句があるのなら、我らではなく我らを崇める者たちに言え』
そう言って突っぱねた当時のことを、この聖女は知っているのだろうか。もはやあの勘違いは、なかったことにされているのかもしれない。
ラグゥはやや呆れながら、続きを促す。
「……聖女よ。お願いとはなんだ」
「わたくし共は、悪しき魔王を討伐するために動き始めました。しかし、かの魔王についての話を聞くに、人間だけの力ではとても敵いそうにありません」
「そうだろうな。我の力をもってしても、かの魔王には一切敵う見込みがなかった」
「いかに魔王を討伐するかを考えている際、竜神様が魔王討伐のために戦うという噂を聞きつけました。そこで、提案です。我々と共に、戦ってくださいませんか?」
「……ふむ」
ラグゥとしては、竜族だけの力で魔王を倒すのは難しいと踏んでいた。
強大な力を持つ竜族が百体集まろうと、魔王は圧倒的な力でそれをねじ伏せてしまうだろう。
一部の竜は戦うことに否定的だ。ワイバーンなどは、魔王討伐よりも人間と戦うことを選ぶ始末。
竜族も全てが同じ考えで生きているわけではないので、そういう者がいたとしても止められない。
それでも、ラグゥとしては魔王を倒さなければならないと考えている。そのために、誰かと手を組むのは悪くない。
たとえその相手が、本質的に相容れぬだろう存在であったとしても。
「我としては、そなたらと手を組むのも悪くないと考える」
「嬉しいお返事です。竜神様のお力があれば、魔王討伐も決して不可能ではないでしょう」
「……しかし、無傷ともいくまい。我らにも、そなたらにも、多大な犠牲が出ることを覚悟せよ」
「ええ、そうでしょうとも。しかし、我々は魔王討伐という崇高な使命のために戦うのです。戦士たちは皆、喜んでその命を捧げることでしょう」
聖女ファイスの声には、どこか自己陶酔の響きがあった。ラグゥはそれを不気味にも思ったが、協力して戦えるのであれば、多少のことは目を瞑ろうとも思った。
また、ユーライを悪と断ずる態度も気になったが、指摘はしない。
(……ユーライは悪しき魔王ではない。ただ、運命に翻弄される勇者を救おうとしているにすぎない。我は、あの魔王に死んでほしいなどとは思っておらぬ
しかし、相手が悪ではなかったとしても、戦わねばならぬときもある)
ラグゥはひっそりと溜息をつく。
「聖女よ。戦いのときはいつだ?」
「もうまもなくです。十日以内には準備を整え、我々は魔王討伐のために進軍します」
「わかった。我らもその戦いに備えよう」
「ありがとうございます。共に栄光の未来を掴みましょう」
「……うむ」
爽やかな笑顔を見せる聖女に、ラグゥは内心で苦笑した。
* * *
ユーライたちが王都へ向けて出立するに当たり、グリモワには強めの悪鬼五体と、大量の不死者の兵を残しておくことにした。本当に強力な敵が来た場合には戦力不足だが、何もないよりはマシ。
グリモワに残るのは、ラグヴェラ、ジーヴィ、そしてギルカの部下たち。何か異変を感じたらすぐに逃げるようにと、ユーライは伝えている。
ユーライ、クレア、リピア、リフィリス、ギルカ、フィーア、ディーナは、王都へ向かう。死体ではあるが、エレノアも一緒だ。
また、グリモワを去るセレスのために、ユーライはスケルトンの馬を一体用意した。セレスの指示に従って動くようにしているので、自分の足で移動するよりはだいぶ楽になる。
「さ、出発しようか」
準備が整ったところで、ユーライたちは外壁の外で幌馬車の荷台に乗り込む。
荷台は使うが、これを馬に引かせるわけではない。十メートル級の悪鬼に抱えさせるのだ。
今まで移動の際は悪鬼の肩に乗っていたが、こうすればひとまとまりで移動できるし、より快適でもある。移動中に荷台の中で眠ることも可能だ。吹き抜ける風も、周囲を暖める魔法具でかなり緩和できる。
考案はリフィリス。快適な旅に慣れているため、ただ悪鬼の肩に乗るだけの移動では不満だったようだ。
全員が乗り込んだところで、悪鬼が荷台を抱え上げる。そのまま移動を開始。
いざ出発、というところだが、もう既に日は暮れて、夜となっている。
各自、寝袋を広げて雑魚寝状態になる。ユーライの左右には、当然のごとくクレアとリピア。
「今更だけど、王様に会おうと思ったら、本当なら面会予約とかいるのかな?」
ユーライの疑問に、クレアが答える。
「本来ならそう。でも、事前に連絡を入れたところで、あまり意味はないと思う。このまま押し掛けるのと、相手の対応は変わらないかな」
「そっか。クレアって、王様には会ったことある?」
「会ったというか、何度か遠くから眺めたことがある」
「怖そうな人?」
「うーん、威厳のある人ではあったかな」
「そっか。話が通じる相手ならいいな」
「噂に聞く限りだと、話のできる相手。何かを盲信して、ユーライ討伐だけを考える相手ではないはず」
「そう。なるべく穏やかに話し合いができればいいなぁ……」
ユーライは淡い期待を持つが、難しいことだろうとも理解している。
「王様との交渉はさておき、シェイラン聖王国も気にした方がいい。王都と聖王国は、かなり近い」
「聖王国は、私が嫌いなんだっけ」
「そう。聖都の者たちと同じ。もしかしたら、このまま連中と戦うことになるかもしれない」
「……もし戦いになったら、やるしかないな」
「うん」
(平穏は遠ざかってるけど、まだ諦めたわけじゃない。時間はかかっても、いつか必ず、平穏な日々を手に入れる)
くだらないことをして笑いあう。そんな平穏な生活を思い描きながら、ユーライは目を閉じた。
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