第44話 神

 * * *


 エマが城門に到着する少し前に、町の中から邪悪すぎる魔力が立ちのぼった。


 

(なんとおぞましい……。近くにいるだけで吐き気がする……。まさか、あの魔物が発しているなどと言わないだろうな……?)



 嫌な予感がした。邪神の封印を解いてしまったかのようだ。



(おそらく、私たちの前に暗部の連中が何かをしたのだろう……。そして、少なくともダークリッチ暗殺は失敗した……)



 エマとヴィンが門に到着し、馬を下りる。


 両開きの城門は開いたままで、中に入ることは容易。しかし、二人とも町の外で足をとめてしまった。


 ヴィンが震える声で言う。



「エ、エマ! ひ、引き返さないか? この奥には、行ってはいけない気がする……っ」


「ヴィン……。気持ちは、わかります。この奥には、想像を絶する化物がいます。ヴィンが引き返すというのなら、私はとめません。しかし……私は行きます。私は、団長からこの剣を預かりました」



 エマは退魔の神剣を鞘から引き抜く。



「……どうしても、か?」


「どうしても、です」


「そうか……」



 ヴィンが迷う。しかし、それもわずかな時間。



「……すまない。悪い臆病癖が出た。俺も行く」


「そうですか。……なんの慰めにもならないかもしれませんが……死ぬときは、おそらく一緒です」


「男にとっては、最高の慰めだよ」



 二人で門をくぐる。



「う……っ。なんだ、これは……」



 紫色の不気味な物体が蠢いていた。血塗れの生肉のような気味の悪い光沢を放ち、異臭を放っている。



「エマ。今は、こいつに構っている場合じゃなさそうだ。階段を見ろ」



 城門の内側に、城壁の上に行くための階段がある。そこに、暗く邪悪な魔力をまとうダークリッチの姿があった。


 その小さな体に抱き抱えられているのは、クレアのようだった。その首から上が存在していないので、はっきりとはわからないが。



「……クレア」



 暗部はクレアの討伐に成功したらしい。それは一つの成果。だが、同時に邪悪な化物を目覚めさせてしまった様子。


 エマはヴィンと共に階段を駆け上る。


 城壁の上にたどり着き、そのままダークリッチを屠りたいところだったのだが、その邪悪な魔力のせいで近づくことはできなかった。また、ヴィンの気配遮断もいつの間にか解けているのは、ヴィンがダークリッチの魔力に気圧されたからだろう。



「……聖女の守りか。ちょっと厄介だけど、今の私なら、呪言じゅごんで殺せるかな。まぁ、でも、せっかくだし、ここは……」



 嫌な予感がした。


 グリモワの町を壊滅させた魔法、あるいはそれを超える何かを使う気なのだと、エマは察した。



「待て! 何をしようとしている!?」


「……うん?」



 下界を見下ろしていたダークリッチが、緩慢な動作で振り返る。 


 その目が黒に染まっている。視線を合わせるだけで、体中を虫が這うような怖気が走った。



「……お前、エマか?」


「……ああ、そうだ」


「そっか。クレアが色々話してくれたよ。聖騎士団に同年代の女の子はエマしかいなかったから、自然と友達になって、よく一緒にいたんだってな?」


「ああ……そうだな」


「クレアは、アンデッドになってもエマのことを友達だと言っていた。お前の方はどう? もう、クレアのことなんてどうでも良くなった?」


「……そんなことは、ない。たとえアンデッドになってしまったとしても、クレアは私のかけがえのない友達だ」


「そっか。それを聞けて良かったよ。これからクレアを生き返らせるから、直接本人にも言ってやってくれない? お前のことは、殺さないでおいてやるからさ」


「な……に? クレアは、もう死んでいるんじゃないのか……? 生き返らせる、だと?」



 首から上のない死体。アンデッドであっても、頭を完全に潰されれば死ぬ。



「私の魔法で生き返らせるんだ」


「……蘇生の魔法、だと? そんなもの、神話の世界の魔法ではないか……」


「へぇ、そうなんだ。まぁ、死者がそう簡単に生き返っても困るよなぁ……。つーか、お前たち、私を殺しに来たんだよな? エマの方は見逃してやるとして……そっちのもう一人には容赦しないけど、本気で戦うつもり? 邪魔をしないなら……まぁ、普通に殺すだけで済ませてやるよ。邪魔するなら下にいたあいつみたいにしちゃうけど、いい?」


「……紫色のあれのことか」


「うん。そう」


「……一体、何をした」


「死ぬほど苦しめ、っていう呪いの言葉をかけただけ。たぶん、死にはしないけど、死ぬような苦しみを永遠に感じ続けるんじゃないかな?」


「……なんということを」



 以前、ダークリッチは精神のみに苦痛を与える魔法を使った。今回は、それを実際の肉体にも影響する形で使った。そういうイメージだろう。


 だとすると、エマはその苦しみを想像できてしまう。あの、死こそが唯一の救いだとさえ思う苦しみを。


 エマはダークリッチを前にしていることも忘れ、下界にいる紫の物体に視線をやる。


 魔法でせめてその苦しみをとめてやろうとしたのだが。



「やめろよ。私を怒らせたあいつらが悪いんだ」


「うぐ……っ」



 エマは魔法を使えなくなり、体も動かせなくなる。ダークリッチの言葉だけで、全てが封じられてしまった。


 圧倒的すぎる力量の差。まるで神を相手に戦っているかのよう。



「お前は大人しく見てろ。で、そっちの。私の邪魔をする? それとも、安らかに死ぬ?」



 ヴィンが息を飲む。


 それから、ヴィンの首が落ちた。体も崩れ落ちる。



「……ここは死んでおいた方が身のためだ」



 盗賊ギルカがいつの間にか接近していた。ギルカに隠密スキルを使われたせいで気付かなかった……ということでは、おそらくない。


 ダークリッチに集中しすぎていたせいで、エマはその存在を認識していなかった。ヴィンも同じだろう。



「ユーライ様、すみません。おれが殺してしまいました」


「ああ、別にいいよ。わざわざありがとう」


「ユーライ様のためなら、どんなことでもしますよ」


「今後も頼りにしてるよ。それじゃ、エマはもう動けないわけだから……やっちゃおうか」


「……その、一つだけ提案です。向こうの聖女だけは殺さない方が、生き返ったクレアも喜ぶかと思います」


「それそうだな。聖女だけは区別が付くからそうしようかな」


「待、待て……っ」



 エマは退魔の神剣でダークリッチを討とうとする。規格外すぎる怪物であっても、神剣を使えば討伐できるかもしれない。が、全く体が動かないため、せっかくの神剣も役に立たない。



「お前は黙ってろ。私はもう待たない。……悪鬼召喚とかも気になるけど、この土地を荒らしたいわけでもないんだよなぁ……。やっぱりこれが一番か。うろ。そして、死の連鎖」



 世界が黒く染まった。

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