第45話 消滅

 * * *


 圧倒的な闇の力に、エメラルダは全く太刀打ちできなかった。



(そんな……わたしの聖魔法の守護をことごとく食い破っていく……っ)



 突如上空に生じた黒いもや。一瞬だけ聖なる守りにぶつかって停滞したものの、すぐに守りを浸食。黒いもやは戦場に降り注いだ。



「か、体が! 体が食われる!」

「腕が! 足が! 体が! 消える!?」

「誰か! 助けてくれ!」

「聖女様! 聖女様の力で我々をお守りください!」

「なんなんだよこれ!? わけわかんねぇよ!」

「いやだああああああああ! 死にたくないいいいいいいいい!」



 阿鼻叫喚の光景に、エメラルダは胸がきしんだ。



(わたしが……わたしが守らなければいけないのに! 聖女などともてはやされてきたのに、なんて無力なの……!)



 エメラルダは全力で守護の結界を維持しようとする。しかし、血を吐きそうなほどの全力を振り絞っても、黒いもやに対抗することはできない。


 靄がすぐに視界を埋め尽くしていく。



「エメラルダ様! 私の背後に……ぐぁ!」


「エメラルダ様だけでもお守りを……ぎゃぁ!」


「聖女様、あなただけでも逃げて……うあ!」



 エメラルダの目の前で、次々と聖騎士たちが倒れていく。倒れると言うより、中身が忽然が消えていく、という方が正しいのだろう。白銀の鎧だけが地面に転がり、死体さえも残らない。



「皆……。ごめんなさい……」



 エメラルダの乗っていた馬も消失する。エメラルダの体だけは聖魔法の守りで消えていないが……。



(……違う。わたしの力がこの闇の力に勝っているんじゃない。わたしは……ただ、生かされているだけ)



 エメラルダを靄が避けている。おそらく、勘違いではない。



(もし……わたしだけが生かされているとすれば……。クレア、あなたがわたしを守ってくれているの……?)



 クレアが今どんな状況にあるのかはわからない。ただ、クレアがダークリッチと近しい間柄になったとすれば、聖女だけは殺さないでくれとお願いしていても、不思議ではない。



(でも……わたしだけが生かされたって……)



 兵士たちの悲鳴もだんだん聞こえなくなってくる。


 もう、大多数が消えてしまったのだ。この黒い靄に飲まれて。



「……ごめんなさい。わたしが無力なばかりに……」



 エメラルダはその場で膝をつく。守護の魔法を使い続けてはいるが、全く意味をなしていないのはわかっている。


 それでも抵抗をやめないのは、何かの奇跡を信じたわけではない。それ以外にどうしていいか、わからなかっただけだ。



(神様……わたしたちは、何を間違えたのでしょうか……)



 天啓の警告に従い、ダークリッチの討伐を急いだ。


 その結果、多くの命が失われてしまう。



(ダークリッチは、無闇に人を殺さない魔物だという話もあった……。こちらから攻めなければ、こんな結果にはならなかったのかもしれない……)



 悔やんでも、もう遅かった。



(……あのダークリッチをとめられる者など、この地上にはいない……。北の地だけではなく、世界が終わるのかもしれない……。ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……)



 誰に謝っているのか、エメラルダにもよくわからなかった。


 ただ、自分たちが大きな過ちを犯し、そして、世界の危機を招いてしまったことを、世界中の人に謝りたかった。



(どうせなら……わたしのことも、消してくれれば良かったのに)



 黒い靄は、それでもエメラルダを避けた。


 やがて魔力の切れたエメラルダは、暗闇の中でただただ神への祈りと世界への懺悔を繰り返した。


 * * *


 聖都の広場にて、十歳の少年と少女が話をしている。


「リリィのお父さん、今頃悪い魔物と戦ってるのかな」


「うん。予定では今日のはずだよ」


「そっか。早く退治して、その様子を聞かせてほしいなぁ」


「アルスってわたしのお父さんのこと好きだよね。お父さんのお仕事の話聞くの、そんなに楽しい?」


「うん! だって、リリィのお父さん、聖騎士団の団長だよ!? すごいじゃん!」


「……ちょっと力が強いだけの、普通の人だよ」


「そんなことないって! すごい人だよ!」


「ふぅん……。アルスって、本当にお父さんのことばっかり……」



 二人が話をしていると、不意に少女リリィの足を黒いもやが覆い始める。



「え? やだ、何これ?」



 リリィは靄から逃れようと動き回る。しかし、靄はリリィをさらに浸食していく。



「リリィ!?」


「アルス! 助けて! 体が……消える!?」



 黒い靄に飲み込まれたリリィの両足が消滅する。靄の浸食はとまらず、リリィの下半身がなくなり、リリィは地面を這う。



「待って! 待って! なんなのこれ!? おかしい! わたし、死んじゃうの!?」


「リリィ! 落ち着いて!」



 アルスは黒い靄を取り払おうと手で払ってみるが、なんの効果もない。


 また、どうやら黒い靄に襲われているのはリリィだけではない。広場や周辺の市場でも複数の人が黒い靄に襲われ、悲鳴を上げている。



「アルス! アルス! 助けて! やだ! 死にたくない!」


「リリィ!」



 アルスはリリィを助けようとするが、なす術なく、やがてリリィの全身がその場から消滅した。


 絶望に顔を歪めるリリィの顔が、アルスの記憶に強烈に残った。



「一体、なんだっていうんだよ……っ」



 リリィが消え、アルスは途方に暮れる。



「リリィ……リリィ……どこに行っちゃったんだよ……?」



 二人は幼馴染で、物心つく頃から一緒にいた。アルスは、この先もずっと一緒にいるのだろうと、漠然と思っていた。将来はケッコンするのかもしれないとも、思っていた。



「……探さなきゃ。リリィは、きっとどこかに転移しただけ……」



 アルスはリリィを探すため、聖都中を駆け回る。


 結局、アルスはリリィを再び見ることはなかった。


 後に、ダークリッチ討伐に向かった兵士、聖騎士、冒険者の親、兄弟姉妹、子供の全員がいなくなってしまったことが判明する。


 それは、グリモワの近くにあるユーゼフとルギマーノの町でも同様だった。


 そして、この日、四万人以上の人間が世界から姿を消した。

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